傷物令嬢はリップサービスを信じない~政略の婚約者は星に愛を囁く~

かべうち右近

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王の計らい

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 謁見室は、王宮の中でも王の私室にほど近い、奥まったところにあった。途中まではラウルとエステルの二人だけで進んでいたが、途中からは国王の側近がついて案内をされる。夜会のために王宮の敷地内に入ったことはあるが、こんなに王宮の内部に入り込んだことがないエステルは、緊張していた。

(こんな私的な場所に招かれるなんて……ラウル様は陛下の信がとても厚いのね。失礼のないようにしなくちゃ……)

 そうしてラウルたちの来訪を告げ、入室の許可の許可の言葉を得た二人は部屋の中に入る。緊張していたエステルは部屋の中に頭の下げながら入り、「楽にせよ」との言葉で顔をあげて、ぽかんとした。

「かしこまることはない。余の他には誰もおらぬ。そこにかけよ」

 三人掛けのソファにどっかりと腰を下ろして、背もたれに悠然と身体を預けてくつろいでいる銀髪の人物が国王なのだろう。彼の格好は夜会に出るような礼服ではあるが、服の前をくつろげて胸元を露わにしていて、まるで謁見をする国王の姿には見えない。エステルが呆気に取られている間に、案内をしてくれた側近はなぜか部屋から下がってしまう。

「陛下、前を閉じてください」

「なんだ、そんなことを気にするなんて珍しい……」

 溜め息を吐いたラウルに、国王は笑って言いかけてエステルを見たところで、はた、と止まる。エステルはどこを見ていいか判らずに、国王から目を逸らしていた。

「ははあ。なるほどな」

 くつくつと笑いながら身体を起こすと、国王はボタンを留めて胸元を隠した。タイは横にほおられたままだったが、肌が隠れればそれでいいと判断したらしい。

「これでよかろう? 大事な婚約者殿の目を汚すまい」

「陛下」

「まあ座れ」

 むっとしたラウルに、国王はまたも低く笑う。何度も椅子を勧められて従わないのは不敬なので、ラウルとエステルは、国王の正面のソファに二人並んで腰かけた。

「俺の婚約者のエステル・ジルーです」

「お初にお目にかかります。ご紹介に預かりましたエステル・ジルーでございます」

 座ったままの挨拶は不敬ではないかとも思いつつも、エステルは挨拶をする。

「うむ。余はトマ・リエーヴル・ミッテランである。そなたがコンスタン卿の末娘か。あやつに似てるのは髪の色だけよの。随分愛らしい娘が育ったものだ」

 自らの顎を撫でながら、しげしげとエステルを観察して、国王トマは感慨深げに言う。辺境に住む領主と言っても、国王との面識はあるのだろう。

「どうだ? こちらの暮らしには少しは慣れたか? 急な移住で不便なことも多かろう。こやつは気の効かぬ男であろう? こやつに言いにくいことがあれば、余に何でも申すが良い」

 ずい、と身体を乗り出して、トマはエステルに矢継ぎばやに話しかける。

「そんな、畏れ多いです」

「遠慮はいらぬ。そなたはもはや、余の姪のようなもの。おじと思って、気軽に頼るが良い」

(姪だなんて、いくらラウル様が英雄で可愛がられてらっしゃるからって、私までそんな厚意を受けるわけにはいかないのに)

 エステルがどう答えていいか逡巡して口をつぐむ間に、トマは首を傾げる。

「陛下」

 怒ったようなラウルの声に、トマは大袈裟な溜め息を吐いた。

「何だ、そなた……大事な大事な婚約者殿に、まだ話しておらぬのか?」

「陛下!」

 低く声をあげるラウルに、トマは再びのため息を吐いた。その二人のやりとりに、エステルは顔には出さずに不思議に思う。

(何の話……?)

「……興が逸れた。余はエステル嬢に話があるから、そなたは下がるが良い」

「ですが」

「大事な話はそなたからきちんと話せ。余は余の話をするだけだ。終わり次第、エステル嬢は側近に送らせるゆえ、そなたは先に会場に戻るが良い」

 さっと追い払うように手を振ったトマに圧されて、ラウルは溜め息を吐いたが、すぐに立ちあがった。

「仰せのままに」

 会釈したラウルはエステルの肩に手を乗せると、そっと耳元に顔を近づけて囁く。

「陛下の話は真面目に聞かなくていい。会場で待っている」

「聞こえておるぞ」

「失礼いたします」

 トマの声がしっかり聞こえていたはずだが、ラウルは慇懃無礼に挨拶をして部屋から出て行ってしまった。

「全く、あやつは……」

 やれやれ、と首を振ったトマだったが、その口調は怒りよりも呆れが強い。扉の向こうに消えたラウルを見ていたトマだったが、すぐにエステルに向き直って「さて」と会話を続ける。

「まず、そなたに余は謝らねばならぬ。デビュタントのために王都に呼びつけて、申し訳なかった」

「そ、そんな、何故陛下が私に謝られるのですか、頭を上げてください」

 この国に頭を下げるべき相手など居ない国王が謝罪をするのに驚いて、エステルは焦って手を振る。しかし、トマは顔を上げない。

「いや、謝らねばならぬのだ。王都でのデビュタントの令を出したせいで、そなたは王都でデビュタントをしたであろう? そのせいで、そなたは、余の甥……ダミアンにちょっかいをかけられてしまった。そなたに不名誉な噂がついてしまったのは、余の責任だ。誠にすまぬ」

 トマの謝罪に、エステルの身体が凍りつく。

 エステルは、ダミアンがグランジェを名乗ったときから、彼が亡き大公の子で、国王の甥であることは判っていた。けれど、彼と親しくするのは初恋の相手だったからであり、国王の甥という立場に惹かれてのことではなかった。だから彼の身分については、ほとんど忘れていたと言っていい。

 しかし、現実にはダミアンの行動がトマに筒抜けになっている。甥とおじの関係なのだから、当たり前の話だろう。

 夜会に足を運ぶ貴族たちの間では、エステルの純潔のことについては漏れていないようだったが、ダミアンを通じて、トマには知られてしまっているかもしれない。その事実にようやく気が付いて、エステルは震えた。

「……ダミアンがすまぬ。夜会でのみ逢瀬と聞いておるから、それ以上のことはない・・・・・・・・・・であろうが……ダミアンが女にだらしないせいで、夜会で会っていただけ・・のそなたがあらぬ噂をされてしまったようだ。ラウルとの婚約の時期も重なって更に不名誉な浮名が流れてしまっただろう?」

(……陛下は、私が純潔を失っていることは、ご存知でないのだわ)

 その事実に、ほっとする。であれば、他の貴族たちも知らないのであろう。ダミアンはエステルとの身体の関係を隠し通すつもりのようだ。国王がそう言うのだから、真に彼が知っているかどうかはさておき、表向きには『エステルは傷つけられていない』のである。

「陛下が謝られることではありません。特定の男性と逢瀬を重ね続けるのがよくないことなど、普通に考えたら判ることです。ですからあれは、全て私の責任だったのです。どうか、顔をあげてください」

 そこまで言って、エステルは小さく息を吐く。

(そう。あれは私の責任だわ。どこでデビュタントを迎えようと、テラスで婚約者でもない男性とふたりきりになるなんて、まともな令嬢のすることではなかったもの)

 改めて自分の行いを悔いるが、それをしっかりと受け止めることができるのは、ラウルの存在が大きいのだろう。修道院に行くと決めていた時も、しっかり受け止めていたようで、周囲からのそしりを受けるのを恐れたエステルの逃避に近かったのだと、今のエステルならわかる。

「そなたは優しいな。……誠にすまなかった。ダミアンのことは、近い内に悪さができぬよう計らうつもりだ。それで許されるわけではないが……」
「本当に大丈夫ですから……」
「悔やまれてやまぬな。ラウルがデビュタントすら待てずにジルー家にそなたを迎えに行くと判っていれば、余もあのような勅令を出さなかったものを……」

 ようやく顔をあげて苦笑したトマが言うのに、エステルは「え」と小さく声をあげた。

「あやつから聞いておらぬか? ラウルにそろそろ結婚しろと急かしたらの、相手はそなたでなくてはならんと言い張るから、お膳立てのためにそなたを王都に呼ぶように計らったのだ」

「そう、なんですか……?」

「……そなた、ラウルからプロポーズを受けておらぬのか?」

「いえ、それは、して頂いたのですが……これはジルー家との政略結婚なのだと……」

 エステルが呆然と言うのに、トマは今日何度目かの盛大な溜め息を吐いた。

「まったく、あやつは……言葉が足りぬにもほどがある」

「私でなくてはならないと、本当にラウル様が?」

 エステルの疑問の声に、トマは憐憫の表情を浮かべた。

「それは余から話すことではなかろうよ。ラウルには後でしっかり言い含めておくゆえ、あやつから直接聞くが良い」

 言いながらトマは立ち上がると、使用人を呼ぶためのベルを手に取る。

「一国の王が、余人の前で頭を下げるわけにゆかぬのでな。そなたをわざわざこのような場に呼びつけてすまなかった。今宵は夜会を楽しんで行ってくれ」

「お気遣いいただき、ありがとうございます、陛下。でもどうか、お気に病まれないでください」

 立ち上がったエステルが綺麗なカーテシーで挨拶すると、トマは目元を緩めた。

「そなたは優しいな。……また次会う時には、『おじ様』と呼ぶが良い」

 トマはそう言って笑うと、ベルをりん、と鳴らして側近を呼ぶ。先ほどこの部屋に案内してくれた側近が扉を開ける。

「エステル嬢を会場まで送り届けるように」

「かしこまりました」

「では、陛下。お時間いただきありがとうございました」

 そう挨拶して、再度カーテシーで部屋を辞したエステルを見送ると、トマはひとりごちる。

「まったく、余にも会わせたくなくて閉じ込めるほど大事にしておる癖に、レヴィは不器用がすぎるの」

 その言葉は、部屋の外に出たエステルには聞こえていなかった。
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