元騎士は旧友の甘い執着に堕ちて

かべうち右近

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元騎士は旧友の甘い執着に堕ちて

8.旧友の想い

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 クリフォード・ウィルズが騎士見習いになったのは、わずか八歳のときのことだった。ウィルズ家の三男坊として生まれたクリフォードは、家督を継ぐあても家長を補佐する役割もない。家に必要とされない三男が身をたてるためには、騎士になるくらいしか道はなかったのだ。

 幸いにして体格に恵まれた彼は、見習いになってすぐでも周囲に舐められることなく過ごしてきたが、困ったのは肉体関係を迫る誘いだった。体格が大人とほとんど変わらなくなるころには、年下の見習い騎士に、恋人になって欲しいと頼まれることもあった。男の相手などごめんだと全て断っていたし、クリフォードは街で娼館に行くほうがよっぽど向いていた。

「少しは愛想よくしたらどうだ」

 それは先輩騎士に言われた言葉だったが、見習い騎士たちも同様の感想を抱いていた。というのも、クリフォードは不愛想で、ほとんど笑うことがなかったからだ。それでも見習い騎士たちはクリフォードを慕うので、先輩騎士たちは面白くなかったのだろう。

 だが、そうした評価が一変したのは、ある出会いがきっかけだった。

「私はジェイミーだ。よろしく頼む」

 新しく見習い騎士になったという彼は、二つ年下だった。騎士を目指すには少々遅いうえ、彼は歳の割に少し小柄だった。加えて、彼は少年のあどけなさを残しつつも整った顔立ちで、なにより紫紺の瞳が目を引いた。

「可愛い顔をしてるな」

 つい口から出た感想に、ジェイミーはぎゅっと眉間に皺を寄せて低い声を出す。

「喧嘩なら買うぞ」

 人形のような顔から飛び出た鋭い言葉に、クリフォードはつい吹き出した。

「はは、悪かった。俺はクリフォードだ。よろしく」

 身体は華奢で高位貴族のように上品な佇まいをしているくせに、存外に喧嘩っぱやいジェイミーは、つつけばよく吼える。それが面白くて、このジェイミーとの出会いをきっかけに、クリフォードは彼の前でだけ、よく笑うようになったのだ。そのおかげというべきか、先輩騎士たちからやっかみを受けることの多かったクリフォードは、以前よりも受け入れられるようになった。

 ジェイミーが見習い騎士に加わってしばらくしたある日、鼻血を垂らしたジェイミーが部屋に戻ってきた。頬には痣まである。

「どうしたんだ、それ」

 ぎょっとしたクリフォードが駆け寄れば、ジェイミーは眉間に皺を寄せた。

「私を抱こうなんていう不届き者がな」

「……は」

 言葉を失ったクリフォードは、ジェイミーの服に目を走らせて、胸元が乱れているのを見て取る。瞬間に、血が沸騰するような感覚に襲われた。

「誰だ、殴ってきてやる」

 部屋から出ようとしたクリフォードを笑いながらジェイミーが引き留める。

「問題ない。ヤられる前にもう返り討ちにしてやった」

 クリフォードの腕をつかんで引き留めたジェイミーは、彼にニヤっと笑ってみせる。手で鼻を拭いながら、こともなげにジェイミーは言ったが、きっとその返り討ちは生半可なことではなかったのだろう。彼の全身の惨状がそれを物語っている。

「お前」

「私が女に見えるんだそうだ。先輩がたはどいつもこいつも節穴らしい」

 それは複数に言い寄られたことがあり、今回が初めてではないという意味ではないか。それに気づいたクリフォードはまた殺気立つ。

「やっぱり殴ってくる」

「待て、返り討ちにしたと言っただろう」

「だが……数人がかりで報復されたらどうする? 徹底的にやっておかないと」

「物騒なやつだな。問題ない。……女みたいな私にやりこめられたなんて、誰が言えるんだ。恥ずかしくて誰にも協力を求められないさ」

 ふふん、と得意げにして、紫紺の瞳が楽しそうに笑んでいる。確かにジェイミーのいう通りで、腐っても騎士はプライドの高い生き物だ。間違っても、手籠めにしてやろうとして返り討ちにあったとは他の騎士に打ち明けられないだろう。

「は、お前は本当に……」

 ジェイミーが手籠めにされていなかった安堵と、喧嘩っぱやさを見せつけられた呆れで、クリフォードはつい笑う。

 そんなことがあってからも、身体つきが中性的なこともあり、ジェイミーはたびたび彼は先輩騎士がたのちょっかいをかけられているようだった。そのたびに返り討ちにしていたし、一年も経たないうちに成長期を迎えた彼は身長も平均男性よりもやや高めのところまで伸びはしたが、それでもジェイミーをものにしようという男は絶えないようだった。

「いっそ恋人でも作れば、先輩がたも諦めるんじゃないか?」

 ある夜、そう尋ねてみれば、ジェイミーは不意を衝かれたような顔をした。

「恋人か。考えたこともなかったな……」

「ジェイにはまだそういうのは早いか」

 にやにやと笑いながらクリフォードがからかえば、いつものジェイミーなら怒り出す。だが、そのときの彼の反応は違った。ぱちぱちと瞬きをしたジェイミーは、思案するように自身の耳に触れてから、やがて頷く。

「……ああ、そうだな。まだ私には早いさ。女性といるよりもお前といるほうが楽しいんだからな、クリフォード」

 くすくすと笑って屈託なく言うものだから、クリフォードは面食らう。だが、それだけではなかった。

「俺も……」

 お前といるほうがよっぽど楽しい。そう言葉にしかけて、クリフォードは止まった。やけに心臓がうるさい。

「どうした?」

 固まったクリフォードを不思議そうにジェイミーは見つめる。そのまっすぐな紫紺の瞳に、また心臓が跳ねた。

 どうしてジェイミーが手籠めにされそうになって、沸騰するような怒りが沸いたのか。そして無事と知って安堵したのか。彼の前でばかり笑ってしまうのはなぜなのか。それらの答えに、今になってやっとクリフォードは気づいてしまう。

(俺は……ジェイミーが、好きなんだ)

 自身の感情に愕然としたが、クリフォードはあえてにやっと笑ってみせた。

「俺もお前と一緒が一番楽しい、って言ってほしかったか? お子様」

「おい」

 眉間に皺を寄せて怒り出したジェイミーに笑って、クリフォードはその場をやり過ごす。

 気持ちを自覚したとて、それを言えるはずもなかった。迫る男たちを薙ぎ払い、男色を嫌悪するジェイミーに気持ちを伝えられるわけがない。親友だと慕ってくれるジェイミーを、ほかならないクリフォードが、裏切るわけにはいかないのだ。

 クリフォードだって、男には興味がないし、性的指向としては女が好きだ。だが、男だとか、女だとか、そんなのは関係ない。クリフォードはジェイミーだから好きになったし、劣情を催した。だが彼の気持ちを告白したときのジェイミーの失望した顔を想像すれば、その気持ちは封印するしかなかったのである。

 親友としてのときを過ごし、やがてジェイミーとクリフォードは正式に騎士に叙任された。そうして迎えた初めての出征は、船上戦だった。

 恐らく、その日の出来事を、クリフォードは一生忘れられないだろう。

 船を接舷させての戦いは、敵味方が入り乱れての乱戦だった。クリフォードは船べりで敵を追い詰めながら善戦していたが、あと一歩、というところで油断してしまったらしい。後ろに迫っている敵に気づかず、背後をとられて囲まれてしまった。

「クリフォード!」

 背後の敵は、叫びながら駆けつけたジェイミーが剣で薙ぎ払い、ことなきを得た。しかし危機は去っていない。気をとられた一瞬に、また別の敵が迫る。大剣を振りかぶった敵の一撃を剣で受けたのはジェイミーだった。

「う、ぁああああああ……っ!」

 押し負けそうになった瞬間、ジェイミーは渾身の力で切り返し、大剣の敵にとどめを刺す。だが、敵も最後の足掻きで大剣を振り回し、その切っ先がわずかにジェイミーの身体を押した。転んだだけならよかっただろうが、足場が悪かった。

「あ……っ!」

「ジェイミー!」

 叫んで手を伸ばしたときにはもう遅い、ジェイミーの身体は船の外へと投げ出されている。クリフォードの腕はジェイミーをつかむことなく、空を切った。

「……っクリフォード! 戦え!」

 落下しながらも、紫紺の瞳がまっすぐにクリフォードを睨み、そう叫ぶ。

「クソ……っ!」

 振り向きざまに、剣を振って迫っていた敵と切り結んだ瞬間に、背後でザァンっと水の跳ねる音が聞こえた。ジェイミーが海に沈んでいっている。鎧をつけたままの彼は、おそらく泳げない。早く助けねば手遅れになるだろう。

(早く、ジェイミーを……!)

 親友の救出に気持ちばかりが急く。だが、戦況がそれを許さない。

 ひとしきりの戦いが終わるころになって、一縷の望みをかけて水面を覗き込んだが、ジェイミーがそこに浮かんでいるわけもなかった。

「……ジェイミー……」

 好きになった男は、自分を守って死んだ。その事実が、クリフォードの胸を焼く。初めての出征は、クリフォードたちの圧勝だったが、それは何の慰めにもならない。

 そうして最愛を喪失したクリフォードは、戦場の鬼と化した。戦場を駆け抜け、いくつもの武勲をたて、戦って戦って、ジェイミーの言葉通りに、戦い抜いた。けれど、何もかもが虚しく、十年ほど経ったころ、彼の兄二人が相次いで死に、男爵家を継ぐことになったクリフォードは華々しい肩書を捨ててあっさりと騎士を退役した。

 そのころには、クリフォード・ウィルズは、幼いころと同じ、笑わない男になっていたのだった。

 死ぬ理由がないからただ生きる彼の人生に、再び光が差し込んだのは、それから数年後のことである。レノン侯爵家から、娘の剣術指南をして欲しいと頼まれたのだ。もちろん、最初は断る気だった。

 そもそも剣術指南なんてものは騎士がやるもので、貴族家の当主がやるようなものではない。まして女に教えるとなればもっと相応しい教師は他にいくらでもいるだろう。クリフォードは社交界にほとんど顔を出さず、隠居の身のようなもので時間はもてあましていたが、指南役など気が進まなかった。

 それでもレノン侯爵家に顔を出したのは、高位貴族の要請を断りきれなかったことと、侯爵が

「断るなら娘に直接言って欲しい」と申し出たせいだった。

 結果として、渋々でも顔を出したのは、彼にとってよかったのだろう。

「はじめまして、ウィルズ卿」

 凛とした声で挨拶をした侯爵令嬢は、淑女の礼をとったあとに、まっすぐにクリフォードを見つめてきた。体躯に優れたクリフォードは、厳めしい表情もあいまって意図せずして他人に威圧感を与えてしまう。ほとんどの箱入り令嬢はクリフォードに対し、怯えの表情を見せるものだ。それなのに、この令嬢は紫紺の瞳で臆せずクリフォードを見つめてくる。

「わたくしはジェイミー・レノンともうします」

「ジェイミー……?」

 名乗りを聞いた一瞬、時が止まったように思えた。髪の色も、面差しも、声音も言葉遣いも全て違う。整った顔というのは共通しているだろうが、系統がまるで違うのだ。だが、瞳の色と、名前が一緒だった。

「……どうかなさいまして?」

 ぱちぱちとまばたきをして、不思議そうにジェイミーがクリフォードを見つめる。そんな仕草が、かつて愛した男に重なって、胸を焼く。

「いや。……剣術指南だったな。これからよろしく頼む」

 そうクリフォードが口走れば、たおやかな令嬢のジェイミーは、ぱあっと顔を輝かせた。

「よろしくお願いします……!」

(ああ、これは、まずいな……)

 あまりにも若すぎてなかなか自覚できなかった初恋とは違い、クリフォードはもうこのときに予感していた。彼女とこのまま共に過ごすのはよくないと。失った親友への想いが捨てきれない癖に、新たに芽生え始めた自身の感情に、このときのクリフォードはもう気づいていたのであった。
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