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忠珍鱈

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「悪いけど、少しここでくつろいでいてくれ」

相変わらずの殺風景な部屋もこれで三度目ともなれば、英もきょろきょろすることもなく黙っていつもの場所に腰を下ろした。

バタン、と冷蔵庫を閉める音の後、駈がキッチンから戻ってくる。

「さっきまで飲んでたから……酔いを醒ましたい。シャワー浴びてくるから」
「あ……うん」
「これでも飲んでろよ」
ゴトリ、とテーブルに置かれたものを見て、英は顔を上げた。
「いや、俺、車だから……」
「よく見ろって。ノンアルコールだよ。……まぁ別に、俺は泊っていってもらっても構わないけど」
「…………え?」

呆けた表情の英を目の端に捕らえた後、駈は浴室へと向かった。


「ごめん、待たせた」

髪を雑に拭きながらTシャツにハーフパンツの駈が姿を現すと、英はびくりと身体を震わせた。
「何だよそれ」
思わず吹き出すと、英はごまかすように「テレビに集中していたんだよ」と顔を背ける。
「ふーん?」
画面ではフライパンを手にした男女が、いかにこれが焦げ付きづらくお手入れしやすいかをオーバーリアクションで捲し立てていた。

ブツ、とやかましいそれを消すと、部屋はいよいよ静まり返る。


「で、話ってのは?」

隣に腰を下ろしながらそう尋ねる。

シャツにスラックスというややかっちりした格好の英は、仕事上がりなのか、その顔には少し疲れが見える気がした。

英はテーブルの上で組んだ手に視線を落としたまま、口を開いた。

「……謝りたくて」

「この間のことか?」
英が頷く。
駈はこれ見よがしにため息を吐くと、項垂れる英へとわずかに語気を強めた。
「だから、そういうのは要らないんだよ。あれはただの気の迷いみたいなもんで――」

だが、英はそれに対してはっきりと首を振った。

「あの日、家に帰ってマジで落ち込んだよ……なんて馬鹿なことをしたんだろう、って」

テーブルに向かってうんざりとため息を溢す英。
それを駈はただ黙って見ていることしかできなかった。


それは予想していた通りの展開だった。
だというのに、いざ英の口からその台詞を聞いて、噓のようにショックを受けている自分がいた。

ボロが出ないよう無表情を貼り付ける駈に、英はさらに言葉を続けた。

「でも……本当に謝らなきゃならないことはもう一つあってさ」
「へぇ、それって?」
動揺を悟られないよう矢継ぎ早にそう尋ねる。

英は組んだ手をさらに強く握りしめた。

「高校三年の……俺が、転校する前の日」

伏せられていた英の瞼がゆっくりと持ち上がる。
その目に、ようやく駈が映り込む。

「あの、教室でのこと……覚えているよな」


覚えていないわけがない――いや、忘れられるはずがなかった。

夕焼けの消えかかった薄暗い教室。投げ捨てられた紙袋から飛び出した、黄色い本。近付いてくる、英の顔――


駈は交わったままだった視線がぶれてしまわないよう力を込めた。

「今更だろ、そんなの。いったい急にどうしたんだよ?」

やや馬鹿にしたようにそう言われ、英は組んだ両手へと視線を戻してしまった。

「まぁ、そうだよな……今更、だよな」

英はそう自嘲気味に呟き……それでも、そのまま引き下がりはしなかった。
「分かってるよ、俺だって。でも――」

もう一度、英がすっと顔を起こす。
そして、駈をまっすぐに見つめ直した。

「これ以上、うやむやにしておきたくなかったんだ。駈と……新しい関係を作るためにもさ」


新しい、関係――

『どうか、話を聞いてほしいんだ。今日だけでいいから』
『なんて馬鹿なことをしたんだろう、って』――

(やっぱり……そういうことか)

「……駈?」

駈はフッと笑うと、その気遣わしげな視線を鋭いそれで断ち切った。

「なるほどな。つまりお前は謝るだけ謝って、とりあえずすっきりしたかったって訳か」

「……は?」

英の目に剣呑な色が滲む。
「……どうしてそうなるんだよ」

しかし駈もまた、簡単にその手を緩めようとはしなかった。

「どうして、って……だって結局はそういうことだろ? 新しいものを作るには、いったん清算が必要だもんな?」

駈がそうけしかければ、英は駈の方へと身を乗り出す。
「違う! 俺は――」
「違くないだろ。だってお前、俺が許さないなんて、これっぽっちも思っていなかったんじゃないか?」
「……っ」

呼吸が交りそうな距離の顔に、焦りの表情が広がっていく。
あまりに分かりやすいその反応に、駈は込み上げる笑いを必死にこらえた。

「図星だろ。お前ってそういう奴だよな……昔から」
「駈、」
駈はふう、と息を吐く。
その様子にすら過敏に反応する英に、駈はとうとう声を出して笑ってしまった。

「やだな、別に怒ってなんかないって」
「……」
英はバツの悪さと不機嫌さを複雑に混ぜた顔で俯いている。
……そんな姿は今までならむしろ、駈の方が英へと見せていたものだった。
すっかりあべこべになってしまった状態に駈は鼻を鳴らすと、「……たださ」と続けた。

「やっぱり……だよな、とは思うんだ」
「不公平……?」

英が困惑したように駈を見やる。
駈は眉を上げると、挑発するように口角を上げた。

「だってこんなの、俺にメリットないだろ?」
「……」
英の目が揺れる。
「俺はどうしたって、お前を受け入れるしかないんだから」


英はしばらくの間、何やら考え込んでいたようだった。
だが、おもむろに駈へと顔を向けると、とうとうその口を開いた。

「じゃあ……俺は、どうしたらいい?」


予想通りの言葉に、駈は胸の中でほくそ笑む。
「何でもいいのか」
「……出来ることなら」

この期に及んでなお、英の目は曇りなく駈を見つめている。
……だから、胸を刺す痛みには気付かないふりをした。

駈は英の肩へと手を滑らせる。
英がハッと駈を見たが、駈は無視を決め込んだ。

「そうだなぁ……じゃあ、今度こそ本当に『思い出』ってやつ、貰ってやろうかな」

あの日、廊下で盗み聞いた言葉。
駈はそれをなぞるように、目の前の唇へ自分の唇を押し当てる。

そして、そのまま圧し掛かるように体重を掛けると、その身体を床へと押し倒した。
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