元騎士は旧友の甘い執着に堕ちて

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元騎士は旧友の甘い執着に堕ちて

14.望んでいるもの

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 オリヴァーの屋敷からとんぼ帰りしたジェイミーは、ウィルズの屋敷に着くなり寝室に閉じこもった。

(……クリフォードの言った通りだったじゃないか)

 既婚の女性に男性が茶会に誘うのは、不倫を促す隠語なのだとそう聞いていたのに、結婚している従兄だからありえないと切り捨てた。その自身の愚かさに、ジェイミーは呆れると同時に情けなくなる。

 きっと、茶会に応じることなくかわしていれば、あるいは今日の茶会にクリフォードを伴って行っていれば、オリヴァーの薄汚い下心など、一生知ることもなかっただろうに。

 いや、この茶会が回避できていたとしたら、それはオリヴァーの下心を最初から知っていたことになる。オリヴァーとの離別はもとより避けられないものだったのだろう。

(私は、どうしてこう、愚かなんだ……)

 もう二度と、オリヴァーには会えないだろう。それは男爵夫人としての矜持はけじめなんかではない。

(オリヴァーが、怖いなんて……)

 好きだと告げたあの熱の籠った声音を、ジェイミーは今まで何度も聞いてきた。友人だと思っていた男から、おぞましい愛の告白を聞いて悪寒が走るのはいつものことだったが、今のジェイミーは以前にも増して耐性がなくなっている。つかまれた手首も、引き寄せられた腰を支える腕も、決して強すぎる力というわけではなかった。オリヴァーは愛しい女をただ優しく引き寄せただけだったのだろう。

 だが、それらの全てが、思い出すだに嫌悪感を与えた。思えばクリフォードと婚約を決めたあの夜会の日、ブライトンに抱き寄せられたときから、男という生き物に対しての恐れが強まった。

「もういやだ……」

 そうは言っても、男と関わらないで生きていくのは無理だ。いや、現時点で好きなように過ごさせてくれているクリフォードならば、この先ジェイミーが我儘を通して部屋に閉じこもったままで過ごすことを許してくれるのだろう。男爵夫人としての務めを果たさずとも、彼は責めたりしないに違いない。

(……だからって、このまま閉じこもったままでいるのか?)

 ジェイミーは自問する。

 オリヴァーの屋敷からとんぼ帰りすることになって、馬車の中で塞ぎこんだ様子で黙ったジェイミーに、メイドのイヴォンは何も聞いてこなかった。いつも不躾とも言えるほどにおしゃべりな彼女が、そんなふうに黙っていてくれたのは、暗い顔をしたジェイミーを気遣ってくれていたのだろう。

『ジェイミー様、ご用がありましたらいつでもお呼びくださいね』

 午前中に出かけて帰ってきてからというもの、昼食すらいらないと閉じこもったジェイミーに対して、イヴォンはそう言い置き、彼女を一人にしてくれた。

(これみよがしに塞ぎこんでみせて。結婚したばかりだというのに、我儘を言ってばかりで、イヴォンたちに迷惑しかかけてない……)

 そもそも、イヴォンがジェイミーのことを『奥様』と呼ばないのだって、気遣いの一つだ。レノン家のメイドはいくら言ってもお嬢様と呼ぶのをやめなかったが、クリフォードの言いつけなのか、この屋敷に入り、ジェイミーが一言「奥様とは呼ばないでほしい」と言った以降、屋敷全ての者が彼女を奥様と呼んでいない。

 ジェイミーは本当に甘やかされている。

(こんなの、だめだ)

 ぬかるみに浸かり続けることを、ジェイミーは自分で許せないのだ。

 確かに男は怖い。劣情を向けて自分をいいようにしようとするのは、前世からずっと吐き気がする。そして、そんなジェイミーの想いを知っていてなお、クリフォードが彼女を組み敷いてきたことは明確な裏切りだろう。

 だが、クリフォードの行動と、ジェイミーが貴族として負うべき責任は、全く別の問題だ。ウィルズ家に嫁ぎ、男爵夫人として身を置く以上、いくらクリフォードが許してくれても、社交はせねばなるまい。

(どうせ、数日後にはお父様たちに会わなければならないんだ。そのときにクリフォードとぎこちなかったら、お父様たちに心配をかけてしまう)

 ふう、と息を吐いたジェイミーは、そう結論づけてようやくベッドから起き上がった。

(……いやだなんて、言ってられないな)

 思考の海に潜っていた間に、ずいぶんと時間が経っていたらしく、カーテンの閉まっていない窓の先はすでに夕焼け空だ。

(まずは謝らないとな)

 自分の無駄にした時間と、イヴォンたちに心配をかけたことを思って苦笑したジェイミーは、それから呼び鈴を鳴らしてメイドを呼ぶ。おそらく、呼び出しを心待ちにしていたのだろう、鈴を鳴らしていくらも経たないうちにイヴォンがすっとんできた。

「心配かけてごめんなさい。今日から、食事はきちんととるわ」

 イヴォンにそう伝えたとき、わかりやすく彼女はぱあっと顔を輝かせた。

「そんな……! ジェイミー様がお元気ならそれでいいんです。わかりました。すぐに用意させますね!」

 専属メイドの喜びは足取りにも現れていて、ぱたぱたと部屋を出て行ったイヴォンは、しごく上機嫌だった。本来なら走るのを咎めないといけないのだろうが、ジェイミーはそのつもりはない。むしろ、その嬉しそうな様子でこの数日間から先ほどまでにかけて、ずいぶんと彼女を心配させていたのだろうと思う。

(専属メイドになったばかりなのに、私のことをこんなに心配してくれて、いい子だな、イヴォンは)

 苦笑したジェイミーはベッドから立ち上がって、ドレスを見下ろした。瞬間に、脳裏に今朝オリヴァーの屋敷に行った記憶が蘇る。

(……このドレスで行くのはいやだな)

 着替えるのは手間だが、ジェイミーはそうと決めたらさっさとドレスを脱いでしまう。着つけるのはメイド任せだが、コルセット嫌いのジェイミーは脱ぐのだけは早い。あっと言う間に脱いでしまってから、ジェイミーは寝室のクローゼットを開けて服を物色する。これは自分で着替えるのが好きなジェイミーのために、いつでも服を選べるように一応置いてあるだけのものなので、手持ちのジェイミーの服の中から数着しか置いてない。クローゼットの中には、三着。ジェイミーがレノン家から持ってきたものと、クリフォードが選んだ室内ドレスがあった。

「これでいいか」

 他意はない。そう言い聞かせるかのように、ジェイミーは深いこげ茶の室内ドレスを選んだ。クリフォードの用意したものである。その着替えがちょうど終わったころに、イヴォンが迎えにきてジェイミーは食堂に向かった。

 食堂に入れば、そこにはすでにクリフォードがいた。メイドたちにジェイミーが行くことは伝えてあったが、クリフォードには伝わっていなかったのだろう。彼女の姿を見たクリフォードは、一瞬目をみはった。

 数日ぶりにクリフォードと一緒の空間にいるジェイミーに対して、彼は何を言うべきか戸惑っているらしい。その緊張が食堂内にいるメイドたちにも伝わって、張りつめた空気が流れる。その沈黙を先に破ったのはジェイミーである。

「……食事を、ここのところ一緒に取れなくてごめんなさい。体調が優れなかったけれど、これからは大丈夫よ」

 クリフォードの正面の椅子に座りながら彼女が言う。もちろんこの場にいる誰も、それが言い訳であることを知っている。ジェイミーが意図的にクリフォードから距離を置いていて、夫婦仲が最悪になっていたが、どうやらジェイミーは彼に歩み寄ることにしたらしい。そのように、メイドたちは解釈したに違いない。

 クリフォードはわずかに口をあけ、そしてすぐに閉じてから頷いた。

「そうか。具合が悪いなら医者を呼べ。無理はするな」

 穏やかなクリフォードの返事を聞いてほっとしたのは、ジェイミーだけではないはずだ。彼女のそばに控えていたイヴォンはあからさまに安堵の表情を浮かべている。どうやらクリフォードはジェイミーを受け入れるらしいと判断して、張りつめていた空気が一気に軽くなる。

「ありがとう」

「礼などいらん」

 クリフォードそう言って手を振ったところで食事が供され、夕食が始まった。

「今日は疲れていないか?」

「あ……帰ってきてからずっと寝ていたから平気よ」

「そうか。ならいい」

 頷いてクリフォードはそのまま食事を続ける。それに倣ってジェイミーも手を動かしたが、内心首を傾げた。

(……それだけ?)

 ジェイミーが今朝、どこに行ってきたのかをクリフォードが知らないはずがない。馬車を手配するように命じたのはジェイミーだが、馬車を動かしてもいいかどうかを使用人がクリフォードに確認しないはずがない。何しろジェイミーがこの家に嫁いできて初めての外出だったのだから、イヴォンが報告せずとも、他の使用人がオリヴァーの屋敷に向かったことをクリフォードに伝えているだろう。

 初夜にオリヴァーが茶会に誘ったことを挙げて、強硬手段に出たクリフォードのことだ。

(もっと突っ込んで聞いてくるかと思ったのに……)

 そう考えて、クリフォードがこの場で聞けるわけがないのだと気づく。ちらりとクリフォードを盗み見ても、彼の表情からはなんの感情も窺えない。

(新妻が不倫しに行ったかどうかなんて、メイドの前で聞けるはずもないか。何をばかなことを考えているんだ、私は。話すにしても、ふたりきりになれるとき……今夜あたり寝室に来るかもしれないな)

 気を取り直して、ジェイミーは食事に集中することにした。そうしてクリフォードはあたりさわりのない会話に終始して、その日の夕食は和やかに終わったのだった。

 その後、別々に湯あみを済ませて、寝間着に着替えたジェイミーはいつも通り、夫婦の寝室に向かう。

(オリヴァーのことを聞かれたら、なんて話そうか。まずはクリフォードの言葉が正しかったと謝るべきか……何もされてはいないのに、不倫を言い訳する妻みたいだな。いや、妻なのは間違いないが、不倫だなんて……そんなことをするわけがないのに)

 どう説明したものかと考えているうちに、刻一刻と時間は過ぎていく。考えが堂々巡りしたところで、蝋燭がふっと消える。燃え尽きるほどの長い時間、ジェイミーは思案に熱中していたらしい。

(来ないじゃないか!? 今日は普通に話せたから、てっきりこれからも……)

 愕然として思ったところで、ジェイミーははっとする。

(……あれは、私へのただの配慮、か?)

 クリフォードはジェイミーを尊重すると言った。そして、その実、初夜以降クリフォードは普通通りに接してくれていたし、今日だって穏やかだった。

(オリヴァーのことを聞いてこなかったのは、聞けないからじゃなく、聞くつもりが、なかったのか?)

 そう考えれば、つじつまが合う。寝室も別にしているし、日中は穏やかに接してくれている。だが、それだけだ。クリフォードは上辺だけはジェイミーと友好的な関係を築いて、もうそれ以上は互いに踏み込まないと決めたのだろう。

(営みがないのは助かる、が……)

 もちろん、このまま上辺でばかりこのまま夫婦としてやっていくのは可能だろう。だが、今日の夕食のとき、以前とは決定的に違うことがあったのだ。

 クリフォードは、一度も笑わなかった。

(よく笑うやつなのに……)

 思い返してみれば、剣術の練習着を褒めてくれたあのとき以来、クリフォードの笑顔を見ていない。そもそもジェイミーはずっと彼を避けていたのだから。初夜のあと、クリフォードはずっと結婚する前と同じように接してくれていた。だが、今日はジェイミーをからかうこともなかったし、余計なことは一切言わなかった。

(私のせい……か?)

 そう考えた途端に、ジェイミーはみぞおちがきゅっと痛んだ。

 きっと、話すことはないとつっぱねたジェイミーの意を汲み、このままいけばクリフォードが彼女をからかったり、目の前で笑うことはないのだろう。

(いやだ)

 避けたのは自分だし、クリフォードの裏切りは許せない。だが、この先一生クリフォードと他人行儀に過ごすのだって、いやだった。

(わがままなやつだな、私は)

 そう思えば苦笑いが浮かんだ。男に組み敷かれるのを嫌がっていたのを知っていた上で、クリフォードはジェイミーを抱いた。それを苦々しく思う一方で、彼のことを思い浮かべようとすると転生前に訓練で共にばかをやったことや、軽口を叩きあったこと、この身体になってからも笑いあったことばかりが思い浮かぶ。

(こんなことになってもまだ、クリフォードと一緒に楽しく過ごしたいなんて)

 結局、ジェイミーはクリフォードのことを憎むなんてことができないのだ。

(……話し合う必要があるな)

 このままいけば、上辺の関係が続くだけだ。だから一度本音を言い合う必要があるだろう。とはいえ、夕食の場のようにメイドたちに監視された状態では、ジェイミーの本音をクリフォードに言えるはずがない。

(機会がないなら、作るまでだ)

 ベッドからむくりと起き上がったジェイミーは、ナイトガウンを羽織って寝室から抜け出した。

 そうして向かった先は、クリフォードの執務室である。すでにメイドたちも部屋に下がっている時間だ。月明かりが差す廊下を灯りも持たずに歩き、誰ともすれ違うことなく執務室にたどり着いたジェイミーは、迷うことなくドアをノックした。だが、返事がない。

 廊下の突きあたりのクリフォードの執務室は、窓から遠く、月明かりが差し込まないせいでドアの前が暗い。もう一度ノックをすると、ガタン、と部屋の中で物音が聞こえた。だがドアは開かない。

(寝ていたのか……? それとも下がれという意味か?)

 返事がないのに何度もドアを叩くのはマナー違反だが、ジェイミーは再度ノックする。

「……誰だ」

 ややあって、ようやく不機嫌そうな低い声が返ってきた。

「私だ。……ジェイミーだ。寝ているのを邪魔してすまない」

 そう言葉を返した途端に、ガタガタと音が聞こえて、ドアが開いた。クリフォードはまだ起きていたらしい。部屋の中のランプの灯りが漏れて、暗かった廊下に一筋のオレンジの光が差し込む。見上げたクリフォードの顔は、ランプを背にしていて影になっていた。

「どうして、お前がいる」

「話をしたい。中に入れてくれないか?」

 自らの夫をジェイミーがまっすぐに見つめて言えば、息を飲んだ音が聞こえた。だが、彼の表情は逆光でよく見えない。

「……入れ」

 短く言ったクリフォードは彼女を招き入れ、執務室のドアは静かに閉じる。そうして、廊下は再び暗闇に戻った。
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