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兎が跳んだ夜
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一度私は死んだ。しっかりと記憶があるわけでは無いがそれはわかる、今見てる世界が決して夢なんかでもない事も。一度夢半ばで死んだなら次の生くらいは楽しく穏やかでもいいじゃないかと思う、だがどうやらカミサマはそれを許してくれないらしい。もしかすると理不尽に苦しむ人を眺めるのが趣味の悪趣味なカミサマなのかもしれない。自分よりも若い人が凄惨な災害や犯罪に巻き込まれるネットニュースを見る度悪趣味なカミサマの事を考えていた、自分には無縁の話だから。だが今私は死んでさらに今私の眼前には 再びの死 が立っている。
蒼月の白光に照らされるそれは釈銀と我々のやがてを暗示する鮮血を纏い、静かにこちらを見つめる。その異形は月光を遮るように大きな釈銀の翼を広げる。シルエットだけ見れば妖艶で人が形にはできないが故の美しさがあるがその実、顔は口より上がただれ赤紫色の生々しい内部器官が露出している。そんなえげつない内臓を見れば吐き気も押し寄せてくる、だが今呼吸をすれば嘔吐もするだろうが命もないだろう。それほどの殺意と危機感を感じる。私は背後にいるしょうこの手を力強く握りしめて元気づける、否これはまだ自分が生きている証明をしたくてしょうこの熱を意識する。どうせあれが動いた時私は死ぬだろうし。せめてだがこの少女だけは生かしたい、混濁した記憶の中で感じたことのある悔いが私をそうさせる。
ほんの一瞬だった、一瞬で奴は私の顔に凶爪を突き立てた。時が吹き飛ばされたたかに思えたこの一瞬とは文字通り一つの瞬く間に迫りかかった、だがそんな事を考えている余裕なんてない。振りほどいて投げた手の先からは ユイ と私を案ずる声がした、咄嗟だったのでなんで間に合ったのかわからなかったが右手に持っていた小さな短剣が凶爪を上に弾いていた。まるで自分の意思に関係なく動いた防衛本能、不思議な感覚だ体は相変わらず重たいのに。
だが奴の初撃を防げたからと言って危機を脱したわけでは無い、どうする?次も防げる確証なんてのは無い。だいたいこいつどうやったら殺せるんだ、見た感じこんな小さな刃が刺さりそうな所なんてないし。あとはあの脳みそみたいな器官か、生物である以上どこかしらに生命活動を担う器官はあるはずだが。
そう考え再び視界に釈銀を捉えたその時凶爪はもうすぐ目の前だった、あと1秒待たずして切っ先が眼球を引き裂こうというその明らかに1秒よりも長い刹那背後からの強い衝撃で醒める。
『しょうこ!?』
『大丈夫、ただのかすり傷。それよりあの銀色をどうにかしないと』
身を挺して凶撃からかばってくれたしょうこは血だらけの左肩を抑え、ユイのハンドサインで後ろに隠れるように下がる。自分の油断のせいで手負いになってしまったしょうこをこれ以上傷つけるわけには行かない。釈銀の軋む音と砂利を踏みにじる音が聞こえる、来る。一瞬の思考の末にした瞬きで場面は変わっていた、知らない見たことの無い黒色の竜の骸を模した装飾の槍が釈銀の異形の頭を貫いていた。軋む金属音を鳴らして仰向けに異形は倒れる。何が起こったかわからなかったが、どうやら自分の右後ろから槍が投擲されたらしい。
『怪我はないか?異世界からの訪問者達』
アシンメトリーな黒翼は右側がディティールすらわからぬほどの黒い鳥のような翼と左側には機械仕掛けのスタビライザー型の翼に動いてない時計のような装飾がついている。濃紺と灰色の騎士はマスクで顔はわからないがこちらを見下ろし手を差し伸べる。
『騎士さん!後ろに!』
しょうこが振り向いた先、二匹目の釈銀が人知れずこちらを俯瞰する。黒い騎士の手持ち武器は先ほど投擲してしまったがために今は手ぶらだ。ユイが短剣を握りしめ前に出ようとしたがそれを彼は静止する、ほんの少し笑ったように大丈夫、と言った気がした。
『遡巻け!イミタティオ・コルウス!!』
左側の大きい時計がこの声で反時計回りに動き出す、高速に轟音と火花を放つ。それと同時に倒れた釈銀の異形に突き刺さった槍が彼の手元に返りそのまま切っ先が2匹目の釈銀の異形を切り裂いた。まるでプラスチックでも叩き割っているかのように容易く。そして切り裂いた釈銀の異形を見下ろし頭部に刃を突き立てる。強烈な炸裂音が耳をつんざいた。
黒い騎士の胸部に柄まで突き刺さっていたかのような短剣を外すと、先ほどまで戦っていた極黒の騎士はその鎧を鉄屑に変え脱ぎ捨てる。艶のある黒髪が少し長く、そよ風にあたり揺れている。まるで絵にかいたかのような傷一つない綺麗な顔は、異形の化け物と戦っていた先ほどの時間を偽るような違和感がある。それほどまでに美しかった。
力が抜けて座り込んでいるユイは横たわる釈銀の亡骸に視線を落としている、それはどこかあの化け物に奇妙を感じたから。それはしょうこも同じ様で左腕の傷口を着ていた上着で抑えながら釈銀の異形を葬った青年に尋ねる。
『あれは、いったい何なのですか?私達はなぜ狙われたのでしょうか?』
『そうか彼らは君の世界にはいないのか』
虚ろな面持ちのまま青年は跪き、釈銀の亡骸を抱き上げる。絶命した釈銀は首が反対に落ち、まるで人の亡骸と一緒だ。月明りしかない暗闇でよく見えなかったがこの釈銀の胴体部の装甲の隙間、よく見ればまるで。
『人間に見えたか?かつてこの世界を滅ぼした神が作った呪いだ。見送られなかった亡骸はこの姿になって見送らなかった人々を襲う。こんな呪いで世界から争いと悲しみが消えると、本気で信じていたのだろう』
『だが我が国では建国から今日この日まで天死の目撃情報は無かったのだ。アルム監査官、それもまた事実だろ?』
戦いの疲れか知らない事の不安からか妖艶な声を耳にするまでは、このアルムと呼ばれた青年以外に誰か来ているなど微塵も考えておらず身構えてしまった。
『来ていたのか、ユーレン殿も怪我がなくて何よりだ』
ユーレンと呼ばれた修道服に似合わない赤いジャケットを羽織った女性は、色ムラの無い銀髪を少し揺らす程度の会釈をしてから負傷したしょうこの左腕を抱える。ジャケットの裾で隠れていたウエストポーチを正面にずらしてから小さな小瓶を一つと小指と薬指でコットンを挟み出してから小瓶の中をコットンに湿らせる、傷口に染みて食いしばるしょうこを元気づけるように背を撫でている。
『さて異世界人、君はこっちにきてくれ』
『異世界人はやめてくれないか、ユイって名前がある』
そう言いながら少し離れたアルムに合流する。応急手当をしてもらっているしょうこを尻目にしながら。
『これはクルマという自動で走行してくれる乗り物だ。こいつに乗っていれば天死に襲われても問題ない』
知ってる 少し記憶とは形状が違うが案外自分のいた世界と近い文化レベルなのかもしれない事に安堵する。それでもなぜか二つある月のような物がここは知らない世界だと教えてくれている。
後部座席に乗り込むと運転席に座っている男性が紙で包まれた軽食と色のついたアルミ製に見えるボトルを差し出してくれた。車に乗っても彼らの拠点の街までは数時間かかるそうで準備していてくれていた。正直さっきの緊張とグロテスクなものを見た後であんまり食欲はわかない。そして車は動き出した。
『待って、やっぱり知らない!なんなんだこの運転は!?』
運転席に目をやると運転手が腕を組んでいるしハンドルがない、ペダルはあるのかわからないけどなんなんだこの運転は!?またしても血の気が引きアルムの腕をつかむとアルムもこの異変を感じ取ったらしい。よかった、私が可笑しいだけかともった。
『アレクス殿、まったくなんなんだこの運転は、代われ!』
運転席にいた時はわかなかったが意外といい体格のアレクスはあまりにも情けない顔で後部座席のアルムと入れ替わった。
『アレクス殿、クルマの運転は真剣にやらなくては大事故を巻き起こすぞ』
『よく言ってくれたアルムさん!……アルム…さん?なんだその腕は…』
見とれるほど綺麗な姿勢だがやはり腕は組むらしい。
『綺麗なフォームだろ?』
よくわからない操縦系の割にはそこそこ静かに走行する車内は、二つの月しか照らすものの無い冷え切った夜の外界とは隔別されとても心地よい。遮光カーテンの隙間の木漏れ日が瞼について目を覚ました頃運転席にはアルムにつまみ出されたアレクスが代わり、後部座席ユイの隣で呑気に携帯小説にふけっているアルムがいる。アルムが着ていた真っ黒に仕立てられた少し重い軍用ジャケットがユイを温めていた。よく見ればしわも無くできにくく少し甘い花のような香りがする。
アルムがこちらに視界を落とした後携帯小説を閉じてからユイの座る車窓に手を伸ばす。緩やかな襟元から胸先が覗いてしまったが少し足りないデリカシーも、この色鮮やかに海面が煌めくサクリの海を見せるたかったが為なのだから責めるなんて気持ちはわかなかった。
『君がいた世界にもこんな海はあったか?』
『あったよ、こんな風に綺麗な海だった』
『元居た世界に戻りたいと思うか?』
『…少なくともあんな人を襲う化け物はいなかったかな』
アルムがすこし黙り込んでしまった、せっかく海を見せてくれたが申し訳ないとはあまり思わない。ただこんな風に黙られてしまうと居心地が悪い、そもそもこいつがそんな事を聞くのがわるくないか?なんで私が気まずくならなきゃいけないんだ。
『そういえば天死?と戦ってるときに変身してたあれはなんなんだ?この世界の人間はみんなできるのか?』
話題が変わり煩わしい気まずさから解放されたアルムからやや緩んだ安堵の息が漏れた。そしてアルムの手元には青い煙のような粒子が渦巻き肘程度までの刀身の短剣が形成された。
『そういうわけでは無いが自分の天聖剣を持っていればできる』
『天聖剣ってこれの事か?』
ユイは先ほどまとめてもらった自分の手荷物の中から天死と白兵戦をした短剣を取り出した。改めてよく見ればアルムが今出してくれたものに切っ先の形や刀身の形が酷似している。だがユイの取り出した物の方が装飾は少し綺麗に見える。だがアルムはこの剣を見て少し不服そうに逸らす。
『その剣、仕舞えるか?』
仕舞う?どういう意味か分からず支給された革製の黒いカバーに刀身を仕舞おうとした時、アルムは手に持っていた自身の天聖剣をふわっと少し上に投げそのまま天聖剣は青い煙のような粒子となり消えていった。そしてそれを見たユイは見様見真似で自分の剣を大きく上にぶん投げた!!が、もちろん消えたりするわけでもなくここは狭い車内なので天板に突き刺さった。ありゃりゃ
『アレエェェクス!まえっ!!』
運転していたアレクスは自分の愛車(後で教えてもった)にいきなり風穴をぶち明けられたもので気が動転し運転が乱れてしまった。まぁこういう日もあるよね☆
ようやくたどり着いたサクリという町はメディトレイニアシーと呼ばれる大きな海洋に面した街。潮風に侵されないよう石灰で白く塗られた建築は、燦燦と眩しい白昼の日差しを翻し優美に並び立つ。街は人通りがよく活気にあふれている、見送られない魂が出ないというのは本当にそのままの意味だったのかも知れない。
『君達の宿は用意してある、君のお仲間は一度診てもらってからくるはずだ』
差し出されたモノクロ印刷の地図には手書きの紅いペンで宿への行き方と周辺施設の事が簡単にだが細かく書いてある。これはアルムが書いたんだろうか、ならば顔に似合わず案外まめな奴なのかもしれない。そうふけりながら穴の開いたクルマを徐行させる半べそのアレクスを横目にのだった。
10分少々歩いてたどり着いた宿は1階がレストランになっており、昼間だというにも関わらず男女問わず若い層がビールグラスを片手に楽しんでいる。いいな混ざりたい。2階がエントランスとなっているが既に鍵をもらっているので受付嬢には会釈だけをした。
『はい、これ』
アルムからはサクリの紙幣が数枚入ったジッパーのポーチをもらった。
『あんまり無駄遣いはしないでくれよ』
そうレートもわからない紙幣を数えていると同じ鍵をもらったしょうこが帰ってきた。ほんの切り傷の軽傷と聞いていたが左腕をギブスで固定して見るからに痛々しいがしょうこ曰く過剰との事で大変ご立腹である。
『ユーレンさんは優しかったけど診察したあの眼鏡最悪です!あの腕の触り方は下心がありました。絶対ありました。くそです』
『しょうこ殿、天死の外装からつけられた傷は治りが遅いという、しかも原因が解明されておらず独自の感染病とする説もあるくらいだ。診察した彼も慎重だったんだろう』
『知ってますよ、あのくそ眼鏡はアルムさんの元部下なんですよね?庇いたい気持ちはわかりますがあのくそ眼鏡は変態です。』
『なんか大変だったんだね、しょうこ大丈夫?』
『そっちもクルマ事故ったって聞きましたけどほんとに怪我がないみたいで安心しました』
事故…まぁなんでそうなったかは言わないでおこう、アルムもバツの悪そうにしているし。案外彼も女の子に高圧的な態度されるのは慣れていないのかもしれない。今度機会があれば試してみよう。
『ユイ買い物にいきましょう!ユーレンさんがおすすめの服屋さん教えてくれたの!一つ目のお店はここのすぐ横よ!』
残されたアルムは不服そうに証明を落とし、鍵を閉めて部屋を後にした。このサクリという国に来たのは二人の事の他にも目的があった。窓から覗ける先そびえたつうす黒い綺麗な1本の塔。
ユーレンさんが話してくれたらしい、我らはこの後アルムの出向元の国に行くことになるらしい。そこには過去この世界に来た異世界の遺物達が保管されている、その遺物の研究に協力してほしいと。脳ををいじくられたり体を分解されたりとかはなさそうだけどはっきり言って天聖剣やら天死やらを見た後だといったい何の役に立つのか、まぁこれも天死の脅威に対抗するためなのだろうか。迎えの船がくるまではひと月ほどの時間がかかるらしい。そしてひと月しかこの国に入れないなら楽しまなきゃだよというのはしょうこお意見だ。それで今サクリのブティック巡りをしているのだ。ちなみに今は4店舗目、しょうこにいくつかおすすめしてもらったがどれもピンとこない、案外自分は優柔不断なんだなと不思議な発見があった。いやしょうこの奨める服がなんというかフリルがおおいというかガーリーすぎるというか、自分の体形を考えればまぁ似合うんだろうけど多分前の世界では着てなかったようなファッションに抵抗を感じる。意外としょうここういうのが好きなんだな。
ガーリーなピンク色のコーナーから離れると打って変わる黒い床と大きめのパーティースピーカーから鳴り響く重低音が支配するコーナー。女性衣料の専門店だがこのブランドは最近男女兼用のアウターの取り扱いを始めたらしい。そうそう無難で地味とか可愛すぎるフリルとかじゃなくてこういうかっこいいのが着たかったんだよ!未だにガーリーな服ばかり見ているしょうこを尻目に気に入ったジャケットを一つ手に取る。
『ユイって意外とこういうのが好きなのね、ユイなら似合うと思う!』
意外にも好印象だった。しょうこの好きなタイプの服とは全く持って方向性が違うし、沢山勧めてもらったのにそれを選ばないのだから多少なりとも申し訳無さを感じる。
『でもこの水色のワンピース絶対似合うから今度着せるね!』
やっぱり感じない。
『結局そのジャケットにするのですか?』
『似合わないかな?ちょっとかっこよすぎる?』
『似合うとは思うけど、結構しますよ』
そんな安物のアウターを選んだつもりはないし、この材質と裏面からちらっと見えるすこしリッチな赤色が好きなんだ。かっちょいいし商品タグ見てもよくわかんねぇし。
『どうせこれしか買わないから大丈夫!』
なんかお小遣いのほとんどを使ったような気がするが、まぁ大丈夫でしょう!
宿泊部屋のクローゼットの取っ手の内側は鏡面となっており、今日買ったアウターを着てみたりしてみた。やはり私の目に狂いはない、これは良いものだ。しょうこも買ったばかりの白いフリルのワンピースを着てみる。天死につけられた傷のせいでいまだ左腕はギブスで固定している、そのため一人で着替えるのが大変なので手伝っている。
そうこうしている内3度のノック音が鳴り響く、アルムだった。女の子の部屋に入る時のデリカシーはあるのだな。
『ユイ…君はまだメディカルチェックを受けていないようだな。このあと時間はあるか?』
しょうこは負傷した左腕の診察の際に受けたらしい。街も十分回ったし断るような理由はない。だがおもむろにアルムはハンガーにかかったジャケットを手に取る。
『良いジャケットだ、今では貴重な天然の牛皮に裏地の刺繍は英国の名高い技師のものだ。これを選んだ奴はよほどの審美眼をお持ちと見受けられる』
『そうだろう!このジャケットの良さがわかってくれると信じていたよ!』
『それでこのジャケットはいくらしたんだ?』
はめられた。
『…お釣りは…もらえたぞ』
『質問を変えよう、有り金はいくら残ったんだ?』
言い終わると同時にしょうこはユイのお財布ポーチをアルムに渡していた、裏切り者めぇ。
アルムは残額を確認した後聞こえるほど大きなため息をつく。どうやら相当呆れているようだ。まだこの国の金銭レートがわかっていないのもあるがこのジャケットそんなに高かったんだな。まぁ御勉強代だよね!
『バイトしろ』
『え?』
『聞こえなかったか?君たちに渡した金額はそこそこの贅沢をしながらこの国で1年は過ごせる額だ。それをこうも短時間で浪費してくるとは呆れたものだ、自分の食い扶持くらい自分で賄うといい。近隣に天死が出没したこともあって仕事には困らないだろう。少々危険な仕事ばかりだが君の使った額を考えれば妥当だろう。あぁそうだ額面で言えば…』
『うるせぇんだよ!つらつらと!働けば良いんだろう!』
長ったるい説教に耐えかねたユイは惨めな捨て台詞とともにジャケットとお金を持って飛び出してしまった。
『ユイ、行っちゃいましたね。ほんの少し同情の余地はあるとおもいます。』
『感情に任せるよりかは理性のある講義にできたと自負していたが…難しいな』
『ユイちゃんどうしたの?アルムさんは?』
昨晩アルムと一緒に来た修道服の銀髪の背の高い女性、たしか名はユーレンと言ったはず。修道服をわざわざ着てるくらいしこのバカでかい聖堂の近くをうろついていれば会えるだろうと思った。
『アルムにメディカルチェック行くよう言われたんだけど、どこにいけばいい?』
『ん?ここで合ってるけど場所までは教えてくれなかったの?薄情なのね』
衝動に任せて飛び出してきたので場所何ぞ聞いているわけはない。アルムごめんな私のせいで印象が悪くなってしまったようだ。だがあいつも悪いのだと言う事にしておこう。
聖堂の大きな扉を開くと正面奥には壁一面のステンドグラスが装飾され、西日を透かして色鮮やかに聖堂内部を照らしている。上を見上げてみれば一体何十mなのかわからない高さに描かれた雲がある。ステンドグラスの光で見えなかったが正面奥に背丈の高い青年が立っている。
『エルビス枢機卿、先日の来訪者です。まだメディカルチェックを受けていないようなのですが、このままお連れしても?』
『あぁもちろん、よろしく頼む。君も明日からは遠征になるのだからいくつか物資を余分に選んでおくと良い』
高い背丈と大きめの白い修道服を着込んでいるがゆえのシルエットからはかけ離れた高く、爽やかな声をしていた。かなり若いのだろう、アルムと同じくらいか。あまり宗教には詳しくはないが枢機卿という肩書とユーレンが慣れない敬語を使っているあたり、彼がこの聖堂のトップか。ここサクリに王政はなく行政をこの教会が行っている。といっても自治警察の運営やインフラ整備、職の仲介くらいで手一杯なんだそう。天死を街に生み出さないための施策なのだから仕方ないと以前ユーレンがしょうこにぼやいていたらしい。
ユーレンに案内されたのは意外にも聖堂の地下、降りてから左に曲がった医務室でメディカルチェックをするとか。しょうこは教会が運営するちいさなクリニックで受けたらしいので聖堂の地下は見たことがないはず。
メディカルチェックは意外とスムーズに終わった、しょうこが愚痴っていたようなセクハラまがいの事をされる事もなく、聖堂の地下にあるがゆえに悪いこともできないか。そうふけっていたところ修道服とかろうじて分かるほどにだらしない姿のユーレンが引き出しを物色している。
『ユーレン様!聖堂内は地下であっても禁煙です!』
『わるいわるいちゃんと外で吸うからさ!』
『まったく、それにそんな銘柄を吸えるのはこの国であなたくらいですよ』
『その銘柄あんまり美味しいくないのか?』
『味も悪いどころか他のタバコよりもリスクが高いんだ、こんなもの吸い続けてたら普通の人間はすぐ肺炎を起こすでしょう』
『ばっかやろう!旨いもんほど体に悪いって言うだろう~そゆことでじゃあなぁ』
火を付ける前のタバコを加えながら手を後ろ姿をぼやく医師と共に見送る。あ、バイトあるかユーレンさんに聞くの忘れた。
大聖堂の前、金色の噴水を囲った大広間。奥には子供向けアスレチックもあり数人の喧騒野中でベンチから頭上の空に舞う煙をぼーっと見つめている。この煙を眺めている間は大体のことは忘れられる気がする、天死の出現や異世界からの来訪者の件など教会としての仕事が山積みでほんの気休めにすぎない。体に悪いっていうのは承知な上だが自分の身体には影響がないし自分が買わないとこのブレンドも造られなくなりそうな事を言い訳にする。足音は聞こえなかったが気配でわかる、もちろん近づいてくる主に敵意がないことだって。
『君も1本どうだい?…あぁ、この国にたばこの年齢制限はないよ』
『だれもそんな体にわるい上に高価なもの買わないから?』
見透かしたような発言をしたユーレンに対してほんの少し意地悪な返しをしてしまった。アルムにぼろくそ言われたからだろうか、こんなしょうもない事に腹を立ててしまう自分がほんの少しだけくやしい。
『それもそうかもね、それで何の用だい?私を探していたみたいだけど』
そして事の経緯を…ほんの少しだけ濁して話した、ほんの少しだけ。多額の支援金を浪費してアルバイトを探してるなんてとても素直に言えない。
『力になりたいのは山々何だけども、この間近隣で天死が出たのもあって街の近隣は今封鎖しているんだ。なんたってサクリ近郊での天死の目撃情報は建国以来記録はないんだ』
『そんな緊急事態なのにあなたはここでふけっていて大丈夫なの?』
『いいえ、あなたの言う通りユーレン様にはやらなくてはならない仕事が山積みのはずです。』
聖堂の方から白金の重たそうな修道服を着込んだ青年が話に割り込んで答える。彼はたしか大聖堂に入った時奥にいた青年だったはず、名前はなんだったか…
『はじめまして私はエルビス、ここの枢機卿を…この聖堂の管理統括をしているものです。先ほどは挨拶ができませんでしたね。それで仕事を探しているんですよね?』
『枢機卿…貴方まさかあれに同行させるつもりじゃないですよね』
『えぇそのまさかのあれですよ。ユイさんここサクリから南西方向に進んだところにルアナという小さな町があります、そちらへの視察が今回の任務です。』
『ルアナとはここ数日交信が取れていない、そんなところに行かせるなんて危険過ぎやしないか?』
『私は報酬次第では行こうと思う』
『貴方が浪費したうち半分は取り返せるでしょう。それにユーレン、貴方も行くのです。この遠征に行くのであれば今貴方に依頼してる業務を他の方に回し2日間の休暇を約束しましょう』
『ユイ、明日は早朝からの出発となる。今日は早く寝るように!解散!』
『ただいま~しょうこ、戻ったよ!もう夜ご飯は食べたか?』
扉を雑に開ける音と呑気な声で彼女が帰ってきた、実にユイらしい。たった数日だけどまるで再開した旧友のような、とても楽しく綺羅びやかな日々だった。アルムはきっと気づいていたのだろう、ユイを一時的に遠ざけたのは私に一人で考える時間を与える為か。考えすぎかもしれないけどそれが彼なりのやさしさなんだろう。彼の出自やこの国の問題を考えれば私は今すぐにでも拘束されるべきなんだ。
『し■■こ?どう■■の?ど■か悪■の?■丈夫?』
鈍く長い金属を擦り合わせるような耳鳴りが響いている、ユイの声もう半分くらいしか聞き取れない。色の抜けた視界から私を心配そうに見つめている。本当にいい友人を持った。
金属がこすれる音…鎧が歩いてるような重さ、何かがこの部屋に近づいてくる。アルムが告発sたわけではないだろう、こんな回りくどい事をする意味はないから。だとすればここに来るのは【迎え】。
『ユイごめんね。今すぐここから逃げて』
腰の力で体を起こし布団が滑り落ちてから見えたシルエットは昨晩と同じ、あざ笑うように照らす月明りはあの時の記憶を鮮烈に蘇らせる。その翼の形、鉄が軋む金属音、しょうこの右側は異形の[天死]そのものだった。
静寂を無造作に踏みにじるような二回のノックに二人は息を飲んだ、アルムでは無い事と間違いなく底にいるのは【敵】だという根拠の無い確信は二人の共通認識。ドアノブを無造作掴む金ぞ置く音にユイは短剣を握りしめ身構える、施錠しているドアノブをねじ切って扉が開く。
暗い客室からはまばゆい灯りの廊下は目を突き刺す、静かに立ち尽くすそれは[天聖]。アルムのとは違う天聖だとは見ればわかる、だがそれ故に目的は間違いない、ここにいる天死のなりかけを…しょうこを殺すこと。次の瞬きをした視界、しょうこを殺しにきた天聖の右上に真っ黒の翼が現れた。アルムはコルウスの権能で突如顕現し、自らと共に窓を突き破り夜闇のとばりの中に消えていった。
夜は深く暗くなっているが街灯や千輪祭の装飾により、夜道の視界は明るい。対峙するは白をベースカラーに金や艶のある青色の天聖武装猫を模したような冠は鋭利に輝く、高貴なる出で立ちとは似つかわしくない細いキャタピラのような物がくるぶしに格納されている。まさしくアンバランスという言葉が相応しい物々しさを感じる。先ほど突き飛ばした時に感じたパワー、かなりの不利を強いられる。なによりまだそいつの権能もわからない。そしてアルムはゆっくりと構えた槍の切っ先を下に下ろした。
『なぜ生きている人間が天死になっている、お前の仕業か?』
アルムから対峙する天聖の表情はわからない、だが確かにその瞬間目の前の天聖は歯茎を見せるように笑ったように思えた。とてつもなく気色の悪い。
『…あの少女はもう既に死んでいる…』
爽やかさすら感じる生々しい声、先ほどの気色の悪さと相まって不気味さが増している。
『既に死んでいるが故…肉体と魂の乖離が進んであのような形になったのだ』
アルムは辻褄があったのか納得したようにゆっくりと左手で槍の切っ先を眼前の天聖を捉えた。
『そうか、だとしてもお前をここで逃がすわけには行かない!』
ほんの挨拶代わりに左手に握りしめた龍骸の槍を後ろに振りかぶり少し助走でぶん投げる!前動作から射線を見切られ標的には当たらない、だがすぐにアルムは隠し持っていた刃渡り45センチほどのナイフを取り出し走り出す。素性のわからない天聖と戦う時はむやみに近づくべきではないのがセオリー。天聖同士の対決は権能とその射程範囲そして権能ができる初見殺し、この3つを先に明かしたほうが敗北すると言われている。アルムの推測ではこの奇襲は単なる奇襲ではなくなにか大きな計画が動いている、自分がここに招かれたのも植物監査官の職だけでは無いはずだ、それならコルウスの権能くらい既に下調べしているはずだ。まずはやつの権能を暴く!
『朔巻け!コルウス!』
その声によりコルウスの左側に添えられた時計仕掛けの羽が動き出す!
イミタティオ・コルウスの権能は触れたあるいは触れていた無機物の時間を逆転させる、過去10分までの軌跡を10秒まで短縮させる。ただし時間を短縮させる際は強度次第で逆転に耐えられない可能性があり、触れてもコルウス以外では逆転の軌跡を止められない。
逆転させた槍が敵天聖の背中を捉え、コルウスも切っ先を振りかぶるその時だった。かつて無いほどの勢いで視界が真っ白に染まる。アルムは握りしめていたナイフに権能を使う事で元いた場所まで帰還していた。
『フェレス・リケフェレス、これが私の権能だ』
煙の中より生えるようにそれは再び姿を現した。
『溶かしたのか』
アルムが刃をふるったその瞬間コンクリートを溶かすことで窪みを作り躱した
『煙に見えていたのは急激に温められて蒸発したコンクリート内の水分か、そして水分の抜けたスポンジのようになったコンクリートを高温で熱して砕いたというわけか』
アルムはすぐにナイフはリケフェレスの眼前にぶん投げた。投擲されたナイフに右手の平を差し向ける、そしてナイフはまるで蒸発するかのように溶けて霧散した。最初の槍にこれをしなかったのはおそらく材質次第では使えない可能性を考慮したのだろう、とはいえ近づけばさっき見たいに床を溶かしてくる。有機物にも権能が有効であるなら接触された時点で敗北するやつだろう、奴は無敵か。だがもし一瞬でも隙を作れるのであれば刀身をねじ込めるかもしれない。権能を操っているのが純粋な人間ならば反応速度にも限界がある、それを捉える!
アルムはすぐに槍を構えリケフェレスに目掛けて距離を詰める、リケフェレスが身構えた瞬間コルウスの権能は発動していた。先程リケフェレスが砕いたコンクリートが元に戻っていたのだ、これによりリケフェレスは修復された足場に足が埋もれて身動きが取れない。リケフェレスの権能をもってしても既に斬撃が振り下ろされている以上もう間に合わない。だがこの時妙な違和感があった、確かに間合いに捉えたはずなのに切っ先が届かないのではないかという一抹の不安。これは目視の情報からくるものではなくアルムが数多の戦場を経験したからこそ感じる不安…
『夜の蜃気楼は初めてか?』
攻撃は通らなかった。蜃気楼とは本来日差しが強く高温に熱せられた地表の周りの空気との温度差により光の屈折率の差が生まれることで、少し遠くの物体が歪んで見える現象。いくら足場のコンクリートを熱せられるからといってそんな事ができるのか?確かに先ほどの水蒸気とこの夜間というコンディションであれば地表との大きな温度差を作り出すコテゃできるだろう、だが特に陽の光がなく街灯と月明かりだけでこうも鮮明にリケフェレスの姿を映し出せるものなのだろうか。しかしそんな事を考察する時間はアルムには残されていなかった。左側腹部にリケフェレスの凶爪が突き破った、瞬間的な激痛と赤い血しぶきはコンクリートに触れた途端きつい香りを放ちながら一瞬で気化する。
『コルウスよ、知っているか』
『そうだ、ここは俺の間合いだ…だから俺の…勝ちだ!』
コルウスは隠し持っていた10センチ程の抜き身のナイフをリケフェレスの胸部に突き刺した。だが当然リケフェレスの装甲には先端を突き刺すのがやっと。
『そのナイフ、まさか!?』
『ー遡け!コルウス!!ー』
『ナイフは元々は一つの短剣だったんだ、投擲する直前にへし折って隠していた!お前の権能よって霧散した本体はコルウスの権能で再び姿を現す!』
リケフェレスの胸部を貫くようにして現れた刃渡り45センチのナイフはリケフェレスの体内で生成された故、内蔵を破壊しつくして致命傷となった。そしてコルウスの槍は切っ先でリケフェレスの首を叩き落とした。戦いは終わった。
『ユイか…どうしてもどってきた?』
戻ってきたユイが血だらけのアルムを見て青ざめている。幸い戦闘は終了したので安全といえばそうなのだが本心を言えばリケフェレスには山程聞きたい事があった。だが彼の権能を考えると尋問なんてしてられないだろう、強敵だった。
『アルム!後ろ!!』
その声が耳に届く頃には既に首のないリケフェレスの右腕がアルムの首を掴んでいた。なんなんだこいつは、どうして首を斬られても生きているんだ。そんな事を考えてるうちアルムの意識は遠のいていく、先程貫かれた脇腹からの出血が止まらないのだ。だがその朦朧とした意識の中強い衝撃で弾き飛ばされたリケフェレスの装甲に生身でぶつかったがために左肩をユイが抑えている。
『アルム、天聖者ってのは首を落とされても生きてられるものなのか?』
『…いいやあんなのは初めてだ、あいつ人間じゃないのか?』
転がり落ちた頭部を拾い上げ、リケフェレスはもう一度その姿を現した。ユイは天死相手なら自衛できるだろうが、あんな訳のわからん権能相手じゃどうしようもない。打つ手なしか…
『アルム…私があいつを倒す、見ててくれ!』
少女は奥歯を鳴らしてこちらに一瞬だけ笑顔を向けた。隠し持っていた短剣は消えかけの街灯光で爵銀の残光を描く。あの短剣が天聖剣なのはわかっているが天聖剣とは持ち主の意思であり魂である、違う意思を2つ混ぜるなんて現実的ではない。自我が侵され言葉すらまともに話せなくなり、そもそも天聖剣が反応せずその切っ先が致命傷となることもある。だがあの自信に満ちた微笑みがアルムの躊躇を食い止める、ユイ…君はまさか
ー天聖ー
左手にはまばゆく輝く天聖剣、ユイは迷いなく天聖剣を自らの胸に突き立てた。現れた4枚の鏡板は激しくぶつかり合い炸裂した、街灯と月明りが粉々になった破片を煌びやかに魅せる。
ートレス・ダミナレプスー
純白の装甲の隙間、腰回りより伸びる真っ赤なマントは純潔で気高い聖騎士のよう。そして兎を模したその眼差しは確かに眼前のリケフェレスを捉えている。ダミナレプスが鉄製の街灯を左手で掴む。次の瞬間街灯は一瞬にして圧縮されて刀身90cm程の剣となった。
『レベル4だと!?素晴らしい、予言通りじゃないか!』
剣を構え迫りくるダミナレプスの前で歓喜するリケフェレス、ダミナレプスの切っ先はリケフェレスの顔の寸前にまで届いていた。
『使い手がそれではなぁ!!』
ダミナレプスの剣は一瞬で溶解した、だがダミナレプスの眼差しは冷静にリケフェレスを捉え続ける。
『断罪だ、ダミナレプス!』
無機質に、冷酷に唱えられたそれはリケフェレスを仕留める宣告だった。溶解した鉄は再び刀身90cmの剣に形を変えて、リケフェレスの両腕を1秒にも満たない速度で切り落とした。既に溶けている物は溶かせない、そしてリケフェレスの権能は鉄を気化させるほどの温度は瞬時に出せなかった。両腕を落とされたリケフェレスは反撃の手段を詰まれたまま両足を切断され崩れ落ちた。
『ユイ、なのか?』
その声にダミナレプスはこちらを振り向いて少し笑ったように見えた。ダミナレプスが街灯を潰したため逆光となり、突き刺された剣とともにその歪なシルエットが見える。
『倒したよアルム、怪我はない?』
『……はぁ、見てわからないのか?重症だ』
EP1 前編 終
蒼月の白光に照らされるそれは釈銀と我々のやがてを暗示する鮮血を纏い、静かにこちらを見つめる。その異形は月光を遮るように大きな釈銀の翼を広げる。シルエットだけ見れば妖艶で人が形にはできないが故の美しさがあるがその実、顔は口より上がただれ赤紫色の生々しい内部器官が露出している。そんなえげつない内臓を見れば吐き気も押し寄せてくる、だが今呼吸をすれば嘔吐もするだろうが命もないだろう。それほどの殺意と危機感を感じる。私は背後にいるしょうこの手を力強く握りしめて元気づける、否これはまだ自分が生きている証明をしたくてしょうこの熱を意識する。どうせあれが動いた時私は死ぬだろうし。せめてだがこの少女だけは生かしたい、混濁した記憶の中で感じたことのある悔いが私をそうさせる。
ほんの一瞬だった、一瞬で奴は私の顔に凶爪を突き立てた。時が吹き飛ばされたたかに思えたこの一瞬とは文字通り一つの瞬く間に迫りかかった、だがそんな事を考えている余裕なんてない。振りほどいて投げた手の先からは ユイ と私を案ずる声がした、咄嗟だったのでなんで間に合ったのかわからなかったが右手に持っていた小さな短剣が凶爪を上に弾いていた。まるで自分の意思に関係なく動いた防衛本能、不思議な感覚だ体は相変わらず重たいのに。
だが奴の初撃を防げたからと言って危機を脱したわけでは無い、どうする?次も防げる確証なんてのは無い。だいたいこいつどうやったら殺せるんだ、見た感じこんな小さな刃が刺さりそうな所なんてないし。あとはあの脳みそみたいな器官か、生物である以上どこかしらに生命活動を担う器官はあるはずだが。
そう考え再び視界に釈銀を捉えたその時凶爪はもうすぐ目の前だった、あと1秒待たずして切っ先が眼球を引き裂こうというその明らかに1秒よりも長い刹那背後からの強い衝撃で醒める。
『しょうこ!?』
『大丈夫、ただのかすり傷。それよりあの銀色をどうにかしないと』
身を挺して凶撃からかばってくれたしょうこは血だらけの左肩を抑え、ユイのハンドサインで後ろに隠れるように下がる。自分の油断のせいで手負いになってしまったしょうこをこれ以上傷つけるわけには行かない。釈銀の軋む音と砂利を踏みにじる音が聞こえる、来る。一瞬の思考の末にした瞬きで場面は変わっていた、知らない見たことの無い黒色の竜の骸を模した装飾の槍が釈銀の異形の頭を貫いていた。軋む金属音を鳴らして仰向けに異形は倒れる。何が起こったかわからなかったが、どうやら自分の右後ろから槍が投擲されたらしい。
『怪我はないか?異世界からの訪問者達』
アシンメトリーな黒翼は右側がディティールすらわからぬほどの黒い鳥のような翼と左側には機械仕掛けのスタビライザー型の翼に動いてない時計のような装飾がついている。濃紺と灰色の騎士はマスクで顔はわからないがこちらを見下ろし手を差し伸べる。
『騎士さん!後ろに!』
しょうこが振り向いた先、二匹目の釈銀が人知れずこちらを俯瞰する。黒い騎士の手持ち武器は先ほど投擲してしまったがために今は手ぶらだ。ユイが短剣を握りしめ前に出ようとしたがそれを彼は静止する、ほんの少し笑ったように大丈夫、と言った気がした。
『遡巻け!イミタティオ・コルウス!!』
左側の大きい時計がこの声で反時計回りに動き出す、高速に轟音と火花を放つ。それと同時に倒れた釈銀の異形に突き刺さった槍が彼の手元に返りそのまま切っ先が2匹目の釈銀の異形を切り裂いた。まるでプラスチックでも叩き割っているかのように容易く。そして切り裂いた釈銀の異形を見下ろし頭部に刃を突き立てる。強烈な炸裂音が耳をつんざいた。
黒い騎士の胸部に柄まで突き刺さっていたかのような短剣を外すと、先ほどまで戦っていた極黒の騎士はその鎧を鉄屑に変え脱ぎ捨てる。艶のある黒髪が少し長く、そよ風にあたり揺れている。まるで絵にかいたかのような傷一つない綺麗な顔は、異形の化け物と戦っていた先ほどの時間を偽るような違和感がある。それほどまでに美しかった。
力が抜けて座り込んでいるユイは横たわる釈銀の亡骸に視線を落としている、それはどこかあの化け物に奇妙を感じたから。それはしょうこも同じ様で左腕の傷口を着ていた上着で抑えながら釈銀の異形を葬った青年に尋ねる。
『あれは、いったい何なのですか?私達はなぜ狙われたのでしょうか?』
『そうか彼らは君の世界にはいないのか』
虚ろな面持ちのまま青年は跪き、釈銀の亡骸を抱き上げる。絶命した釈銀は首が反対に落ち、まるで人の亡骸と一緒だ。月明りしかない暗闇でよく見えなかったがこの釈銀の胴体部の装甲の隙間、よく見ればまるで。
『人間に見えたか?かつてこの世界を滅ぼした神が作った呪いだ。見送られなかった亡骸はこの姿になって見送らなかった人々を襲う。こんな呪いで世界から争いと悲しみが消えると、本気で信じていたのだろう』
『だが我が国では建国から今日この日まで天死の目撃情報は無かったのだ。アルム監査官、それもまた事実だろ?』
戦いの疲れか知らない事の不安からか妖艶な声を耳にするまでは、このアルムと呼ばれた青年以外に誰か来ているなど微塵も考えておらず身構えてしまった。
『来ていたのか、ユーレン殿も怪我がなくて何よりだ』
ユーレンと呼ばれた修道服に似合わない赤いジャケットを羽織った女性は、色ムラの無い銀髪を少し揺らす程度の会釈をしてから負傷したしょうこの左腕を抱える。ジャケットの裾で隠れていたウエストポーチを正面にずらしてから小さな小瓶を一つと小指と薬指でコットンを挟み出してから小瓶の中をコットンに湿らせる、傷口に染みて食いしばるしょうこを元気づけるように背を撫でている。
『さて異世界人、君はこっちにきてくれ』
『異世界人はやめてくれないか、ユイって名前がある』
そう言いながら少し離れたアルムに合流する。応急手当をしてもらっているしょうこを尻目にしながら。
『これはクルマという自動で走行してくれる乗り物だ。こいつに乗っていれば天死に襲われても問題ない』
知ってる 少し記憶とは形状が違うが案外自分のいた世界と近い文化レベルなのかもしれない事に安堵する。それでもなぜか二つある月のような物がここは知らない世界だと教えてくれている。
後部座席に乗り込むと運転席に座っている男性が紙で包まれた軽食と色のついたアルミ製に見えるボトルを差し出してくれた。車に乗っても彼らの拠点の街までは数時間かかるそうで準備していてくれていた。正直さっきの緊張とグロテスクなものを見た後であんまり食欲はわかない。そして車は動き出した。
『待って、やっぱり知らない!なんなんだこの運転は!?』
運転席に目をやると運転手が腕を組んでいるしハンドルがない、ペダルはあるのかわからないけどなんなんだこの運転は!?またしても血の気が引きアルムの腕をつかむとアルムもこの異変を感じ取ったらしい。よかった、私が可笑しいだけかともった。
『アレクス殿、まったくなんなんだこの運転は、代われ!』
運転席にいた時はわかなかったが意外といい体格のアレクスはあまりにも情けない顔で後部座席のアルムと入れ替わった。
『アレクス殿、クルマの運転は真剣にやらなくては大事故を巻き起こすぞ』
『よく言ってくれたアルムさん!……アルム…さん?なんだその腕は…』
見とれるほど綺麗な姿勢だがやはり腕は組むらしい。
『綺麗なフォームだろ?』
よくわからない操縦系の割にはそこそこ静かに走行する車内は、二つの月しか照らすものの無い冷え切った夜の外界とは隔別されとても心地よい。遮光カーテンの隙間の木漏れ日が瞼について目を覚ました頃運転席にはアルムにつまみ出されたアレクスが代わり、後部座席ユイの隣で呑気に携帯小説にふけっているアルムがいる。アルムが着ていた真っ黒に仕立てられた少し重い軍用ジャケットがユイを温めていた。よく見ればしわも無くできにくく少し甘い花のような香りがする。
アルムがこちらに視界を落とした後携帯小説を閉じてからユイの座る車窓に手を伸ばす。緩やかな襟元から胸先が覗いてしまったが少し足りないデリカシーも、この色鮮やかに海面が煌めくサクリの海を見せるたかったが為なのだから責めるなんて気持ちはわかなかった。
『君がいた世界にもこんな海はあったか?』
『あったよ、こんな風に綺麗な海だった』
『元居た世界に戻りたいと思うか?』
『…少なくともあんな人を襲う化け物はいなかったかな』
アルムがすこし黙り込んでしまった、せっかく海を見せてくれたが申し訳ないとはあまり思わない。ただこんな風に黙られてしまうと居心地が悪い、そもそもこいつがそんな事を聞くのがわるくないか?なんで私が気まずくならなきゃいけないんだ。
『そういえば天死?と戦ってるときに変身してたあれはなんなんだ?この世界の人間はみんなできるのか?』
話題が変わり煩わしい気まずさから解放されたアルムからやや緩んだ安堵の息が漏れた。そしてアルムの手元には青い煙のような粒子が渦巻き肘程度までの刀身の短剣が形成された。
『そういうわけでは無いが自分の天聖剣を持っていればできる』
『天聖剣ってこれの事か?』
ユイは先ほどまとめてもらった自分の手荷物の中から天死と白兵戦をした短剣を取り出した。改めてよく見ればアルムが今出してくれたものに切っ先の形や刀身の形が酷似している。だがユイの取り出した物の方が装飾は少し綺麗に見える。だがアルムはこの剣を見て少し不服そうに逸らす。
『その剣、仕舞えるか?』
仕舞う?どういう意味か分からず支給された革製の黒いカバーに刀身を仕舞おうとした時、アルムは手に持っていた自身の天聖剣をふわっと少し上に投げそのまま天聖剣は青い煙のような粒子となり消えていった。そしてそれを見たユイは見様見真似で自分の剣を大きく上にぶん投げた!!が、もちろん消えたりするわけでもなくここは狭い車内なので天板に突き刺さった。ありゃりゃ
『アレエェェクス!まえっ!!』
運転していたアレクスは自分の愛車(後で教えてもった)にいきなり風穴をぶち明けられたもので気が動転し運転が乱れてしまった。まぁこういう日もあるよね☆
ようやくたどり着いたサクリという町はメディトレイニアシーと呼ばれる大きな海洋に面した街。潮風に侵されないよう石灰で白く塗られた建築は、燦燦と眩しい白昼の日差しを翻し優美に並び立つ。街は人通りがよく活気にあふれている、見送られない魂が出ないというのは本当にそのままの意味だったのかも知れない。
『君達の宿は用意してある、君のお仲間は一度診てもらってからくるはずだ』
差し出されたモノクロ印刷の地図には手書きの紅いペンで宿への行き方と周辺施設の事が簡単にだが細かく書いてある。これはアルムが書いたんだろうか、ならば顔に似合わず案外まめな奴なのかもしれない。そうふけりながら穴の開いたクルマを徐行させる半べそのアレクスを横目にのだった。
10分少々歩いてたどり着いた宿は1階がレストランになっており、昼間だというにも関わらず男女問わず若い層がビールグラスを片手に楽しんでいる。いいな混ざりたい。2階がエントランスとなっているが既に鍵をもらっているので受付嬢には会釈だけをした。
『はい、これ』
アルムからはサクリの紙幣が数枚入ったジッパーのポーチをもらった。
『あんまり無駄遣いはしないでくれよ』
そうレートもわからない紙幣を数えていると同じ鍵をもらったしょうこが帰ってきた。ほんの切り傷の軽傷と聞いていたが左腕をギブスで固定して見るからに痛々しいがしょうこ曰く過剰との事で大変ご立腹である。
『ユーレンさんは優しかったけど診察したあの眼鏡最悪です!あの腕の触り方は下心がありました。絶対ありました。くそです』
『しょうこ殿、天死の外装からつけられた傷は治りが遅いという、しかも原因が解明されておらず独自の感染病とする説もあるくらいだ。診察した彼も慎重だったんだろう』
『知ってますよ、あのくそ眼鏡はアルムさんの元部下なんですよね?庇いたい気持ちはわかりますがあのくそ眼鏡は変態です。』
『なんか大変だったんだね、しょうこ大丈夫?』
『そっちもクルマ事故ったって聞きましたけどほんとに怪我がないみたいで安心しました』
事故…まぁなんでそうなったかは言わないでおこう、アルムもバツの悪そうにしているし。案外彼も女の子に高圧的な態度されるのは慣れていないのかもしれない。今度機会があれば試してみよう。
『ユイ買い物にいきましょう!ユーレンさんがおすすめの服屋さん教えてくれたの!一つ目のお店はここのすぐ横よ!』
残されたアルムは不服そうに証明を落とし、鍵を閉めて部屋を後にした。このサクリという国に来たのは二人の事の他にも目的があった。窓から覗ける先そびえたつうす黒い綺麗な1本の塔。
ユーレンさんが話してくれたらしい、我らはこの後アルムの出向元の国に行くことになるらしい。そこには過去この世界に来た異世界の遺物達が保管されている、その遺物の研究に協力してほしいと。脳ををいじくられたり体を分解されたりとかはなさそうだけどはっきり言って天聖剣やら天死やらを見た後だといったい何の役に立つのか、まぁこれも天死の脅威に対抗するためなのだろうか。迎えの船がくるまではひと月ほどの時間がかかるらしい。そしてひと月しかこの国に入れないなら楽しまなきゃだよというのはしょうこお意見だ。それで今サクリのブティック巡りをしているのだ。ちなみに今は4店舗目、しょうこにいくつかおすすめしてもらったがどれもピンとこない、案外自分は優柔不断なんだなと不思議な発見があった。いやしょうこの奨める服がなんというかフリルがおおいというかガーリーすぎるというか、自分の体形を考えればまぁ似合うんだろうけど多分前の世界では着てなかったようなファッションに抵抗を感じる。意外としょうここういうのが好きなんだな。
ガーリーなピンク色のコーナーから離れると打って変わる黒い床と大きめのパーティースピーカーから鳴り響く重低音が支配するコーナー。女性衣料の専門店だがこのブランドは最近男女兼用のアウターの取り扱いを始めたらしい。そうそう無難で地味とか可愛すぎるフリルとかじゃなくてこういうかっこいいのが着たかったんだよ!未だにガーリーな服ばかり見ているしょうこを尻目に気に入ったジャケットを一つ手に取る。
『ユイって意外とこういうのが好きなのね、ユイなら似合うと思う!』
意外にも好印象だった。しょうこの好きなタイプの服とは全く持って方向性が違うし、沢山勧めてもらったのにそれを選ばないのだから多少なりとも申し訳無さを感じる。
『でもこの水色のワンピース絶対似合うから今度着せるね!』
やっぱり感じない。
『結局そのジャケットにするのですか?』
『似合わないかな?ちょっとかっこよすぎる?』
『似合うとは思うけど、結構しますよ』
そんな安物のアウターを選んだつもりはないし、この材質と裏面からちらっと見えるすこしリッチな赤色が好きなんだ。かっちょいいし商品タグ見てもよくわかんねぇし。
『どうせこれしか買わないから大丈夫!』
なんかお小遣いのほとんどを使ったような気がするが、まぁ大丈夫でしょう!
宿泊部屋のクローゼットの取っ手の内側は鏡面となっており、今日買ったアウターを着てみたりしてみた。やはり私の目に狂いはない、これは良いものだ。しょうこも買ったばかりの白いフリルのワンピースを着てみる。天死につけられた傷のせいでいまだ左腕はギブスで固定している、そのため一人で着替えるのが大変なので手伝っている。
そうこうしている内3度のノック音が鳴り響く、アルムだった。女の子の部屋に入る時のデリカシーはあるのだな。
『ユイ…君はまだメディカルチェックを受けていないようだな。このあと時間はあるか?』
しょうこは負傷した左腕の診察の際に受けたらしい。街も十分回ったし断るような理由はない。だがおもむろにアルムはハンガーにかかったジャケットを手に取る。
『良いジャケットだ、今では貴重な天然の牛皮に裏地の刺繍は英国の名高い技師のものだ。これを選んだ奴はよほどの審美眼をお持ちと見受けられる』
『そうだろう!このジャケットの良さがわかってくれると信じていたよ!』
『それでこのジャケットはいくらしたんだ?』
はめられた。
『…お釣りは…もらえたぞ』
『質問を変えよう、有り金はいくら残ったんだ?』
言い終わると同時にしょうこはユイのお財布ポーチをアルムに渡していた、裏切り者めぇ。
アルムは残額を確認した後聞こえるほど大きなため息をつく。どうやら相当呆れているようだ。まだこの国の金銭レートがわかっていないのもあるがこのジャケットそんなに高かったんだな。まぁ御勉強代だよね!
『バイトしろ』
『え?』
『聞こえなかったか?君たちに渡した金額はそこそこの贅沢をしながらこの国で1年は過ごせる額だ。それをこうも短時間で浪費してくるとは呆れたものだ、自分の食い扶持くらい自分で賄うといい。近隣に天死が出没したこともあって仕事には困らないだろう。少々危険な仕事ばかりだが君の使った額を考えれば妥当だろう。あぁそうだ額面で言えば…』
『うるせぇんだよ!つらつらと!働けば良いんだろう!』
長ったるい説教に耐えかねたユイは惨めな捨て台詞とともにジャケットとお金を持って飛び出してしまった。
『ユイ、行っちゃいましたね。ほんの少し同情の余地はあるとおもいます。』
『感情に任せるよりかは理性のある講義にできたと自負していたが…難しいな』
『ユイちゃんどうしたの?アルムさんは?』
昨晩アルムと一緒に来た修道服の銀髪の背の高い女性、たしか名はユーレンと言ったはず。修道服をわざわざ着てるくらいしこのバカでかい聖堂の近くをうろついていれば会えるだろうと思った。
『アルムにメディカルチェック行くよう言われたんだけど、どこにいけばいい?』
『ん?ここで合ってるけど場所までは教えてくれなかったの?薄情なのね』
衝動に任せて飛び出してきたので場所何ぞ聞いているわけはない。アルムごめんな私のせいで印象が悪くなってしまったようだ。だがあいつも悪いのだと言う事にしておこう。
聖堂の大きな扉を開くと正面奥には壁一面のステンドグラスが装飾され、西日を透かして色鮮やかに聖堂内部を照らしている。上を見上げてみれば一体何十mなのかわからない高さに描かれた雲がある。ステンドグラスの光で見えなかったが正面奥に背丈の高い青年が立っている。
『エルビス枢機卿、先日の来訪者です。まだメディカルチェックを受けていないようなのですが、このままお連れしても?』
『あぁもちろん、よろしく頼む。君も明日からは遠征になるのだからいくつか物資を余分に選んでおくと良い』
高い背丈と大きめの白い修道服を着込んでいるがゆえのシルエットからはかけ離れた高く、爽やかな声をしていた。かなり若いのだろう、アルムと同じくらいか。あまり宗教には詳しくはないが枢機卿という肩書とユーレンが慣れない敬語を使っているあたり、彼がこの聖堂のトップか。ここサクリに王政はなく行政をこの教会が行っている。といっても自治警察の運営やインフラ整備、職の仲介くらいで手一杯なんだそう。天死を街に生み出さないための施策なのだから仕方ないと以前ユーレンがしょうこにぼやいていたらしい。
ユーレンに案内されたのは意外にも聖堂の地下、降りてから左に曲がった医務室でメディカルチェックをするとか。しょうこは教会が運営するちいさなクリニックで受けたらしいので聖堂の地下は見たことがないはず。
メディカルチェックは意外とスムーズに終わった、しょうこが愚痴っていたようなセクハラまがいの事をされる事もなく、聖堂の地下にあるがゆえに悪いこともできないか。そうふけっていたところ修道服とかろうじて分かるほどにだらしない姿のユーレンが引き出しを物色している。
『ユーレン様!聖堂内は地下であっても禁煙です!』
『わるいわるいちゃんと外で吸うからさ!』
『まったく、それにそんな銘柄を吸えるのはこの国であなたくらいですよ』
『その銘柄あんまり美味しいくないのか?』
『味も悪いどころか他のタバコよりもリスクが高いんだ、こんなもの吸い続けてたら普通の人間はすぐ肺炎を起こすでしょう』
『ばっかやろう!旨いもんほど体に悪いって言うだろう~そゆことでじゃあなぁ』
火を付ける前のタバコを加えながら手を後ろ姿をぼやく医師と共に見送る。あ、バイトあるかユーレンさんに聞くの忘れた。
大聖堂の前、金色の噴水を囲った大広間。奥には子供向けアスレチックもあり数人の喧騒野中でベンチから頭上の空に舞う煙をぼーっと見つめている。この煙を眺めている間は大体のことは忘れられる気がする、天死の出現や異世界からの来訪者の件など教会としての仕事が山積みでほんの気休めにすぎない。体に悪いっていうのは承知な上だが自分の身体には影響がないし自分が買わないとこのブレンドも造られなくなりそうな事を言い訳にする。足音は聞こえなかったが気配でわかる、もちろん近づいてくる主に敵意がないことだって。
『君も1本どうだい?…あぁ、この国にたばこの年齢制限はないよ』
『だれもそんな体にわるい上に高価なもの買わないから?』
見透かしたような発言をしたユーレンに対してほんの少し意地悪な返しをしてしまった。アルムにぼろくそ言われたからだろうか、こんなしょうもない事に腹を立ててしまう自分がほんの少しだけくやしい。
『それもそうかもね、それで何の用だい?私を探していたみたいだけど』
そして事の経緯を…ほんの少しだけ濁して話した、ほんの少しだけ。多額の支援金を浪費してアルバイトを探してるなんてとても素直に言えない。
『力になりたいのは山々何だけども、この間近隣で天死が出たのもあって街の近隣は今封鎖しているんだ。なんたってサクリ近郊での天死の目撃情報は建国以来記録はないんだ』
『そんな緊急事態なのにあなたはここでふけっていて大丈夫なの?』
『いいえ、あなたの言う通りユーレン様にはやらなくてはならない仕事が山積みのはずです。』
聖堂の方から白金の重たそうな修道服を着込んだ青年が話に割り込んで答える。彼はたしか大聖堂に入った時奥にいた青年だったはず、名前はなんだったか…
『はじめまして私はエルビス、ここの枢機卿を…この聖堂の管理統括をしているものです。先ほどは挨拶ができませんでしたね。それで仕事を探しているんですよね?』
『枢機卿…貴方まさかあれに同行させるつもりじゃないですよね』
『えぇそのまさかのあれですよ。ユイさんここサクリから南西方向に進んだところにルアナという小さな町があります、そちらへの視察が今回の任務です。』
『ルアナとはここ数日交信が取れていない、そんなところに行かせるなんて危険過ぎやしないか?』
『私は報酬次第では行こうと思う』
『貴方が浪費したうち半分は取り返せるでしょう。それにユーレン、貴方も行くのです。この遠征に行くのであれば今貴方に依頼してる業務を他の方に回し2日間の休暇を約束しましょう』
『ユイ、明日は早朝からの出発となる。今日は早く寝るように!解散!』
『ただいま~しょうこ、戻ったよ!もう夜ご飯は食べたか?』
扉を雑に開ける音と呑気な声で彼女が帰ってきた、実にユイらしい。たった数日だけどまるで再開した旧友のような、とても楽しく綺羅びやかな日々だった。アルムはきっと気づいていたのだろう、ユイを一時的に遠ざけたのは私に一人で考える時間を与える為か。考えすぎかもしれないけどそれが彼なりのやさしさなんだろう。彼の出自やこの国の問題を考えれば私は今すぐにでも拘束されるべきなんだ。
『し■■こ?どう■■の?ど■か悪■の?■丈夫?』
鈍く長い金属を擦り合わせるような耳鳴りが響いている、ユイの声もう半分くらいしか聞き取れない。色の抜けた視界から私を心配そうに見つめている。本当にいい友人を持った。
金属がこすれる音…鎧が歩いてるような重さ、何かがこの部屋に近づいてくる。アルムが告発sたわけではないだろう、こんな回りくどい事をする意味はないから。だとすればここに来るのは【迎え】。
『ユイごめんね。今すぐここから逃げて』
腰の力で体を起こし布団が滑り落ちてから見えたシルエットは昨晩と同じ、あざ笑うように照らす月明りはあの時の記憶を鮮烈に蘇らせる。その翼の形、鉄が軋む金属音、しょうこの右側は異形の[天死]そのものだった。
静寂を無造作に踏みにじるような二回のノックに二人は息を飲んだ、アルムでは無い事と間違いなく底にいるのは【敵】だという根拠の無い確信は二人の共通認識。ドアノブを無造作掴む金ぞ置く音にユイは短剣を握りしめ身構える、施錠しているドアノブをねじ切って扉が開く。
暗い客室からはまばゆい灯りの廊下は目を突き刺す、静かに立ち尽くすそれは[天聖]。アルムのとは違う天聖だとは見ればわかる、だがそれ故に目的は間違いない、ここにいる天死のなりかけを…しょうこを殺すこと。次の瞬きをした視界、しょうこを殺しにきた天聖の右上に真っ黒の翼が現れた。アルムはコルウスの権能で突如顕現し、自らと共に窓を突き破り夜闇のとばりの中に消えていった。
夜は深く暗くなっているが街灯や千輪祭の装飾により、夜道の視界は明るい。対峙するは白をベースカラーに金や艶のある青色の天聖武装猫を模したような冠は鋭利に輝く、高貴なる出で立ちとは似つかわしくない細いキャタピラのような物がくるぶしに格納されている。まさしくアンバランスという言葉が相応しい物々しさを感じる。先ほど突き飛ばした時に感じたパワー、かなりの不利を強いられる。なによりまだそいつの権能もわからない。そしてアルムはゆっくりと構えた槍の切っ先を下に下ろした。
『なぜ生きている人間が天死になっている、お前の仕業か?』
アルムから対峙する天聖の表情はわからない、だが確かにその瞬間目の前の天聖は歯茎を見せるように笑ったように思えた。とてつもなく気色の悪い。
『…あの少女はもう既に死んでいる…』
爽やかさすら感じる生々しい声、先ほどの気色の悪さと相まって不気味さが増している。
『既に死んでいるが故…肉体と魂の乖離が進んであのような形になったのだ』
アルムは辻褄があったのか納得したようにゆっくりと左手で槍の切っ先を眼前の天聖を捉えた。
『そうか、だとしてもお前をここで逃がすわけには行かない!』
ほんの挨拶代わりに左手に握りしめた龍骸の槍を後ろに振りかぶり少し助走でぶん投げる!前動作から射線を見切られ標的には当たらない、だがすぐにアルムは隠し持っていた刃渡り45センチほどのナイフを取り出し走り出す。素性のわからない天聖と戦う時はむやみに近づくべきではないのがセオリー。天聖同士の対決は権能とその射程範囲そして権能ができる初見殺し、この3つを先に明かしたほうが敗北すると言われている。アルムの推測ではこの奇襲は単なる奇襲ではなくなにか大きな計画が動いている、自分がここに招かれたのも植物監査官の職だけでは無いはずだ、それならコルウスの権能くらい既に下調べしているはずだ。まずはやつの権能を暴く!
『朔巻け!コルウス!』
その声によりコルウスの左側に添えられた時計仕掛けの羽が動き出す!
イミタティオ・コルウスの権能は触れたあるいは触れていた無機物の時間を逆転させる、過去10分までの軌跡を10秒まで短縮させる。ただし時間を短縮させる際は強度次第で逆転に耐えられない可能性があり、触れてもコルウス以外では逆転の軌跡を止められない。
逆転させた槍が敵天聖の背中を捉え、コルウスも切っ先を振りかぶるその時だった。かつて無いほどの勢いで視界が真っ白に染まる。アルムは握りしめていたナイフに権能を使う事で元いた場所まで帰還していた。
『フェレス・リケフェレス、これが私の権能だ』
煙の中より生えるようにそれは再び姿を現した。
『溶かしたのか』
アルムが刃をふるったその瞬間コンクリートを溶かすことで窪みを作り躱した
『煙に見えていたのは急激に温められて蒸発したコンクリート内の水分か、そして水分の抜けたスポンジのようになったコンクリートを高温で熱して砕いたというわけか』
アルムはすぐにナイフはリケフェレスの眼前にぶん投げた。投擲されたナイフに右手の平を差し向ける、そしてナイフはまるで蒸発するかのように溶けて霧散した。最初の槍にこれをしなかったのはおそらく材質次第では使えない可能性を考慮したのだろう、とはいえ近づけばさっき見たいに床を溶かしてくる。有機物にも権能が有効であるなら接触された時点で敗北するやつだろう、奴は無敵か。だがもし一瞬でも隙を作れるのであれば刀身をねじ込めるかもしれない。権能を操っているのが純粋な人間ならば反応速度にも限界がある、それを捉える!
アルムはすぐに槍を構えリケフェレスに目掛けて距離を詰める、リケフェレスが身構えた瞬間コルウスの権能は発動していた。先程リケフェレスが砕いたコンクリートが元に戻っていたのだ、これによりリケフェレスは修復された足場に足が埋もれて身動きが取れない。リケフェレスの権能をもってしても既に斬撃が振り下ろされている以上もう間に合わない。だがこの時妙な違和感があった、確かに間合いに捉えたはずなのに切っ先が届かないのではないかという一抹の不安。これは目視の情報からくるものではなくアルムが数多の戦場を経験したからこそ感じる不安…
『夜の蜃気楼は初めてか?』
攻撃は通らなかった。蜃気楼とは本来日差しが強く高温に熱せられた地表の周りの空気との温度差により光の屈折率の差が生まれることで、少し遠くの物体が歪んで見える現象。いくら足場のコンクリートを熱せられるからといってそんな事ができるのか?確かに先ほどの水蒸気とこの夜間というコンディションであれば地表との大きな温度差を作り出すコテゃできるだろう、だが特に陽の光がなく街灯と月明かりだけでこうも鮮明にリケフェレスの姿を映し出せるものなのだろうか。しかしそんな事を考察する時間はアルムには残されていなかった。左側腹部にリケフェレスの凶爪が突き破った、瞬間的な激痛と赤い血しぶきはコンクリートに触れた途端きつい香りを放ちながら一瞬で気化する。
『コルウスよ、知っているか』
『そうだ、ここは俺の間合いだ…だから俺の…勝ちだ!』
コルウスは隠し持っていた10センチ程の抜き身のナイフをリケフェレスの胸部に突き刺した。だが当然リケフェレスの装甲には先端を突き刺すのがやっと。
『そのナイフ、まさか!?』
『ー遡け!コルウス!!ー』
『ナイフは元々は一つの短剣だったんだ、投擲する直前にへし折って隠していた!お前の権能よって霧散した本体はコルウスの権能で再び姿を現す!』
リケフェレスの胸部を貫くようにして現れた刃渡り45センチのナイフはリケフェレスの体内で生成された故、内蔵を破壊しつくして致命傷となった。そしてコルウスの槍は切っ先でリケフェレスの首を叩き落とした。戦いは終わった。
『ユイか…どうしてもどってきた?』
戻ってきたユイが血だらけのアルムを見て青ざめている。幸い戦闘は終了したので安全といえばそうなのだが本心を言えばリケフェレスには山程聞きたい事があった。だが彼の権能を考えると尋問なんてしてられないだろう、強敵だった。
『アルム!後ろ!!』
その声が耳に届く頃には既に首のないリケフェレスの右腕がアルムの首を掴んでいた。なんなんだこいつは、どうして首を斬られても生きているんだ。そんな事を考えてるうちアルムの意識は遠のいていく、先程貫かれた脇腹からの出血が止まらないのだ。だがその朦朧とした意識の中強い衝撃で弾き飛ばされたリケフェレスの装甲に生身でぶつかったがために左肩をユイが抑えている。
『アルム、天聖者ってのは首を落とされても生きてられるものなのか?』
『…いいやあんなのは初めてだ、あいつ人間じゃないのか?』
転がり落ちた頭部を拾い上げ、リケフェレスはもう一度その姿を現した。ユイは天死相手なら自衛できるだろうが、あんな訳のわからん権能相手じゃどうしようもない。打つ手なしか…
『アルム…私があいつを倒す、見ててくれ!』
少女は奥歯を鳴らしてこちらに一瞬だけ笑顔を向けた。隠し持っていた短剣は消えかけの街灯光で爵銀の残光を描く。あの短剣が天聖剣なのはわかっているが天聖剣とは持ち主の意思であり魂である、違う意思を2つ混ぜるなんて現実的ではない。自我が侵され言葉すらまともに話せなくなり、そもそも天聖剣が反応せずその切っ先が致命傷となることもある。だがあの自信に満ちた微笑みがアルムの躊躇を食い止める、ユイ…君はまさか
ー天聖ー
左手にはまばゆく輝く天聖剣、ユイは迷いなく天聖剣を自らの胸に突き立てた。現れた4枚の鏡板は激しくぶつかり合い炸裂した、街灯と月明りが粉々になった破片を煌びやかに魅せる。
ートレス・ダミナレプスー
純白の装甲の隙間、腰回りより伸びる真っ赤なマントは純潔で気高い聖騎士のよう。そして兎を模したその眼差しは確かに眼前のリケフェレスを捉えている。ダミナレプスが鉄製の街灯を左手で掴む。次の瞬間街灯は一瞬にして圧縮されて刀身90cm程の剣となった。
『レベル4だと!?素晴らしい、予言通りじゃないか!』
剣を構え迫りくるダミナレプスの前で歓喜するリケフェレス、ダミナレプスの切っ先はリケフェレスの顔の寸前にまで届いていた。
『使い手がそれではなぁ!!』
ダミナレプスの剣は一瞬で溶解した、だがダミナレプスの眼差しは冷静にリケフェレスを捉え続ける。
『断罪だ、ダミナレプス!』
無機質に、冷酷に唱えられたそれはリケフェレスを仕留める宣告だった。溶解した鉄は再び刀身90cmの剣に形を変えて、リケフェレスの両腕を1秒にも満たない速度で切り落とした。既に溶けている物は溶かせない、そしてリケフェレスの権能は鉄を気化させるほどの温度は瞬時に出せなかった。両腕を落とされたリケフェレスは反撃の手段を詰まれたまま両足を切断され崩れ落ちた。
『ユイ、なのか?』
その声にダミナレプスはこちらを振り向いて少し笑ったように見えた。ダミナレプスが街灯を潰したため逆光となり、突き刺された剣とともにその歪なシルエットが見える。
『倒したよアルム、怪我はない?』
『……はぁ、見てわからないのか?重症だ』
EP1 前編 終
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