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一章
1話
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「ほおっておいて。見張ってるだけでいい。なにもするな」
そう釘を刺されて国内屈指の科学者の護衛役となったウォルターは、今日も呑気に洗濯物を干していた。
「あなたは背が高いから洗濯物をたくさん干せていいわぁ」
「なにか手伝うことがあれば、何でも申し付けてください。」
この研究所、もとい屋敷で暮らし始めて二週間が経った。世話役のベラに声を掛けると仕事が山積みで、暇はせずに住んでいるものの、肝心の護衛相手は部屋に引きこもって出てこないし、話す機会も初対面の一回のみ。偏屈で人嫌いな屋敷の主人は、ウォルターに鉢合わせないことを徹底している。
たった小瓶一本で一つの戦場を終わらせるだけの毒薬を作った張本人。それに助けられこそしたが、敵国民を何千人も殺しておきながら、そいつは裁判では自分は無実だとなんの躊躇もなく言ってみせた。しかもそれから二ヶ月もたたないというのに部屋で論文を書いているらしい。なんて神経が図太いんだ・・と思ったが、対面時で納得以上の答えを得た。
ウォルターはフレデリックが嫌いである。
「あの子は悪い子ではないのよ。あまり嫌ってやらないで?」
ここの炊事、洗濯、掃除からこの家の何から何まで管理しているベラは、上目遣いで優しく頼んでくる。あれのなにがそんなに可愛くて庇っているのかわからなくて、頭の上に疑問符を浮かべる。
「しかし、彼は"あの毒薬"を作った科学者です。・・戦場を知らないから呑気に論文なんて書いていられる」
「・・・軍人さんには、そう見えたかしら」
悲しげに目を伏せるベラに、少し言い過ぎたかと後悔したが、つい口に出た。
ウォルターはその外見上、軍にいる間多くの差別に苦しんだ。黒髪はこの国では不吉の象徴で、古い価値観だと皆わかっているはずが、揶揄したり避けられたりすることはあるからだ。こんな髪なんかに左右されてたまるか、という思いで大佐という地位にまで這い上がったウォルターは、自分の仕事に対してのプライドは人一倍、高い。
そんなウォルターが、ほぼ目線が合わない彼に笑顔を向けて手を差し出したというのに、あろうことか無言で拒否。飛んでくる罵詈雑言。仕事への達成感や責任感も生まれない。
つまり鬱憤が溜まっているのである。
ウォルターには早く帰らねば。という使命感があった。
黒髪が厄とされるこの国で、実績と愛想、使えるものを全て使った得た大佐という地位を、戦争の負傷で療養などという理由で奪われているのだ。
この護衛の仕事の任期は半年だが、それより前にリハビリを終えて復帰すればいい。健康体を手に入れ、万全な精神状態であると判断されればすぐに戻ることができる。ウォルターほどの有能な軍人というのも惜しいのだ。
「あまり焦らないで。ほら、今日のお菓子はマドレーヌを焼いてみたの。食べない?」
「・・・食べます」
「よかった!一人のティータイムは寂しいのよぉ」
「私は、テーブルマナーなどは・・・」
「そんなの気にしなくていいわ。楽しくおしゃべりをすればいいの」
しかし、そんな目論見はベラの呑気な誘いによって散る。彼女の作る茶菓子はとてつもなく美味しいもので、彼女とのおしゃべり、というなのゆったりとした時間も、ウォルターは気に入っていた。
しかし、茶菓子の匂いで良い心地になっていたところで、ふいにピシャン、と雷のような言葉が舞い降りる。
「じゃあ、あの子の部屋にこれを届けてきてくださる?」
あの子、とは、言わずもがな、この屋敷の主人、フレデリック・エイミス。その不健康で不機嫌な顔を思い出し、ベラにもわかる程度に顔を歪ませた。
「・・・私が行かなくてはならないものですか」
「ええ、そうね。・・私が行ってもいいのだけど、あの子は甘党だから、少し多めに持っていってしまうかもしれないわ。」
言外に、行かなければお前の分はない、と。ウォルターは嘆息し、諦めてベラの言う通りにすることにした。
「博士。いらっしゃいますか?」
茶菓子と紅茶を持って、ウォルターが二度ノックをした。しかし返事も物音もしない。ベラが行くと高確率で返事があるのだが、ウォルターのときはまだ一度も返事をもらったことがない。しかし届けないわけにも行かないので、無礼を承知でフレデリックの部屋のドアを開けた。
きぃ、と無機質な音が沈黙の中に響き、そっと顔を覗かせる。怒鳴られるかと思っていたが、締め切っていて薄暗い部屋の中に人の気配はない。あの偏屈博士が外出などするか・・?と考えながら机に近づくと、つっぷしている姿を発見する。規則正しい息が聞こえて、眠っているのだとわかる。しめた、とウォルターはそっと音を立てずに茶菓子を起き、さっさと部屋を出ようと振り返った。
そのとき、暗い中であるものが目に留まる。
「誰だ・・?」
しかしそれを手に取る前に、低いハスキーボイスが響き渡った。声色的に、怒っているに違いない。
ウォルターを視界に捉えたフレデリックは、目が覚めた直後とは思えないくらいに眉を吊り上げてウォルターを攻め立てた。
「なんで君がここにいる!?部屋に入るなといったのを忘れたか?」
「ベラに茶菓子を持っていくよう言われまして。勝手に入ったのは、申し訳ありません」
「二度とくるな。この、疫病神!」
「なっ、それを言うなと・・」
正直十数センチも違うフレデリックに詰め寄られても対して怖くもないのだが、疫病神と罵られて頭に血が上る。
フレデリックを落ち着かせる暇もなく、ウォルターは服を思いっきり掴まれて部屋の外へ追い出された。バタン!と扉を締められて軽く舌打ちをした。しかしそこに、ふんわりと甘い紅茶とマドレーヌの匂いがした。軍ではありつけなかった砂糖の匂いだ。息を吸うごとに先程の怒りは消え、きっと今頃湯が沸いて紅茶もできたのだろう、と考えながら軽い足取りで廊下を歩いた。
そう釘を刺されて国内屈指の科学者の護衛役となったウォルターは、今日も呑気に洗濯物を干していた。
「あなたは背が高いから洗濯物をたくさん干せていいわぁ」
「なにか手伝うことがあれば、何でも申し付けてください。」
この研究所、もとい屋敷で暮らし始めて二週間が経った。世話役のベラに声を掛けると仕事が山積みで、暇はせずに住んでいるものの、肝心の護衛相手は部屋に引きこもって出てこないし、話す機会も初対面の一回のみ。偏屈で人嫌いな屋敷の主人は、ウォルターに鉢合わせないことを徹底している。
たった小瓶一本で一つの戦場を終わらせるだけの毒薬を作った張本人。それに助けられこそしたが、敵国民を何千人も殺しておきながら、そいつは裁判では自分は無実だとなんの躊躇もなく言ってみせた。しかもそれから二ヶ月もたたないというのに部屋で論文を書いているらしい。なんて神経が図太いんだ・・と思ったが、対面時で納得以上の答えを得た。
ウォルターはフレデリックが嫌いである。
「あの子は悪い子ではないのよ。あまり嫌ってやらないで?」
ここの炊事、洗濯、掃除からこの家の何から何まで管理しているベラは、上目遣いで優しく頼んでくる。あれのなにがそんなに可愛くて庇っているのかわからなくて、頭の上に疑問符を浮かべる。
「しかし、彼は"あの毒薬"を作った科学者です。・・戦場を知らないから呑気に論文なんて書いていられる」
「・・・軍人さんには、そう見えたかしら」
悲しげに目を伏せるベラに、少し言い過ぎたかと後悔したが、つい口に出た。
ウォルターはその外見上、軍にいる間多くの差別に苦しんだ。黒髪はこの国では不吉の象徴で、古い価値観だと皆わかっているはずが、揶揄したり避けられたりすることはあるからだ。こんな髪なんかに左右されてたまるか、という思いで大佐という地位にまで這い上がったウォルターは、自分の仕事に対してのプライドは人一倍、高い。
そんなウォルターが、ほぼ目線が合わない彼に笑顔を向けて手を差し出したというのに、あろうことか無言で拒否。飛んでくる罵詈雑言。仕事への達成感や責任感も生まれない。
つまり鬱憤が溜まっているのである。
ウォルターには早く帰らねば。という使命感があった。
黒髪が厄とされるこの国で、実績と愛想、使えるものを全て使った得た大佐という地位を、戦争の負傷で療養などという理由で奪われているのだ。
この護衛の仕事の任期は半年だが、それより前にリハビリを終えて復帰すればいい。健康体を手に入れ、万全な精神状態であると判断されればすぐに戻ることができる。ウォルターほどの有能な軍人というのも惜しいのだ。
「あまり焦らないで。ほら、今日のお菓子はマドレーヌを焼いてみたの。食べない?」
「・・・食べます」
「よかった!一人のティータイムは寂しいのよぉ」
「私は、テーブルマナーなどは・・・」
「そんなの気にしなくていいわ。楽しくおしゃべりをすればいいの」
しかし、そんな目論見はベラの呑気な誘いによって散る。彼女の作る茶菓子はとてつもなく美味しいもので、彼女とのおしゃべり、というなのゆったりとした時間も、ウォルターは気に入っていた。
しかし、茶菓子の匂いで良い心地になっていたところで、ふいにピシャン、と雷のような言葉が舞い降りる。
「じゃあ、あの子の部屋にこれを届けてきてくださる?」
あの子、とは、言わずもがな、この屋敷の主人、フレデリック・エイミス。その不健康で不機嫌な顔を思い出し、ベラにもわかる程度に顔を歪ませた。
「・・・私が行かなくてはならないものですか」
「ええ、そうね。・・私が行ってもいいのだけど、あの子は甘党だから、少し多めに持っていってしまうかもしれないわ。」
言外に、行かなければお前の分はない、と。ウォルターは嘆息し、諦めてベラの言う通りにすることにした。
「博士。いらっしゃいますか?」
茶菓子と紅茶を持って、ウォルターが二度ノックをした。しかし返事も物音もしない。ベラが行くと高確率で返事があるのだが、ウォルターのときはまだ一度も返事をもらったことがない。しかし届けないわけにも行かないので、無礼を承知でフレデリックの部屋のドアを開けた。
きぃ、と無機質な音が沈黙の中に響き、そっと顔を覗かせる。怒鳴られるかと思っていたが、締め切っていて薄暗い部屋の中に人の気配はない。あの偏屈博士が外出などするか・・?と考えながら机に近づくと、つっぷしている姿を発見する。規則正しい息が聞こえて、眠っているのだとわかる。しめた、とウォルターはそっと音を立てずに茶菓子を起き、さっさと部屋を出ようと振り返った。
そのとき、暗い中であるものが目に留まる。
「誰だ・・?」
しかしそれを手に取る前に、低いハスキーボイスが響き渡った。声色的に、怒っているに違いない。
ウォルターを視界に捉えたフレデリックは、目が覚めた直後とは思えないくらいに眉を吊り上げてウォルターを攻め立てた。
「なんで君がここにいる!?部屋に入るなといったのを忘れたか?」
「ベラに茶菓子を持っていくよう言われまして。勝手に入ったのは、申し訳ありません」
「二度とくるな。この、疫病神!」
「なっ、それを言うなと・・」
正直十数センチも違うフレデリックに詰め寄られても対して怖くもないのだが、疫病神と罵られて頭に血が上る。
フレデリックを落ち着かせる暇もなく、ウォルターは服を思いっきり掴まれて部屋の外へ追い出された。バタン!と扉を締められて軽く舌打ちをした。しかしそこに、ふんわりと甘い紅茶とマドレーヌの匂いがした。軍ではありつけなかった砂糖の匂いだ。息を吸うごとに先程の怒りは消え、きっと今頃湯が沸いて紅茶もできたのだろう、と考えながら軽い足取りで廊下を歩いた。
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