一生懸命生きなくていい~文芸系短編集~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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処分

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水を流し包丁を洗う。
しかしいくら洗ってもべたつく脂は一向に落ちない。
苛立ち、ひと息つこうと煙草を咥える。
ライターを握る手はぶるぶると震えていて、なかなか火がつかない。

「くそっ」

悪態をついたタイミングで火がつき、慌てて煙草を軽く吸う。
すぐに煙草はじりりと燃えはじめた。
肺の奥深くまで吸い込んだ煙は、鉄の味がする。

「はぁーっ」

大きく息を吐きだし、壁に寄りかかった。
指の先から灰がぽろりと落ちていったが、文句を言う人間はもういない。

再び煙を吸い込むでもなく、ぼーっと立ち尽くす。
視線の先には物言わぬ妻がいた。

……なんでこんなことになったんだっけ。

立ち上る煙草の煙を眺めながら考えるが、うまく思い出せない。
最近、妻の様子がおかしく、て。
仕事から帰ってきた俺と入れ違うように出ていこうとした妻と口論になり、気づいたらこうなっていた気がする。

「……続き、やるか」

ずっとこうしているわけにもいかず、再び包丁を握る。
脂がまわり、刃こぼれした包丁では作業は遅々として進まないが、これしかないのだから仕方がない。

だいたい、なんで俺はこんなことをしているのだろう。
自首して捕まればすべて終わりではないか。
こんな苦労などしなくていい。
なのに全身を汗びっしょりにし、重労働をしている自分が理解できない。

ゆっくりと、けれど確実に、妻だったものが入った袋が増えていく。
これをいったい、どうやって処分したらいいかすらわからなかった。
ただ、まるでそれが義務かのように包丁を振るい続ける。

そのうち、遠く携帯のアラームが聞こえてきた。
きっと朝が来て、起きる時間になったのだろう。

「おわっ、た」

そのタイミングで妻は姿を消し、かつて妻だったものが詰まった袋が浴室いっぱいに並んでいる。
出社する前にシャワーを浴びたいが、浴室は使えない。
キッチンで水道の下に頭を突っ込んで髪を洗い、濡らしたタオルで丁寧に身体を拭いた。

そのまま出社したが、誰も俺が妻を殺したなど気づかない。
俺が言わなければ知りようがないからそうなのだが。
妻の会社から電話がかかってきたが、昨晩に急に体調を崩して入院した、連絡をせずに申し訳ないと誤魔化しておいた。

家に帰り、浴室に詰まっている黒いゴミ袋を見て憂鬱になった。
さすがにこれを普通にゴミに出せないのはわかっている。
庭に埋めようにも砂利を引いてあるのでできない。

「……はぁーっ」

憂鬱なため息をつき、浴室のドアを閉める。
キッチンで買ってきた弁当を温め、口の中に詰め込んで咀嚼し飲み込む。

煙草を吸いながらこの面倒な事態をどうすれば解決できるか考えた。
数日もすれば腐臭がしだし、誤魔化しきれなくなる。
それにウジが湧いて部屋の中にまで溢れてきたらと想像したら、背筋が凍りついた。

そもそも俺は捕まらないように妻の死体を隠蔽したのだろうか。
いかなる理由でも人を殺したのだから出頭して罪を償うべきだとわかっているし、そうするのが嫌だと言うわけではない。
なのになぜか妻の死体を処分しようとしている。
そうせねばならないという謎の焦燥感が俺の後頭部をちりちりと焼くのだ。

いくら考えてもいいアイディアは出てこないが、このままでは風呂に入れないのは確かだ。
もう考えるのも面倒くさくて、俺は宿泊もできるスーパー銭湯へと向かった。


次の日は銭湯から直接、会社へ出勤した。
仕事をしているあいだは楽だ、妻の死体をどうするか考えなくていい。

仕事が終わり、家に向かいながら鉛の下駄でも履いているかのように足が重くなっていく。
もしかして妻の死体がなくなっていないだろうかと期待したが、浴室を開けたら昨晩と同じく、黒のゴミ袋が並んでいた。
しかもうっすらと、臭う。

換気扇のスイッチを入れかけて止まった。
外に臭いが漏れたらすぐにバレてしまう。
いや、バレたほうが早く警察に捕まっていいのでは?
ぐるぐると考えは頭の中を巡るが、結論は出ない。

結局、換気扇はつけずにドアを閉め、今日も弁当を口詰め込み、咀嚼して、飲み込んだ。
煙草を吸い、スーパー銭湯へと向かう。


翌日、帰って玄関を開けた時点で、隠しきれないほど臭いがしていた。
もう、ご近所さんにバレるのは時間の問題だろう。
黙って玄関を閉め、スーパー銭湯へと向かう。


さらに翌日、帰ってきたら玄関を開けずとも臭っていた。
真っ直ぐにスーパー銭湯へ向かう。
湯に浸かりながらこれ以上ないほど安心していた。
いや、これからを考え、期待し、興奮すらしている自分がいる。

仮眠室で眠れぬ夜を過ごしたが、なにも起こらない。
がっかりして会社へと向かう。
それでも仕事をしながらそわそわと落ち着かない。

「ちょっと」

声をかけられて見上げると深刻な顔をした上司が立っていた。
途端に、心臓が跳ねる。

「はい」

立ち上がった俺は天にも昇る気持ちだった。


【終】
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