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1 ナサ大森林
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「下郎、貴様のそのパンを寄越せ」
森の木々からの木漏れ日が暖かい、穏やかな秋の日だった。
俺は薪割りを終えて、小屋の前の小さな庭で昼飯を食っていた。
ここはユーノス大陸の中央、ムラニ山脈の裾野に広がるナサ大森林。
俺は人里離れたこの山奥で薬草取りと小さな畑の耕作をして暮らしている。
夏までは爺さんとの二人暮らしだったのだが、爺さんを看取ってからは一人で暮らしている。
一番近い村でもクブ鳥の足で一日半かかる辺鄙な場所なのだが、それでも時々道に迷った馬鹿が彷徨い込んで来る。
この小屋に人が向かって来ているのは解っていた。
梢の鳥達が警戒の歌声を囀っていた。
だが藪から剣を構えて出て来たのは薄汚れた泥だらけの餓鬼だった。
子供に剣で強請られるこのパターンは初めての体験だ。
一応構えは出来ている、だが実戦経験に乏しいらしく肩に力が入っているし、間合いが遠過ぎて腰も引けている。
畑で見るオケラと一緒でこれならば何の害も無い。
こんな礼儀知らずは相手をするのも馬鹿らしい、無視することにした。
俺の名はゴル、今年の夏に死んだ爺さんはそう呼んでいた。
岩という意味だ。
爺さんが岩場で倒れている俺を見つけたので、その名前で呼ぶことにしたのだそうだ。
俺の記憶が始まるのはその時からだ、俺には爺さんに助けられる前の記憶が無い。
その爺さんも、遺言どおり、ムラニ山脈が良く見える裏山に埋葬してやった。
「貴様、聞こえないのか」
無視する。
「無礼者」
切り掛かって来た、どちらが無礼か解って無い様だから教えてやる。
間合いを詰めて、剣を握っている手を柄ごと片手で掴む。
そのまま持ち上げて目の前に餓鬼をぶら下げる。
目の前にぶら下がった面を四、五発張り飛ばす。
「貴様何をする」
それはこっちの台詞だ。
「アブノニナセ、ムル・・・・・」
呪文を唱え始めやがった、魔法だ。
いきなり俺の頭上に電撃が現れ直撃した、今のは少々痛かった、折檻だ。
もう一発頬を張り飛ばしてから、剣を奪い取って襟首を摘み上げる。
うっ!、此奴は汗臭いうえに小便とうんち臭い。
飯を食わせてから村に送り届ける積もりだったが、この臭いを小屋に持ち込まれるのも不愉快だ。
首根っこを掴んで小屋の裏に引きずって行く。
「こら何をする、無礼は許さぬぞ」
服を剥いで、小僧を小屋の後ろにある手作りの岩風呂に放り込んだ。
「キャー、熱い」
女みたいな声を出しやがる。
風呂から逃げ出そうとしたので、頭を掴んで押さえてから蹴り込んでやった。
俺は何故か熱い風呂が好きだった、死んだ爺さんが良く釜茹での様だと言って笑っていた。
体が熱さに慣れたのだろう、餓鬼は大人しくなって俺を睨みつけている。
餓鬼の服を盥に突っ込んで泡立ち草と一緒にもみ込んで置く。
ついでだ、俺も服を脱いで風呂に入ることにした。
小僧が俺の股間を凝視して震えている。
馬鹿が、大小の違いしか無いだろうに。
少し体を暖めてから逃げ回る小僧を洗い場に引きずり出して、頭から爪先まで万遍なく洗ってやる。
ん?無い、股間の物が無い、まー男でも女でもどちらでも良い。
ケツの穴も股もゴシゴシと洗ってやる。
髪に泥を塗り込んでいたようで、洗い流すと綺麗な輝く白髪と紫色の目だった、魔法を使った事と考え合わせると貴族の餓鬼なのかも知れない。
まあ、貴族だろうが平民だろうが俺には関係ない。
飯を食わせたら町に送り届けるだけだ。
両足を持ち上げて股間の臭いを確認する、クソの臭いは落ちたようだ。
そのまま頭から湯に放り込んだ。
森の中を彷徨って疲れたのだろうか、気を失って茹でた蛙の様に湯に浮いている。
ーーーーー
「下郎、先ほどの無礼を謝罪しろ、さすれば極刑だけは免じてやるぞ」
飯を夢中になって食い終わった後、シーツを身体に巻いた形で餓鬼が俺を指さしながら睨みつけて曰った。
礼儀を教えてやろう、頭を四発張り飛ばしてから首根っこを持って外に放り出そうとした。
「すまぬ、童が悪かった」
泣きながら謝ったので許してやった。
まだ、ぐずぐず泣いている。
「グス、童はネリウス国第三王女のアムネリウスじゃ。こんな無礼な扱いは初めてじゃぞ」
ネリウス王国はムラニ山脈を越えた反対側に有る王国だ。
乏しい資源を巡って近隣諸国との争いが絶えない地域と聞いている。
そのネリウス国のお姫様が単身空身で迷子なんて何か事情が有るのだろう。
「童が此処にいる理由を聞かないのか。疑っておるのか」
「俺には興味の無い事だ。明日、麓の村に連れて行ってやるから安心しろ」
「報酬が出るのじゃぞ」
「金に興味は無い、迷子の世話は死んだ爺さんの弔いの積もりでやってるだけだ」
自称姫様が俺を睨んでいる、まあ俺にとっては村の餓鬼も姫様も何ら変わらない。
これは記憶を失う前の生活と関係している様なのだが、村人と比べても極端に身分に対して拘りが希薄なのだ。
たぶん記憶を失う前の俺は、盗賊か山賊の類だったのだろう。
「明日は早い、そこに積んである布団を敷いてさっさと寝ろ」
「童は寝所の作り方など解らん、貴様が用意しろ」
「え!全く手間の掛かる餓鬼だな」
「無礼じゃぞ、貴様のような奴は死刑だ」
この野郎、拳骨で頭グリグリの刑だ。
両こめかみを拳固でグリグリする。
「布団を敷いて下さいお願いします、だろ!」
「痛い、痛い、痛い。解ったから止めて。布団を敷いて下さいお願いします」
「良し」
グズグズ泣いていたが、布団に入ったら直ぐに静かな寝息を立て始めた。
俺は風呂に入り直す。
浸けて置いた餓鬼の服を濯ぐ、臭いは取れた様だ。
物干し竿に並べて干す。
なるほど、お上品で小さなパンツだった。
真夜中、餓鬼が起き上がる気配を感じた。
深い眠りの底での微かな感覚だ。
山暮らしも長くなると生き物の気配には敏感になる。
人の気配は他の動物に比べたらもの凄く剥き出しで騒がしい。
深い自我の海の底から、意識の大気を求めて藻掻きながら浮上する。
忍び足で近づいて来る、緊張感が満ちてそれが一気に解き放たれる。
寝ながら手を伸ばし、餓鬼の肘を押さえて剣の動きを止める。
切っ先が俺の喉元の寸前で止まり、餓鬼の足が床から浮かび上がる。
堅く握っている剣をもぎ取ってから布団の中に引き入れて身動き出来ないように押さえつけた。
俺は眠い、暴れる餓鬼の感触が伝わって来たが再び俺は意識を閉じて眠りに着いた。
翌朝自称姫様の餓鬼を叩き起こす。
「ほれ起きろ、飯だ。着替えは枕元だ」
怪訝そうな顔して、素っ裸で周囲を見回している。
状況を思い出した様で慌てて股間を確認している。
安堵するようなため息を吐いている。
何を考えているんだろうか、この馬鹿は。
「童は今から着替を致す。貴様外に出ていろ」
「寝言を言うな。さっさと着替えろ。ほれ、股が見えてるぞ」
布団に潜り込んで暫く口をぱくぱくさせていたが、真っ赤な顔になって布団の中でこそこそと着替え始めた。
「ここは何処だ」
飯を食い終わり、俺が食器を片付け始めた時に聞かれた。
「ここはナサ大森林のど真ん中だ」
大きく目を見開いて驚愕している。
「童はムラニ山脈の下を潜って抜けたのか・・・」
サラニ茶を出してやったら、茶を飲みながら暫く考え込んでいた。
「童の部隊は、国境でのメニーサ国との戦いの最中に背後の味方から奇襲を受けた。部隊の主力を前線に展開している最中での、撃退不可能と判断して数人の供の者だけで司令部を離脱した。念の為、侍女に童の鎧を着せて逆方向に走らせての」
サラニ茶の湯気を見つめながら遠くを見るように自称姫様が話始めた。
俺も対面の椅子に座ってサラニ茶を飲みながら耳を傾けた。
「最初は後続部隊のケセ侯爵の単なる寝返りと思っていた、奴の領地と血筋はメニーサ国と近いからの。だから無事サンパニ峠を越えた時は奴の手を振り切ったと思い安堵した。一刻も早く本国に謀反を知らせなければと至情な事を考えながらな」
サラニ茶を一口飲むと自称姫様ため息を吐いた。
「じゃが童が大馬鹿じゃった。大笑いじゃ。信頼していた供の者に襲われての。全員がじゃぞ。谷底に転げ落ちて運良くメメセ蔦に足が引っ掛かって助かった。脇に有った穴蜥蜴の巣に逃げ込んだら地下通路に通じておっての、彷徨った挙げくにここに辿り着いたのじゃ」
小さく震えている、信頼していた者達に襲われた時の恐怖と地下通路の事を思い出したのだろう。
「これは極秘情報なのだが、今父上のお具合が宜しくない。だから兄上の間で争いが起きていることは知っていた。童の王位継承順位は五番目じゃ、だから兄上の争いは他人事として聞いていた。童に火の粉が降り懸かる話では無いとな。大勢が決した後で勝った方に追随する予定じゃった」
なんか、俺には関係ない面倒くさい話の様だ。
食い物が有って、寝る場所あれば他に必要な物は何も無い。
此奴も含めて馬鹿な連中だ。
「油断じゃった、一月前に今の王妃が息子を生んでいたのを忘れていたのじゃ。ケセ侯爵の娘なんだが目立たない頭の軽い器量の悪い奴でな、病に伏せっていた父上に子作りの力が残っていたのか不審に思う者が多かった、宰相の子なんて噂もあるぐらいなんじゃ。宰相はメニーサ国から父上が能力を見込んで引き抜いた奴でな。最後まで兄上のメニーサ討伐に反対しておった」
「その年の離れた王子の王位継承順位は七番目なんじゃ。だから私にまで手が伸びたのかも知れん。思えば今回の童の出陣の話も強引だった気がする。童に王位への野望なんて無いのに迷惑な話じゃ。兄様はもうお亡くなりなっているかの。平地での挟撃じゃからな、早めに刺客を送ってあの女と息子を始末しておけば良かったわい」
「メニーサは大国じゃ、今回の討伐も慎重論が多かった。じゃが兄上達にしてみれば国境の森を一方的に伐採されては王族としての面子が立たなかった様でな、王が病床に在る間に付け入られては次期王としての指導力も問われかねんと考えた様なんじゃ。じゃから反対を押し切って兄上達は戦争を始めた」
「メニーサと宰相が共謀した大がかりな罠じゃな。準備も念入りだった筈じゃ、もう手遅れなんじゃろな。父上の御病気は薬でも盛られておるんじゃろ。王印も入手済みだし軍や貴族院の根回しも終わってる筈じゃ。じゃから私に勝ち目は皆無だな」
「貴族院から告発されるとな、王族と言えども王の許可が有れば議員立ち会いの尋問が許される。この尋問が評判の良い見せ物での、取り調べのプロが技を駆使して自白を強要するのじゃ地下の拷問室で」
「兄上方が生きておられても貴族の奥方連中を喜ばすだけじゃろう。童と一緒で美形じゃからな。童も直に探し出されて見せ物にされてから王権剥奪の上斬首だろうな。今となっては奴の動きに気が付かなかった間抜けな自分に一番腹が立つわい。奴の掌の上で踊っている道化じゃったからな」
拳を握って震えている、先ほども恐怖じゃなくて怒りで震えていたのだろうか。
「お前の名前を聞いていなかったな、今の童に礼ができるか解らんが覚えて置きたい、此処に名前を書いてくれ」
まあ気持ちの問題だ、差し出された紙に名前を書く。
短い命だろうが町に送った後は自己責任で頑張って貰おう。
「ありがとう、ふふふふ。あのな、童が二番目に腹を立てているのは貴様なんじゃ。平民からこんな理不尽で恥辱的な扱いを受けたのは生まれて初めてじゃ。無理矢理裸に剥かれて股間を荒布で擦られるなんて自ら経験するとは思わなんだ。平民風情に命令を強要されて従うこともな。本来なら貴様は死刑じゃ、じゃが悔しいことに今の童にその力が無い。だからな、・・・。良し完成じゃ」
此奴は俺が名前を書いた紙に先程から何かを書き込んでいた、嬉しそうに笑うとその紙を空中に放り上げた。
「クヌル、ネセナ、マムヘ、ミミイントムセ、ラナ!メイヤー。あー、すっきりした」
紙が空中で青白い炎に包まれ、もの凄い光を放ってから消えた。
空中に浮いて残った言霊が北に向かって飛んで行く。
残った言霊が透明な鎖となって俺達二人に巻き付いてから消えた。
この自称姫様の満面の笑みを見ていたら何か悪い予感がした。
「おい、何をした」
「かっ、かっ、かっ。貴様は童の道連れじゃ。貴様との婚姻届けを本国の神殿に送った。愛情たっぷりの特別なバージョンで王位継承権付きの命の鎖付の特別婚姻じゃ、童の命が消えれば貴様の命も消える、貴様は地獄への道中の露払いじゃ。斬首台で震える貴様の姿が目に浮かぶわい。あー楽しみじゃ」
「この野郎」
「はっ、はっ、はっ。早く逃げる準備を始めた方が良いぞ、魔法の逆探知で此処も直ぐに襲われるぞ。童が死んだら貴様も自動的に死ぬ。メニーサ国の特殊魔道部隊は優秀じゃからな、後一日くらいかの。それとも諦めて今生の別れにここで童とまぐわいでもするか。土下座して頼めば考えんこともないぞ。ほれ」
しなを作ってウインクして来やがった、この餓鬼が。
両こめかみに拳を当ててグリグリしてやる。
「あっ、無礼者。痛い、痛い」
森の木々からの木漏れ日が暖かい、穏やかな秋の日だった。
俺は薪割りを終えて、小屋の前の小さな庭で昼飯を食っていた。
ここはユーノス大陸の中央、ムラニ山脈の裾野に広がるナサ大森林。
俺は人里離れたこの山奥で薬草取りと小さな畑の耕作をして暮らしている。
夏までは爺さんとの二人暮らしだったのだが、爺さんを看取ってからは一人で暮らしている。
一番近い村でもクブ鳥の足で一日半かかる辺鄙な場所なのだが、それでも時々道に迷った馬鹿が彷徨い込んで来る。
この小屋に人が向かって来ているのは解っていた。
梢の鳥達が警戒の歌声を囀っていた。
だが藪から剣を構えて出て来たのは薄汚れた泥だらけの餓鬼だった。
子供に剣で強請られるこのパターンは初めての体験だ。
一応構えは出来ている、だが実戦経験に乏しいらしく肩に力が入っているし、間合いが遠過ぎて腰も引けている。
畑で見るオケラと一緒でこれならば何の害も無い。
こんな礼儀知らずは相手をするのも馬鹿らしい、無視することにした。
俺の名はゴル、今年の夏に死んだ爺さんはそう呼んでいた。
岩という意味だ。
爺さんが岩場で倒れている俺を見つけたので、その名前で呼ぶことにしたのだそうだ。
俺の記憶が始まるのはその時からだ、俺には爺さんに助けられる前の記憶が無い。
その爺さんも、遺言どおり、ムラニ山脈が良く見える裏山に埋葬してやった。
「貴様、聞こえないのか」
無視する。
「無礼者」
切り掛かって来た、どちらが無礼か解って無い様だから教えてやる。
間合いを詰めて、剣を握っている手を柄ごと片手で掴む。
そのまま持ち上げて目の前に餓鬼をぶら下げる。
目の前にぶら下がった面を四、五発張り飛ばす。
「貴様何をする」
それはこっちの台詞だ。
「アブノニナセ、ムル・・・・・」
呪文を唱え始めやがった、魔法だ。
いきなり俺の頭上に電撃が現れ直撃した、今のは少々痛かった、折檻だ。
もう一発頬を張り飛ばしてから、剣を奪い取って襟首を摘み上げる。
うっ!、此奴は汗臭いうえに小便とうんち臭い。
飯を食わせてから村に送り届ける積もりだったが、この臭いを小屋に持ち込まれるのも不愉快だ。
首根っこを掴んで小屋の裏に引きずって行く。
「こら何をする、無礼は許さぬぞ」
服を剥いで、小僧を小屋の後ろにある手作りの岩風呂に放り込んだ。
「キャー、熱い」
女みたいな声を出しやがる。
風呂から逃げ出そうとしたので、頭を掴んで押さえてから蹴り込んでやった。
俺は何故か熱い風呂が好きだった、死んだ爺さんが良く釜茹での様だと言って笑っていた。
体が熱さに慣れたのだろう、餓鬼は大人しくなって俺を睨みつけている。
餓鬼の服を盥に突っ込んで泡立ち草と一緒にもみ込んで置く。
ついでだ、俺も服を脱いで風呂に入ることにした。
小僧が俺の股間を凝視して震えている。
馬鹿が、大小の違いしか無いだろうに。
少し体を暖めてから逃げ回る小僧を洗い場に引きずり出して、頭から爪先まで万遍なく洗ってやる。
ん?無い、股間の物が無い、まー男でも女でもどちらでも良い。
ケツの穴も股もゴシゴシと洗ってやる。
髪に泥を塗り込んでいたようで、洗い流すと綺麗な輝く白髪と紫色の目だった、魔法を使った事と考え合わせると貴族の餓鬼なのかも知れない。
まあ、貴族だろうが平民だろうが俺には関係ない。
飯を食わせたら町に送り届けるだけだ。
両足を持ち上げて股間の臭いを確認する、クソの臭いは落ちたようだ。
そのまま頭から湯に放り込んだ。
森の中を彷徨って疲れたのだろうか、気を失って茹でた蛙の様に湯に浮いている。
ーーーーー
「下郎、先ほどの無礼を謝罪しろ、さすれば極刑だけは免じてやるぞ」
飯を夢中になって食い終わった後、シーツを身体に巻いた形で餓鬼が俺を指さしながら睨みつけて曰った。
礼儀を教えてやろう、頭を四発張り飛ばしてから首根っこを持って外に放り出そうとした。
「すまぬ、童が悪かった」
泣きながら謝ったので許してやった。
まだ、ぐずぐず泣いている。
「グス、童はネリウス国第三王女のアムネリウスじゃ。こんな無礼な扱いは初めてじゃぞ」
ネリウス王国はムラニ山脈を越えた反対側に有る王国だ。
乏しい資源を巡って近隣諸国との争いが絶えない地域と聞いている。
そのネリウス国のお姫様が単身空身で迷子なんて何か事情が有るのだろう。
「童が此処にいる理由を聞かないのか。疑っておるのか」
「俺には興味の無い事だ。明日、麓の村に連れて行ってやるから安心しろ」
「報酬が出るのじゃぞ」
「金に興味は無い、迷子の世話は死んだ爺さんの弔いの積もりでやってるだけだ」
自称姫様が俺を睨んでいる、まあ俺にとっては村の餓鬼も姫様も何ら変わらない。
これは記憶を失う前の生活と関係している様なのだが、村人と比べても極端に身分に対して拘りが希薄なのだ。
たぶん記憶を失う前の俺は、盗賊か山賊の類だったのだろう。
「明日は早い、そこに積んである布団を敷いてさっさと寝ろ」
「童は寝所の作り方など解らん、貴様が用意しろ」
「え!全く手間の掛かる餓鬼だな」
「無礼じゃぞ、貴様のような奴は死刑だ」
この野郎、拳骨で頭グリグリの刑だ。
両こめかみを拳固でグリグリする。
「布団を敷いて下さいお願いします、だろ!」
「痛い、痛い、痛い。解ったから止めて。布団を敷いて下さいお願いします」
「良し」
グズグズ泣いていたが、布団に入ったら直ぐに静かな寝息を立て始めた。
俺は風呂に入り直す。
浸けて置いた餓鬼の服を濯ぐ、臭いは取れた様だ。
物干し竿に並べて干す。
なるほど、お上品で小さなパンツだった。
真夜中、餓鬼が起き上がる気配を感じた。
深い眠りの底での微かな感覚だ。
山暮らしも長くなると生き物の気配には敏感になる。
人の気配は他の動物に比べたらもの凄く剥き出しで騒がしい。
深い自我の海の底から、意識の大気を求めて藻掻きながら浮上する。
忍び足で近づいて来る、緊張感が満ちてそれが一気に解き放たれる。
寝ながら手を伸ばし、餓鬼の肘を押さえて剣の動きを止める。
切っ先が俺の喉元の寸前で止まり、餓鬼の足が床から浮かび上がる。
堅く握っている剣をもぎ取ってから布団の中に引き入れて身動き出来ないように押さえつけた。
俺は眠い、暴れる餓鬼の感触が伝わって来たが再び俺は意識を閉じて眠りに着いた。
翌朝自称姫様の餓鬼を叩き起こす。
「ほれ起きろ、飯だ。着替えは枕元だ」
怪訝そうな顔して、素っ裸で周囲を見回している。
状況を思い出した様で慌てて股間を確認している。
安堵するようなため息を吐いている。
何を考えているんだろうか、この馬鹿は。
「童は今から着替を致す。貴様外に出ていろ」
「寝言を言うな。さっさと着替えろ。ほれ、股が見えてるぞ」
布団に潜り込んで暫く口をぱくぱくさせていたが、真っ赤な顔になって布団の中でこそこそと着替え始めた。
「ここは何処だ」
飯を食い終わり、俺が食器を片付け始めた時に聞かれた。
「ここはナサ大森林のど真ん中だ」
大きく目を見開いて驚愕している。
「童はムラニ山脈の下を潜って抜けたのか・・・」
サラニ茶を出してやったら、茶を飲みながら暫く考え込んでいた。
「童の部隊は、国境でのメニーサ国との戦いの最中に背後の味方から奇襲を受けた。部隊の主力を前線に展開している最中での、撃退不可能と判断して数人の供の者だけで司令部を離脱した。念の為、侍女に童の鎧を着せて逆方向に走らせての」
サラニ茶の湯気を見つめながら遠くを見るように自称姫様が話始めた。
俺も対面の椅子に座ってサラニ茶を飲みながら耳を傾けた。
「最初は後続部隊のケセ侯爵の単なる寝返りと思っていた、奴の領地と血筋はメニーサ国と近いからの。だから無事サンパニ峠を越えた時は奴の手を振り切ったと思い安堵した。一刻も早く本国に謀反を知らせなければと至情な事を考えながらな」
サラニ茶を一口飲むと自称姫様ため息を吐いた。
「じゃが童が大馬鹿じゃった。大笑いじゃ。信頼していた供の者に襲われての。全員がじゃぞ。谷底に転げ落ちて運良くメメセ蔦に足が引っ掛かって助かった。脇に有った穴蜥蜴の巣に逃げ込んだら地下通路に通じておっての、彷徨った挙げくにここに辿り着いたのじゃ」
小さく震えている、信頼していた者達に襲われた時の恐怖と地下通路の事を思い出したのだろう。
「これは極秘情報なのだが、今父上のお具合が宜しくない。だから兄上の間で争いが起きていることは知っていた。童の王位継承順位は五番目じゃ、だから兄上の争いは他人事として聞いていた。童に火の粉が降り懸かる話では無いとな。大勢が決した後で勝った方に追随する予定じゃった」
なんか、俺には関係ない面倒くさい話の様だ。
食い物が有って、寝る場所あれば他に必要な物は何も無い。
此奴も含めて馬鹿な連中だ。
「油断じゃった、一月前に今の王妃が息子を生んでいたのを忘れていたのじゃ。ケセ侯爵の娘なんだが目立たない頭の軽い器量の悪い奴でな、病に伏せっていた父上に子作りの力が残っていたのか不審に思う者が多かった、宰相の子なんて噂もあるぐらいなんじゃ。宰相はメニーサ国から父上が能力を見込んで引き抜いた奴でな。最後まで兄上のメニーサ討伐に反対しておった」
「その年の離れた王子の王位継承順位は七番目なんじゃ。だから私にまで手が伸びたのかも知れん。思えば今回の童の出陣の話も強引だった気がする。童に王位への野望なんて無いのに迷惑な話じゃ。兄様はもうお亡くなりなっているかの。平地での挟撃じゃからな、早めに刺客を送ってあの女と息子を始末しておけば良かったわい」
「メニーサは大国じゃ、今回の討伐も慎重論が多かった。じゃが兄上達にしてみれば国境の森を一方的に伐採されては王族としての面子が立たなかった様でな、王が病床に在る間に付け入られては次期王としての指導力も問われかねんと考えた様なんじゃ。じゃから反対を押し切って兄上達は戦争を始めた」
「メニーサと宰相が共謀した大がかりな罠じゃな。準備も念入りだった筈じゃ、もう手遅れなんじゃろな。父上の御病気は薬でも盛られておるんじゃろ。王印も入手済みだし軍や貴族院の根回しも終わってる筈じゃ。じゃから私に勝ち目は皆無だな」
「貴族院から告発されるとな、王族と言えども王の許可が有れば議員立ち会いの尋問が許される。この尋問が評判の良い見せ物での、取り調べのプロが技を駆使して自白を強要するのじゃ地下の拷問室で」
「兄上方が生きておられても貴族の奥方連中を喜ばすだけじゃろう。童と一緒で美形じゃからな。童も直に探し出されて見せ物にされてから王権剥奪の上斬首だろうな。今となっては奴の動きに気が付かなかった間抜けな自分に一番腹が立つわい。奴の掌の上で踊っている道化じゃったからな」
拳を握って震えている、先ほども恐怖じゃなくて怒りで震えていたのだろうか。
「お前の名前を聞いていなかったな、今の童に礼ができるか解らんが覚えて置きたい、此処に名前を書いてくれ」
まあ気持ちの問題だ、差し出された紙に名前を書く。
短い命だろうが町に送った後は自己責任で頑張って貰おう。
「ありがとう、ふふふふ。あのな、童が二番目に腹を立てているのは貴様なんじゃ。平民からこんな理不尽で恥辱的な扱いを受けたのは生まれて初めてじゃ。無理矢理裸に剥かれて股間を荒布で擦られるなんて自ら経験するとは思わなんだ。平民風情に命令を強要されて従うこともな。本来なら貴様は死刑じゃ、じゃが悔しいことに今の童にその力が無い。だからな、・・・。良し完成じゃ」
此奴は俺が名前を書いた紙に先程から何かを書き込んでいた、嬉しそうに笑うとその紙を空中に放り上げた。
「クヌル、ネセナ、マムヘ、ミミイントムセ、ラナ!メイヤー。あー、すっきりした」
紙が空中で青白い炎に包まれ、もの凄い光を放ってから消えた。
空中に浮いて残った言霊が北に向かって飛んで行く。
残った言霊が透明な鎖となって俺達二人に巻き付いてから消えた。
この自称姫様の満面の笑みを見ていたら何か悪い予感がした。
「おい、何をした」
「かっ、かっ、かっ。貴様は童の道連れじゃ。貴様との婚姻届けを本国の神殿に送った。愛情たっぷりの特別なバージョンで王位継承権付きの命の鎖付の特別婚姻じゃ、童の命が消えれば貴様の命も消える、貴様は地獄への道中の露払いじゃ。斬首台で震える貴様の姿が目に浮かぶわい。あー楽しみじゃ」
「この野郎」
「はっ、はっ、はっ。早く逃げる準備を始めた方が良いぞ、魔法の逆探知で此処も直ぐに襲われるぞ。童が死んだら貴様も自動的に死ぬ。メニーサ国の特殊魔道部隊は優秀じゃからな、後一日くらいかの。それとも諦めて今生の別れにここで童とまぐわいでもするか。土下座して頼めば考えんこともないぞ。ほれ」
しなを作ってウインクして来やがった、この餓鬼が。
両こめかみに拳を当ててグリグリしてやる。
「あっ、無礼者。痛い、痛い」
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淡々と世話をしてくれるリンリーに、アッシュは次第に心を開いていった。
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