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元騎士は旧友の甘い執着に堕ちて
15.偽りのない本音
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部屋の中に入ったジェイミーは、ドアの前に佇んだまま、無意識に執務机の上にあるランプを見て、さらにそこに酒瓶があるのに気づいた。グラスには明らかに飲みかけの酒も入っている。
(飲んでいたのか)
その執務机に、腰をもたれかけるようにしたクリフォードが、大きなため息を吐いた。
「それで?」
低い疑問符のついた声をかけられて、ジェイミーははっとしてクリフォードを見る。先ほどと同じように、やはりランプの逆光になっていて、彼の表情は見えづらいが、琥珀色の瞳がまっすぐに彼女を見ているのがわかる。
「クリフォード」
名前を呼んで、そのあとが続かない。
(話をしようとは思ったが、無計画に来るなんて。私はばかか)
困って耳に触れると、正面で、ふっと笑う気配がした。
「なんだ、話があったんじゃないのか」
先ほどまでの探るような気配が急に引っ込んで、クリフォードが穏やかに言う。
(笑ってる……)
そう思うと、緊張していた心がふわっと解れたような気がして、耳に触れていた手をジェイミーは下ろした。
「ジェイミー?」
「そうだ。剣術指南を、またして欲しい!」
促されて口をついたのは、そんな言葉だった。途端に、ジェイミーは羞恥で顔が染まる。これはクリフォードにとっても不意打ちだったのだろう。しばらくぽかんと黙り込んだあとに、くつくつと笑い始めた。
「緊張している俺のほうがばからしいな……。だが、それは断る」
「クリフォード!」
笑いを納めたクリフォードが断ずるのに、焦ってジェイミーは声をあげる。
「お前が言ったんだろうが。『話すことはない』と。それなら俺だってもう話すことはねえよ」
「……あのときはすまなかった。頭に血が上って……」
「謝罪なんかいらん」
腕を組んでクリフォードは短く言う。逆光で表情の見えない親友は、退役していても歴戦の騎士の風格で、黙って立っていればそれだけで威圧感を与える。今まで一度だって感じたことがないのに、彼が厳めしい顔をしているように思えて、ジェイミーは初めてクリフォードに気圧されそうになった。
「もう、クリフォードと前のように過ごすことはできないのか?」
「前のように楽しく過ごして? それでどうなる。お前はどうせ、俺を許すつもりなんかないんだろうが」
低い声で言われたジェイミーは息を呑む。固まって答えない彼女に、クリフォードは鼻で笑った。
「いい年したオッサンが子どもじみたことを言ってるのはわかってるさ。だがもう、勘弁してくれ」
「……クリフォード」
「俺はお前を尊重する。寝室も別だ。必要なときには夫婦のふりもする。だから代わりに俺のことも尊重しろ。……お前に恨まれたまま、一緒にいるのは辛い」
絞り出すように告げられた言葉に、ジェイミーは拳を握った。食い込んだ爪が痛めるのは掌のはずなのに、なぜか胸が痛い。
「……いやだ」
「ジェイミー」
「私が我儘を言っているのはわかっている。だけど」
ドアの前に立っていたジェイミーは数歩前に出て、クリフォードに近づく。
「お前と、上辺だけの関係になるのはいやだ……」
ぽつ、と呟いて、ジェイミーはクリフォードを見上げる。そうしてもう一歩前に出た彼女は、クリフォードの腕をつかもうとして一瞬ためらい、腕を伸ばしてそっと彼の袖をつまんだ。
「クリフォードと本音で話せないのはいやだ」
ジェイミーの声が震える。気づけば目頭が熱くなって涙が浮かんでいた。ここまで至近距離にきて、やっとジェイミーにはクリフォードの表情が見てとれる。彼は顔を歪めて戸惑いの表情を浮かべていた。
「私はどうしてもお前を憎みきれないんだ、クリフォード」
つまんだ袖を、きゅっと握ったジェイミーが言った途端に、一筋涙が零れる。真摯な視線を受けたクリフォードは、深い息を吐いて目を伏せ、片手で顔を覆った。
「お前は、ずいぶん残酷なことを言う。俺の気持ちに応えることはないとわかっていて、それでもお前のそばにいろって言うんだな」
そう言いながらも、クリフォードはジェイミーのつまんだ袖を振り払わない。彼が何を思っているのかはジェイミーには推測しようもないが、それでも今クリフォードが受け入れようとしていることはわかる。
「せっかくクリフォードと再会できたのに、お前とつまらないけんかをしていたくない」
もう一歩近づいたジェイミーは、もう片手で、クリフォードの腕に手を添える。それで彼は、白旗をあげたようだった。顔を覆っていた手を離して、ジェイミーを見つめて苦笑する。
「……わかったよ。剣術指南はする。今までと同じ通り、お前は俺に接してくれていい」
「クリフォード……!」
「その代わり」
ぱあっと顔を輝かせたジェイミーを、クリフォードは遮った。
「俺も、本音で接するからな」
ぐっとジェイミーの腰を引き寄せて、こつん、と額を突きあわせた。間近に迫った琥珀色の瞳が、悪戯っぽくジェイミーの目を見つめている。
「ほ、んね?」
腰に回された腕は強く、そして温かい。必死になりすぎてうっかりこんな至近距離にきていた自分を内心叱咤したが、もう手遅れだ。
「今までお前に嫌われたらと思ってずっと言えなかったが、もう一回言ってしまったんだ。これからは堂々とお前を口説くことにする」
「くど……待て!」
唇がゆっくりと近づいてきたのを慌てて片手で遮って、ジェイミーはクリフォードの口づけを阻止する。
「尊重をするんじゃなかったのか。私は男だぞ!」
「愛しているやつが妻で、腕の中にいるんだ。キスするくらいはいいだろうが」
「開き直りすぎじゃないか!?」
ジェイミーが叫べば、口を押さえられたままのクリフォードはくつくつと笑った。
「こっちはお前を抱きたいのに我慢して付き合ってやるんだ。少しはお前も譲歩しろ」
やれやれ、とため息を吐き、まるで被害者のような彼の口ぶりに、ジェイミーは少しだけむっとした。
「約束を破って、私を無理やり抱いたのはクリフォードじゃないか」
「婚約したときだってお前を抱かないなんて約束なんか、俺はしてないぞ? あれは確認もしない、無防備なお前が悪い」
その指摘はもっともすぎてぐうの音も出ないジェイミーである。
「だから」
「あっ」
口を押さえたままだった掌にリップ音をたてられ、手首をやんわりと捕まえられる。そうして彼女の手はどかされて、クリフォードはジェイミーの首元に唇を這わせた。
「今襲われてるのもお前が悪い」
「やっクリフォード……!」
ちゅう、と唇が強く肌を吸う。執着を思わせるその音に背中を震わせたジェイミーは、小さく吐息を漏らした。それがやけに艶めいていて、自分でどきりとする。
「ほら、抵抗しないとまた俺に抱かれるぞ」
意地悪く言いながら、拘束する腕でするりとジェイミーの腰を撫で、柔らかな尻をきゅっと揉みこむ。
「あっや、だ……」
その拒絶の声は余りにも弱々しく、言葉のわりに彼女はもたれかかるように、クリフォードに身体を預ける。彼女が女の悦びを刻まれたのはたった一度だ。だがその初夜の一度きりで、どこもかしこも気持ちがよくなれるのだと快楽を教え込まれた身体は、尻をつかまれたごときの刺激で熱が灯りそうになる。
「クリフォード……」
弱々しく再び名前を呼んだところで、二個目の印を落とし込んでいたクリフォードが、ふるふると震えだした。ジェイミーの身体をまさぐっていた手は止まり、リップ音をたてるのも中止されている。
「……クリフォード?」
よりかかり気味だった身体を離そうとすれば、簡単に身体は解放された。唐突に黙り込んで俯いて震えているクリフォードに焦ったジェイミーは、おそるおそる彼の顔を覗きこんでぴたりと止まる。
「何を笑っているんだ」
再びむっとした声を出したジェイミーに、クリフォードは堪えきれなくなったように、くつくつと喉を鳴らして笑い始めた。
「お前は、本当に簡単に騙されて……可愛い奴だな」
笑いながらも、つかんだジェイミーの手首は離さない。その手の熱さが落ち着かず、ジェイミーは目を釣り上げた。
「お前というやつは! 冗談もほどほどにしろ! たちが悪いにも程があるぞ!」
文句を連ねたジェイミーに対し、なお笑っていたクリフォードは不意に真顔になった。
「冗談なんかじゃない」
ぐっ、と腕を引かれて、再度ジェイミーは抱き寄せられる。ただ彼女を引き寄せただけの先ほどと違い、下半身を押しつけるようにされて、ジェイミーは息を呑んだ。彼の下半身が、熱く硬くなっている。
「これもお前が悪いんだろうが」
「なに」
「夜中に、こんな薄着で男の部屋にくるやつがあるか」
「それは……クリフォードと話すためで……」
言いながらも、ジェイミーは自分の言い分が通らない自覚があった。
(……違う。私の、認識が甘かった)
若い女がナイトガウンを羽織っただけの薄着で、深夜に男の寝室を訪ねる。それは言葉にすれば、危機感がなかったのは確かで、クリフォードが怒るのももっともだろう。ジェイミーを見つめる眼差しはちっとも笑っていない。
「お前の心が男なのは仕方がない。だが、今の身体は女だろう。今まで手籠めにされなかったのが不思議なくらい、お前は隙がありすぎる。今だって俺が手を止めなければ、そのまま抱かれていただろうが。……もう少し自覚を持て」
ジェイミーの下腹には、変わらず熱く硬いものが押し付けられている。だが、クリフォードはそれを動かして快楽を得ようとはしていないし、理性を持って我慢してくれているのだ。全部、ジェイミーを尊重してのことだ。
「……ごめん」
ジェイミーがぽつりと謝れば、クリフォードは盛大にため息を吐いて、ゆるゆると拘束を解いた。
「わかればいい」
執務机にもたれかかっていたクリフォードは、さっと立ち上がって、ジェイミーの肩を叩いた。
「俺は寝室に行くから、ジェイミーはここを使え」
「どうしてだ? ベッドを交換なんかしなくても、私が寝室に戻ればいいだけだろう」
きょとんとしたジェイミーが首を傾げて尋ねる。
「お前なあ……俺のさっきの話、ちゃんと聞いてたか?」
心底呆れたように、半眼になったクリフォードが言う。
(聞いていたに決まっているのに)
わけがわからなくて、むっとしたジェイミーがクリフォードを睨む。だが彼は怯みもせずにまだ呆れた表情で、とん、とジェイミーの鎖骨の辺りを指で押した。
「寝室に戻るまでに、男の使用人に出くわしたらどうするんだ。そんな格好で出歩いていたら襲ってくれって言ってるようなもんだぞ」
「っ皆がそんなことをするわけないだろう!」
「ああそうだ。俺の屋敷の使用人は変なやつなんかいないし、全員信用しちゃいるがな。万が一にでもそんなことになったら、俺は正気を保てそうにない」
激昂したジェイミーにただクリフォードは淡々と言う。その内容に今度はジェイミーが呆れた表情になる。
「大袈裟だな」
「ああ、大袈裟なんだよ。それだけお前が好きなんだ。わかれ」
苦笑したクリフォードが、ジェイミーの頬に手を添えて軽く撫でる。その動作に、なぜだかぞくりとした。
「……っわかってたまるか!」
ぷいっとそっぽを向いてジェイミーは彼の視線と手から逃げた。ふっと笑った気配がして、クリフォードはドアのほうへと歩いていく。
「あっ私が部屋に戻るから」
慌ててジェイミーは追いかけるが、大股で歩くクリフォードはすぐにドアノブに手をかける。
「俺のためだと思って、今日はここで寝ろ。ああ、そうだ」
ドアを開いてから止まった彼は、ジェイミーを振り返る。
「二度と夜中なんかに俺のところに来るんじゃねえ。それが守れねえなら、次は抱くからな」
(何を言ってるんだこいつは!)
かっと頬を赤らめて固まったジェイミーに、クリフォードは目元を緩めた。
「また隙があるぞ」
「なに」
ぱっとクリフォードを見上げたジェイミーの顎をすくって、屈んだクリフォードがその唇を奪う。だが、軽くついばんだだけですぐにやめ、抵抗を受ける前に彼はするりと手を離す。
「おやすみ、ジェイミー。次は油断するなよ」
にっと笑ったクリフォードは、さっと身を翻して廊下に出る。
「クリフォード!」
硬直していたジェイミーが叫んだときには、ドアはばたんと閉じられて、まんまとクリフォードに逃げられたあとだった。軽くではあるが、唇を奪われたジェイミーはわなわなと震えたが、もう彼女はここで寝るしかない。
(なんてやつだ!)
憤然と仮眠用のベッドに向かって歩き、ジェイミーは腹立ちまぎれにベッドに乱暴にダイブする。
(まったく、していいことと悪いことがある!)
そう思いながらも、ジェイミーはもそもそと布団をかぶったところで、ふっと息を吐いた。
(でも……よかった。とりあえず、仲直り……は、できた)
恋情を向けられるのは困るが、クリフォードは笑ってくれるようになった。それを思うだけで、ずいぶんと心が軽い。ジェイミーは彼に対して酷いことをしているのだろう。だがそれはお互い様だ。ひとまず上辺の関係を清算することができて、ジェイミーはほっとした。すると突然、とろとろと眠気が襲ってきて、ジェイミーは枕にすり、と頬を寄せる。途端に、ふわりと鼻を香りがくすぐった。
「……クリフォードの、匂いがする……」
ぽつりと呟いたジェイミーはそのまま目を閉じた。
(そういえばさっきのキスは、酒の匂いがしたな……)
そんなことを考えながら、彼女の意識は眠りに落ちていったのだった。
(飲んでいたのか)
その執務机に、腰をもたれかけるようにしたクリフォードが、大きなため息を吐いた。
「それで?」
低い疑問符のついた声をかけられて、ジェイミーははっとしてクリフォードを見る。先ほどと同じように、やはりランプの逆光になっていて、彼の表情は見えづらいが、琥珀色の瞳がまっすぐに彼女を見ているのがわかる。
「クリフォード」
名前を呼んで、そのあとが続かない。
(話をしようとは思ったが、無計画に来るなんて。私はばかか)
困って耳に触れると、正面で、ふっと笑う気配がした。
「なんだ、話があったんじゃないのか」
先ほどまでの探るような気配が急に引っ込んで、クリフォードが穏やかに言う。
(笑ってる……)
そう思うと、緊張していた心がふわっと解れたような気がして、耳に触れていた手をジェイミーは下ろした。
「ジェイミー?」
「そうだ。剣術指南を、またして欲しい!」
促されて口をついたのは、そんな言葉だった。途端に、ジェイミーは羞恥で顔が染まる。これはクリフォードにとっても不意打ちだったのだろう。しばらくぽかんと黙り込んだあとに、くつくつと笑い始めた。
「緊張している俺のほうがばからしいな……。だが、それは断る」
「クリフォード!」
笑いを納めたクリフォードが断ずるのに、焦ってジェイミーは声をあげる。
「お前が言ったんだろうが。『話すことはない』と。それなら俺だってもう話すことはねえよ」
「……あのときはすまなかった。頭に血が上って……」
「謝罪なんかいらん」
腕を組んでクリフォードは短く言う。逆光で表情の見えない親友は、退役していても歴戦の騎士の風格で、黙って立っていればそれだけで威圧感を与える。今まで一度だって感じたことがないのに、彼が厳めしい顔をしているように思えて、ジェイミーは初めてクリフォードに気圧されそうになった。
「もう、クリフォードと前のように過ごすことはできないのか?」
「前のように楽しく過ごして? それでどうなる。お前はどうせ、俺を許すつもりなんかないんだろうが」
低い声で言われたジェイミーは息を呑む。固まって答えない彼女に、クリフォードは鼻で笑った。
「いい年したオッサンが子どもじみたことを言ってるのはわかってるさ。だがもう、勘弁してくれ」
「……クリフォード」
「俺はお前を尊重する。寝室も別だ。必要なときには夫婦のふりもする。だから代わりに俺のことも尊重しろ。……お前に恨まれたまま、一緒にいるのは辛い」
絞り出すように告げられた言葉に、ジェイミーは拳を握った。食い込んだ爪が痛めるのは掌のはずなのに、なぜか胸が痛い。
「……いやだ」
「ジェイミー」
「私が我儘を言っているのはわかっている。だけど」
ドアの前に立っていたジェイミーは数歩前に出て、クリフォードに近づく。
「お前と、上辺だけの関係になるのはいやだ……」
ぽつ、と呟いて、ジェイミーはクリフォードを見上げる。そうしてもう一歩前に出た彼女は、クリフォードの腕をつかもうとして一瞬ためらい、腕を伸ばしてそっと彼の袖をつまんだ。
「クリフォードと本音で話せないのはいやだ」
ジェイミーの声が震える。気づけば目頭が熱くなって涙が浮かんでいた。ここまで至近距離にきて、やっとジェイミーにはクリフォードの表情が見てとれる。彼は顔を歪めて戸惑いの表情を浮かべていた。
「私はどうしてもお前を憎みきれないんだ、クリフォード」
つまんだ袖を、きゅっと握ったジェイミーが言った途端に、一筋涙が零れる。真摯な視線を受けたクリフォードは、深い息を吐いて目を伏せ、片手で顔を覆った。
「お前は、ずいぶん残酷なことを言う。俺の気持ちに応えることはないとわかっていて、それでもお前のそばにいろって言うんだな」
そう言いながらも、クリフォードはジェイミーのつまんだ袖を振り払わない。彼が何を思っているのかはジェイミーには推測しようもないが、それでも今クリフォードが受け入れようとしていることはわかる。
「せっかくクリフォードと再会できたのに、お前とつまらないけんかをしていたくない」
もう一歩近づいたジェイミーは、もう片手で、クリフォードの腕に手を添える。それで彼は、白旗をあげたようだった。顔を覆っていた手を離して、ジェイミーを見つめて苦笑する。
「……わかったよ。剣術指南はする。今までと同じ通り、お前は俺に接してくれていい」
「クリフォード……!」
「その代わり」
ぱあっと顔を輝かせたジェイミーを、クリフォードは遮った。
「俺も、本音で接するからな」
ぐっとジェイミーの腰を引き寄せて、こつん、と額を突きあわせた。間近に迫った琥珀色の瞳が、悪戯っぽくジェイミーの目を見つめている。
「ほ、んね?」
腰に回された腕は強く、そして温かい。必死になりすぎてうっかりこんな至近距離にきていた自分を内心叱咤したが、もう手遅れだ。
「今までお前に嫌われたらと思ってずっと言えなかったが、もう一回言ってしまったんだ。これからは堂々とお前を口説くことにする」
「くど……待て!」
唇がゆっくりと近づいてきたのを慌てて片手で遮って、ジェイミーはクリフォードの口づけを阻止する。
「尊重をするんじゃなかったのか。私は男だぞ!」
「愛しているやつが妻で、腕の中にいるんだ。キスするくらいはいいだろうが」
「開き直りすぎじゃないか!?」
ジェイミーが叫べば、口を押さえられたままのクリフォードはくつくつと笑った。
「こっちはお前を抱きたいのに我慢して付き合ってやるんだ。少しはお前も譲歩しろ」
やれやれ、とため息を吐き、まるで被害者のような彼の口ぶりに、ジェイミーは少しだけむっとした。
「約束を破って、私を無理やり抱いたのはクリフォードじゃないか」
「婚約したときだってお前を抱かないなんて約束なんか、俺はしてないぞ? あれは確認もしない、無防備なお前が悪い」
その指摘はもっともすぎてぐうの音も出ないジェイミーである。
「だから」
「あっ」
口を押さえたままだった掌にリップ音をたてられ、手首をやんわりと捕まえられる。そうして彼女の手はどかされて、クリフォードはジェイミーの首元に唇を這わせた。
「今襲われてるのもお前が悪い」
「やっクリフォード……!」
ちゅう、と唇が強く肌を吸う。執着を思わせるその音に背中を震わせたジェイミーは、小さく吐息を漏らした。それがやけに艶めいていて、自分でどきりとする。
「ほら、抵抗しないとまた俺に抱かれるぞ」
意地悪く言いながら、拘束する腕でするりとジェイミーの腰を撫で、柔らかな尻をきゅっと揉みこむ。
「あっや、だ……」
その拒絶の声は余りにも弱々しく、言葉のわりに彼女はもたれかかるように、クリフォードに身体を預ける。彼女が女の悦びを刻まれたのはたった一度だ。だがその初夜の一度きりで、どこもかしこも気持ちがよくなれるのだと快楽を教え込まれた身体は、尻をつかまれたごときの刺激で熱が灯りそうになる。
「クリフォード……」
弱々しく再び名前を呼んだところで、二個目の印を落とし込んでいたクリフォードが、ふるふると震えだした。ジェイミーの身体をまさぐっていた手は止まり、リップ音をたてるのも中止されている。
「……クリフォード?」
よりかかり気味だった身体を離そうとすれば、簡単に身体は解放された。唐突に黙り込んで俯いて震えているクリフォードに焦ったジェイミーは、おそるおそる彼の顔を覗きこんでぴたりと止まる。
「何を笑っているんだ」
再びむっとした声を出したジェイミーに、クリフォードは堪えきれなくなったように、くつくつと喉を鳴らして笑い始めた。
「お前は、本当に簡単に騙されて……可愛い奴だな」
笑いながらも、つかんだジェイミーの手首は離さない。その手の熱さが落ち着かず、ジェイミーは目を釣り上げた。
「お前というやつは! 冗談もほどほどにしろ! たちが悪いにも程があるぞ!」
文句を連ねたジェイミーに対し、なお笑っていたクリフォードは不意に真顔になった。
「冗談なんかじゃない」
ぐっ、と腕を引かれて、再度ジェイミーは抱き寄せられる。ただ彼女を引き寄せただけの先ほどと違い、下半身を押しつけるようにされて、ジェイミーは息を呑んだ。彼の下半身が、熱く硬くなっている。
「これもお前が悪いんだろうが」
「なに」
「夜中に、こんな薄着で男の部屋にくるやつがあるか」
「それは……クリフォードと話すためで……」
言いながらも、ジェイミーは自分の言い分が通らない自覚があった。
(……違う。私の、認識が甘かった)
若い女がナイトガウンを羽織っただけの薄着で、深夜に男の寝室を訪ねる。それは言葉にすれば、危機感がなかったのは確かで、クリフォードが怒るのももっともだろう。ジェイミーを見つめる眼差しはちっとも笑っていない。
「お前の心が男なのは仕方がない。だが、今の身体は女だろう。今まで手籠めにされなかったのが不思議なくらい、お前は隙がありすぎる。今だって俺が手を止めなければ、そのまま抱かれていただろうが。……もう少し自覚を持て」
ジェイミーの下腹には、変わらず熱く硬いものが押し付けられている。だが、クリフォードはそれを動かして快楽を得ようとはしていないし、理性を持って我慢してくれているのだ。全部、ジェイミーを尊重してのことだ。
「……ごめん」
ジェイミーがぽつりと謝れば、クリフォードは盛大にため息を吐いて、ゆるゆると拘束を解いた。
「わかればいい」
執務机にもたれかかっていたクリフォードは、さっと立ち上がって、ジェイミーの肩を叩いた。
「俺は寝室に行くから、ジェイミーはここを使え」
「どうしてだ? ベッドを交換なんかしなくても、私が寝室に戻ればいいだけだろう」
きょとんとしたジェイミーが首を傾げて尋ねる。
「お前なあ……俺のさっきの話、ちゃんと聞いてたか?」
心底呆れたように、半眼になったクリフォードが言う。
(聞いていたに決まっているのに)
わけがわからなくて、むっとしたジェイミーがクリフォードを睨む。だが彼は怯みもせずにまだ呆れた表情で、とん、とジェイミーの鎖骨の辺りを指で押した。
「寝室に戻るまでに、男の使用人に出くわしたらどうするんだ。そんな格好で出歩いていたら襲ってくれって言ってるようなもんだぞ」
「っ皆がそんなことをするわけないだろう!」
「ああそうだ。俺の屋敷の使用人は変なやつなんかいないし、全員信用しちゃいるがな。万が一にでもそんなことになったら、俺は正気を保てそうにない」
激昂したジェイミーにただクリフォードは淡々と言う。その内容に今度はジェイミーが呆れた表情になる。
「大袈裟だな」
「ああ、大袈裟なんだよ。それだけお前が好きなんだ。わかれ」
苦笑したクリフォードが、ジェイミーの頬に手を添えて軽く撫でる。その動作に、なぜだかぞくりとした。
「……っわかってたまるか!」
ぷいっとそっぽを向いてジェイミーは彼の視線と手から逃げた。ふっと笑った気配がして、クリフォードはドアのほうへと歩いていく。
「あっ私が部屋に戻るから」
慌ててジェイミーは追いかけるが、大股で歩くクリフォードはすぐにドアノブに手をかける。
「俺のためだと思って、今日はここで寝ろ。ああ、そうだ」
ドアを開いてから止まった彼は、ジェイミーを振り返る。
「二度と夜中なんかに俺のところに来るんじゃねえ。それが守れねえなら、次は抱くからな」
(何を言ってるんだこいつは!)
かっと頬を赤らめて固まったジェイミーに、クリフォードは目元を緩めた。
「また隙があるぞ」
「なに」
ぱっとクリフォードを見上げたジェイミーの顎をすくって、屈んだクリフォードがその唇を奪う。だが、軽くついばんだだけですぐにやめ、抵抗を受ける前に彼はするりと手を離す。
「おやすみ、ジェイミー。次は油断するなよ」
にっと笑ったクリフォードは、さっと身を翻して廊下に出る。
「クリフォード!」
硬直していたジェイミーが叫んだときには、ドアはばたんと閉じられて、まんまとクリフォードに逃げられたあとだった。軽くではあるが、唇を奪われたジェイミーはわなわなと震えたが、もう彼女はここで寝るしかない。
(なんてやつだ!)
憤然と仮眠用のベッドに向かって歩き、ジェイミーは腹立ちまぎれにベッドに乱暴にダイブする。
(まったく、していいことと悪いことがある!)
そう思いながらも、ジェイミーはもそもそと布団をかぶったところで、ふっと息を吐いた。
(でも……よかった。とりあえず、仲直り……は、できた)
恋情を向けられるのは困るが、クリフォードは笑ってくれるようになった。それを思うだけで、ずいぶんと心が軽い。ジェイミーは彼に対して酷いことをしているのだろう。だがそれはお互い様だ。ひとまず上辺の関係を清算することができて、ジェイミーはほっとした。すると突然、とろとろと眠気が襲ってきて、ジェイミーは枕にすり、と頬を寄せる。途端に、ふわりと鼻を香りがくすぐった。
「……クリフォードの、匂いがする……」
ぽつりと呟いたジェイミーはそのまま目を閉じた。
(そういえばさっきのキスは、酒の匂いがしたな……)
そんなことを考えながら、彼女の意識は眠りに落ちていったのだった。
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