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元騎士は旧友の甘い執着に堕ちて
11.親友のはからい
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初夜の後、クリフォードが夫婦の寝室に来ることはなくなった。とはいえ、クリフォードはジェイミーに対して普通に接している。まるであの初夜のできごとが全て夢であったかのように、それ以前と全く同じように接してくるのだ。その意図を、ジェイミーはあえて聞けていない。
(聞けるわけがない)
尋ねてしまえば、クリフォードの気持ちを再確認することになる。卑怯ではあるが、彼が表面上でも普通に接してくれていることが、今のジェイミーには救いだった。
しかし、二人の関係はすでに夫婦だ。表面上が仲良くとも、閨を共にしないのは下々の者に不信感を与えることになる。彼は結婚以前から使っている執務室にある仮眠用ベッドで寝ているらしい。それはメイドたちの間で周知の事実である。普通ならば新婚夫婦は数日は小作りに励むところを、初夜以降寝室を別にしているとなれば、妻は冷遇されていると判断されるだろう。寝室を別にして早ければ三日目か四日目あたりで、現金なメイドたちの態度はあからさまに悪くなる。
だが、ウィルズ家ではそうしたことは起きなかった。
すでにベッドを共にしなくなって一週間ほど経つが、メイドたちの態度はいたって従順どころか、親切すぎるほどである。それというのも、クリフォードが閨事以外については食事を共にしたり、会話を通してジェイミーを冷遇するそぶりがないからだろう。
そうジェイミーは思っていたが、この日、メイドたちが親切な理由がもっと色々にあるのだと彼女は知ることになる。
「旦那様は照れてらっしゃるんですよ。こんなにお綺麗な奥様をお迎えしたんですもの」
くすくすと笑いながら言ったのはこの屋敷に来て新たにジェイミー専属メイドになったイヴォンだった。レノン家で専属メイドの役を担っていた乳母は、ジェイミーの結婚に際して歳のこともあり、その任を辞しているのだ。このため、レノン家からジェイミーはメイドを誰も連れてきていない。
朝、寝室にやってきてジェイミーの仕度を手伝いながら、イヴォンはいつも屈託なく話しかけてくれる。今のセリフは、昨晩も執務室で夜を明かしたクリフォードに対する感想だ。どう答えたものかと考えあぐねていたジェイミーに、イヴォンは気にせずドレスをいくつか並べて見せた。
「本日はどれになさいますか?」
「今日の予定は何かあったかしら」
「仕立て屋が来る予定と聞いております。ジェイミー様のお召し物を注文するとか」
そう言われて、ジェイミーはぱちぱちと目を瞬いた。近日中に仕立て屋を呼んで、ジェイミーの日常のドレスを追加で注文するとクリフォードから聞かされていたから、そこは問題ではない。ジェイミーが気にしたのは、今着替えとして差し出されている服のことだ。
どれを着るかと聞かれて並べられているドレスはいずれも室内用ドレスである。しかもどのデザインもコルセットを必要としないゆったりとしたタイプのもので、ジェイミーの好みではあるが外部の人間に会うような服ではないだろう。とりあえず室内着で過ごし、客が来る直前に別のドレスに着替える貴族もいるにはいるが、着付けに時間がかかりすぎるので、予定があるならば普通は最初からコルセットドレスを着ることが多いというのに。
(何度も着替えろ、ということか)
「仕立て屋が来るのなら、最初からコルセットドレスのほうがいいんじゃないかしら」
苦笑しながらジェイミーがやんわりと言えば、イヴォンは首を傾げる。
「ジェイミー様はコルセットドレスのほうがお好きでしたか? おかしいな、旦那様は確かにこのドレスでいいっておっしゃってたのに……」
「……クリフォードが?」
眉を潜めたジェイミーの尋ねに対し、イヴォンはそれは嬉しそうに顔を輝かせた。
「ジェイミー様はご存知ありませんでしたね……! 旦那様、毎朝、ジェイミー様のドレスを選んでくださるんですよ! 私、まだジェイミー様のお好きなドレスの型とか覚えきれていないので、助かってるんです。でもでもそんなことより、どんなにお忙しくっても、旦那様はジェイミー様の身の回りのお好みについてあれこれと教えてくださって……そもそも最近お忙しいのだって、ジェイミー様との結婚式を早くされるために、奔走なさってたせいなんですよ! なのに、お食事は必ずご一緒に、って……旦那様は本当にジェイミー様がお好きですね!」
「そう、なの……」
ようやくそれだけを答えたが、ジェイミーは気恥ずかしさで頬が赤くなる。
(あいつがそんなことを……)
道理でウィルズ家に来た翌日から、ジェイミー好みの服ばかりをイヴォンが差し出すわけである。嫁ぐにあたって、服は何着も持ってきてはいるが、ウィルズ家で用意された服も多数あるようだった。毎朝三着見せられる中に、持ち込んだ服の他に真新しい室内着が一着は必ず入っている。しかも、記憶にある限りその新しい服はこの数日間でまだ同じものをお目にかかっていない。
てっきりレノン家からジェイミーの好みを聞いているのだと思っていたが、全てクリフォードの采配だったらしい。
(……私のことを、好きでこれを……)
言葉を反芻してジェイミーはさらに頬が熱くなりかけたが、きゅっと唇を引き結んであえて真面目な顔を作る。
「クリフォードが用意してくれたものでも、わざわざあとからコルセットドレスに着替えるのは面倒だわ」
この言葉に、イヴォンはまた首を傾げた。そうして何かを思案するようにして、突然あっと目を見開く。
「私の言葉が足らずで申し訳ありません……! あの、お客様にお会いするときも、ジェイミー様が望まれないなら、こちらの室内着で良いとうかがっております。ジェイミー様がお好きなドレスを着ればコルセットドレスでもなんでも構わないとのことでしたが……ジェイミー様はどちらがよろしいですか?」
あまりの話にぽかんとしたジェイミーは、やがて眉間に皺を寄せた。
「……仕立て屋に侮られてしまうわ」
レノン家にいたころ、比較的やりたい放題をしていたジェイミーではあるが、対外的には貴族令嬢として淑女のふるまいをこころがけていたつもりだ。男言葉を使っていたのだって、乳母の前だけだったし、外出や来客の際にはコルセットドレスをきちんと身に着けいた。だから仕立て屋に会うときだって、いつもの楽な室内着からコルセットドレスを着ていたというのに、女主人になった今、そんなだらしない姿を晒すわけにはいかない。
(これは私が男だとか、そういうのは関係ない。けじめというやつだ)
そう思ったが、イヴォンは生真面目な顔をしたジェイミーに、くすくすと笑った。
「私もそう思います」
ではなぜ、と言おうとしたジェイミーが口を開く前に、イヴォンは続ける。
「でも旦那様は、ジェイミー様が気分よく過ごされることのほうが大事なんだそうですよ。ジェイミー様が望まれないならコルセットなんて着なくていいって」
「ばかげたことを」
ぎょっとしてつい素の言葉が出たジェイミーだったが、それに対してイヴォンはにっこりと笑った。
「ええ、旦那様はジェイミー様にどうかしてらっしゃるんです。ですから、ジェイミー様はお好きなお召し物をお選びください」
このメイドは、きっと何を言ってもニコニコとしながら、クリフォードがどれだけジェイミーを愛しているかということについてとうとうと語るだけなのだろう。それを感じとったジェイミーは小さく息を吐いてただこう言うしかなかった。
「……わかった」
(私の知らないところで、こんな恋に溺れた男のようなばかげたことばかり言っていたなら、メイドたちの親切ぶりもわかるというものだ……)
半ば諦めの気持ちで考えて、ジェイミーはそのクリフォードの行動がまさに『恋に溺れた男』であることについては、思考を放棄している。
好きにしていいと言われても、男爵夫人としての対面を保たねばならないと思ったジェイミーは結局コルセットドレスを持ってくるように命じ、室内ドレスではなくコルセットドレスで仕立て屋を迎え入れたのだった。
朝っぱらからとんでもない話を聞かされたジェイミーだったが、仕立て屋が来てさらに面食らうことになるとは思いもよらなかった。
というのも、ドレスを仕立てると聞いていたのに、仕立て屋はすでに何着も服を持ってきたからである。
「ご注文いただいておりました服をお持ちしました」
そう言って仕立て屋が並べだしたのは、乗馬服に剣術の練習用の服、それに室内着だった。しかし、そのデザインは一般的な淑女用のものと異なり、どれもぴったりとしたズボンタイプである。淑女たるもの、足を曝け出すことはもちろんのこと、足のラインが出るような衣服を着るのさえ淫らだとされる。だからこそ、女性の乗馬はドレスを着た上での横乗りが基本だったし、剣術用のズボンでさえ、股が別れているだけでだぶついた裾がずいぶんと邪魔なものだった。
だが、持ってこられたのはまるで男性用の服をジェイミーのサイズに合わせただけのような仕立てが成されている。これではジェイミーの足の形は丸わかりだ。これを着て出歩けば、眉を潜める者も少なくないだろう。
「これは……」
いつ注文したのか。それを問おうとして、ジェイミーは口をつぐむ。袖を通してみればぴったりなその服は、恐らくサイズについてはレノン家から情報をもらったのだろう。
「まあ。すらりとした足がお美しいですわね! お仕立てした甲斐がございました」
仕立て屋が喜んでみせるのに、ジェイミーは質問の答えをわかっていながら口にする。
「デザインの指示は誰が?」
「男爵様でございます」
「そう……」
レノン家にいたころ、好きに過ごさせてもらっていたとはいえ、ジェイミーの乗馬服はスカートのドレスだったし、剣術のズボンはこんなにぴったりとしていなかった。部屋着に至っては言うまでもない。これらの全てを、クリフォードがジェイミーのために注文した。既製服など存在しないのだから、きっとこれはジェイミーとの婚約が決まってすぐに仕立ててくれたのだろう。
ジェイミーが、自身を男だと言ったから。
「男爵様から奥様は活発に動ける装いがお好きだからこれを仕立ててほしいとお伺いしたときは、お恥ずかしながら、とんでもないって反対いたしましたのよ。ですが、男爵様が絶対にこのズボンじゃないとだめだとおっしゃられて……半信半疑でお仕立ていたしましたの」
仕立て屋はそう言ってから、うっとりとジェイミーのズボン姿を見る。
「社交界の月の女神が、こんなに勇ましい装いもお似合いになるなんて、想いもよりませんでしたわ。これからの流行となりましょう」
「どうかしらね」
「いいえ、その通りだと思います! ジェイミー様、とってもお似合いです!」
仕立て屋に続いてのイヴォンの賛辞に、ジェイミーは苦笑する。改めて鏡を見て、ジェイミーはそっとズボンを触れてみた。
(子どものころは、ズボンを履きたいと言ってだだをこねて、何度も泣いたのだったな)
生地がぴったりと足に沿ったズボンを履くのは、前の身体以来だ。いつの間にかドレスに袖を通すことにも抵抗を覚えなくなっていたが、ズボンへの渇望が消えたわけではない。
きっとそれを見透かしていて、クリフォードはこれを注文してくれたのだ。その心遣いが嬉しい。だが。
(……私を、こんなに尊重しているくせに、あいつはどうして)
これがただの親友の気遣いなら素直に受け取れた。だが、頭に浮かぶのはあの夜のクリフォードの言葉だ。
『愛している。ずっと、ずっとこうしたかった』
ずっと、ジェイミーを組み伏せ、裸に剥いて女の身体を貪ることを考えていたのだ。この服を準備する前からきっと、そうだったのだろう。そう考えると、ジェイミーは喜んでいいのか、ただのご機嫌とりだと軽蔑していいのかわからなかった。
「……いい仕立てだわ。ありがとう」
「過分なお言葉でございます」
仕立て屋を労ったあとは、日常用のドレスを数点注文してその日の用事は終わった。
(今日はずいぶんと、クリフォードのことを考えさせられる日だった)
クリフォードは周囲にジェイミーに対する溺愛ぶりを示していたらしい。そんな事実を、思い知らされたジェイミーは、ただ、気持ちを持て余していた。
(聞けるわけがない)
尋ねてしまえば、クリフォードの気持ちを再確認することになる。卑怯ではあるが、彼が表面上でも普通に接してくれていることが、今のジェイミーには救いだった。
しかし、二人の関係はすでに夫婦だ。表面上が仲良くとも、閨を共にしないのは下々の者に不信感を与えることになる。彼は結婚以前から使っている執務室にある仮眠用ベッドで寝ているらしい。それはメイドたちの間で周知の事実である。普通ならば新婚夫婦は数日は小作りに励むところを、初夜以降寝室を別にしているとなれば、妻は冷遇されていると判断されるだろう。寝室を別にして早ければ三日目か四日目あたりで、現金なメイドたちの態度はあからさまに悪くなる。
だが、ウィルズ家ではそうしたことは起きなかった。
すでにベッドを共にしなくなって一週間ほど経つが、メイドたちの態度はいたって従順どころか、親切すぎるほどである。それというのも、クリフォードが閨事以外については食事を共にしたり、会話を通してジェイミーを冷遇するそぶりがないからだろう。
そうジェイミーは思っていたが、この日、メイドたちが親切な理由がもっと色々にあるのだと彼女は知ることになる。
「旦那様は照れてらっしゃるんですよ。こんなにお綺麗な奥様をお迎えしたんですもの」
くすくすと笑いながら言ったのはこの屋敷に来て新たにジェイミー専属メイドになったイヴォンだった。レノン家で専属メイドの役を担っていた乳母は、ジェイミーの結婚に際して歳のこともあり、その任を辞しているのだ。このため、レノン家からジェイミーはメイドを誰も連れてきていない。
朝、寝室にやってきてジェイミーの仕度を手伝いながら、イヴォンはいつも屈託なく話しかけてくれる。今のセリフは、昨晩も執務室で夜を明かしたクリフォードに対する感想だ。どう答えたものかと考えあぐねていたジェイミーに、イヴォンは気にせずドレスをいくつか並べて見せた。
「本日はどれになさいますか?」
「今日の予定は何かあったかしら」
「仕立て屋が来る予定と聞いております。ジェイミー様のお召し物を注文するとか」
そう言われて、ジェイミーはぱちぱちと目を瞬いた。近日中に仕立て屋を呼んで、ジェイミーの日常のドレスを追加で注文するとクリフォードから聞かされていたから、そこは問題ではない。ジェイミーが気にしたのは、今着替えとして差し出されている服のことだ。
どれを着るかと聞かれて並べられているドレスはいずれも室内用ドレスである。しかもどのデザインもコルセットを必要としないゆったりとしたタイプのもので、ジェイミーの好みではあるが外部の人間に会うような服ではないだろう。とりあえず室内着で過ごし、客が来る直前に別のドレスに着替える貴族もいるにはいるが、着付けに時間がかかりすぎるので、予定があるならば普通は最初からコルセットドレスを着ることが多いというのに。
(何度も着替えろ、ということか)
「仕立て屋が来るのなら、最初からコルセットドレスのほうがいいんじゃないかしら」
苦笑しながらジェイミーがやんわりと言えば、イヴォンは首を傾げる。
「ジェイミー様はコルセットドレスのほうがお好きでしたか? おかしいな、旦那様は確かにこのドレスでいいっておっしゃってたのに……」
「……クリフォードが?」
眉を潜めたジェイミーの尋ねに対し、イヴォンはそれは嬉しそうに顔を輝かせた。
「ジェイミー様はご存知ありませんでしたね……! 旦那様、毎朝、ジェイミー様のドレスを選んでくださるんですよ! 私、まだジェイミー様のお好きなドレスの型とか覚えきれていないので、助かってるんです。でもでもそんなことより、どんなにお忙しくっても、旦那様はジェイミー様の身の回りのお好みについてあれこれと教えてくださって……そもそも最近お忙しいのだって、ジェイミー様との結婚式を早くされるために、奔走なさってたせいなんですよ! なのに、お食事は必ずご一緒に、って……旦那様は本当にジェイミー様がお好きですね!」
「そう、なの……」
ようやくそれだけを答えたが、ジェイミーは気恥ずかしさで頬が赤くなる。
(あいつがそんなことを……)
道理でウィルズ家に来た翌日から、ジェイミー好みの服ばかりをイヴォンが差し出すわけである。嫁ぐにあたって、服は何着も持ってきてはいるが、ウィルズ家で用意された服も多数あるようだった。毎朝三着見せられる中に、持ち込んだ服の他に真新しい室内着が一着は必ず入っている。しかも、記憶にある限りその新しい服はこの数日間でまだ同じものをお目にかかっていない。
てっきりレノン家からジェイミーの好みを聞いているのだと思っていたが、全てクリフォードの采配だったらしい。
(……私のことを、好きでこれを……)
言葉を反芻してジェイミーはさらに頬が熱くなりかけたが、きゅっと唇を引き結んであえて真面目な顔を作る。
「クリフォードが用意してくれたものでも、わざわざあとからコルセットドレスに着替えるのは面倒だわ」
この言葉に、イヴォンはまた首を傾げた。そうして何かを思案するようにして、突然あっと目を見開く。
「私の言葉が足らずで申し訳ありません……! あの、お客様にお会いするときも、ジェイミー様が望まれないなら、こちらの室内着で良いとうかがっております。ジェイミー様がお好きなドレスを着ればコルセットドレスでもなんでも構わないとのことでしたが……ジェイミー様はどちらがよろしいですか?」
あまりの話にぽかんとしたジェイミーは、やがて眉間に皺を寄せた。
「……仕立て屋に侮られてしまうわ」
レノン家にいたころ、比較的やりたい放題をしていたジェイミーではあるが、対外的には貴族令嬢として淑女のふるまいをこころがけていたつもりだ。男言葉を使っていたのだって、乳母の前だけだったし、外出や来客の際にはコルセットドレスをきちんと身に着けいた。だから仕立て屋に会うときだって、いつもの楽な室内着からコルセットドレスを着ていたというのに、女主人になった今、そんなだらしない姿を晒すわけにはいかない。
(これは私が男だとか、そういうのは関係ない。けじめというやつだ)
そう思ったが、イヴォンは生真面目な顔をしたジェイミーに、くすくすと笑った。
「私もそう思います」
ではなぜ、と言おうとしたジェイミーが口を開く前に、イヴォンは続ける。
「でも旦那様は、ジェイミー様が気分よく過ごされることのほうが大事なんだそうですよ。ジェイミー様が望まれないならコルセットなんて着なくていいって」
「ばかげたことを」
ぎょっとしてつい素の言葉が出たジェイミーだったが、それに対してイヴォンはにっこりと笑った。
「ええ、旦那様はジェイミー様にどうかしてらっしゃるんです。ですから、ジェイミー様はお好きなお召し物をお選びください」
このメイドは、きっと何を言ってもニコニコとしながら、クリフォードがどれだけジェイミーを愛しているかということについてとうとうと語るだけなのだろう。それを感じとったジェイミーは小さく息を吐いてただこう言うしかなかった。
「……わかった」
(私の知らないところで、こんな恋に溺れた男のようなばかげたことばかり言っていたなら、メイドたちの親切ぶりもわかるというものだ……)
半ば諦めの気持ちで考えて、ジェイミーはそのクリフォードの行動がまさに『恋に溺れた男』であることについては、思考を放棄している。
好きにしていいと言われても、男爵夫人としての対面を保たねばならないと思ったジェイミーは結局コルセットドレスを持ってくるように命じ、室内ドレスではなくコルセットドレスで仕立て屋を迎え入れたのだった。
朝っぱらからとんでもない話を聞かされたジェイミーだったが、仕立て屋が来てさらに面食らうことになるとは思いもよらなかった。
というのも、ドレスを仕立てると聞いていたのに、仕立て屋はすでに何着も服を持ってきたからである。
「ご注文いただいておりました服をお持ちしました」
そう言って仕立て屋が並べだしたのは、乗馬服に剣術の練習用の服、それに室内着だった。しかし、そのデザインは一般的な淑女用のものと異なり、どれもぴったりとしたズボンタイプである。淑女たるもの、足を曝け出すことはもちろんのこと、足のラインが出るような衣服を着るのさえ淫らだとされる。だからこそ、女性の乗馬はドレスを着た上での横乗りが基本だったし、剣術用のズボンでさえ、股が別れているだけでだぶついた裾がずいぶんと邪魔なものだった。
だが、持ってこられたのはまるで男性用の服をジェイミーのサイズに合わせただけのような仕立てが成されている。これではジェイミーの足の形は丸わかりだ。これを着て出歩けば、眉を潜める者も少なくないだろう。
「これは……」
いつ注文したのか。それを問おうとして、ジェイミーは口をつぐむ。袖を通してみればぴったりなその服は、恐らくサイズについてはレノン家から情報をもらったのだろう。
「まあ。すらりとした足がお美しいですわね! お仕立てした甲斐がございました」
仕立て屋が喜んでみせるのに、ジェイミーは質問の答えをわかっていながら口にする。
「デザインの指示は誰が?」
「男爵様でございます」
「そう……」
レノン家にいたころ、好きに過ごさせてもらっていたとはいえ、ジェイミーの乗馬服はスカートのドレスだったし、剣術のズボンはこんなにぴったりとしていなかった。部屋着に至っては言うまでもない。これらの全てを、クリフォードがジェイミーのために注文した。既製服など存在しないのだから、きっとこれはジェイミーとの婚約が決まってすぐに仕立ててくれたのだろう。
ジェイミーが、自身を男だと言ったから。
「男爵様から奥様は活発に動ける装いがお好きだからこれを仕立ててほしいとお伺いしたときは、お恥ずかしながら、とんでもないって反対いたしましたのよ。ですが、男爵様が絶対にこのズボンじゃないとだめだとおっしゃられて……半信半疑でお仕立ていたしましたの」
仕立て屋はそう言ってから、うっとりとジェイミーのズボン姿を見る。
「社交界の月の女神が、こんなに勇ましい装いもお似合いになるなんて、想いもよりませんでしたわ。これからの流行となりましょう」
「どうかしらね」
「いいえ、その通りだと思います! ジェイミー様、とってもお似合いです!」
仕立て屋に続いてのイヴォンの賛辞に、ジェイミーは苦笑する。改めて鏡を見て、ジェイミーはそっとズボンを触れてみた。
(子どものころは、ズボンを履きたいと言ってだだをこねて、何度も泣いたのだったな)
生地がぴったりと足に沿ったズボンを履くのは、前の身体以来だ。いつの間にかドレスに袖を通すことにも抵抗を覚えなくなっていたが、ズボンへの渇望が消えたわけではない。
きっとそれを見透かしていて、クリフォードはこれを注文してくれたのだ。その心遣いが嬉しい。だが。
(……私を、こんなに尊重しているくせに、あいつはどうして)
これがただの親友の気遣いなら素直に受け取れた。だが、頭に浮かぶのはあの夜のクリフォードの言葉だ。
『愛している。ずっと、ずっとこうしたかった』
ずっと、ジェイミーを組み伏せ、裸に剥いて女の身体を貪ることを考えていたのだ。この服を準備する前からきっと、そうだったのだろう。そう考えると、ジェイミーは喜んでいいのか、ただのご機嫌とりだと軽蔑していいのかわからなかった。
「……いい仕立てだわ。ありがとう」
「過分なお言葉でございます」
仕立て屋を労ったあとは、日常用のドレスを数点注文してその日の用事は終わった。
(今日はずいぶんと、クリフォードのことを考えさせられる日だった)
クリフォードは周囲にジェイミーに対する溺愛ぶりを示していたらしい。そんな事実を、思い知らされたジェイミーは、ただ、気持ちを持て余していた。
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