一生懸命生きなくていい~文芸系短編集~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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輪にしたロープに首を入れ、ごくりとつばを飲む。
俺にはもう、これしかないのだ。

汚れた眼鏡向こうにぼんやりと、ゴミが積み重なった部屋が見える。
それはまるで今の俺のようで憂鬱になったが、この椅子さえ蹴ればそんな気持ちも味わわなくていい。

椅子を蹴ればすべての苦痛から逃げられる、わかっているのに身体が動かない。

「ふうーっ」

しばらくそうしたあと、諦めてロープから首を外し椅子から降りた。

「最後に、一服」

煙草を咥え、ライターを探すが出てこない。

「ちっ」

あまりに見つからないものだから舌打ちし、ガスコンロでつけようとしたが火がつかない。
とうとうガスも止められたようだ。

「ついてない……」

ゴミの上にどさっと寝転ぶ。
今までなんの問題もない順風満帆な生活を送ってきたが、一年ほど前のある日から階段を踏み外したかのように一気に転落した。
原因を考えるが、思い当たる節もない。

「やってられねぇよ……」

ごろりと寝返りを打ったところでゴミが崩れた。

「あー、くそっ」

悪態をついて起き上がる。
積み直そうとしたら下から茶封筒が出てくる。

「督促状かよ」

そう思ったが、僅かに重い。
中をのぞくと一万円札と小銭が入っていた。
三日で辞めさせられたコンビニの賃金が、埋まっていたようだ。

「よし」

これでライターが買える。
俺は上着を引っかけて築四十年のアパートを出た。

コンビニでは俺を見た、店員の若い男が不快そうに顔を顰め、俺のほうが不機嫌になる。
カゴを持ってビールのロング缶六本セットを入れ、さらにつまみになりそうなものを適当に放り込んでレジに向かう。

「レジ袋はどうなさいますか」

「いるに決まってるだろうが」

当たり前のことを聞いてくる店員にむっとした。

「あっ。
――、ワンカートン」

「何番の煙草でしょうか」

ちゃんと銘柄をしているのに確認されかっと頭に血が上ったが、俺は立派な大人なので丁寧に教えてやった。

「五十二番だよ、五十二番」

無言で店員が煙草の包みをカウンターにのせる。

「いくら?」

無言で俺を少しのあいだ見つめたあと、店員は面倒くさそうに口を開いた。

「10,238円です」

「ふん」

持っていた茶封筒を引っ切り返し、カウンターの上に金をぶちまける。
店員は苛ついた顔をしているが、知るものか。

「――円のお返しです」

嫌々といった感じで店員が差し出す釣りを受け取り、袋にものが詰められるのを待つ。
そこでライターが入っていないのに気づいた。

「おい、ライターがないぞ」

「は?」

言われている意味がわからないとでもいうのか、店員はまじまじと俺の顔を見た。

「煙草をカートンで買ったら、ライターをつけるのが常識だろうが」

「そんなサービスはないですが」

「はぁっ?」

コイツはアホなのかと盛大なため息が出る。
ライターがつくからカートンで買うのだ。
そうでなければ割り引きなどないにまとめて買ったりしない。

「おい」

「お客様!」

説教してやろうとしたところで、奥から俺と同じ年くらいの店長がすっ飛んできた。

「すみません、まだ彼はよく知らないので。
あとで教えておきます」

「ちょ、店長!」

抗議してくる店員を制し、店長はレジ袋の中にライターを入れた。

「まったく、教育のなってない店だな、おい」

「すみません」

ぺこぺこと店長が頭を下げ、いい気分になって店を出る。

「面倒だからな、あの人」

吐き捨てるように店長がなにか言っていたが、俺の耳には入っていなかった。

アパートのドアを開けたところで、ぶら下がるロープが見えた。

「そうだった」

それでようやく、自分がなにをしようとしてのか気づく。

「ま、飲んでからでもいいだろ。
そのほうが思い切れるし」

つまみをレンジにかけたが、うんともすんとも言わない。

「壊れてんじゃねーよ!」

怒りにまかせてぶったたいたものの、直らない。
日が傾き初めて電気をつけるも、つかなかった。
どうも電気も止められたようだ。

「くそがっ」

悪態をつきつつビールのプルタブを起こし、一気に呷る。
ビールを飲みながらつまみを囓り、煙草を吸う。

息子が大学を卒業し、就職が決まってから俺の転落人生は始まった。
よくわからぬまま妻に離婚届を突きつけられ、ようやくローンを払い終わった家を追い出された。
家を出る際、妻どころか息子からもゴミを見るような目で見られ、わけがわからない。

料理も洗濯もしたことがなく、慣れないひとり暮らしに途方に暮れていたら今度は、些細なことで会社を追われた。
今までの上司たちと同じようにやっただけなのに、あんな理由で辞めさせられるなんて思わない。

さらにどうにか決まった深夜のコンビニバイトは、なにもしていないのにたった三日でもう来なくていいと言われた。
世の中、納得できない理不尽が多すぎる。

「はーっ、俺はもう用なしってことかよ……」

立ち上がった俺の足取りは、ロング缶六本空けたせいで頼りない。
よたよたと椅子にのり、ローブを握って首を入れた。

「お望みどおり、死んでやる」

ふらつく足で椅子を蹴ったあとから、記憶がない。


「がーっ、ふがっ!」

自分の大いびきで目が覚めた。
気がつけばゴミの上に大の字になって眠っていた。

「どういうことだ……?」

二日酔いで痛む頭で見上げたそこには、切れたロープが垂れ下がっていた。
俺の体重にロープが耐えられなかったようだ。

「死ぬこともできねぇのかよ」

はぁーっと俺の口から、酒臭い息が落ちていく。
同時に腹がぐーっと空腹を訴えた。

「とりあえず食うもの……」

など、この家にはとうにない。

「しかたねぇ、息子に頭下げるか」

渋々ながら俺は上着を着てアパートを出た。


【終】
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