君の筋肉に恋してる

黛 ちまた

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008.海より広い広背筋

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「ご心配は無用ですわ」

 私の言葉に夫人や令嬢──面倒だから淑女達と呼ぶ事にするわ──淑女達は僅かに目を見開く。さすがというべきよね。扇子で口元を隠して、表情の動きを最低限に留める。淑女教育で先生が基本中の基本だって言ってたわ。
 営業職やってたお陰で、笑顔貼り付けるのは得意よー。心にも無い褒め言葉も耳が溶けるぐらい言えるわよー。

「私が、レオニード様との婚約を望んだのです」

 まぁ、とか、息を飲む音がした。
 予想してはいたけど大概よね、この反応。

「リサ様はお世辞抜きにお美しくていらっしゃいますわ。それなのに何故、こう言っては何ですけれど、アロウラス様のような獣人のような方を……?」

 あちこちでうんうん、と頷く淑女達。
 獣人言うな。人よ、レオ様は。

「むしろ、あの素晴らしい体躯だからです」

 えっ、と誰かが言った。コラコラー、淑女失格よー?

「皆様は私の義兄のような容姿を好まれるのよね?」

「それは、まぁ……」

 ねぇ? と、見合って頷き合ってる。
 別に責めてないわよ? 実際私の目から見ても義兄である王太子は極上の面だと思うし。

「私も義兄は素晴らしい容姿だとは思いますわ。ですが、恋心を抱く外見ではありません。言うなれば美しい花のようなものです。花に恋はしませんでしょう?」

「で、では、アロウラス様には、その気持ちを抱いてらっしゃるとおっしゃるのですか?」

 勿論ですわ、と答える。

「一目惚れですわ。理想通りの容姿です」

 あの服の上からでも分かる筋肉! パンパンなのよ、パンパン! きっと太腿なんかも縦に割れちゃってたりするのよー! 腹直筋だって絶対シックスパックね! ああああああ! 触りたい! 撫でたいー!!
 早く結婚したい! 明日にでも結婚式あげたい!!

「リサ様は怖くないのですね?」

 あら? 何かこの質問前にも受けたような? 既視感デジャヴ

「獣人という存在が、私のいた世界にはおりませんでしたから、正確には皆様のおっしゃる怖さが分かりませんけれど、レオニード様は怖くありませんわ、とても優しくて可愛らしい方です」

 恥ずかしさに顔を真っ赤にしちゃうんだから、可愛いったらないわ。

「か、可愛いとは……」

「一生懸命自分の言葉で気持ちを伝えて下さろうとするあの誠実さ。使い古されたり、誰かの言葉を借りてきたような心のこもらない言葉よりも、私には意味があります」

 喋っていたら咽喉が渇いたわ。目の前の紅茶をひと口飲む。

「貴族としては不合格なのでしょうが、私に想いを告げて下さる時に恥ずかしそうになさるのです。あの姿を可愛いと言わずして、何と言うのかしら……」

 何度思い出してもごはん3杯いけそうだわ。
 重ね重ね、筋肉は必須だけど、(私にとって)まっとうな人格である、と言うのは大事な事なのよ! ちょっとぐらいなら困る所があっても良いわ! 私だって完璧じゃないんだから!

「騎士団長でらっしゃるし、何があっても絶対に守って下さるでしょうし」

 私に追い掛けられても逃げ切ってたものね。筋肉があって身体が重い筈なのにあの速さ。やりおるわ。

「皆様がレオニード様の良さに気付かないでいてくれたお陰で、私は理想的な方と結婚出来ますわ。ありがとう」

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔って、こう言うのかしらね? 皆、ポカーンと口を開いて呆然としてしまったのよね。

「顔だけ良くても浮気ばかり繰り返すような方とか、借金がおありだとか、浪費癖があるとか、ご自身にはお金を使うのに妻や子には使いたがらない方だとか、暴力を振るうとか、言葉で責め立てる方とか、母親に頭が上がらない方だとか、傍目には分からないものってありますものね」

 顔色が悪くなるのは令嬢。俯くのは夫人。皆、色々ありそうねぇ。
 そんな事言って、私もレオニード様の事も、まだまだ知らないけど。
 レオ様の事、隅から隅まで知り尽くしたい!






 翌日、執務室に行った私を、王太子がニヤニヤした顔で見てきた。

「昨日は随分と手酷く婦人達をやり込めたらしいな」

 さすが腹黒王太子。
 お茶会に草の者を放っていたのね。

「やり込めてなどおりません。心の内を素直に申し上げさせていただいただけです。皆様、レオ様の事を誤解してらっしゃるようでしたから」

 話しながら紅茶を淹れる。何故だか朝イチのお茶は私が淹れる事になってるのよね。その為の準備は整っているから、お湯を入れれば良いだけなんだけど。

「リサはレオニードに関する事だけは大人気ないな」

 そうかしら? 間違いを正しただけよ?

「本当の事だけ、申し上げております」

「だ、そうだ、レオニード」

 は? レオ様?

 王太子の視線の先には、顔を真っ赤にしたレオ様が所在なげに佇んでいた。
 いつからそこに?!

「レオ様! いらしたのですか?」

 やだー、お茶、適当に淹れちゃったじゃない。
 慌ててレオ様にお茶を入れる私を見て、王太子は頬杖をついたまま、「リサは本当にレオニードしか目に入ってないな」と言う。
 何を当たり前の事を言ってるのかしら?

「そうですけれど、それがどうかしましたか?」

 レオ様は失礼する! と叫んで執務室を出て行ってしまった。私はジト目で殿下を見る。

「オニーサマの所為でレオ様が出て行ってしまったではありませんか」

「いや、切っ掛けは私だったとしても、止めはリサだろう?」

 止めって何よ?
 せっかく朝イチでレオ様のお顔を見れたのに、腹黒王太子の所為でまともに会話が出来なかったわ。

「それにしても、レオニードも不甲斐ない。リサにばかり言わせて」

「別に構いませんわ」

 あの可愛さも堪能してるから。ある程度引っ張っていってくれる人が好みだったけど、レオ様で新境地を開拓したのか、レオ様だから可愛いのかは不明だけど。

「そうそう、聖女殿はもう少しで結界を完成させる。リサがハッパをかけてくれたお陰だな」

 ハッパなんかかけたかしら?
 筋肉への想いと、レオ様への気持ちと、ストーカー被害の話しかしてないけど。
 確かにあの子、スッキリした顔をしてたわね。
 顔が良ければ幸せになれる、って信じてたのを壊せたのは良かったのかも知れないけど、その基準、私で良いのかしら? ま、本人が前向きに考えられるなら良いか。

「リサは物怖じしないな。これなら獣人の姫の歓待も支障無く出来そうで安心している」

 そうそう、獣人よ、獣人。
 アイリスはマッチョって言ってたけど、女子もそうなのかしら? プロレスラーみたいな感じ?
 うーん、私、女子にマッチョは求めてないのよねぇ。

「ドレスも仕上げにかかってる。楽しみにしていると良い」

 ドレスって重いからあんまり好きじゃないのよねぇ。
 獣人の姫も正直どうでも良いし。お勤めだからやるけど。

「きっとレオニードも惚れ直すに違いない。エスコートも婚約者であるレオニードがする」

「楽しみです!」

 エ ス コ ー ト !!
 レオ様にエスコートしてもらえるのね!
 えっ、これってあれかしら? コルセットが窮屈で気持ち悪くなったとか言って二人っきりになるとかありなのかしら?

「外交だから二人で消えるのは無しだ」

 私の考えを的確に読んだ王太子は、にやりと笑いながら言う。コンチクショーめ!

 あぁ、でもあれね。レオ様の正装が見れるのね。
 筋肉でパッツンパッツンになった騎士服とか! 眼福垂涎ものよ、絶対!



 お茶会をしている中庭に行くと、レオ様は既にいて、私に背を向けるようにして立っていた。
 なにやらブツブツ呟いてる。これはアレかしら。心の声が漏れちゃってるって奴かしら?
 何を言ってるのか聞く為に、そっと背後に近付こうとしたらアイリスに止められた。
 振り切ったけど。

「朝は失礼した、いや、違うな。これでは悪いと思っていなさそうだ。あぁ、耐えきれずに逃げ出してしまった自分を殴りたい」

 悶え死ねそう!
 可愛い可愛いとは思っていたけど、奇跡レベルで穢れのない可愛さだわ!
 しかも、しかもよ? 私に広背筋を見せてるって事は、これって抱き付いて来いって事よね?
 そう思った瞬間、アイリスに羽交い締めされた。

「?!」

 ちょっ、離して!
 今、絶好のチャンスだから!

 駄目です! とアイリスの目が訴える。
 え、でも、これって据え膳食わぬはって奴じゃない?!

 ジタバタ暴れる私と、拘束を止めないアイリスとの間で激しい攻防を繰り広げていた所、レオ様が振り向いた。
 アイリスの拘束が解けた。アイリスって、何者なのかしら?

「り、リサ殿!」

 一瞬で真っ赤になるレオ様の顔。

「も、もしや、聞いてらしたのか?」

 それはもうばっちりと。
 とは言えないから、「少しだけ」と答える。

「お、お恥ずかしい」

 そう言って片手で顔を覆うレオ様。
 んんんんんんっ! キュート! だき、つき、たい!
 アイリスの腕が私の手首を掴む。
 何で分かるのかしら?!

「あの、リサ殿、今朝は大変失礼した。その……アンディ、殿下から先日のお茶会の様子を聞かされてその……」

 まさか赤裸々に全部伝えたのかしら? いいけど。

「世辞を言ってくれたのだろうと思っていたら、その……リサ殿が認めたものだから、舞い上がってしまって」

 そうでしょうそうでしょう! 舞い上がってそのまま私をその上腕二頭筋と前腕筋群でもって抱きしめてくれたならなおGOODね。そして大胸筋に頬擦りを……!

「リサ殿?」

 ……はっ。
 イケナイイケナイ。また妄想してしまったわ。

「私がレオ様に関して口にする言葉は全て事実ですわ」

 レオ様の耳が赤くなる。

「リサ殿は、私の欲しい言葉ばかりをくれる」

 まっ、相性ばっちりって事ね?

「それなのに、私は全然、リサ殿に言葉を尽くせていないし、態度にも出せていない。申し訳ない」

「今からでも良いのですよ?」

「えっ?」

「婚約者ですもの。リサ、とお呼び下さい」

「り、リサ……」

「はい、レオ様」

 恥ずかしさから両手で顔を覆うレオ様。
 突然アイリスに羽交い締めされた。
 ちょっ、まだ何も思ってない! 何も考えてないってば?! そりゃ、ちょっと抱き付きたいって思いかけたけど!
 レオ様が顔を上げる時にはアイリスの拘束が解ける。
 なんなの、この絶妙さ?

「リサ」

「レオ様」

 必死に何かに耐えるような顔をするレオ様に、胸がきゅんきゅんする。
 可愛い可愛いかーわーいーいー!
 なんだったかしら、エリがたまに訳の分からないLINE送って来てたけど、あれ、今なら分かるわ。
 オレの嫁が可愛すぎる……!
 初めて見た時は、オレって何よ、とか、嫁?! とかツッコんでたけど。あれは定型文なのよね。
 そして今、あの時の言葉がよく分かる。
 オレのレオが可愛すぎる……!

「茶会で、オレの事を、あんな風に言ってくれて、ありがとう。本当に嬉しい」

 陰で自分がどんな風に言われているのかも知ってるのよね、きっと。

「大丈夫ですわ、私がレオ様を幸せにします!」

「そっ、それは、オレの台詞では?」

 困ったように笑うレオ様がすこぶる可愛い。

「あら、私では不服ですか?」

「いやっ、そうではなくてだな」

 恥ずかしそうに顔を赤らめながら、レオ様は私をじっと見つめた。きゅん。

「オレも、リサ、を、幸せにしたい。幸せに、する」

「はい」

 笑顔を返すと、耳まで赤い顔のまま、レオ様は俯いた。
 そしてアイリスの手が私を掴んだ。
 だから、考える前に止めるの止めて!
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