5 / 8
用なし
しおりを挟む
輪にしたロープに首を入れ、ごくりとつばを飲む。
俺にはもう、これしかないのだ。
汚れた眼鏡向こうにぼんやりと、ゴミが積み重なった部屋が見える。
それはまるで今の俺のようで憂鬱になったが、この椅子さえ蹴ればそんな気持ちも味わわなくていい。
椅子を蹴ればすべての苦痛から逃げられる、わかっているのに身体が動かない。
「ふうーっ」
しばらくそうしたあと、諦めてロープから首を外し椅子から降りた。
「最後に、一服」
煙草を咥え、ライターを探すが出てこない。
「ちっ」
あまりに見つからないものだから舌打ちし、ガスコンロでつけようとしたが火がつかない。
とうとうガスも止められたようだ。
「ついてない……」
ゴミの上にどさっと寝転ぶ。
今までなんの問題もない順風満帆な生活を送ってきたが、一年ほど前のある日から階段を踏み外したかのように一気に転落した。
原因を考えるが、思い当たる節もない。
「やってられねぇよ……」
ごろりと寝返りを打ったところでゴミが崩れた。
「あー、くそっ」
悪態をついて起き上がる。
積み直そうとしたら下から茶封筒が出てくる。
「督促状かよ」
そう思ったが、僅かに重い。
中をのぞくと一万円札と小銭が入っていた。
三日で辞めさせられたコンビニの賃金が、埋まっていたようだ。
「よし」
これでライターが買える。
俺は上着を引っかけて築四十年のアパートを出た。
コンビニでは俺を見た、店員の若い男が不快そうに顔を顰め、俺のほうが不機嫌になる。
カゴを持ってビールのロング缶六本セットを入れ、さらにつまみになりそうなものを適当に放り込んでレジに向かう。
「レジ袋はどうなさいますか」
「いるに決まってるだろうが」
当たり前のことを聞いてくる店員にむっとした。
「あっ。
――、ワンカートン」
「何番の煙草でしょうか」
ちゃんと銘柄をしているのに確認されかっと頭に血が上ったが、俺は立派な大人なので丁寧に教えてやった。
「五十二番だよ、五十二番」
無言で店員が煙草の包みをカウンターにのせる。
「いくら?」
無言で俺を少しのあいだ見つめたあと、店員は面倒くさそうに口を開いた。
「10,238円です」
「ふん」
持っていた茶封筒を引っ切り返し、カウンターの上に金をぶちまける。
店員は苛ついた顔をしているが、知るものか。
「――円のお返しです」
嫌々といった感じで店員が差し出す釣りを受け取り、袋にものが詰められるのを待つ。
そこでライターが入っていないのに気づいた。
「おい、ライターがないぞ」
「は?」
言われている意味がわからないとでもいうのか、店員はまじまじと俺の顔を見た。
「煙草をカートンで買ったら、ライターをつけるのが常識だろうが」
「そんなサービスはないですが」
「はぁっ?」
コイツはアホなのかと盛大なため息が出る。
ライターがつくからカートンで買うのだ。
そうでなければ割り引きなどないにまとめて買ったりしない。
「おい」
「お客様!」
説教してやろうとしたところで、奥から俺と同じ年くらいの店長がすっ飛んできた。
「すみません、まだ彼はよく知らないので。
あとで教えておきます」
「ちょ、店長!」
抗議してくる店員を制し、店長はレジ袋の中にライターを入れた。
「まったく、教育のなってない店だな、おい」
「すみません」
ぺこぺこと店長が頭を下げ、いい気分になって店を出る。
「面倒だからな、あの人」
吐き捨てるように店長がなにか言っていたが、俺の耳には入っていなかった。
アパートのドアを開けたところで、ぶら下がるロープが見えた。
「そうだった」
それでようやく、自分がなにをしようとしてのか気づく。
「ま、飲んでからでもいいだろ。
そのほうが思い切れるし」
つまみをレンジにかけたが、うんともすんとも言わない。
「壊れてんじゃねーよ!」
怒りにまかせてぶったたいたものの、直らない。
日が傾き初めて電気をつけるも、つかなかった。
どうも電気も止められたようだ。
「くそがっ」
悪態をつきつつビールのプルタブを起こし、一気に呷る。
ビールを飲みながらつまみを囓り、煙草を吸う。
息子が大学を卒業し、就職が決まってから俺の転落人生は始まった。
よくわからぬまま妻に離婚届を突きつけられ、ようやくローンを払い終わった家を追い出された。
家を出る際、妻どころか息子からもゴミを見るような目で見られ、わけがわからない。
料理も洗濯もしたことがなく、慣れないひとり暮らしに途方に暮れていたら今度は、些細なことで会社を追われた。
今までの上司たちと同じようにやっただけなのに、あんな理由で辞めさせられるなんて思わない。
さらにどうにか決まった深夜のコンビニバイトは、なにもしていないのにたった三日でもう来なくていいと言われた。
世の中、納得できない理不尽が多すぎる。
「はーっ、俺はもう用なしってことかよ……」
立ち上がった俺の足取りは、ロング缶六本空けたせいで頼りない。
よたよたと椅子にのり、ローブを握って首を入れた。
「お望みどおり、死んでやる」
ふらつく足で椅子を蹴ったあとから、記憶がない。
「がーっ、ふがっ!」
自分の大いびきで目が覚めた。
気がつけばゴミの上に大の字になって眠っていた。
「どういうことだ……?」
二日酔いで痛む頭で見上げたそこには、切れたロープが垂れ下がっていた。
俺の体重にロープが耐えられなかったようだ。
「死ぬこともできねぇのかよ」
はぁーっと俺の口から、酒臭い息が落ちていく。
同時に腹がぐーっと空腹を訴えた。
「とりあえず食うもの……」
など、この家にはとうにない。
「しかたねぇ、息子に頭下げるか」
渋々ながら俺は上着を着てアパートを出た。
【終】
俺にはもう、これしかないのだ。
汚れた眼鏡向こうにぼんやりと、ゴミが積み重なった部屋が見える。
それはまるで今の俺のようで憂鬱になったが、この椅子さえ蹴ればそんな気持ちも味わわなくていい。
椅子を蹴ればすべての苦痛から逃げられる、わかっているのに身体が動かない。
「ふうーっ」
しばらくそうしたあと、諦めてロープから首を外し椅子から降りた。
「最後に、一服」
煙草を咥え、ライターを探すが出てこない。
「ちっ」
あまりに見つからないものだから舌打ちし、ガスコンロでつけようとしたが火がつかない。
とうとうガスも止められたようだ。
「ついてない……」
ゴミの上にどさっと寝転ぶ。
今までなんの問題もない順風満帆な生活を送ってきたが、一年ほど前のある日から階段を踏み外したかのように一気に転落した。
原因を考えるが、思い当たる節もない。
「やってられねぇよ……」
ごろりと寝返りを打ったところでゴミが崩れた。
「あー、くそっ」
悪態をついて起き上がる。
積み直そうとしたら下から茶封筒が出てくる。
「督促状かよ」
そう思ったが、僅かに重い。
中をのぞくと一万円札と小銭が入っていた。
三日で辞めさせられたコンビニの賃金が、埋まっていたようだ。
「よし」
これでライターが買える。
俺は上着を引っかけて築四十年のアパートを出た。
コンビニでは俺を見た、店員の若い男が不快そうに顔を顰め、俺のほうが不機嫌になる。
カゴを持ってビールのロング缶六本セットを入れ、さらにつまみになりそうなものを適当に放り込んでレジに向かう。
「レジ袋はどうなさいますか」
「いるに決まってるだろうが」
当たり前のことを聞いてくる店員にむっとした。
「あっ。
――、ワンカートン」
「何番の煙草でしょうか」
ちゃんと銘柄をしているのに確認されかっと頭に血が上ったが、俺は立派な大人なので丁寧に教えてやった。
「五十二番だよ、五十二番」
無言で店員が煙草の包みをカウンターにのせる。
「いくら?」
無言で俺を少しのあいだ見つめたあと、店員は面倒くさそうに口を開いた。
「10,238円です」
「ふん」
持っていた茶封筒を引っ切り返し、カウンターの上に金をぶちまける。
店員は苛ついた顔をしているが、知るものか。
「――円のお返しです」
嫌々といった感じで店員が差し出す釣りを受け取り、袋にものが詰められるのを待つ。
そこでライターが入っていないのに気づいた。
「おい、ライターがないぞ」
「は?」
言われている意味がわからないとでもいうのか、店員はまじまじと俺の顔を見た。
「煙草をカートンで買ったら、ライターをつけるのが常識だろうが」
「そんなサービスはないですが」
「はぁっ?」
コイツはアホなのかと盛大なため息が出る。
ライターがつくからカートンで買うのだ。
そうでなければ割り引きなどないにまとめて買ったりしない。
「おい」
「お客様!」
説教してやろうとしたところで、奥から俺と同じ年くらいの店長がすっ飛んできた。
「すみません、まだ彼はよく知らないので。
あとで教えておきます」
「ちょ、店長!」
抗議してくる店員を制し、店長はレジ袋の中にライターを入れた。
「まったく、教育のなってない店だな、おい」
「すみません」
ぺこぺこと店長が頭を下げ、いい気分になって店を出る。
「面倒だからな、あの人」
吐き捨てるように店長がなにか言っていたが、俺の耳には入っていなかった。
アパートのドアを開けたところで、ぶら下がるロープが見えた。
「そうだった」
それでようやく、自分がなにをしようとしてのか気づく。
「ま、飲んでからでもいいだろ。
そのほうが思い切れるし」
つまみをレンジにかけたが、うんともすんとも言わない。
「壊れてんじゃねーよ!」
怒りにまかせてぶったたいたものの、直らない。
日が傾き初めて電気をつけるも、つかなかった。
どうも電気も止められたようだ。
「くそがっ」
悪態をつきつつビールのプルタブを起こし、一気に呷る。
ビールを飲みながらつまみを囓り、煙草を吸う。
息子が大学を卒業し、就職が決まってから俺の転落人生は始まった。
よくわからぬまま妻に離婚届を突きつけられ、ようやくローンを払い終わった家を追い出された。
家を出る際、妻どころか息子からもゴミを見るような目で見られ、わけがわからない。
料理も洗濯もしたことがなく、慣れないひとり暮らしに途方に暮れていたら今度は、些細なことで会社を追われた。
今までの上司たちと同じようにやっただけなのに、あんな理由で辞めさせられるなんて思わない。
さらにどうにか決まった深夜のコンビニバイトは、なにもしていないのにたった三日でもう来なくていいと言われた。
世の中、納得できない理不尽が多すぎる。
「はーっ、俺はもう用なしってことかよ……」
立ち上がった俺の足取りは、ロング缶六本空けたせいで頼りない。
よたよたと椅子にのり、ローブを握って首を入れた。
「お望みどおり、死んでやる」
ふらつく足で椅子を蹴ったあとから、記憶がない。
「がーっ、ふがっ!」
自分の大いびきで目が覚めた。
気がつけばゴミの上に大の字になって眠っていた。
「どういうことだ……?」
二日酔いで痛む頭で見上げたそこには、切れたロープが垂れ下がっていた。
俺の体重にロープが耐えられなかったようだ。
「死ぬこともできねぇのかよ」
はぁーっと俺の口から、酒臭い息が落ちていく。
同時に腹がぐーっと空腹を訴えた。
「とりあえず食うもの……」
など、この家にはとうにない。
「しかたねぇ、息子に頭下げるか」
渋々ながら俺は上着を着てアパートを出た。
【終】
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
踏み台(王女)にも事情はある
mios
恋愛
戒律の厳しい修道院に王女が送られた。
聖女ビアンカに魔物をけしかけた罪で投獄され、処刑を免れた結果のことだ。
王女が居なくなって平和になった筈、なのだがそれから何故か原因不明の不調が蔓延し始めて……原因究明の為、王女の元婚約者が調査に乗り出した。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる