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兎が跳んだ夜(後半)
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『しょうこは!しょうこは無事何か!?』
昨日のことはあまり覚えていない、だがしょうこは確かに助け出したはず、こちら側にいないとつじつまが合わないのだ。
『落ち着け…しょうこの元へ案内する、だけど』
アルムは目を合わせてはいてもバツが悪そうに下唇を噛みしめる。まだアルムと出会って間もないけどこの人のこの感情は読み取れる。あまりこの先の事は考えたくはないけれどそれは無責任だ。あのままねっぺしていた方が少なくとも暫くは幸せに生きる事ができたんじゃないか、ユイの脳裏を過った後の感想だった。
ここはこの国の植物研究所。食用、薬用或いは別に用いられる可能性のある植物を観測、改良を目的に一時的に保管する部屋、植物園をイメージするとわかりやすいだろう。この退廃し国同士が勇者の墓標を盾に冷たくにらみ合っている情勢では食用植物や薬用植物は国の未来に大きく影響を及ぼす可能性のある国家資産である、アルムは外国人でありながらそれに関与できるほどの信用と実力がある。
『アルムさんお疲れ様です』
そう声をかけてきたのはここの管理人をしている研究者で名はコンマン、この人も元々は教会の手引きで他国から預かった研究者でこの街では数少ない医者なんだとか。
アルムとここに訪れたのはここが最も[隠す]には適した場所だからだ。コンマンの案内で白色の見たことのない瓜のような実がなっている葉っぱのカーテンをめくった所およそ人間1人は入りそうな箱、いやこれは棺。
『日光ではないがあまり光はあてたくない、顔を見たらすぐに閉じてくれ』
震える手で棺の横についてる重いハンドルをゆっくり3週ほど回す、開けたそこにいたのはしょうこだったもの。
『まだ存命していますが、現状の設備ではここからの回復は絶望的です。』
まだこの棺の少女とユイの関係を知らないコンマンが説明してくれた。
血が滲みこじ開けられた瞼からは淡い黄色の茎が伸びている、天死化していない部位は軒並み植物の管を通すために穴をあけており、しょうこを知っているから判別がつくがはたから見れば金属と植物の塊。この後読んだ資料によるとこの植物は[フジミソウ]と言って寄生するように取り込んだ動物(主に哺乳類)にかろうじて存命できるだけの栄養素を与えると同時に脳内に快楽効果のある成分を与える。本来は捕らえた動物の腐敗部位に沸いた虫や肉食生物を捕食する食虫植物だそう。天死化した部分は腐敗化しない上餌を飢える事なく持続的に与えつづければフジミソウは無為に宿主を腐敗させない、それどころか存命させようと皮膚細胞を増幅していく。これを利用すれば天死化した皮膚をはぎ取り続ける事で理論上治療は可能とされている。だが問題はこの国にあるこのフジミソウはアルムの同僚が過去に持ち込んだもので保管できている個体数は非常に少ない。
今ある分だと治療に最低でも2年はかかるうえ、その前に快楽物質によりしょうこの脳は使い物にならなくなってしまう。
ゆっくりと棺の蓋を戻す。アルムは視線を合わせようとせず、ただただ自分が可笑しくなってしまった自分に軽蔑しながら述べる。
『君が、しょうこを殺してくれ』
まだ日の昇らぬ早朝、街の半分以上が海に囲まれているこの街では湿度が高く、これからの季節はいつも霧が街を覆う。千輪祭の為の飾りつけはされているが、本番は夜である事もあり、しかけを引き上げに行く漁師くらいしか出歩いていない、そんな中昨日飲んだくれていた者とは思えぬ面持ちでアレクスは支度をする。一番初めにフティーラを差し入れた時の甲冑ではなく、襟元にワンポイントで装飾の付いた黒い正装を身にまとっている。胸元に防弾用の鉄板が入っているとはいえガタイの良い体には少し似合わない。
『おはようございますアレクスさん、ユーレンさんは?』
『ユーレン司祭殿は昨夜の後始末に追われているらしいが、というか君はここにいていいのか?』
『な…昨晩なにかあったのか?』
『隠さなくてもいいさ、昨日暴れまわってた天聖を倒したのはあんたなんだろ?自慢じゃないが俺は階級がちょっと高いんだ』
『はぁ、全部知ってるんだな…一時的にでもサクリを離れたほうが安全だとアルムからの提案でな』
ダミナレプスの権能で自衛くらいはできるだろうし、サクリに潜伏している正体不明の敵もダミナレプスが国外に持ち出された事でまた動き出すのではないかとアルムは踏んでいる。
白い岩が特徴の海岸から反対側の石門を抜けると、昇りたての朝日が木漏れ日となって視界に差し込んでくる。一度この石門は通ったらしいがその時は車内だったので初めて見た。サクリにとっては重要な観光名所の一つらしいがそれを楽しむほどの余裕は今のユイには無い。
サクリの街から徒歩で小一時間ほどの距離で目的地にたどり着いた。情報ではもう既に何年も前から観測されていた小屋らしく、その事に対してアレクスは苦言を漏らしていた。気持ちはわかるが確かにこんなにサクリから近い距離に根城を構える必要があったのだろうか。
『ラタリス、U-MOボムの準備を、1分で制圧するぞ』
この世界の火器はある一定の湿度では使用ができない、U-MOボムは一時的に湿度を急上昇させて敵の火器を無力化する。注意事項としてはその性質上屋外では機能しない点と自分も火器が使えなくなるので特殊設計の銃火器を用意するか刃物で奇襲を試みるほかなくなる。ただ幸いこの任務のためアレクスとその部下ラタリスの持っているショットガンはU-MOボム適応中であっても1発なら放てるらしい。
ラタリスが潜入のカウントダウンを始めた、ここは人攫い、盗賊の根城にしては大きい。おそらく1階建てだが内部には何部屋かあるだろうしアレクスのみ正面入り口からの潜入、ユイとラタリスは側面の窓を突き破って潜入する。アレクスには天聖者である事は話してある、それゆえユイも戦力に組み込んでもらえたのだろう。 時間だ
『誰もいなかった、ここは放棄されたのか?』
ラタリスは少々不安げな顔をして続ける。潜入してから見かけた部屋はすべて確認したはずだが人影は無かった。また、物音もあまりしないのでアレクスもおそらく戦闘にはなっていないだろう。
『このまま進もう、いずれはアレクスさんとも合流できるだろうし』
そうして5分ほど捜索してるうちに見つけた薄暗い部屋、書斎のようにも見えるが洗濯物が1~2人分ほど目線の上に干されている。
『やはり、誰もいないようですラタリスさん』
『そうか、引き続き警戒を続けよう。…これは』
ラタリスは作業机に置いてある開きっぱなしの書物に目を付けた。軽く見たところカルテ?なんらかの資料のように見えるが放棄されたこの施設で開きっぱなしの書物なんて怪しすぎる。我々に読ませたいのか?それとも開いてる最中にここを離れなくては行けなくなったのか、いずれにしても一先ずは読むしかない。
『なんなんだ…この悪趣味なカルテは』
ラタリスとユイはその内容からページを進める手を止めてしまう。ただこの日誌で確実になった事はこの根城は人攫いなんて生易しい物じゃない事。それを確かめるようにユイは口を開く
『サクリに来る前、サクリ近郊で誰もいない小さな街のような所を見たんだ、そこには天死もいたんだ、これは偶然か?』
『偶然ではないだろう…まってユイさん、だれか来る…この歩幅は、おそらくアレクスさんだとおもうけど念のため構えて』
ラタリスは部屋の出口から目線を離す事なく小声でユイの前に立つ。音を立てないように構えた銀色のショットガンの弾倉を確認する。彼らの持つショットガンはこの世界の技術レベルにはややに似つかわない機械的な装甲と暗く青白い光がラタリスの添える手から漏れている。もしかすると天死の装甲を破壊する為に研究され、発展したのだろう。
『アレクスさん、良かった!ここの部…』
『動くな!』
アレクスはユイの言葉を遮り、切羽詰まった表情でショットガンの銃口をこちらに構える。まるでアレクスには私たちに見えていないものが見え、それに恐怖してるかのように。
『アレクスさん…なにを?』
『動くなと言っている!…』
狼狽えるユイの後ろから足音が聞こえる。ラタリスはユイの前にいる、聞こえるはずのない足音。
『抵抗しなければ撃たないでいただけますでしょうか?』
少し高く重い男性の声が静寂の中に響く、誰だ。
『抵抗しなければ撃たない、だが何者なのか目的は答えてもらおう』
『あぁ…ありがとうございます!撃たないでくれてありがとうございます!』
奥歯が覗くほど大胆不敵に嘲け嗤うその姿にその場にいた全員が凍り付いた。そしてアレクスは彼の異様な態度の理由に気づいた。血の気が引き異常な量の汗が頬を伝う。アレクスはこれまで沢山の戦場を経験した、サクリにくるまで元は西側の国で傭兵として天死も人間もたくさん殺した、天聖者への立ち回りも非天聖者ながら弁えている。そんなアレクスでさえ…だからこそコイツはヤバイ、間違えれば殺される。そして似合わぬ震え声でアレクスは口を開く。
『ユイ、一言もしゃべらずに聞くんだ、奴は天聖者だ!そして権能は…』
『あーあーいいよジブンで言うからさっ!』
アレクスの声を遮り、銀色の首下まである髪が漂うように眼前に映った。背丈180ありそうだがアレクスと比べるとどうしても華奢に見えてしまうその男の細く冷たい視線がほんの数秒ユイにおちる。
『口約束を守ってもらう、たったそれだけ。あっちの大きい男は[抵抗しなければ撃たない]事を了承した、だからジブンが戦闘の意思を見せるまでは引き金を引けない』
『つまり私とラタリスが来た時に[誰もいない]と言ったから一人誰かいたのもきづけなかった、という事か?』
『その通りだよ!…ああ、でも一人じゃないかもね』
床に滴り続ける水滴、薄暗い部屋の中でも鮮血とわかる。さっきまで天井から吊るされていた衣類だったモノから鮮血が床に滴り続けている。
『こいつらね、あんな事しておいてさ命だけは助けてくれ~なんて言ってきたんだぜ、ちょっと頭来ちゃうよね?』
『こいつらはまだ生きているのか?』
『命だけは助けてやるという約束だからね、多分死ぬことは無いんじゃないかな。ジブンもこの文言に対して使った事は無いからよくは知らないけどさ、ああそれとこいつらの後処理はあんた達でやってくれ』
『…それは構わないがこいつらが目的ではないのか?』
銃口を向けたままの姿勢から動けないアレクス緊張がやや解けてくたびれかけた声色をしている。本当にその姿勢から動けないのだろう。奴の権能の拘束力も強力だが、この状況で余裕を感じるアレスクはやはり相応の猛者なのだろう。
『ジブンはそこにいるダミナレプスの依り代を勧誘しにサクリに向かってただけさ!こいつらはただの次いでだよ』
『お前、ここで何体の天死を倒した?』
『54体…その顔、もしかしてこの村の住民と同じだったりする?』
村?ここに来るまでの道中にそのようなものは無かった。ユイは話が少し見えない、いや認めたくなくて見ないようにしていた。でも状況証拠だけで十分。本当にどうしようもない。
『お前が弔ったんだ、何も知らずに過ごしていた我々の代わりに。礼を言う』
『いいさ、最後にダミナレプスの少女と二人だけで会話させてくれないか?席を外す必要はない、ただ了承すれば二人だけで会話ができる』
アレクスとびびって一言も話せなくなっているラタリスは首を縦に振って5分ほどこの男と会話した。協力してほしいという単なる勧誘を断っただけの話。
先ほどの施設の向こう側、サクリから海に沿いながら南東に進んだ先、30mを超える針葉樹に見える木々が高密度で生い茂っているが採掘具のように歪に連なった葉先は鋭利で固い。葉を払いのけたラタリスは切り傷を負ってしまい苦い顔をしている。木々の合間に石灰で外壁を塗り固められた灰白色からアイボリーホワイトの建築物が視界に入る。ここはかつてルアナという小規模の都市があった。
大昔悪魔と光の天使が戦った過去の大戦まではサクリよりも大きい大都市があったそう。戦争による被害はかなり軽傷で済んだが人口が大きく減少し、今の規模まで縮小したという。天死は海を渡っては来れない、飛行能力を有する翼を携えてはいるけれどもそれでも、鉄に近い物質の本体重量が問題でぞの実自由落下ができるにとどまっている。一説では生まれたばかりの天使は表面しか金属化していないので飛翔できるという話もある。それ故海に隣接し天死の侵入ルートを絞る事で豊な国政が実現できていたとのことだ。
もちろんどれも道中にラタリスから聞いた事だ。そしてこのまま誰もいないルアナを突き抜け、居住区を出ればその大戦前に使われていたであろう建築物の残骸を見ることができるらしい、今回はそこまで行くつもりは無い。
『結局さっきの男との会話の内容は教えられないのか?』
アレクスからの問いかけに鈍い返事だけを返す。正直そこまで大した内容では無いと思うが、口外を禁じたあたり何かしら裏の目的はあるのだろう。この約束を違える事ができず鈍く、口ごもる事しかできない。
『やっぱりだめだ、話そうとすると口が開かなくなって呼吸が途端にしずらくなる。多分これ続けてたら死ぬな』
『俺とラタリスは依頼元である教会に報告しに行くが君はこれからどうする?一緒に来るか?』
60秒ほど無言で歩く、まだ確証がないし戻ればすぐに確かめられる。それからでも遅くは無いだろう。
『宿屋に戻るつもり、アルムにも今日の事を話しておきたいし』
『アルムさんの知り合いだったりするのか?』
ラタリスが割りこんで話すがユイの口元はまた半開きになり口ごもってしまった。どうやら是非に関わらず奴の権能の影響をうけるそうだ。そして何かに不敵な笑みを浮かべたラタリスは喜々として続ける。
『さっきの男の好きな食べ物は?好きな女のタイプとか言ってたか?』
『ぐっ…ラタリス、今ここで勇者の権能をお前に見せてやる』
酷くえづいてから崩れた住居の外壁を刀身20cmほどの短剣に収束させる、天聖してなければ所詮この程度だが十分だろう。
『アレクスさん止めてくれるなよ、こいつは今仕留めといた方がよさそうだ』
アレクスは太い腕を組み。笑顔でこちらを眺めている。因果応報だと言わんばかりだ、個人的な恨みでもあるのであろうか。曇りのないとても綺麗な笑顔をしている。
『待ってくれほんのできごごろだったんだ!そんなものこっちに向けないでくれ!それ解き放ったらほんとに死んじまう!』
『命乞いは済んだようだなあ!くらえ必殺の!カラミティストオオ…』
ユイの掛け声とともに大きな爆発音が耳をつんざいた。この場にいた誰しもが状況を理解できていない。爆発音とは真逆の静寂はアレクスが破った。
『まずい、明らかにサクリから音がしたぞ』
爆発音からおよそ2時間後。アレクスとラタリスは状況確認も兼ねて教会へむかった、ユイはしょうこが療養している研究所付属の植物園へ来ていた。
『ユイさんよかった、どこにも見当たらないからとても心配で』
結局街に戻っては見たものの勇者の墓標の根本が爆心地という他まだなにも情報がない。幸いこの研究所はなんの被害もなさそうだがここ唯一の研究員であるコンマンはかなり焦っていた。聞いたところによると教会からの指示だと言い、アルムが爆破事件の容疑者として拘束されたらしい。爆発による死者はおらず直接的なけが人も軽傷で数えるほどしかいないらしいが街の数少ない医者としてコンマンは爆破現場に向かいたかった。だがアルムが居ない今ここにしょうこを残して立ち去るわけにもいかず手をこまねいていた。
『なぜアルムが容疑者なんだ?もともと彼は教会が指名して派遣されたと聞いたが』
『アルム監査官がフォルリィの端末を墓標に繋いでたからだと思います。この国の人からしたら明らかに異端の技術ですので』
理解できない、たったそれだけの理由と聞こえるが疑心暗鬼になった人間からしてみたら当たり前の事だ。知らない技術を受けいれる行為にはそれだけリスクがある。だからこそこの植物研究所は厳重に隔離され、手厚い支援を教会から受けている。
まて、アルムと共に入国した私はどうなんだ?アルムが容疑者にされている以上私も最低重要参考人あたりで拘束されるのが本来でははないか。だがサクリに戻る時憲兵隊からは何も言われなかった、アレクスがいたからなのか?それにしても妙だ。そうなるとアルムの拘束が目的か?もしそうならやはり。
『コンマンさん、あんたがリケファラスか?』
『何を…言ってるんですか?』
『天聖者は四肢を切断されても天聖することでもとに戻るらしい、違ったら大変申し訳ないがあきらめてくれ…天聖!!』
1度目の天聖はユイじゃない、別の意識が戦い方を教えるように動かしてくれた。だが今回はきちんと自分で動かせる自信があった。もうダミナレプスの権能も使えるし目の前のマッドサイエンティストもひと思いにやれるだろう。
『この女ぁ!光れ!コモドア・アンゲルス!!』
その掛け声とともにコンマンの左胸の中心から銀色に反射する鉄の外骨格が左手を纏い、目視1m近くの大きさの豪鉄腕となりダミナレプスが床の大理石から作った短剣を弾き飛ばした。それと同時にダミナレプスは再び床から二本短剣を柄の向きから生やして、それを使ってユイは後ろに下がった。
『ダミナレプス、おまえ正気か?おれがそっち側じゃなかったらどうするつもりだったんだ』
『さあね、人一人の犠牲は出てたかもね。そんなことよりそれはなんだ?天死なのか?』
コンマンの顔の上半分鼻から上と上半身を天死のような外骨格で覆い、背面には天死の物となんら遜色のない翼が二枚備わっている。まるでこのまま天死化が進んだしょうこが慣れ果てた姿のようにも見えた。
『リアナの人間を天死に変えたのはお前だな、コンマン』
『リアナを見てきてよく無事に帰れましたね、あそこには100人近い天死がいたはずですが、まさかお一人で全員殺したのですか?』
殺した…か天死は人が死んだ後に未練や存命への渇望、それらが呪いとなり空っぽの肉体を金属化させる。天死は人ではない、それはこの世界では常識だ。こいつはリアナの市民に毒を盛ってから診察という形で実験を続けた、やがて十分な成果を得られた彼…教会は口封じとしてリアナの人間を天死に変えた。だが何故リアナの天死はサクリに来なかったんだ、或いはサクリに来る可能性があるのに何故教会は天死をそのままにした?あの口約束の男はほんの気まぐれで現れた、おそらく奴と教会は無関係だろう。リアナに天死が大量発生している事実をサクリに広める事が目的の派遣だったのか。まあいい、一旦目の前にいる奴をぶん殴れば少しは何かわかるだろう。
『お前が投降して懺悔もしてリケファラスの正体まで話してくるというのなら、命は見逃してやろう』
ユイは勇者の権能が使えると言えど初めて天聖したのはほんの数日前の話。背後にリケファラスがいるというのならこの事実もコンマンは知っている、そしてそれは天死の力をようやく手にしたコンマンのプライドを逆なでするには十分だった。
『舐めた口を…』
そう呟いて半天死化したコンマンは前進する。およそ10歩ほどの至近距離、ほんの一瞬で決着する距離にいる。こと天聖者同士の戦いでは初っ端から白兵戦になる事は少ない、なぜなら互いに相手の権能の適応範囲や発動条件を探る時間が生まれる。ただ今回の戦いにおいてコンマンは天聖者ではない、そしてコンマンはダミナレプスの権能をリケファラスから聞いている。だがそれが誤算だった。静かに佇むダミナレプスまであと3歩ほど、2秒もたたずに接触するその距離で決着した。天死の外骨格を持つ両腕は床に落ちる、鈍い金属音を立てて。リケファラスからの報告には無かったのだ、先日のトレスは見せなかった使い方。ダミナレプスが作れる剣は何も1本だけでは無い、そして触れてさえいれば射程範囲は2m
前後、その間合いに足を踏み入れたコンマンはダミナレプスが作り出した4本の剣によって串刺しにされた。
『勝てると思ったのか?戦いの経験もない上に紛い者のお前が?このトレス・ダミナレプスに?』
大量の血反吐を吐き散らかす、粘度が高い血液をえずきながら漏らすように。だがこの大悪党にはまだまだ物足りない、もっと苦しんでもらわなくてはならない。落ちた半天死の腕を拾い上げダミナレプスの権能を使用する。天死の金属装甲はあくまで外骨格なので剣の形となった腕から鮮血が嘆くように噴き出た。汚らわしいそれに見向きもせずダミナレプスは左手でコンマンの髪の毛を掴み、赤く染まりかかる銀の剣を逆手に持ち直しコンマンのこめかみに突き立てた。半天死の外骨格がある位置だがこめかみの装甲は簡単にひび割れた。
『リケファラスは誰だ?応えなければ殺す』
だがコンマンは沈黙を続ける、そうまでして忠誠を誓える相手なのか?倫理観の無い奴の考えはわからない。
『あの枢機卿がリケファラスか?アルムを拘束してどうするつもりだ?』
『あなたは天国を信じますか?』
生存を諦めたのかのようにコンマンは口を開いた、どうやら意思の疎通は難しいらしい。
『あぁ…僕も天国を見たかったな…』
こめかみに突き立てていた剣は刀身の先をコンマンの頭の中に埋めていた、だがまだ息はある。あえて殺していない、情報を聞き出すためじゃない、こいつにはなるべく惨く死んでもらいたいと考えたからだ。突き刺した剣を90°縦に回してから手前に柄を引く、丁寧にレバーを引くようにゆっくりと。大悪党と言えど同じ人間、引き裂いた頭蓋から鮮血と脳細胞が零れ落ちていく。汚らわしい汚らわしいと感じる反面ユイの口元は緩んでいた。耳鳴りのようなうめき声はいつしか途絶えていた。
しょうこが居ない。
コンマンに疑いの目を向けた時点で予想はできていた事だが。自ら脱走したか或いは教会の人間がアルムと同時に連れ去さったか。この教会に来るのは2度目だが先日来た時とは街も教会内も雰囲気が変わっている。街は千輪祭の催しはそのままだが何故かリアナが天死の大量発生で陥落したという報が出回り、勇者の墓標の周りに乱立された対天死シェルターに人が流れている。意外にも混乱した様子ではなく教会の人間や憲兵隊の誘導でスムーズに避難が進んでいる。
逃げる人々とは逆方向、サクリ教会に向かって歩き続ける。正面から突入するのは教会を敵だと認識するなら悪手だろうか、だが今の状況のしょうこから目を離すほうがまずい。
教会は人影がなく、外の喧騒とは乖離した静寂の世界。高そうな長椅子は整列を崩され無造作に荒らされている。リアナ陥落の報やコンマンの事を考えると教会が黒幕と考えて間違いはないはずだが、アルムがサクリ教会に収容されているというのは安直だったのか。
ユイは考えを巡らせながら誰もいないサクリ教会の大広間を隅の方から歩く。だが何も手がかりが見当たらないま十数分、大広間は長椅子以外に大きな遮蔽物が無いので声がよく通る。ラタリス声だった。
声のする方は大広間の左奥、床のパネルがせりあがって少し煤で汚れたラタリスが顔を見せた。
『ユイさん、教会に来ると思っていました、急いで!』
火でついてるランタンが我々を誘導するように等間隔で両壁に並んでいる。このランタンはろうそくなのでラタリスの煤汚れは多分別の何かだろう。
『どうしてここに来るってわかった?』
『アルム監査官を探しに来たんですよね?アレクス隊長に言われて迎えに来ました。でも何かありました?』
『…教会の人間に襲撃された』
左片手で頭を抱え、後ろからでもかなり苦い顔しているのがわかる。それもそのはず今まで所属していた組織に対する不信感、そもそもここサクリは国政を教会が取り仕切っている。リアナ陥落といい教会は明らかに避難の退路を塞いでいる。あまり考えたくはない事だがシェルターもそれが目的で建築された物なのではないだろうか。そして今歩いている地下通路もその避難用として設置された物なんだろう。
地下通路を5分ほど歩いた先アレクスがとても神妙な表情で話している相手はユーレン司祭、教会の人間だ。
『やあ!ユイちゃん2日ぶりだね!覚えているかね?』
金色の装飾をあしらった真っ白修道服から覗く月白色の髪がランタンの灯りを透かして煌めいて見えた。その妖艶な姿と地上の混乱とは裏腹に軽い挨拶を差し向ける、そんな彼女にユイは少しばかりの安堵と不安を顔ににじませる。そして
『あぁ…ユーレン司祭様、あなたはなぜここに?』
『なぜって私がここに君たちを呼んだんだ、それに君のお友達は私が匿っているんだよ!あんな陰湿眼鏡のところにはおいておけない』
それは…コンマンの事を言っているのか?その問を聞いてユーレンは数秒間視線を逸らしてからユイに視線を合わせる。
『その返り血は……そうなのだな?』
足元についた赤茶色のしみを見て何かを察したようにユーレンは歩きだした。いくら信用できないといってもここまで同じ教会に仕えていたいわば同僚、言葉の無い別れに思うところはあるのだろう。生きていた人間が死ぬというのはそういう事だ、当然のように行われた営みは過去の物となってしまう。だからこそコンマンを許す事はできないしユーレンもそう割り切ったのだろう。
『この先の一室にアルム監査官とエルビス枢機卿が密会してるそうなんだけど、どうする?』
ランタン一つで照らされたやや薄暗い一室、二人の青年は紅茶をすすりながら優雅に談笑をする。つい先日殺し合いをしたばかりだと知っていても尚。
『アルム監査官殿、サクリ自慢のイングリッドティーはどうかね?』
『以前イティルニテスで口にしたものより酸味がしつこくない、とても飲みやすいな』
敵だとわかっていて尚疑う事なく紅茶を啜る。ここはエルビスが拘束したアルムに尋問する為に設けた時間だったはずだが。エルビスから強硬の意思は感じられない、おそらくアルムとも志を共にできるという判断の元なのだろう。それをアルムも感じ取ってここで優雅にお茶をたしなんでいる。アルムからしてみても聞くだけの興味はあるのだろう。
『それで、俺をここに連れてきたのは?何に協力してほしいんだ?』
『はぁ…まだ試飲してもらいたい紅茶があと3種類はあるというのに』
ため息をついて茶葉の入った7cmほどのカプセルをテーブルで転がす、異国を渡り歩くアルムに試飲してほしかったというのはどうやら本当の事だったようだ。
『我々は近々、メサイア本拠地に侵攻する計画を立てている。メサイアの5人の執行官たる君にはその道先案内人を頼みたい』
『道先案内人だと?どれだけの兵力を用意できる?』
『それは言えない、この交渉が決裂した際その情報は我々を不利にする。』
当然だなと呟くアルムは当たり前のようにエルビスを試す。だが兵力もわからない組織のために裏切るにはリスクがあまりにも大きすぎるのがメサイアという組織だ。メサイアは勇者の墓標の建つ国の兵力を均衡に調律する事で世界秩序を保っている。現にメサイアが調律をはじめてからの70年大きな戦争は無い。大きくなる前に小さな紛争をメサイアの執行部隊が鎮圧しているのもあるが、武力による鎮圧の為反抗組織を生みやすい。だが大きくなる前にその反抗組織はすかさず叩いてきた。
『我々には賢者の後ろ盾がある、といったら?』
『賢者だと?それは三賢者の事か?だれだ?』
‐観測者‐そう彼は口にした。その名前はアルムを揺さぶるには十分だった。アルムもかつて同じ勧誘を受けた事がある。かつてアルムと共に前線で戦った人間だ。彼は[戦いに置いて無能]と揶揄される権能だったがその権能を使い戦場で多くの天聖者を亡き者にした。だが彼はすぐにメサイアから脱退した。その後彼は反メサイア組織に属して我々と交戦し消息をたった。アルムにとってその彼は人生で一番の親友であり殺すべき宿敵である、だがもし彼と同じ道を歩む覚悟が自分にあったらと何度考えた事か。小さな反抗組織を潰す度に何度も考えた、メサイアの調律は勇者の墓標を所有する国の兵力を管理する物であるが故勇者の墓標を持たない小さな国々は持つ国によって支配されるか国力の乏しい国同士で戦争をするしかない。またメサイアの管理から外れる事を望む勇者の墓標を所有する国が秘密裏に武器や天聖者を密輸、派遣して代理戦争を仕掛ける事もあった。戦争をしたくなくとも世界情勢がそれを良しとしない事があるのだから戦いたくない、ただ平和に暮らしたいだけの人間が巻き込まれて死ぬ事もあった、反抗の芽として首謀者の親族を皆殺しにした事もある。
『君たちはどうやって観測者と接触できたんだ?』
メサイアによる世界調律が始まって以来世界を統べる三賢者は表舞台から消えたという、一部ではメサイアの総統こそが三賢者の一人ではないかという話もある。アルムも部隊長で監査官ではあるが相当と直接相対したことは無い。まさか観測者は別の賢者の席を狙っているのか?可能性の一つに考えておく。
『アルム殿、なにか音がしないか?』
ほんの1回の瞬き、目の前で揺れる茶の水面を眺めるエルビス枢機卿の真後ろ右手に砕いた石壁で作り出した剣を振りかぶった青銀の天聖ダミナレプス、殺意で石の剣の振り下ろした。
『どういうつもりだ…アルム…』
竜頭の骸で造られた長槍で振り下ろされた石の剣を食い止めていた。脆くそれでいて首を断ち切るには十分な石剣の刃、それを食い込みひびわる竜槍の切っ先は青白い光を纏い石剣の切っ先を床に叩き落とす。
『ユーレン司祭、そこにいるのはわかっている君の差し金だね』
ダミナレプスが権能を使い、剣として切り取って作り上げた進入路にエルビス枢機卿の声が反響する。そしてそこからばれてしまいバツの悪そうに月白色の髪を揺らす女性が現れる。
『コンマンは死んだそうだ、もうやめにしないか?今ならまだ戻れるだろ!』
『どこに戻るというのだ!今日という日の為に我々はこの国を作り上げた、破滅の未来から、この星を救うためにだ!』
破滅の未来。そう口にした彼の免罪符には少しばかり不穏な興味を惹かれる。だが今目のまえに立ちはだかる黒翼の槍使いをどうにかしなければ、そんな風に思考を巡らすユイを尻目にしながら竜槍の切っ先を降ろし口を開く。
『悪く思うな、ここでこの男に死なれては困るのでな』
『今度は勝てそうか?』
アルムの思惑を理解したユイは杞憂だった事を知るなり嘲笑するように笑みを浮かべた。そして少しユイを振り向くアルムはニヒルに笑う。
二人の青年は対立する、互いに分かり合える事を頭ではわかっていても。天聖剣の切っ先を互いに構え一つ呼吸し息を整える。
『『天聖!!』』
-イミタティオ・コルウス- -フェレスト・リケファラス-
『エルビス枢機卿、申し訳ないがお前の開示した情報は信用には足りなさすぎる』
『よかろう、だが君は私に一度敗退してるはずだが?』
『問題ない、続きはベッドで聞かせてもらう!』
聖堂に続くサクリの中央に開かれた大通り。一番人通りの多いこの通りは一か月ごとにいろんなお店が教会の援助で出店を開く、だがリアナ陥落の報を受け人影は一切ない。そんな通りを数分進んだところの白い屋根の小屋、コンマンが動く前から既に目をつけていたユーレンの配下がアルム拘束時に連れ去りここに匿っている。本来死した者がその亡骸に遺した感情が亡骸を金属化させる、これはかの惡魔新皇が作り出したルールであり生者が天死となった前例は存在していない。アルムはなんで天死化を食い止める方法を知っているんだ?しょうこの前例が無いなら天死化を食い止める意味なんてないはずだ。メサイアが隠蔽しているだけで前例はあるのか?だがそんな思考も目に映る情景ですべてかき消された。
私の知っている、白銀から解き放たれたそのまなざし。『まってたよ、ユイ』
ぎゅっと抱き寄せるその体はかつての生暖かさを感じさせる。
それは金属化した天死とは程遠い。
『もう戻れないと思ってた、ありがとうユイ』
暖かさを互いに握りしめ小屋の外に出る。曇り空にきまぐれでできた割れ目から零れる光線が瞬間の虹色を見せてから視界を眩ませた。
しょうこ虹が見えるよ、見て。そう言いかけた。突如襲ってきた耳鳴りが酷く不快にさせる。視界は何かに覆われて何も見えない。右側から一人分の重さがのしかかり嫌な推測は意思と反発し加速する。けれども指先から腕を伝って肘から滴るドロッとした不快な生暖かさ、ゆっくりと紅く染まった視界を開く。
『発砲したのは君の部隊か?』
ユーレン司祭は白い軍服の騎士を咎めようと呼びかけた。だがこの騎士を咎めるには後回しでいい、先にトレスのほうが心配になり護衛部隊事ここから離れるように命令した。ユーレンは知っていた、2日ほど前の夜のトレス・ダミナレプスを。ユイの精神状況によっては二次被害が起こりえる、あれに敵視されてはならぬ。
『ユイ…大丈夫…か?』
瞬きもせず空を眺めているユイに恐る恐る声をかける、もしかして着弾音で耳がやられたのか?そんな考察を巡らす後ユイが口を開く。
『ユーレン、こいつはまだ助かるか?』
頭部が完全に消滅したしょうこを抱えてする発言としては現実逃避に聞こえる。一瞬よりは少し長い時間が過ぎた。
『もう助か…らない、死んでいる…』
『ユーレン、お前にならまだ助けられるか?』
『……できない、死者蘇生と言えば聞こえはいいが肉体に別の死した魂を入れる事しかできない。もうしょうこの魂はどこかに行ってしまった』
一分かけユイは両目で眼を擦り視界を戻す、そしてしょうこの死体で死角にした天聖剣を振りかぶる。
『だったらお前はここでぶっ殺す!天聖!!』
『まったく、勝手な行動をとるやつがいるといつもこうなる、天聖』
二つの眩い光の中から現れたのはかつてこの星で人類を護るために戦った勇者、その内の二人が殺し合いの為対峙する。
-セプテム・モルキュリオ-
光の勇者序列7位 流氷への誘い人
寒水から見上げる景色のような薄い青に赤紫色の血管のような模様、なにより顔が無く視線のわからないことから来る読めない殺意が背筋を冷たくなぞる。金属音と奥歯を鳴らしてダミナレプスは踏み込む、目の前の屑をぶっ殺したくて。だが天聖者同士の対決は権能の使用範囲で行う読みあい、この使用範囲とは射程距離ではなく権能が及ぼす適用範囲の事。権能を読んだ上でない無策の突撃は死を招く、こんな風に。
ユイの視界が逆さまに反転する。モルキュリオの手元から日本刀の柄のような物は見えた、だが距離は10メートル以上あった。斬撃は躱せる時間はあったはず、理解できずにダミナレプスの頭部は落下する。およそ3メートル近くはありそうな長刀、だがその間合いではなかったはず。決着した。長刀を肩に担ぎ赤紫色を光らせる勇者はダミナレプスの首の前で腰を下ろした。
『それで、なんでわかったんだ?できるだけ隠していたつもりだったけど、』
だが首から下を分断されたユイは声を出せない、いくら朽ちぬ肉体を持っていようとそれは変わらない。構造の問題だから。まあいいさと一言溢してダミナレプスの天聖剣に手を伸ばす。
地上へと隔別され、音の逃げ場のないこの空間では絶え間なく金属音続いていた。だがそれもやがて消えゆく、叛逆したコルウスの竜槍がリケファラスの心臓を穿つ事で。最後の音は天聖者の外装を貫いた事による炸裂音がまるで断末魔のように響いた。リケファラスもといエルビス枢機卿は零れ落ちる自らの腸を見下ろし敗北を悟る。勝負がついてからはリケファラスの仮面の崩れたエルビス枢機卿の眼差しは安らかに嗤う、まるで長年の使命から解放されたように。案外これは間違いではなかった。
何も誰もいなかった背後から突然の足音、静かに二人を俯瞰していたアレクスですら立った今までその存在に気づかず声も上げられずに立ち尽くす。リケファラスもといエルビス枢機卿のはこの存在を目視した事による表情であったか、まるで銃口を喉元に突き付けられるようなプレッシャーが体の主導権を返してくれない。あきらかに格上だ。
『セプ…テム様、どうか連れて行ってください…』
一歩ずつ確実な歩幅でかの伝説の勇者の一人が愛すべき信徒に歩み寄る。下から撫でるように刺し伸ばした左手でエルビスの右頬を撫で、そのまま指先をリケファラスの天聖剣へと絡ませる。
『さようなら、私の最期の信徒よ』
悲しく擦れた声の労いは天聖剣の抜かれる金属音に溶けていった。
ユーレンが教会地下にてリケファラス、ダミナレプスの天聖剣を持って最上位レベル11の権能を起動した、天聖剣はその持ち主の人格そのものが模られた物、それを複数利用するのは人格の混濁を起こしたり権能に耐え切れず肉体がオーバーフローする。要するに理論上はできるがリスクが勝るので誰もやらないのだ。だがトレス・ダミナレプスの人格は長い封印期間とユイとの天聖によって摩耗し、リケファラスのエルビスは死に絶えた。そして勇者の肉体は不死の加護がありそれをユーレンもといセプテムは有している。さらに天聖した際のレベルに比例して権能の質も向上する、勇者達の権能が常軌を逸しているのもここに由来する。ダミナレプスの権能は無機物を剣の形に模る或いは収束させる事ができる、これが強力になった事で得られるその権能は有機物も対象に取れること。上位レベルに到達したダミナレプスの権能は人間の心すら剣に変えられる。だが不完全な天聖をすれば肉体は耐え切れずオーバーフローつまり金属化する。
左肩から先を失い朦朧とした意識の中、眼を擦りながら歩き続ける。男は命尽きる前に確認したいのだ、自分の子供たちの無事を。
アレクスの家宅の地下には簡易シェルターが備わっている、これは本来武器のメンテナンス用の作業スペースだがレイルなら備蓄のあるここを使うに違いない。だがたどり着くや否や聞こえてきたのは絶望だった。
『父さん!助けて!リィルが!リィルが!』
右半身が天死となったリィルを携帯用の拘束銃で押さえつけながら必死でレイルはリィルを抑えていた。だがもうアレクスにはどうすることもできない、出血の量から意識が遠ざかっていく、そして自分の右足が金属化を始めている。だがそれでも一つの希望はあった。
『…レイル、お前は生き残れる…その力があるはずだ…だから……』
いまレイルが金属化していないという事は天聖の素質がある、いつ発現するかはわからないがとりあえず食うには困らないだろう。そんな事を考えていたらもう金属化で口も動かなくなっていた。アレクスは最後に残った自衛用リボルバーの銃口を見つめる。できることなら二人がどんな大人になってどんな人と結婚してどんな人生を歩むのかこの目で見たかったものだ。
教会の最上に飾られたチャペルすら見下ろすほどに高く、いずれ雲すら超えようかと続く螺旋階段を優雅にも口笛を吹きながら昇る。上から見るとあの気色の悪い天死も案外綺麗に見える物だと、雲間の陽をキラキラと反射する光を見下ろす。後悔は無いはず、世界を救う犠牲の為にこの街を創ったのだから。たとえ世紀の虐殺者と罵られようが託された以上成し遂げねばならぬ。だから正義の威を借りるだけの者は嫌いだ。
『驚いたよ。あの天死達を振り切ったんだ』
全身血だらけで二本足で立つことすら叶わない、ここまでは飛んでこれたそうだけどそんな状態で何ができるというのだ。己が信じる正義の為だけに負ける戦いに挑むのか?馬鹿馬鹿しい。
『生きていればもっといいこともあっただろうに、残念だよ』
無慈悲に釈銀の一閃が振るわれようとしたその時墓標は人が自立できない程の強烈な揺れに襲われた。互いに落っこちるようなものではないが切っ先を墓標に突き刺し姿勢を安定させながら下を覗く。不安と疲労にへたるアルムとは真逆にユーレンは不敵な笑みが滲んでいた。それもそうだ彼女のこの計画は100年越しに実現できたのだ。
『見ろ、始まったぞ』
そういわれアルム覗いた先では無数の天死達が墓標の周りに集まってきている、火に集まる羽虫のように。そして一人また一人と体を剣のような形に変え墓標に突き刺さる。
『セプテム、これは何をしているんだ』
無数に剣を突き立てられた事からか墓標はひび割れ始め、そして螺旋階段は崩れ始める。
『ハッ!祝えよ!新しいカミサマの誕生だ!』
瓦礫の雨の中聞こえたその不敬は砂埃と共に消えた。
サクリの人口およそ一千人、それらほとんどをレベル1の天聖剣へと変えこの忌まわしき墓標にくべる。セプテムはこの計画を思いついてこの小さな国を建ち上げた。生贄を自らの手で用意するそれは傲慢にも己が神になり代わったような、ならばこんな不敬も納得できるかと。今日の天気は曇りのち無数の天死、天聖剣にならなかった外装の一部が雨のように降り注ぐ。墓標の周りにはいられない、それはかのセプテムも同じようで墓標から少し先の教会前にてアルムはセプテムの姿を発見した。気づけば降り始めた雨がアルムの傷口から鮮血を洗い流す。
『そうだ!まだ君には見せていなかったな。初めてみるだろう?レベル11の大天聖だ!』
そう言って突き刺したセプテム、リケファラスそしてトレスの天聖剣、そこから計11枚の鏡板が放たれる。鏡板はセプテムを包み込みやがて炸裂する。
見るだけで眼球が痛むような赤紫の血線が全身に伸び、両肩にはリケファラスとダミナレプスのレリーフがそれぞれ嘆くような表情で飾られる。どのみち逃げてもこの天死の量じゃ生き残れないだろうし戦いを挑んだ事に悔いは無いが、いざこうして相まみえたその形相を拝んでからは足がどうも重たい。本能的に勝てない事がわかってしまっているのだろう、下唇を噛みしめて天聖剣を振るう。
少女が目覚めて最初に見た灰燼の空は異形の爵銀達が覆い尽くしていた。少女の落とされたはずの頭が戻っている。ダミナレプスの天聖剣は見当たらないが、この体は普通の体ではないのだ。サクリの勇者の墓標に封印という形で安置されていた遺体こそがこの体なのだろう。ユーレンもといセプテムは封印され使用不可となっていたダミナレプスの権能を目覚めさせるために、勇者の遺体に別の魂を入れる事で蘇生させて封印解除を目論んだのだろう。所詮はセプテムの手のひらで遊ばれていただけだったのだ、自分は悉く利用されただけ。勇者の墓標が崩れ落ちていくのが遠目に見える、アルムはまだ戦っているのだろうか。もう街の人はこれじゃ生き残ってなんていないだろうに、もう何も守るものなんてないのに。まだセプテムの計画には1つだけ変数がある、これを希望にするかは今自分が決めること。アルムの顔を見てからでも遅くはないはずだ。既に金属化している左腕を庇いながら少女は痛みを堪えて歩き出す。その向かう先には崩れ行く勇者の墓標。
無数に飛び交う天死のうちのいくつかの個体が勇者の墓標へ集まっていく。欠け落ちた外壁から次から次へと内部へ侵入していく、まるでここに還るように。やがて最後の天死が闇に溶けるのと同時に勇者の墓標はその殻を大胆に脱ぎ捨てる。あれがどうやら999体目だったらしい。見つめ続ける事もままならない程の純白の巨体。空を破いた蝶のように滴る羽根を薄紫色の4本の腕が持ち上げる。
アルムは勇者の墓標の中から現れた下品な女体に畏怖し続ける事しかできない。この生理的な感情は言葉では表せない。
『時に、なぜこの世界では勇者の墓標を所有する国とそうでない国で国力に差ができると考えた事はないかね?あの白いやつは【女神の偽身】と言い元々は神が現に受肉するための依代、勇者の墓標を持つ国同士が戦争をすればあれらが土地を踏み潰しながら殺し合いをする事になる。それを避ける為メサイアは勇者の墓標を所有する国を陰で援助する、ここサクリがこの程度の国土でもやってこれたのもそれのおかげだ、もっともサクリはあれを動かすために私が建国したのだがな』
『まるで未来を見てきたと言わんばかりだな、結果的に勇者の墓標を持たぬ国を虐げている事を非難するならこんな大虐殺をする事に大義なんてない』
『言ったはずだ、この国はこの計画のために私が100年前に建国したのだと。天秤にかけねばならぬのだよ、だから私は命の数で測ったのだ』
『他の方法はなかったのか?こんな数の人柱を用意しないと動かせない兵器に戦術的価値なんて…まさか勇者の遺体か?だから100年も』
『随分頭が回るんだな。本来勇者の遺体をバッテリーとして駆動させる本来である、だが00年という時間は封印された勇者の意思を摩耗させるには十分。他国の勇者の墓標に戦術的価値は無い。それ故ダミナレプスの上位権能を利用して各国の勇者の墓標を解放して回ればメサイアを陥落させるだけの戦力を手にできる』
『とんだ大虐殺者じゃないか、そこまでの犠牲を払ってまで今やらなくちゃいけない事なのか!?』
『待っていれば救いが訪れるとでも思うのか?未来を変える為には仕方がないのだ、未来を諦めろというのか?』
『未来を諦めているのはお前だセプテム、どうして人類の希望を信じてやれないんだ』
倒壊寸前の家屋に背を向けた時だった。楽観視していた訳では無いが油断はしていたのかダミナレプスの権能により石灰コンクリート製の剣が背後からコルウスの腰稼働部位を突き刺した。致命傷ではないがこの傷で勝てる相手ではない。
『希望なんて…未来にはなかったのだよ』
薄い青のメット越しではセプテムの表情なんてわからない、だがその声には確かな悲壮感があった。
そして強刃はアルムに振り下ろされようとしていたその時だった、セプテムの体は突き飛ばされておよそ10メートルほど転がった。何かがそこそこの速度でセプテムに激突したのだ。アルムが見たのはあの夜と同じ光景。
『助けにきたよ、アルム!』
どうしてユイが…生きているだけ嬉しいが、一体なんでだ?ダミナレプスの天聖剣は今やつの手にあるはず。いやそもそも天聖剣はユイのではないからユイが生きていても不思議ではないのか?だがセプテムがそのまま生かしておくとは考えられない、いや肉体はトレスだから勇者の加護で再生したのか。
『待て、戦う術なんてないだろ!?どうして戻ってきたんだ』
砂埃を巻き上げて立ち上がるセプテムは少しよろめいているように見えた。先程の不意打ちが効いているのか?
『そのとおりだとも、生き返ったならそのまま逃げればいいものを…もうこの国にはお前が守りたいものなんて残ってないだろう?主人公にでもなったつもりか?それともその男に惚れたのか?まぁいい、戦う力なんて持ってないだろ?』
左肩まで侵食した天死の金属を庇い眼前の勇者を睨みつける。こうしてる今も骨の髄から筋肉と皮膚を突き破って金属が飛び出てきている、そんな激痛を伴いながらも彼女はここまで歩いてきた。ユイの事だ犬死が気に食わないのだろうかだがふと目に入った彼女は笑っていた。絶望からくる諦めではない、初めてダミナレプスの誇りを目にしたあの日と全く同じよくわからない自身に溢れた笑顔。
手のひらに黄緑の粒子の風のような物が集まっていく、あれはまさか天聖剣…
『戦う理由は…ここにいる男がいないと私はこの世界じゃ生きていけないんだ。それとそうだな、あんたをぶん殴りにきた!!』
ー天聖ー ヴィントスヴルム!
銀色の機翼型スタビライザー展開し、背部大型スラスターユニットを光らせるその姿はダミナレプスの誉れとはかけ離れている。それこそユイ自身の意思から生まれた天聖である証なのだ。
拳を握りしめセプテムへ一気に距離を詰める。高速へと一瞬で到達する程の加速だったがスラスターユニットから発せられた一瞬の光を見落とさなかったセプテムは感覚的に刀を薙ぎ払う。だがありえない軌道を取られ躱され手痛い一撃をもらう。たしかにセプテムはヴィントスヴルムを捉えていたはずだったが直線的なブーストをしていたはずのヴィントスヴルムは戦闘機さながらのバレルロールを披露した。おそらくこれがヴィントスヴルムの権能、一瞬小さいながらも強烈な風域を局所的に発生させて軌道をずらしたのだ。そんな推測をしていた直後上空のヴィントスヴルムは両肩の機翼型スタビライザーを分離したスラスターユニットに装着する事で巡航形態に可変させて跨り急降下する。目で捉える事はできても決して回避が間に合うわけでもない故そのままセプテムは弾き飛ばされていく。それによって外装の一部が破損したもののセプテムは改めて勝利を確信していた。あの加速力は確かに凄まじいが武器は拳と自滅覚悟の体当たりだけ、どれも自分を仕留める事など不可能なのだ。
「なかなか強そうだけど所詮はレベル3…レベルの差も戦闘経験の差も私が上だ」
「それはちがうね、僕達はレベル7同士だ!」
そう口にしたヴィントスヴルム、ユイの手にはダミナレプスの天聖剣が握られていた。セプテムの装甲の一部、ダミナレプス由来の装甲がぽろぽろと崩れ落ちていく。あの激突の瞬間に奪われていたのか。
「希望は潰えない!大天聖!!」
ーダミナレプス・テンペストー
変形し最適化されたヴィントスヴルムの装甲を身にまとったダミナレプス。この天聖はセプテムの計画を破滅させる最期の変数、共に戦った2つの魂が重なり合った最高到達点のダミナレプス。
「ごめんねトレス…つらい思いさせたね……」
たとえ返事はなくともその冷たくなった鎧装もこうして戦う為の武器として貸してくれる、今はそれでいい。今は眼の前にいるこの殺戮者を粛清する。
増設された背部スラスターユニットを点火し上空に飛び上がる、セプテムもどういう原理かよくわからないが浮遊機構をもって追従する。だが当然ながらダミナレプスの加速には追いつけない、このままダミナレプスを放置すれば復活した女神の偽身を破壊されてしまう。それほどの出力くらいなら簡単に出せるにちがいない、先程までLV11を体感していたからこそわかる。ダミナレプスの直線的な軌跡はやがて高速で飛来したなにかに激突した。女神の偽身のコントロールは無いがセプテムは極々一部の権能を行使できる。これは女神の偽身を解放した者だけが一時的に得られる祝福である、セプテムの浮遊もこれに由来する。そして今しがた飛来したのも祝福されたセプテムによって操られたサクリの天死の一人であった。
黒い爆炎をセプテムは見つめている。天死の特攻でなにかしらの誘爆を引き起こしたがダミナレプスの姿が出てこない、天死に爆薬を積んでいたわけではないのだからこの誘爆はヴィントスヴルムのスラスターユニットだろうか…少なくともダメージは与えられているはず。だがこの瞬間黒煙は一瞬にして集約され片翼のダミナレプスが強撃を仕掛ける。誘爆したスタビライザーの破片で作った短剣はリーチが足りずセプテムには届かない、片翼を失ったことで姿勢制御に起きた乱れをセプテムは見逃さずに1mほど右にズレてから剣を振り下ろす。この位置取りこそが重要でダミナレプスは一瞬にして太陽を背負ったセプテムの挙動を見失った。
迎撃策でダミナレプスの左手にあった黒煙を収束させてつくった剣で防衛し、そのまま黒煙の剣は収束を解かれ突如現れた爆風にセプテムは吹き飛ばされる。吹き飛ばされたセプテムは招集した天死を蹴り飛ばすことで衝撃を殺し反転、同じく爆風によって姿勢制御の効かなくなり自由落下するダミナレプスに再びの強撃を仕掛ける。ヴィントスヴルムの機翼で作った短剣が先程のいざこざで落下するのを見ていた、黒煙の剣も使い果たしているこの瞬間ならダミナレプスは剣にできるものを持っていない。この攻撃は必ず通る確信がダミナレプスにはあった。切っ先を突き立て落下するダミナレプスに追いつく寸前まばゆい光が視界をジャックした。瞳が開く頃には左側に強烈な痛みが走った。ダミナレプスは隠し持っていた爵銀の剣で日の光を反射させてから反撃したのだ。最初の爆風からなにも堕ちていなかったのだから特攻した天死の残骸の行方を考えておくべきだった。ダミナレプスは特攻した天死を剣に収束させてヴィントスヴルムのパックに隠してた。そして爵銀の剣がセプテムに突き刺さっているという事は覆しようのない敗北を意味する。
ダミナレプスは人差し指を突き立てる
『ダミナレプス・リベラティオ…!!』
その声と共に剣の形に圧縮されていた天死の四肢がセプテムの肉体を突き破り霧散する。
女神の偽身 鎖骨の階段の踊り場、薄青色の左腕が独りでに這いつくばる。その腕が必死に握り締めていた短剣を器用に突き刺す。やがて女神の偽身はその短剣を受け入れるように包み込む。魂を肉体から外し移し替える事ができるのがセプテム・モルキュリオの権能である、彼女は体が四散する最中切り取った左腕に魂を移し低空を飛行していた天死に運ばせた。女神の偽身の上層につくまでに天死は何体も力尽きたがここまでくれば安全だ。女神の偽身を依代にしながら再びセプテム・モルキュリオは受肉する。再び彼女が目を見開いた景色はサクリを一望するほどの高度で無数の鳥達と同じ目線でいられる自由を全身で感じる事ができた。いくら自分が殺すためにつくったとはいえここでの生活は掛け替えのないものであったと言える。だとしても未来をなんとしても変えなくてはならない強迫観念でここまで来てしまった。もう戻れないのはわかっているがこんな景色を見てしまえばそうふけってしまうのも無理はないのだろう。もう進むしか無い、そう言い聞かせ女神の偽身は歩き出す。
ダミナレプスとはほぼ相打ち、致命傷を負わされたもののスラスターユニットを損傷したまま落下していればただでは済まない。だがやつは勇者の加護がある以上そのうち自然治癒して復帰してくるだろう、今のうちにここから離れなければ。妙な違和感が過る、風が逆さまに吹いている?風下へ振り向いたそこには眩い光源が視界をつんざいた。損傷したスラスターユニットを支えるようにイミュタティオ・コルウスが支え、ダミナレプスは虹色に光り輝く剣を構えている。ヴィントスヴルムの上位権能によって周囲に旋風が巻き起こりそれを剣の形に収束させようとしている。風という不定物質を剣の密度にできるというのか!?
『おのれダミナレプスウウ!!』
『ユイには触れさせない!逆巻けコルウス!』
ダミナレプスを目掛けた女神の偽身の拳を前に立ちふさがるコルウスはその権能を発動させて拳を打ち返した。
『なぜだ貴様の権能は生命体には使えないはずだコルウス』
『もう…お前は人間である事を捨てしまったんだ…いくぞ、ユイ』
ー虹彩の終剣 アーコス・グラディオー
女神の偽身の頭部は一瞬にして塵すら残さずに消し飛んだ。剣の密度まで圧縮された旋風がすべて解き放たれたのだ。少し距離があったとはいえダミナレプスも後方、サクリ上空に吹き飛ばされていた。虹彩の終剣の爆風でヴィントスヴルムのスラスターユニットどころかダミナレプスの装甲もろとも破損してしまった。体重に任せ成層圏から落ちるユイにはもう抵抗の余力すら残っていない、ただ段々と離れていく雲を力なく眺めていた。どこからか声が聞こえた気がした。だが高速で落下し続ける身には風切り音でかき消される。それでも聞こえた気がした、脳が本能的に声のような音を補完するかのようにそれは聞き覚えのある声に変わっていった。
『アルム?…ここだアルム!!』
抱きかかえるかのようにアルムがコルウスの翼を広げる。だがアルムも爆風でコルウスの装甲が破壊され一部生身が露出している上、コルウスの翼は多少浮力を得ることができるが事ここに至っては空気抵抗を僅かに獲得するに限る。それでもアルムは力強く抱擁する、勇者の加護があるにもかかわらず。こんな事でアルムを死なせたく無いと思いヴィントスヴルムの天聖を試みるもうまく行かず、ただいたずらに自傷を繰り返す。そんな中ユイは落ち行く景色の中にキラキラと輝く幾つもの虹彩を目にした。
『アルム目を開けて!下を見て!』
沈みかけの太陽光を反射し虹彩を発する無数の爵銀達が落ちるアルムとユイに手を差し伸べる。天死に変えられたサクリの住民は女神の偽身が機能停止した事によって指揮から外れ各々が終の期を待っていた。そんな彼らがなんの意思か落下する二人を助けようと集まっていく。空の景色を反射させる彼らが集まるその光景は、
まるで暁の空に、二人は堕ちていく
昨日のことはあまり覚えていない、だがしょうこは確かに助け出したはず、こちら側にいないとつじつまが合わないのだ。
『落ち着け…しょうこの元へ案内する、だけど』
アルムは目を合わせてはいてもバツが悪そうに下唇を噛みしめる。まだアルムと出会って間もないけどこの人のこの感情は読み取れる。あまりこの先の事は考えたくはないけれどそれは無責任だ。あのままねっぺしていた方が少なくとも暫くは幸せに生きる事ができたんじゃないか、ユイの脳裏を過った後の感想だった。
ここはこの国の植物研究所。食用、薬用或いは別に用いられる可能性のある植物を観測、改良を目的に一時的に保管する部屋、植物園をイメージするとわかりやすいだろう。この退廃し国同士が勇者の墓標を盾に冷たくにらみ合っている情勢では食用植物や薬用植物は国の未来に大きく影響を及ぼす可能性のある国家資産である、アルムは外国人でありながらそれに関与できるほどの信用と実力がある。
『アルムさんお疲れ様です』
そう声をかけてきたのはここの管理人をしている研究者で名はコンマン、この人も元々は教会の手引きで他国から預かった研究者でこの街では数少ない医者なんだとか。
アルムとここに訪れたのはここが最も[隠す]には適した場所だからだ。コンマンの案内で白色の見たことのない瓜のような実がなっている葉っぱのカーテンをめくった所およそ人間1人は入りそうな箱、いやこれは棺。
『日光ではないがあまり光はあてたくない、顔を見たらすぐに閉じてくれ』
震える手で棺の横についてる重いハンドルをゆっくり3週ほど回す、開けたそこにいたのはしょうこだったもの。
『まだ存命していますが、現状の設備ではここからの回復は絶望的です。』
まだこの棺の少女とユイの関係を知らないコンマンが説明してくれた。
血が滲みこじ開けられた瞼からは淡い黄色の茎が伸びている、天死化していない部位は軒並み植物の管を通すために穴をあけており、しょうこを知っているから判別がつくがはたから見れば金属と植物の塊。この後読んだ資料によるとこの植物は[フジミソウ]と言って寄生するように取り込んだ動物(主に哺乳類)にかろうじて存命できるだけの栄養素を与えると同時に脳内に快楽効果のある成分を与える。本来は捕らえた動物の腐敗部位に沸いた虫や肉食生物を捕食する食虫植物だそう。天死化した部分は腐敗化しない上餌を飢える事なく持続的に与えつづければフジミソウは無為に宿主を腐敗させない、それどころか存命させようと皮膚細胞を増幅していく。これを利用すれば天死化した皮膚をはぎ取り続ける事で理論上治療は可能とされている。だが問題はこの国にあるこのフジミソウはアルムの同僚が過去に持ち込んだもので保管できている個体数は非常に少ない。
今ある分だと治療に最低でも2年はかかるうえ、その前に快楽物質によりしょうこの脳は使い物にならなくなってしまう。
ゆっくりと棺の蓋を戻す。アルムは視線を合わせようとせず、ただただ自分が可笑しくなってしまった自分に軽蔑しながら述べる。
『君が、しょうこを殺してくれ』
まだ日の昇らぬ早朝、街の半分以上が海に囲まれているこの街では湿度が高く、これからの季節はいつも霧が街を覆う。千輪祭の為の飾りつけはされているが、本番は夜である事もあり、しかけを引き上げに行く漁師くらいしか出歩いていない、そんな中昨日飲んだくれていた者とは思えぬ面持ちでアレクスは支度をする。一番初めにフティーラを差し入れた時の甲冑ではなく、襟元にワンポイントで装飾の付いた黒い正装を身にまとっている。胸元に防弾用の鉄板が入っているとはいえガタイの良い体には少し似合わない。
『おはようございますアレクスさん、ユーレンさんは?』
『ユーレン司祭殿は昨夜の後始末に追われているらしいが、というか君はここにいていいのか?』
『な…昨晩なにかあったのか?』
『隠さなくてもいいさ、昨日暴れまわってた天聖を倒したのはあんたなんだろ?自慢じゃないが俺は階級がちょっと高いんだ』
『はぁ、全部知ってるんだな…一時的にでもサクリを離れたほうが安全だとアルムからの提案でな』
ダミナレプスの権能で自衛くらいはできるだろうし、サクリに潜伏している正体不明の敵もダミナレプスが国外に持ち出された事でまた動き出すのではないかとアルムは踏んでいる。
白い岩が特徴の海岸から反対側の石門を抜けると、昇りたての朝日が木漏れ日となって視界に差し込んでくる。一度この石門は通ったらしいがその時は車内だったので初めて見た。サクリにとっては重要な観光名所の一つらしいがそれを楽しむほどの余裕は今のユイには無い。
サクリの街から徒歩で小一時間ほどの距離で目的地にたどり着いた。情報ではもう既に何年も前から観測されていた小屋らしく、その事に対してアレクスは苦言を漏らしていた。気持ちはわかるが確かにこんなにサクリから近い距離に根城を構える必要があったのだろうか。
『ラタリス、U-MOボムの準備を、1分で制圧するぞ』
この世界の火器はある一定の湿度では使用ができない、U-MOボムは一時的に湿度を急上昇させて敵の火器を無力化する。注意事項としてはその性質上屋外では機能しない点と自分も火器が使えなくなるので特殊設計の銃火器を用意するか刃物で奇襲を試みるほかなくなる。ただ幸いこの任務のためアレクスとその部下ラタリスの持っているショットガンはU-MOボム適応中であっても1発なら放てるらしい。
ラタリスが潜入のカウントダウンを始めた、ここは人攫い、盗賊の根城にしては大きい。おそらく1階建てだが内部には何部屋かあるだろうしアレクスのみ正面入り口からの潜入、ユイとラタリスは側面の窓を突き破って潜入する。アレクスには天聖者である事は話してある、それゆえユイも戦力に組み込んでもらえたのだろう。 時間だ
『誰もいなかった、ここは放棄されたのか?』
ラタリスは少々不安げな顔をして続ける。潜入してから見かけた部屋はすべて確認したはずだが人影は無かった。また、物音もあまりしないのでアレクスもおそらく戦闘にはなっていないだろう。
『このまま進もう、いずれはアレクスさんとも合流できるだろうし』
そうして5分ほど捜索してるうちに見つけた薄暗い部屋、書斎のようにも見えるが洗濯物が1~2人分ほど目線の上に干されている。
『やはり、誰もいないようですラタリスさん』
『そうか、引き続き警戒を続けよう。…これは』
ラタリスは作業机に置いてある開きっぱなしの書物に目を付けた。軽く見たところカルテ?なんらかの資料のように見えるが放棄されたこの施設で開きっぱなしの書物なんて怪しすぎる。我々に読ませたいのか?それとも開いてる最中にここを離れなくては行けなくなったのか、いずれにしても一先ずは読むしかない。
『なんなんだ…この悪趣味なカルテは』
ラタリスとユイはその内容からページを進める手を止めてしまう。ただこの日誌で確実になった事はこの根城は人攫いなんて生易しい物じゃない事。それを確かめるようにユイは口を開く
『サクリに来る前、サクリ近郊で誰もいない小さな街のような所を見たんだ、そこには天死もいたんだ、これは偶然か?』
『偶然ではないだろう…まってユイさん、だれか来る…この歩幅は、おそらくアレクスさんだとおもうけど念のため構えて』
ラタリスは部屋の出口から目線を離す事なく小声でユイの前に立つ。音を立てないように構えた銀色のショットガンの弾倉を確認する。彼らの持つショットガンはこの世界の技術レベルにはややに似つかわない機械的な装甲と暗く青白い光がラタリスの添える手から漏れている。もしかすると天死の装甲を破壊する為に研究され、発展したのだろう。
『アレクスさん、良かった!ここの部…』
『動くな!』
アレクスはユイの言葉を遮り、切羽詰まった表情でショットガンの銃口をこちらに構える。まるでアレクスには私たちに見えていないものが見え、それに恐怖してるかのように。
『アレクスさん…なにを?』
『動くなと言っている!…』
狼狽えるユイの後ろから足音が聞こえる。ラタリスはユイの前にいる、聞こえるはずのない足音。
『抵抗しなければ撃たないでいただけますでしょうか?』
少し高く重い男性の声が静寂の中に響く、誰だ。
『抵抗しなければ撃たない、だが何者なのか目的は答えてもらおう』
『あぁ…ありがとうございます!撃たないでくれてありがとうございます!』
奥歯が覗くほど大胆不敵に嘲け嗤うその姿にその場にいた全員が凍り付いた。そしてアレクスは彼の異様な態度の理由に気づいた。血の気が引き異常な量の汗が頬を伝う。アレクスはこれまで沢山の戦場を経験した、サクリにくるまで元は西側の国で傭兵として天死も人間もたくさん殺した、天聖者への立ち回りも非天聖者ながら弁えている。そんなアレクスでさえ…だからこそコイツはヤバイ、間違えれば殺される。そして似合わぬ震え声でアレクスは口を開く。
『ユイ、一言もしゃべらずに聞くんだ、奴は天聖者だ!そして権能は…』
『あーあーいいよジブンで言うからさっ!』
アレクスの声を遮り、銀色の首下まである髪が漂うように眼前に映った。背丈180ありそうだがアレクスと比べるとどうしても華奢に見えてしまうその男の細く冷たい視線がほんの数秒ユイにおちる。
『口約束を守ってもらう、たったそれだけ。あっちの大きい男は[抵抗しなければ撃たない]事を了承した、だからジブンが戦闘の意思を見せるまでは引き金を引けない』
『つまり私とラタリスが来た時に[誰もいない]と言ったから一人誰かいたのもきづけなかった、という事か?』
『その通りだよ!…ああ、でも一人じゃないかもね』
床に滴り続ける水滴、薄暗い部屋の中でも鮮血とわかる。さっきまで天井から吊るされていた衣類だったモノから鮮血が床に滴り続けている。
『こいつらね、あんな事しておいてさ命だけは助けてくれ~なんて言ってきたんだぜ、ちょっと頭来ちゃうよね?』
『こいつらはまだ生きているのか?』
『命だけは助けてやるという約束だからね、多分死ぬことは無いんじゃないかな。ジブンもこの文言に対して使った事は無いからよくは知らないけどさ、ああそれとこいつらの後処理はあんた達でやってくれ』
『…それは構わないがこいつらが目的ではないのか?』
銃口を向けたままの姿勢から動けないアレクス緊張がやや解けてくたびれかけた声色をしている。本当にその姿勢から動けないのだろう。奴の権能の拘束力も強力だが、この状況で余裕を感じるアレスクはやはり相応の猛者なのだろう。
『ジブンはそこにいるダミナレプスの依り代を勧誘しにサクリに向かってただけさ!こいつらはただの次いでだよ』
『お前、ここで何体の天死を倒した?』
『54体…その顔、もしかしてこの村の住民と同じだったりする?』
村?ここに来るまでの道中にそのようなものは無かった。ユイは話が少し見えない、いや認めたくなくて見ないようにしていた。でも状況証拠だけで十分。本当にどうしようもない。
『お前が弔ったんだ、何も知らずに過ごしていた我々の代わりに。礼を言う』
『いいさ、最後にダミナレプスの少女と二人だけで会話させてくれないか?席を外す必要はない、ただ了承すれば二人だけで会話ができる』
アレクスとびびって一言も話せなくなっているラタリスは首を縦に振って5分ほどこの男と会話した。協力してほしいという単なる勧誘を断っただけの話。
先ほどの施設の向こう側、サクリから海に沿いながら南東に進んだ先、30mを超える針葉樹に見える木々が高密度で生い茂っているが採掘具のように歪に連なった葉先は鋭利で固い。葉を払いのけたラタリスは切り傷を負ってしまい苦い顔をしている。木々の合間に石灰で外壁を塗り固められた灰白色からアイボリーホワイトの建築物が視界に入る。ここはかつてルアナという小規模の都市があった。
大昔悪魔と光の天使が戦った過去の大戦まではサクリよりも大きい大都市があったそう。戦争による被害はかなり軽傷で済んだが人口が大きく減少し、今の規模まで縮小したという。天死は海を渡っては来れない、飛行能力を有する翼を携えてはいるけれどもそれでも、鉄に近い物質の本体重量が問題でぞの実自由落下ができるにとどまっている。一説では生まれたばかりの天使は表面しか金属化していないので飛翔できるという話もある。それ故海に隣接し天死の侵入ルートを絞る事で豊な国政が実現できていたとのことだ。
もちろんどれも道中にラタリスから聞いた事だ。そしてこのまま誰もいないルアナを突き抜け、居住区を出ればその大戦前に使われていたであろう建築物の残骸を見ることができるらしい、今回はそこまで行くつもりは無い。
『結局さっきの男との会話の内容は教えられないのか?』
アレクスからの問いかけに鈍い返事だけを返す。正直そこまで大した内容では無いと思うが、口外を禁じたあたり何かしら裏の目的はあるのだろう。この約束を違える事ができず鈍く、口ごもる事しかできない。
『やっぱりだめだ、話そうとすると口が開かなくなって呼吸が途端にしずらくなる。多分これ続けてたら死ぬな』
『俺とラタリスは依頼元である教会に報告しに行くが君はこれからどうする?一緒に来るか?』
60秒ほど無言で歩く、まだ確証がないし戻ればすぐに確かめられる。それからでも遅くは無いだろう。
『宿屋に戻るつもり、アルムにも今日の事を話しておきたいし』
『アルムさんの知り合いだったりするのか?』
ラタリスが割りこんで話すがユイの口元はまた半開きになり口ごもってしまった。どうやら是非に関わらず奴の権能の影響をうけるそうだ。そして何かに不敵な笑みを浮かべたラタリスは喜々として続ける。
『さっきの男の好きな食べ物は?好きな女のタイプとか言ってたか?』
『ぐっ…ラタリス、今ここで勇者の権能をお前に見せてやる』
酷くえづいてから崩れた住居の外壁を刀身20cmほどの短剣に収束させる、天聖してなければ所詮この程度だが十分だろう。
『アレクスさん止めてくれるなよ、こいつは今仕留めといた方がよさそうだ』
アレクスは太い腕を組み。笑顔でこちらを眺めている。因果応報だと言わんばかりだ、個人的な恨みでもあるのであろうか。曇りのないとても綺麗な笑顔をしている。
『待ってくれほんのできごごろだったんだ!そんなものこっちに向けないでくれ!それ解き放ったらほんとに死んじまう!』
『命乞いは済んだようだなあ!くらえ必殺の!カラミティストオオ…』
ユイの掛け声とともに大きな爆発音が耳をつんざいた。この場にいた誰しもが状況を理解できていない。爆発音とは真逆の静寂はアレクスが破った。
『まずい、明らかにサクリから音がしたぞ』
爆発音からおよそ2時間後。アレクスとラタリスは状況確認も兼ねて教会へむかった、ユイはしょうこが療養している研究所付属の植物園へ来ていた。
『ユイさんよかった、どこにも見当たらないからとても心配で』
結局街に戻っては見たものの勇者の墓標の根本が爆心地という他まだなにも情報がない。幸いこの研究所はなんの被害もなさそうだがここ唯一の研究員であるコンマンはかなり焦っていた。聞いたところによると教会からの指示だと言い、アルムが爆破事件の容疑者として拘束されたらしい。爆発による死者はおらず直接的なけが人も軽傷で数えるほどしかいないらしいが街の数少ない医者としてコンマンは爆破現場に向かいたかった。だがアルムが居ない今ここにしょうこを残して立ち去るわけにもいかず手をこまねいていた。
『なぜアルムが容疑者なんだ?もともと彼は教会が指名して派遣されたと聞いたが』
『アルム監査官がフォルリィの端末を墓標に繋いでたからだと思います。この国の人からしたら明らかに異端の技術ですので』
理解できない、たったそれだけの理由と聞こえるが疑心暗鬼になった人間からしてみたら当たり前の事だ。知らない技術を受けいれる行為にはそれだけリスクがある。だからこそこの植物研究所は厳重に隔離され、手厚い支援を教会から受けている。
まて、アルムと共に入国した私はどうなんだ?アルムが容疑者にされている以上私も最低重要参考人あたりで拘束されるのが本来でははないか。だがサクリに戻る時憲兵隊からは何も言われなかった、アレクスがいたからなのか?それにしても妙だ。そうなるとアルムの拘束が目的か?もしそうならやはり。
『コンマンさん、あんたがリケファラスか?』
『何を…言ってるんですか?』
『天聖者は四肢を切断されても天聖することでもとに戻るらしい、違ったら大変申し訳ないがあきらめてくれ…天聖!!』
1度目の天聖はユイじゃない、別の意識が戦い方を教えるように動かしてくれた。だが今回はきちんと自分で動かせる自信があった。もうダミナレプスの権能も使えるし目の前のマッドサイエンティストもひと思いにやれるだろう。
『この女ぁ!光れ!コモドア・アンゲルス!!』
その掛け声とともにコンマンの左胸の中心から銀色に反射する鉄の外骨格が左手を纏い、目視1m近くの大きさの豪鉄腕となりダミナレプスが床の大理石から作った短剣を弾き飛ばした。それと同時にダミナレプスは再び床から二本短剣を柄の向きから生やして、それを使ってユイは後ろに下がった。
『ダミナレプス、おまえ正気か?おれがそっち側じゃなかったらどうするつもりだったんだ』
『さあね、人一人の犠牲は出てたかもね。そんなことよりそれはなんだ?天死なのか?』
コンマンの顔の上半分鼻から上と上半身を天死のような外骨格で覆い、背面には天死の物となんら遜色のない翼が二枚備わっている。まるでこのまま天死化が進んだしょうこが慣れ果てた姿のようにも見えた。
『リアナの人間を天死に変えたのはお前だな、コンマン』
『リアナを見てきてよく無事に帰れましたね、あそこには100人近い天死がいたはずですが、まさかお一人で全員殺したのですか?』
殺した…か天死は人が死んだ後に未練や存命への渇望、それらが呪いとなり空っぽの肉体を金属化させる。天死は人ではない、それはこの世界では常識だ。こいつはリアナの市民に毒を盛ってから診察という形で実験を続けた、やがて十分な成果を得られた彼…教会は口封じとしてリアナの人間を天死に変えた。だが何故リアナの天死はサクリに来なかったんだ、或いはサクリに来る可能性があるのに何故教会は天死をそのままにした?あの口約束の男はほんの気まぐれで現れた、おそらく奴と教会は無関係だろう。リアナに天死が大量発生している事実をサクリに広める事が目的の派遣だったのか。まあいい、一旦目の前にいる奴をぶん殴れば少しは何かわかるだろう。
『お前が投降して懺悔もしてリケファラスの正体まで話してくるというのなら、命は見逃してやろう』
ユイは勇者の権能が使えると言えど初めて天聖したのはほんの数日前の話。背後にリケファラスがいるというのならこの事実もコンマンは知っている、そしてそれは天死の力をようやく手にしたコンマンのプライドを逆なでするには十分だった。
『舐めた口を…』
そう呟いて半天死化したコンマンは前進する。およそ10歩ほどの至近距離、ほんの一瞬で決着する距離にいる。こと天聖者同士の戦いでは初っ端から白兵戦になる事は少ない、なぜなら互いに相手の権能の適応範囲や発動条件を探る時間が生まれる。ただ今回の戦いにおいてコンマンは天聖者ではない、そしてコンマンはダミナレプスの権能をリケファラスから聞いている。だがそれが誤算だった。静かに佇むダミナレプスまであと3歩ほど、2秒もたたずに接触するその距離で決着した。天死の外骨格を持つ両腕は床に落ちる、鈍い金属音を立てて。リケファラスからの報告には無かったのだ、先日のトレスは見せなかった使い方。ダミナレプスが作れる剣は何も1本だけでは無い、そして触れてさえいれば射程範囲は2m
前後、その間合いに足を踏み入れたコンマンはダミナレプスが作り出した4本の剣によって串刺しにされた。
『勝てると思ったのか?戦いの経験もない上に紛い者のお前が?このトレス・ダミナレプスに?』
大量の血反吐を吐き散らかす、粘度が高い血液をえずきながら漏らすように。だがこの大悪党にはまだまだ物足りない、もっと苦しんでもらわなくてはならない。落ちた半天死の腕を拾い上げダミナレプスの権能を使用する。天死の金属装甲はあくまで外骨格なので剣の形となった腕から鮮血が嘆くように噴き出た。汚らわしいそれに見向きもせずダミナレプスは左手でコンマンの髪の毛を掴み、赤く染まりかかる銀の剣を逆手に持ち直しコンマンのこめかみに突き立てた。半天死の外骨格がある位置だがこめかみの装甲は簡単にひび割れた。
『リケファラスは誰だ?応えなければ殺す』
だがコンマンは沈黙を続ける、そうまでして忠誠を誓える相手なのか?倫理観の無い奴の考えはわからない。
『あの枢機卿がリケファラスか?アルムを拘束してどうするつもりだ?』
『あなたは天国を信じますか?』
生存を諦めたのかのようにコンマンは口を開いた、どうやら意思の疎通は難しいらしい。
『あぁ…僕も天国を見たかったな…』
こめかみに突き立てていた剣は刀身の先をコンマンの頭の中に埋めていた、だがまだ息はある。あえて殺していない、情報を聞き出すためじゃない、こいつにはなるべく惨く死んでもらいたいと考えたからだ。突き刺した剣を90°縦に回してから手前に柄を引く、丁寧にレバーを引くようにゆっくりと。大悪党と言えど同じ人間、引き裂いた頭蓋から鮮血と脳細胞が零れ落ちていく。汚らわしい汚らわしいと感じる反面ユイの口元は緩んでいた。耳鳴りのようなうめき声はいつしか途絶えていた。
しょうこが居ない。
コンマンに疑いの目を向けた時点で予想はできていた事だが。自ら脱走したか或いは教会の人間がアルムと同時に連れ去さったか。この教会に来るのは2度目だが先日来た時とは街も教会内も雰囲気が変わっている。街は千輪祭の催しはそのままだが何故かリアナが天死の大量発生で陥落したという報が出回り、勇者の墓標の周りに乱立された対天死シェルターに人が流れている。意外にも混乱した様子ではなく教会の人間や憲兵隊の誘導でスムーズに避難が進んでいる。
逃げる人々とは逆方向、サクリ教会に向かって歩き続ける。正面から突入するのは教会を敵だと認識するなら悪手だろうか、だが今の状況のしょうこから目を離すほうがまずい。
教会は人影がなく、外の喧騒とは乖離した静寂の世界。高そうな長椅子は整列を崩され無造作に荒らされている。リアナ陥落の報やコンマンの事を考えると教会が黒幕と考えて間違いはないはずだが、アルムがサクリ教会に収容されているというのは安直だったのか。
ユイは考えを巡らせながら誰もいないサクリ教会の大広間を隅の方から歩く。だが何も手がかりが見当たらないま十数分、大広間は長椅子以外に大きな遮蔽物が無いので声がよく通る。ラタリス声だった。
声のする方は大広間の左奥、床のパネルがせりあがって少し煤で汚れたラタリスが顔を見せた。
『ユイさん、教会に来ると思っていました、急いで!』
火でついてるランタンが我々を誘導するように等間隔で両壁に並んでいる。このランタンはろうそくなのでラタリスの煤汚れは多分別の何かだろう。
『どうしてここに来るってわかった?』
『アルム監査官を探しに来たんですよね?アレクス隊長に言われて迎えに来ました。でも何かありました?』
『…教会の人間に襲撃された』
左片手で頭を抱え、後ろからでもかなり苦い顔しているのがわかる。それもそのはず今まで所属していた組織に対する不信感、そもそもここサクリは国政を教会が取り仕切っている。リアナ陥落といい教会は明らかに避難の退路を塞いでいる。あまり考えたくはない事だがシェルターもそれが目的で建築された物なのではないだろうか。そして今歩いている地下通路もその避難用として設置された物なんだろう。
地下通路を5分ほど歩いた先アレクスがとても神妙な表情で話している相手はユーレン司祭、教会の人間だ。
『やあ!ユイちゃん2日ぶりだね!覚えているかね?』
金色の装飾をあしらった真っ白修道服から覗く月白色の髪がランタンの灯りを透かして煌めいて見えた。その妖艶な姿と地上の混乱とは裏腹に軽い挨拶を差し向ける、そんな彼女にユイは少しばかりの安堵と不安を顔ににじませる。そして
『あぁ…ユーレン司祭様、あなたはなぜここに?』
『なぜって私がここに君たちを呼んだんだ、それに君のお友達は私が匿っているんだよ!あんな陰湿眼鏡のところにはおいておけない』
それは…コンマンの事を言っているのか?その問を聞いてユーレンは数秒間視線を逸らしてからユイに視線を合わせる。
『その返り血は……そうなのだな?』
足元についた赤茶色のしみを見て何かを察したようにユーレンは歩きだした。いくら信用できないといってもここまで同じ教会に仕えていたいわば同僚、言葉の無い別れに思うところはあるのだろう。生きていた人間が死ぬというのはそういう事だ、当然のように行われた営みは過去の物となってしまう。だからこそコンマンを許す事はできないしユーレンもそう割り切ったのだろう。
『この先の一室にアルム監査官とエルビス枢機卿が密会してるそうなんだけど、どうする?』
ランタン一つで照らされたやや薄暗い一室、二人の青年は紅茶をすすりながら優雅に談笑をする。つい先日殺し合いをしたばかりだと知っていても尚。
『アルム監査官殿、サクリ自慢のイングリッドティーはどうかね?』
『以前イティルニテスで口にしたものより酸味がしつこくない、とても飲みやすいな』
敵だとわかっていて尚疑う事なく紅茶を啜る。ここはエルビスが拘束したアルムに尋問する為に設けた時間だったはずだが。エルビスから強硬の意思は感じられない、おそらくアルムとも志を共にできるという判断の元なのだろう。それをアルムも感じ取ってここで優雅にお茶をたしなんでいる。アルムからしてみても聞くだけの興味はあるのだろう。
『それで、俺をここに連れてきたのは?何に協力してほしいんだ?』
『はぁ…まだ試飲してもらいたい紅茶があと3種類はあるというのに』
ため息をついて茶葉の入った7cmほどのカプセルをテーブルで転がす、異国を渡り歩くアルムに試飲してほしかったというのはどうやら本当の事だったようだ。
『我々は近々、メサイア本拠地に侵攻する計画を立てている。メサイアの5人の執行官たる君にはその道先案内人を頼みたい』
『道先案内人だと?どれだけの兵力を用意できる?』
『それは言えない、この交渉が決裂した際その情報は我々を不利にする。』
当然だなと呟くアルムは当たり前のようにエルビスを試す。だが兵力もわからない組織のために裏切るにはリスクがあまりにも大きすぎるのがメサイアという組織だ。メサイアは勇者の墓標の建つ国の兵力を均衡に調律する事で世界秩序を保っている。現にメサイアが調律をはじめてからの70年大きな戦争は無い。大きくなる前に小さな紛争をメサイアの執行部隊が鎮圧しているのもあるが、武力による鎮圧の為反抗組織を生みやすい。だが大きくなる前にその反抗組織はすかさず叩いてきた。
『我々には賢者の後ろ盾がある、といったら?』
『賢者だと?それは三賢者の事か?だれだ?』
‐観測者‐そう彼は口にした。その名前はアルムを揺さぶるには十分だった。アルムもかつて同じ勧誘を受けた事がある。かつてアルムと共に前線で戦った人間だ。彼は[戦いに置いて無能]と揶揄される権能だったがその権能を使い戦場で多くの天聖者を亡き者にした。だが彼はすぐにメサイアから脱退した。その後彼は反メサイア組織に属して我々と交戦し消息をたった。アルムにとってその彼は人生で一番の親友であり殺すべき宿敵である、だがもし彼と同じ道を歩む覚悟が自分にあったらと何度考えた事か。小さな反抗組織を潰す度に何度も考えた、メサイアの調律は勇者の墓標を所有する国の兵力を管理する物であるが故勇者の墓標を持たない小さな国々は持つ国によって支配されるか国力の乏しい国同士で戦争をするしかない。またメサイアの管理から外れる事を望む勇者の墓標を所有する国が秘密裏に武器や天聖者を密輸、派遣して代理戦争を仕掛ける事もあった。戦争をしたくなくとも世界情勢がそれを良しとしない事があるのだから戦いたくない、ただ平和に暮らしたいだけの人間が巻き込まれて死ぬ事もあった、反抗の芽として首謀者の親族を皆殺しにした事もある。
『君たちはどうやって観測者と接触できたんだ?』
メサイアによる世界調律が始まって以来世界を統べる三賢者は表舞台から消えたという、一部ではメサイアの総統こそが三賢者の一人ではないかという話もある。アルムも部隊長で監査官ではあるが相当と直接相対したことは無い。まさか観測者は別の賢者の席を狙っているのか?可能性の一つに考えておく。
『アルム殿、なにか音がしないか?』
ほんの1回の瞬き、目の前で揺れる茶の水面を眺めるエルビス枢機卿の真後ろ右手に砕いた石壁で作り出した剣を振りかぶった青銀の天聖ダミナレプス、殺意で石の剣の振り下ろした。
『どういうつもりだ…アルム…』
竜頭の骸で造られた長槍で振り下ろされた石の剣を食い止めていた。脆くそれでいて首を断ち切るには十分な石剣の刃、それを食い込みひびわる竜槍の切っ先は青白い光を纏い石剣の切っ先を床に叩き落とす。
『ユーレン司祭、そこにいるのはわかっている君の差し金だね』
ダミナレプスが権能を使い、剣として切り取って作り上げた進入路にエルビス枢機卿の声が反響する。そしてそこからばれてしまいバツの悪そうに月白色の髪を揺らす女性が現れる。
『コンマンは死んだそうだ、もうやめにしないか?今ならまだ戻れるだろ!』
『どこに戻るというのだ!今日という日の為に我々はこの国を作り上げた、破滅の未来から、この星を救うためにだ!』
破滅の未来。そう口にした彼の免罪符には少しばかり不穏な興味を惹かれる。だが今目のまえに立ちはだかる黒翼の槍使いをどうにかしなければ、そんな風に思考を巡らすユイを尻目にしながら竜槍の切っ先を降ろし口を開く。
『悪く思うな、ここでこの男に死なれては困るのでな』
『今度は勝てそうか?』
アルムの思惑を理解したユイは杞憂だった事を知るなり嘲笑するように笑みを浮かべた。そして少しユイを振り向くアルムはニヒルに笑う。
二人の青年は対立する、互いに分かり合える事を頭ではわかっていても。天聖剣の切っ先を互いに構え一つ呼吸し息を整える。
『『天聖!!』』
-イミタティオ・コルウス- -フェレスト・リケファラス-
『エルビス枢機卿、申し訳ないがお前の開示した情報は信用には足りなさすぎる』
『よかろう、だが君は私に一度敗退してるはずだが?』
『問題ない、続きはベッドで聞かせてもらう!』
聖堂に続くサクリの中央に開かれた大通り。一番人通りの多いこの通りは一か月ごとにいろんなお店が教会の援助で出店を開く、だがリアナ陥落の報を受け人影は一切ない。そんな通りを数分進んだところの白い屋根の小屋、コンマンが動く前から既に目をつけていたユーレンの配下がアルム拘束時に連れ去りここに匿っている。本来死した者がその亡骸に遺した感情が亡骸を金属化させる、これはかの惡魔新皇が作り出したルールであり生者が天死となった前例は存在していない。アルムはなんで天死化を食い止める方法を知っているんだ?しょうこの前例が無いなら天死化を食い止める意味なんてないはずだ。メサイアが隠蔽しているだけで前例はあるのか?だがそんな思考も目に映る情景ですべてかき消された。
私の知っている、白銀から解き放たれたそのまなざし。『まってたよ、ユイ』
ぎゅっと抱き寄せるその体はかつての生暖かさを感じさせる。
それは金属化した天死とは程遠い。
『もう戻れないと思ってた、ありがとうユイ』
暖かさを互いに握りしめ小屋の外に出る。曇り空にきまぐれでできた割れ目から零れる光線が瞬間の虹色を見せてから視界を眩ませた。
しょうこ虹が見えるよ、見て。そう言いかけた。突如襲ってきた耳鳴りが酷く不快にさせる。視界は何かに覆われて何も見えない。右側から一人分の重さがのしかかり嫌な推測は意思と反発し加速する。けれども指先から腕を伝って肘から滴るドロッとした不快な生暖かさ、ゆっくりと紅く染まった視界を開く。
『発砲したのは君の部隊か?』
ユーレン司祭は白い軍服の騎士を咎めようと呼びかけた。だがこの騎士を咎めるには後回しでいい、先にトレスのほうが心配になり護衛部隊事ここから離れるように命令した。ユーレンは知っていた、2日ほど前の夜のトレス・ダミナレプスを。ユイの精神状況によっては二次被害が起こりえる、あれに敵視されてはならぬ。
『ユイ…大丈夫…か?』
瞬きもせず空を眺めているユイに恐る恐る声をかける、もしかして着弾音で耳がやられたのか?そんな考察を巡らす後ユイが口を開く。
『ユーレン、こいつはまだ助かるか?』
頭部が完全に消滅したしょうこを抱えてする発言としては現実逃避に聞こえる。一瞬よりは少し長い時間が過ぎた。
『もう助か…らない、死んでいる…』
『ユーレン、お前にならまだ助けられるか?』
『……できない、死者蘇生と言えば聞こえはいいが肉体に別の死した魂を入れる事しかできない。もうしょうこの魂はどこかに行ってしまった』
一分かけユイは両目で眼を擦り視界を戻す、そしてしょうこの死体で死角にした天聖剣を振りかぶる。
『だったらお前はここでぶっ殺す!天聖!!』
『まったく、勝手な行動をとるやつがいるといつもこうなる、天聖』
二つの眩い光の中から現れたのはかつてこの星で人類を護るために戦った勇者、その内の二人が殺し合いの為対峙する。
-セプテム・モルキュリオ-
光の勇者序列7位 流氷への誘い人
寒水から見上げる景色のような薄い青に赤紫色の血管のような模様、なにより顔が無く視線のわからないことから来る読めない殺意が背筋を冷たくなぞる。金属音と奥歯を鳴らしてダミナレプスは踏み込む、目の前の屑をぶっ殺したくて。だが天聖者同士の対決は権能の使用範囲で行う読みあい、この使用範囲とは射程距離ではなく権能が及ぼす適用範囲の事。権能を読んだ上でない無策の突撃は死を招く、こんな風に。
ユイの視界が逆さまに反転する。モルキュリオの手元から日本刀の柄のような物は見えた、だが距離は10メートル以上あった。斬撃は躱せる時間はあったはず、理解できずにダミナレプスの頭部は落下する。およそ3メートル近くはありそうな長刀、だがその間合いではなかったはず。決着した。長刀を肩に担ぎ赤紫色を光らせる勇者はダミナレプスの首の前で腰を下ろした。
『それで、なんでわかったんだ?できるだけ隠していたつもりだったけど、』
だが首から下を分断されたユイは声を出せない、いくら朽ちぬ肉体を持っていようとそれは変わらない。構造の問題だから。まあいいさと一言溢してダミナレプスの天聖剣に手を伸ばす。
地上へと隔別され、音の逃げ場のないこの空間では絶え間なく金属音続いていた。だがそれもやがて消えゆく、叛逆したコルウスの竜槍がリケファラスの心臓を穿つ事で。最後の音は天聖者の外装を貫いた事による炸裂音がまるで断末魔のように響いた。リケファラスもといエルビス枢機卿は零れ落ちる自らの腸を見下ろし敗北を悟る。勝負がついてからはリケファラスの仮面の崩れたエルビス枢機卿の眼差しは安らかに嗤う、まるで長年の使命から解放されたように。案外これは間違いではなかった。
何も誰もいなかった背後から突然の足音、静かに二人を俯瞰していたアレクスですら立った今までその存在に気づかず声も上げられずに立ち尽くす。リケファラスもといエルビス枢機卿のはこの存在を目視した事による表情であったか、まるで銃口を喉元に突き付けられるようなプレッシャーが体の主導権を返してくれない。あきらかに格上だ。
『セプ…テム様、どうか連れて行ってください…』
一歩ずつ確実な歩幅でかの伝説の勇者の一人が愛すべき信徒に歩み寄る。下から撫でるように刺し伸ばした左手でエルビスの右頬を撫で、そのまま指先をリケファラスの天聖剣へと絡ませる。
『さようなら、私の最期の信徒よ』
悲しく擦れた声の労いは天聖剣の抜かれる金属音に溶けていった。
ユーレンが教会地下にてリケファラス、ダミナレプスの天聖剣を持って最上位レベル11の権能を起動した、天聖剣はその持ち主の人格そのものが模られた物、それを複数利用するのは人格の混濁を起こしたり権能に耐え切れず肉体がオーバーフローする。要するに理論上はできるがリスクが勝るので誰もやらないのだ。だがトレス・ダミナレプスの人格は長い封印期間とユイとの天聖によって摩耗し、リケファラスのエルビスは死に絶えた。そして勇者の肉体は不死の加護がありそれをユーレンもといセプテムは有している。さらに天聖した際のレベルに比例して権能の質も向上する、勇者達の権能が常軌を逸しているのもここに由来する。ダミナレプスの権能は無機物を剣の形に模る或いは収束させる事ができる、これが強力になった事で得られるその権能は有機物も対象に取れること。上位レベルに到達したダミナレプスの権能は人間の心すら剣に変えられる。だが不完全な天聖をすれば肉体は耐え切れずオーバーフローつまり金属化する。
左肩から先を失い朦朧とした意識の中、眼を擦りながら歩き続ける。男は命尽きる前に確認したいのだ、自分の子供たちの無事を。
アレクスの家宅の地下には簡易シェルターが備わっている、これは本来武器のメンテナンス用の作業スペースだがレイルなら備蓄のあるここを使うに違いない。だがたどり着くや否や聞こえてきたのは絶望だった。
『父さん!助けて!リィルが!リィルが!』
右半身が天死となったリィルを携帯用の拘束銃で押さえつけながら必死でレイルはリィルを抑えていた。だがもうアレクスにはどうすることもできない、出血の量から意識が遠ざかっていく、そして自分の右足が金属化を始めている。だがそれでも一つの希望はあった。
『…レイル、お前は生き残れる…その力があるはずだ…だから……』
いまレイルが金属化していないという事は天聖の素質がある、いつ発現するかはわからないがとりあえず食うには困らないだろう。そんな事を考えていたらもう金属化で口も動かなくなっていた。アレクスは最後に残った自衛用リボルバーの銃口を見つめる。できることなら二人がどんな大人になってどんな人と結婚してどんな人生を歩むのかこの目で見たかったものだ。
教会の最上に飾られたチャペルすら見下ろすほどに高く、いずれ雲すら超えようかと続く螺旋階段を優雅にも口笛を吹きながら昇る。上から見るとあの気色の悪い天死も案外綺麗に見える物だと、雲間の陽をキラキラと反射する光を見下ろす。後悔は無いはず、世界を救う犠牲の為にこの街を創ったのだから。たとえ世紀の虐殺者と罵られようが託された以上成し遂げねばならぬ。だから正義の威を借りるだけの者は嫌いだ。
『驚いたよ。あの天死達を振り切ったんだ』
全身血だらけで二本足で立つことすら叶わない、ここまでは飛んでこれたそうだけどそんな状態で何ができるというのだ。己が信じる正義の為だけに負ける戦いに挑むのか?馬鹿馬鹿しい。
『生きていればもっといいこともあっただろうに、残念だよ』
無慈悲に釈銀の一閃が振るわれようとしたその時墓標は人が自立できない程の強烈な揺れに襲われた。互いに落っこちるようなものではないが切っ先を墓標に突き刺し姿勢を安定させながら下を覗く。不安と疲労にへたるアルムとは真逆にユーレンは不敵な笑みが滲んでいた。それもそうだ彼女のこの計画は100年越しに実現できたのだ。
『見ろ、始まったぞ』
そういわれアルム覗いた先では無数の天死達が墓標の周りに集まってきている、火に集まる羽虫のように。そして一人また一人と体を剣のような形に変え墓標に突き刺さる。
『セプテム、これは何をしているんだ』
無数に剣を突き立てられた事からか墓標はひび割れ始め、そして螺旋階段は崩れ始める。
『ハッ!祝えよ!新しいカミサマの誕生だ!』
瓦礫の雨の中聞こえたその不敬は砂埃と共に消えた。
サクリの人口およそ一千人、それらほとんどをレベル1の天聖剣へと変えこの忌まわしき墓標にくべる。セプテムはこの計画を思いついてこの小さな国を建ち上げた。生贄を自らの手で用意するそれは傲慢にも己が神になり代わったような、ならばこんな不敬も納得できるかと。今日の天気は曇りのち無数の天死、天聖剣にならなかった外装の一部が雨のように降り注ぐ。墓標の周りにはいられない、それはかのセプテムも同じようで墓標から少し先の教会前にてアルムはセプテムの姿を発見した。気づけば降り始めた雨がアルムの傷口から鮮血を洗い流す。
『そうだ!まだ君には見せていなかったな。初めてみるだろう?レベル11の大天聖だ!』
そう言って突き刺したセプテム、リケファラスそしてトレスの天聖剣、そこから計11枚の鏡板が放たれる。鏡板はセプテムを包み込みやがて炸裂する。
見るだけで眼球が痛むような赤紫の血線が全身に伸び、両肩にはリケファラスとダミナレプスのレリーフがそれぞれ嘆くような表情で飾られる。どのみち逃げてもこの天死の量じゃ生き残れないだろうし戦いを挑んだ事に悔いは無いが、いざこうして相まみえたその形相を拝んでからは足がどうも重たい。本能的に勝てない事がわかってしまっているのだろう、下唇を噛みしめて天聖剣を振るう。
少女が目覚めて最初に見た灰燼の空は異形の爵銀達が覆い尽くしていた。少女の落とされたはずの頭が戻っている。ダミナレプスの天聖剣は見当たらないが、この体は普通の体ではないのだ。サクリの勇者の墓標に封印という形で安置されていた遺体こそがこの体なのだろう。ユーレンもといセプテムは封印され使用不可となっていたダミナレプスの権能を目覚めさせるために、勇者の遺体に別の魂を入れる事で蘇生させて封印解除を目論んだのだろう。所詮はセプテムの手のひらで遊ばれていただけだったのだ、自分は悉く利用されただけ。勇者の墓標が崩れ落ちていくのが遠目に見える、アルムはまだ戦っているのだろうか。もう街の人はこれじゃ生き残ってなんていないだろうに、もう何も守るものなんてないのに。まだセプテムの計画には1つだけ変数がある、これを希望にするかは今自分が決めること。アルムの顔を見てからでも遅くはないはずだ。既に金属化している左腕を庇いながら少女は痛みを堪えて歩き出す。その向かう先には崩れ行く勇者の墓標。
無数に飛び交う天死のうちのいくつかの個体が勇者の墓標へ集まっていく。欠け落ちた外壁から次から次へと内部へ侵入していく、まるでここに還るように。やがて最後の天死が闇に溶けるのと同時に勇者の墓標はその殻を大胆に脱ぎ捨てる。あれがどうやら999体目だったらしい。見つめ続ける事もままならない程の純白の巨体。空を破いた蝶のように滴る羽根を薄紫色の4本の腕が持ち上げる。
アルムは勇者の墓標の中から現れた下品な女体に畏怖し続ける事しかできない。この生理的な感情は言葉では表せない。
『時に、なぜこの世界では勇者の墓標を所有する国とそうでない国で国力に差ができると考えた事はないかね?あの白いやつは【女神の偽身】と言い元々は神が現に受肉するための依代、勇者の墓標を持つ国同士が戦争をすればあれらが土地を踏み潰しながら殺し合いをする事になる。それを避ける為メサイアは勇者の墓標を所有する国を陰で援助する、ここサクリがこの程度の国土でもやってこれたのもそれのおかげだ、もっともサクリはあれを動かすために私が建国したのだがな』
『まるで未来を見てきたと言わんばかりだな、結果的に勇者の墓標を持たぬ国を虐げている事を非難するならこんな大虐殺をする事に大義なんてない』
『言ったはずだ、この国はこの計画のために私が100年前に建国したのだと。天秤にかけねばならぬのだよ、だから私は命の数で測ったのだ』
『他の方法はなかったのか?こんな数の人柱を用意しないと動かせない兵器に戦術的価値なんて…まさか勇者の遺体か?だから100年も』
『随分頭が回るんだな。本来勇者の遺体をバッテリーとして駆動させる本来である、だが00年という時間は封印された勇者の意思を摩耗させるには十分。他国の勇者の墓標に戦術的価値は無い。それ故ダミナレプスの上位権能を利用して各国の勇者の墓標を解放して回ればメサイアを陥落させるだけの戦力を手にできる』
『とんだ大虐殺者じゃないか、そこまでの犠牲を払ってまで今やらなくちゃいけない事なのか!?』
『待っていれば救いが訪れるとでも思うのか?未来を変える為には仕方がないのだ、未来を諦めろというのか?』
『未来を諦めているのはお前だセプテム、どうして人類の希望を信じてやれないんだ』
倒壊寸前の家屋に背を向けた時だった。楽観視していた訳では無いが油断はしていたのかダミナレプスの権能により石灰コンクリート製の剣が背後からコルウスの腰稼働部位を突き刺した。致命傷ではないがこの傷で勝てる相手ではない。
『希望なんて…未来にはなかったのだよ』
薄い青のメット越しではセプテムの表情なんてわからない、だがその声には確かな悲壮感があった。
そして強刃はアルムに振り下ろされようとしていたその時だった、セプテムの体は突き飛ばされておよそ10メートルほど転がった。何かがそこそこの速度でセプテムに激突したのだ。アルムが見たのはあの夜と同じ光景。
『助けにきたよ、アルム!』
どうしてユイが…生きているだけ嬉しいが、一体なんでだ?ダミナレプスの天聖剣は今やつの手にあるはず。いやそもそも天聖剣はユイのではないからユイが生きていても不思議ではないのか?だがセプテムがそのまま生かしておくとは考えられない、いや肉体はトレスだから勇者の加護で再生したのか。
『待て、戦う術なんてないだろ!?どうして戻ってきたんだ』
砂埃を巻き上げて立ち上がるセプテムは少しよろめいているように見えた。先程の不意打ちが効いているのか?
『そのとおりだとも、生き返ったならそのまま逃げればいいものを…もうこの国にはお前が守りたいものなんて残ってないだろう?主人公にでもなったつもりか?それともその男に惚れたのか?まぁいい、戦う力なんて持ってないだろ?』
左肩まで侵食した天死の金属を庇い眼前の勇者を睨みつける。こうしてる今も骨の髄から筋肉と皮膚を突き破って金属が飛び出てきている、そんな激痛を伴いながらも彼女はここまで歩いてきた。ユイの事だ犬死が気に食わないのだろうかだがふと目に入った彼女は笑っていた。絶望からくる諦めではない、初めてダミナレプスの誇りを目にしたあの日と全く同じよくわからない自身に溢れた笑顔。
手のひらに黄緑の粒子の風のような物が集まっていく、あれはまさか天聖剣…
『戦う理由は…ここにいる男がいないと私はこの世界じゃ生きていけないんだ。それとそうだな、あんたをぶん殴りにきた!!』
ー天聖ー ヴィントスヴルム!
銀色の機翼型スタビライザー展開し、背部大型スラスターユニットを光らせるその姿はダミナレプスの誉れとはかけ離れている。それこそユイ自身の意思から生まれた天聖である証なのだ。
拳を握りしめセプテムへ一気に距離を詰める。高速へと一瞬で到達する程の加速だったがスラスターユニットから発せられた一瞬の光を見落とさなかったセプテムは感覚的に刀を薙ぎ払う。だがありえない軌道を取られ躱され手痛い一撃をもらう。たしかにセプテムはヴィントスヴルムを捉えていたはずだったが直線的なブーストをしていたはずのヴィントスヴルムは戦闘機さながらのバレルロールを披露した。おそらくこれがヴィントスヴルムの権能、一瞬小さいながらも強烈な風域を局所的に発生させて軌道をずらしたのだ。そんな推測をしていた直後上空のヴィントスヴルムは両肩の機翼型スタビライザーを分離したスラスターユニットに装着する事で巡航形態に可変させて跨り急降下する。目で捉える事はできても決して回避が間に合うわけでもない故そのままセプテムは弾き飛ばされていく。それによって外装の一部が破損したもののセプテムは改めて勝利を確信していた。あの加速力は確かに凄まじいが武器は拳と自滅覚悟の体当たりだけ、どれも自分を仕留める事など不可能なのだ。
「なかなか強そうだけど所詮はレベル3…レベルの差も戦闘経験の差も私が上だ」
「それはちがうね、僕達はレベル7同士だ!」
そう口にしたヴィントスヴルム、ユイの手にはダミナレプスの天聖剣が握られていた。セプテムの装甲の一部、ダミナレプス由来の装甲がぽろぽろと崩れ落ちていく。あの激突の瞬間に奪われていたのか。
「希望は潰えない!大天聖!!」
ーダミナレプス・テンペストー
変形し最適化されたヴィントスヴルムの装甲を身にまとったダミナレプス。この天聖はセプテムの計画を破滅させる最期の変数、共に戦った2つの魂が重なり合った最高到達点のダミナレプス。
「ごめんねトレス…つらい思いさせたね……」
たとえ返事はなくともその冷たくなった鎧装もこうして戦う為の武器として貸してくれる、今はそれでいい。今は眼の前にいるこの殺戮者を粛清する。
増設された背部スラスターユニットを点火し上空に飛び上がる、セプテムもどういう原理かよくわからないが浮遊機構をもって追従する。だが当然ながらダミナレプスの加速には追いつけない、このままダミナレプスを放置すれば復活した女神の偽身を破壊されてしまう。それほどの出力くらいなら簡単に出せるにちがいない、先程までLV11を体感していたからこそわかる。ダミナレプスの直線的な軌跡はやがて高速で飛来したなにかに激突した。女神の偽身のコントロールは無いがセプテムは極々一部の権能を行使できる。これは女神の偽身を解放した者だけが一時的に得られる祝福である、セプテムの浮遊もこれに由来する。そして今しがた飛来したのも祝福されたセプテムによって操られたサクリの天死の一人であった。
黒い爆炎をセプテムは見つめている。天死の特攻でなにかしらの誘爆を引き起こしたがダミナレプスの姿が出てこない、天死に爆薬を積んでいたわけではないのだからこの誘爆はヴィントスヴルムのスラスターユニットだろうか…少なくともダメージは与えられているはず。だがこの瞬間黒煙は一瞬にして集約され片翼のダミナレプスが強撃を仕掛ける。誘爆したスタビライザーの破片で作った短剣はリーチが足りずセプテムには届かない、片翼を失ったことで姿勢制御に起きた乱れをセプテムは見逃さずに1mほど右にズレてから剣を振り下ろす。この位置取りこそが重要でダミナレプスは一瞬にして太陽を背負ったセプテムの挙動を見失った。
迎撃策でダミナレプスの左手にあった黒煙を収束させてつくった剣で防衛し、そのまま黒煙の剣は収束を解かれ突如現れた爆風にセプテムは吹き飛ばされる。吹き飛ばされたセプテムは招集した天死を蹴り飛ばすことで衝撃を殺し反転、同じく爆風によって姿勢制御の効かなくなり自由落下するダミナレプスに再びの強撃を仕掛ける。ヴィントスヴルムの機翼で作った短剣が先程のいざこざで落下するのを見ていた、黒煙の剣も使い果たしているこの瞬間ならダミナレプスは剣にできるものを持っていない。この攻撃は必ず通る確信がダミナレプスにはあった。切っ先を突き立て落下するダミナレプスに追いつく寸前まばゆい光が視界をジャックした。瞳が開く頃には左側に強烈な痛みが走った。ダミナレプスは隠し持っていた爵銀の剣で日の光を反射させてから反撃したのだ。最初の爆風からなにも堕ちていなかったのだから特攻した天死の残骸の行方を考えておくべきだった。ダミナレプスは特攻した天死を剣に収束させてヴィントスヴルムのパックに隠してた。そして爵銀の剣がセプテムに突き刺さっているという事は覆しようのない敗北を意味する。
ダミナレプスは人差し指を突き立てる
『ダミナレプス・リベラティオ…!!』
その声と共に剣の形に圧縮されていた天死の四肢がセプテムの肉体を突き破り霧散する。
女神の偽身 鎖骨の階段の踊り場、薄青色の左腕が独りでに這いつくばる。その腕が必死に握り締めていた短剣を器用に突き刺す。やがて女神の偽身はその短剣を受け入れるように包み込む。魂を肉体から外し移し替える事ができるのがセプテム・モルキュリオの権能である、彼女は体が四散する最中切り取った左腕に魂を移し低空を飛行していた天死に運ばせた。女神の偽身の上層につくまでに天死は何体も力尽きたがここまでくれば安全だ。女神の偽身を依代にしながら再びセプテム・モルキュリオは受肉する。再び彼女が目を見開いた景色はサクリを一望するほどの高度で無数の鳥達と同じ目線でいられる自由を全身で感じる事ができた。いくら自分が殺すためにつくったとはいえここでの生活は掛け替えのないものであったと言える。だとしても未来をなんとしても変えなくてはならない強迫観念でここまで来てしまった。もう戻れないのはわかっているがこんな景色を見てしまえばそうふけってしまうのも無理はないのだろう。もう進むしか無い、そう言い聞かせ女神の偽身は歩き出す。
ダミナレプスとはほぼ相打ち、致命傷を負わされたもののスラスターユニットを損傷したまま落下していればただでは済まない。だがやつは勇者の加護がある以上そのうち自然治癒して復帰してくるだろう、今のうちにここから離れなければ。妙な違和感が過る、風が逆さまに吹いている?風下へ振り向いたそこには眩い光源が視界をつんざいた。損傷したスラスターユニットを支えるようにイミュタティオ・コルウスが支え、ダミナレプスは虹色に光り輝く剣を構えている。ヴィントスヴルムの上位権能によって周囲に旋風が巻き起こりそれを剣の形に収束させようとしている。風という不定物質を剣の密度にできるというのか!?
『おのれダミナレプスウウ!!』
『ユイには触れさせない!逆巻けコルウス!』
ダミナレプスを目掛けた女神の偽身の拳を前に立ちふさがるコルウスはその権能を発動させて拳を打ち返した。
『なぜだ貴様の権能は生命体には使えないはずだコルウス』
『もう…お前は人間である事を捨てしまったんだ…いくぞ、ユイ』
ー虹彩の終剣 アーコス・グラディオー
女神の偽身の頭部は一瞬にして塵すら残さずに消し飛んだ。剣の密度まで圧縮された旋風がすべて解き放たれたのだ。少し距離があったとはいえダミナレプスも後方、サクリ上空に吹き飛ばされていた。虹彩の終剣の爆風でヴィントスヴルムのスラスターユニットどころかダミナレプスの装甲もろとも破損してしまった。体重に任せ成層圏から落ちるユイにはもう抵抗の余力すら残っていない、ただ段々と離れていく雲を力なく眺めていた。どこからか声が聞こえた気がした。だが高速で落下し続ける身には風切り音でかき消される。それでも聞こえた気がした、脳が本能的に声のような音を補完するかのようにそれは聞き覚えのある声に変わっていった。
『アルム?…ここだアルム!!』
抱きかかえるかのようにアルムがコルウスの翼を広げる。だがアルムも爆風でコルウスの装甲が破壊され一部生身が露出している上、コルウスの翼は多少浮力を得ることができるが事ここに至っては空気抵抗を僅かに獲得するに限る。それでもアルムは力強く抱擁する、勇者の加護があるにもかかわらず。こんな事でアルムを死なせたく無いと思いヴィントスヴルムの天聖を試みるもうまく行かず、ただいたずらに自傷を繰り返す。そんな中ユイは落ち行く景色の中にキラキラと輝く幾つもの虹彩を目にした。
『アルム目を開けて!下を見て!』
沈みかけの太陽光を反射し虹彩を発する無数の爵銀達が落ちるアルムとユイに手を差し伸べる。天死に変えられたサクリの住民は女神の偽身が機能停止した事によって指揮から外れ各々が終の期を待っていた。そんな彼らがなんの意思か落下する二人を助けようと集まっていく。空の景色を反射させる彼らが集まるその光景は、
まるで暁の空に、二人は堕ちていく
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