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 失われた記憶 ~みっつめ~

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「......................」

 響は、たっぷり二分ほどそこを凝視する。驚愕とも驚嘆とも、歓喜とも思える複雑な色を瞳に浮かべて。

 裏庭の植え込み深く。

 そこには一本のにれの木が立っており、少し拓けた場所になっていた。
 背の高い植え込みで周囲から切り離され、陽当たりの良いその場所は響の御気に入りで、昼食後に昼寝をしたりと、のんびりする日課の場所である。
 
 しかし今日はそこに先客がいたのだ。

 すよすよと気持ち良さげに眠る少女。その横には丸めたゴミがある。
 見覚えのあるそれは、響の譲ったサンドイッチの袋の残骸。
 
「奏.........」

 彼の夏の記憶で、無邪気に微笑んだ彼女の名前は東雲しののめかなで
 親友で音楽関係の仕事をしていた父親同士が、同い年に産まれた二人に申し合わせてつけられた名前だった。

 響と奏。

 すぴすぴと寝息をたてる少女の横に腰掛け、響は何とも言えぬ切ない顔で眉をひそめる。

 .....いったい何があったのか。

 響が調べた限り、彼女の両親は裕福な音楽家だった。父親はピアニスト、母親はヴァイオリニスト。
 夫婦で音楽活動をしており、夏の避暑でも、よく演奏会を開いてくれた。
 響もシンバルやカスタネットで参加した小さな演奏会。
 奏は父親顔負けなピアノを披露し、大人達を唸らせていたし、どこから見ても幸せ一杯な家族だったはずなのに。

 一家心中で三人は亡くなったと新聞記事には掲載されていた。

 .....ならば、今、目の前にいる彼女は何者だ?

 生まれてから、ずっと一緒に遊んできた響が奏を見間違うわけはない。
 そしてふと、響は眠る彼女の頬にパン屑を見つけた。無意識にそっと滑る指。
 そして指先についたソレを、自身の唇に寄せる。.....と、そこまでして彼は、ハッと校舎を見上げた。
 響が見上げた校舎の窓辺に幼馴染みの二人が見える。

 .....しまった。

 こちらから見えるということは、あちらからも見えるということで、当然、幼馴染みの二人は驚愕に眼を見開いている。
 その横には、さらにもう一人。スポーツ特待生で生徒会運動総部長の草壁くさかべとおるが立っていた。

 あの部屋は図書館奥の特待生室。
 あそこからだけこの場所が見え、響がここを知ったのも、あそこから見つけたからだ。
 無意識に奏に触れ、その指を口に運んだ。その一連の行動に思わず狼狽えつつ、顔に朱を走らせた響だが、さらに少女が動いたため、彼は慌てて植え込みから逃げだす。
 半分寝たボケたまま起き上がった百香は、スマホで時間を確認して軽く伸びをすると、周囲に散っていたゴミを片付けてノコノコと植え込みから立ち去った。

 その全てを校舎の窓から見ていた生徒会メンバーは、誰とはなしに視線を交わし、複雑な顔で呟く。

「あれって、どういう事だろう?」

 彼等が植え込みの光景に気づいたのは、響がやってきたあたりから。
 カフェテリアで食事を終え、響はいつも通りに校舎裏で昼寝をすると言って二人から離れた。
 その日課を知っていた二人は響を見送り、途中で草壁と合流して特待生室へやってきたのだが。
 
 いつもの場所を見下ろせば、立ち尽くす響と眠る少女。
 何事かと注視する三人を余所に、響は当たり前のごとく少女の横に座り、あろうことかその頬をなでたのだ。

 あの情緒欠落の鉄面皮がである。

 すわっ、逢い引きかっ? あの冷血漢にも春がやってきたのかっ?

 .....っと、固唾を呑んで見守っていたところ、弾かれたかのように響が顔を上げ、忌々しげな眼で三人を睨み付けると、慌てて植え込みから逃げ出していった。

 訝る三人の視界の中で少女は眼を醒まし、何事もなかったかのように植え込みを後にする。



「あの様子では、彼女は響がいた事も知らないのでは?」

 申し合わせて待っていた感じではない。
 だが、あの人間嫌いな響が、あれほど近しく女性を置いたのを初めて見た面々は首を傾げる。
 どう見ても響の態度は近しい間柄のそれだ。下手をしたら幼馴染みである二人に対するよりも親しげな仕草だった。

 .....というか、愛おしい?

 あの柔らかな笑みと、滑るように頬を撫でた指。
 あんな甘い仕草をしておいて、さらには見られていたと気づき、目元に朱を走らせる。
 一部始終を見ていた三人の方が、赤面してしまうような初心さである。

 だが少女の方を見れば、何も知らぬ様子。

 そうなるとアレは...........

「一方通行?」

「片恋ですか?」

「ストーカーだろ?」

 .....身も蓋もない。

 あえて控えめな表現を用いていた幼馴染み二人とは違い、氷点下の温度差を隠しもしない亮を横目に、じっとりと冷や汗を流す拓真と阿月。

 一昔前の流行り歌にもなったような、待ち伏せや付きまとい。それらは今、ストーカーと呼ばれている。純愛も世代を回れば犯罪なのだ。

 友人にそういったレッテルを貼りたくはないが、あの様子からすると否定の仕様もない。

 うーんと天を仰ぐ二人を無視して、亮は特待生室から出ていった。
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