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身代りの花嫁は25歳年上の海軍士官に溺愛される
八話『買い出し』
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翌日、花は食材の買い出しがてらに、千代から商店街を案内してもらった。
商店街は時東邸のほど近くにあり、千代はそこを利用しているという。
八百屋、豆腐屋、金物屋、炭屋、米屋・・・など生活を支える昔ながらの店と、洋品店といった今風の店が混在していた。
もう少し足を伸ばせば、帝都でも有名な市場があるが、大抵の物はここで揃ってしまうとのことだった。
商店街がある通りは、時東邸へ来るときにも通った。昨日は余裕がなくて、恐ろしくすら感じていた場所が、今日はなんだか歩いているだけで、心に一つまた一つと、花が咲いていくようだった。
季節の移り変わりを示すように、急な陽気が帝都に訪れて、今日になって開花した道端の花々も多いようだ。
花にとって、商店街はさほど珍しい場所ではない。実家にいた頃は、買い出しに商店街を訊ねる事はあった。
だが、日々の労務の一つで、淡々と買い物をしながら歩くだけ。継母達から一時的に離れているという解放感はあったが、記憶には帰宅後の待遇を憂う陰鬱な感情が強く残っていた。
それがここでは、まるで童心に返ったようだ。わくわくしてしまう花に、千代が微笑む。
「何だか、楽しそうですね、花さん」
店に好奇心の眼差しを向けていた花は、少し照れながら頷いた。
「すみません・・・自分でもよくわからないのですが」
「日々に使う場所だから、楽しいほうがいいですよ。私もまだこっちに来てからは日が浅いものだから、帝都の景色は面白いなと思います」
「お義母様は、どちらに住んでいらしたのですか?」
帝都の北にある北都の港町に、義孝の産まれた実家がある。冬は豪雪の町に一人で暮らしていた千代を、こちらの方が暮らしやすいからと呼び寄せたと、花は義孝から昨日聞いた。
機雷の回収の話に不安な顔をした花に、故郷の話題で気をそらした。花には、義孝がどんな土地で育ったのか興味があった。
「北都ですよ。北にある豪雪の港町で・・・」
「ええ、存じ上げております。・・・が、あの、失礼ながら、お国言葉ではないのですね」
北都には、独特の訛があるが千代にも義孝にも、訛が全くないのだ。
「嫁ぎ先が北都だっただけで、出身はこちらなのです。それに、あちらの言葉には帝都では通じないことが多いので、めっそ使わんようにしちゅうがよ」
花の目が点になる。
「い、今なんと!?」
「あまり、使わないようにしてるんですよ、と言ったのです。ね?」
「ああ、たしかに通じないかも知れないですね」
「義孝は子供の頃は北都の言葉でしたが、海軍での生活が長いからでしょうね。海軍兵学校に入る為に故郷を出てからは、実家には寄港した時に立ち寄るくらいで、ほとんど帰って来ませんでした」
「なるほど、義孝さんはそれで・・・」
「義孝の話も、楽しそうに聞いてくれますね」
千代からニコニコしながら言われて、花は『えっ』と驚く。
自覚がなかったからだ。
自分はどんな顔をしていたのだろう、そう思いながら花は訊ねる。
「・・・そう、見えますか?」
「ええ、母としても、とても嬉しいわ」
断言されて、気恥ずかしくなるが、花は千代の言葉が嬉しかった。質問しても叱られない、それどころか喜んでくれる。
「あの、お疲れになったら言ってくださいね」
千代に負担をかけてやしないかと心配になった花は、そう声をかけた。不意に過労で亡くなった父を思い出したからだろう。
「ありがとう。でも、大丈夫です。こう見えて、脚腰は強いんですから」
花の不安を吹き飛ばすように、千代は答えた。通りに並ぶ桜の枝に、紅い蕾が一つ二つ、開き始めていた。
海軍司令部。
船が準備できるまで、義孝達の勤務地である。
そのトップである軍司令部部長の補佐を行う役職に、義孝は就いていた。軍司令部の仕事は、海軍全体の作戦や指揮の統括である。
朝、義孝はスーツを着て、ソフト帽を被って家を出る。そして通称、『赤レンガ』と呼ばれる軍司令部のある庁舎に到着してから、海軍の制服に着替えていた。
というのも、海軍の制服は通勤には目立つからだ。士官ともなれば、市民に対し規範的な行動を求められるし、帰路でスパイなどに付け狙われる可能性もある。少々面倒ではあるが、後に大事になる危険性を回避する為にも、義孝は私服で通勤していた。
海軍には、制服が二種ある。
紺色の冬服『第一種軍装』と、白い夏服『第二種軍装』だ。
桜の開花を待つ現在、海軍の軍人達は紺色の軍装に身を包んでいた。
「時東大佐。婚約者どののお迎えは如何だったかな?」
開襟のスーツから詰襟の軍服に着替えた義孝に、そう声をかけてきたのは、この軍部のトップである軍司令部長であり、義孝に家を貸してくれている上官・中原玄逸中将だ。
丸刈り頭にされた髪と髭は真っ白だが、筋骨隆々とした肉体は依然として若い海兵達を圧倒し続けている。
海の上でもよく通る豪快な声は、建物の中ではなお響き渡るため軍司令部に出入りして日の浅い部外者は、大抵腰を抜かすと言われている。
声に振り返り、義孝は一礼した。
「はい、お陰様で無事に迎え入れることが出来ました」
「布団の具合はどうだ?二人で眠るにはちょうどいい大きさだったろう?」
「お言葉ですが、昨晩はその布団は婚約者が一人で使いました」
「はっはっは、貴様の事だから、そんなことだと思っていたとも!」
「そんなも、こんなも、まだ婚約の申請をしている段階です」
「四十路にもなって、何を真面目なことを言っておるか」
「真面目が取り柄ですから。朝から猥談を仕掛けてこないでいただけますか」
やれやれ、と義孝は内心で肩を竦めた。
「朝だからいいのだろう。気になって一日仕事が手につかなくては困るからな」
「・・・そんなに気にしなくても良い話題でしょうに」
「有能な部下の婚約だぞ。これが気にせず、何を気にしろというのか。一大事だろう」
「一大事なのは、私だけでよろしいかと。それにしても、中将は朝から元気ですな」
「何を言うか、儂は夜も元気だ」
「ご壮健で何よりですね」
「はぁ、儂に向かって、即座に切り替えせるのは、貴様くらいだな。まったく・・・まったく、名取大佐も貴様くらいに気骨があったらなあ」
中原中将はそう言って、ため息を吐いた。名取大佐は義孝が艦長として乗っていた戦艦の、現艦長だ。義孝が怪我で艦長を退いた時に、急遽艦長の後釜に就いたのだが、中将はそれが気に食わないようだ。
「肝心な時にはいつも、腹が痛いと。あれはとんだ腑抜けだぞ。先の大戦でも接敵の最中に、貨物室に逃げ込んでいたというではないか」
「噂に聞いてはいましたが」
「直接目にしたわけではないがな、何人もの部下が目撃したと口を揃えているからな」
「なるほど」
中原中将は肩を竦めた。
「貴様が抜けた穴に玉突きで入り込めただけのヤツに・・・アイツは艦長の器じゃない。それをどこぞの派閥の莫迦がねじ込みよって。儂は、あの艦が心配だ」
「大丈夫でしょう」
「なぜ、そう言い切れる」
「疾風には、杉田中佐がいますから。彼は優秀ですから」
商店街は時東邸のほど近くにあり、千代はそこを利用しているという。
八百屋、豆腐屋、金物屋、炭屋、米屋・・・など生活を支える昔ながらの店と、洋品店といった今風の店が混在していた。
もう少し足を伸ばせば、帝都でも有名な市場があるが、大抵の物はここで揃ってしまうとのことだった。
商店街がある通りは、時東邸へ来るときにも通った。昨日は余裕がなくて、恐ろしくすら感じていた場所が、今日はなんだか歩いているだけで、心に一つまた一つと、花が咲いていくようだった。
季節の移り変わりを示すように、急な陽気が帝都に訪れて、今日になって開花した道端の花々も多いようだ。
花にとって、商店街はさほど珍しい場所ではない。実家にいた頃は、買い出しに商店街を訊ねる事はあった。
だが、日々の労務の一つで、淡々と買い物をしながら歩くだけ。継母達から一時的に離れているという解放感はあったが、記憶には帰宅後の待遇を憂う陰鬱な感情が強く残っていた。
それがここでは、まるで童心に返ったようだ。わくわくしてしまう花に、千代が微笑む。
「何だか、楽しそうですね、花さん」
店に好奇心の眼差しを向けていた花は、少し照れながら頷いた。
「すみません・・・自分でもよくわからないのですが」
「日々に使う場所だから、楽しいほうがいいですよ。私もまだこっちに来てからは日が浅いものだから、帝都の景色は面白いなと思います」
「お義母様は、どちらに住んでいらしたのですか?」
帝都の北にある北都の港町に、義孝の産まれた実家がある。冬は豪雪の町に一人で暮らしていた千代を、こちらの方が暮らしやすいからと呼び寄せたと、花は義孝から昨日聞いた。
機雷の回収の話に不安な顔をした花に、故郷の話題で気をそらした。花には、義孝がどんな土地で育ったのか興味があった。
「北都ですよ。北にある豪雪の港町で・・・」
「ええ、存じ上げております。・・・が、あの、失礼ながら、お国言葉ではないのですね」
北都には、独特の訛があるが千代にも義孝にも、訛が全くないのだ。
「嫁ぎ先が北都だっただけで、出身はこちらなのです。それに、あちらの言葉には帝都では通じないことが多いので、めっそ使わんようにしちゅうがよ」
花の目が点になる。
「い、今なんと!?」
「あまり、使わないようにしてるんですよ、と言ったのです。ね?」
「ああ、たしかに通じないかも知れないですね」
「義孝は子供の頃は北都の言葉でしたが、海軍での生活が長いからでしょうね。海軍兵学校に入る為に故郷を出てからは、実家には寄港した時に立ち寄るくらいで、ほとんど帰って来ませんでした」
「なるほど、義孝さんはそれで・・・」
「義孝の話も、楽しそうに聞いてくれますね」
千代からニコニコしながら言われて、花は『えっ』と驚く。
自覚がなかったからだ。
自分はどんな顔をしていたのだろう、そう思いながら花は訊ねる。
「・・・そう、見えますか?」
「ええ、母としても、とても嬉しいわ」
断言されて、気恥ずかしくなるが、花は千代の言葉が嬉しかった。質問しても叱られない、それどころか喜んでくれる。
「あの、お疲れになったら言ってくださいね」
千代に負担をかけてやしないかと心配になった花は、そう声をかけた。不意に過労で亡くなった父を思い出したからだろう。
「ありがとう。でも、大丈夫です。こう見えて、脚腰は強いんですから」
花の不安を吹き飛ばすように、千代は答えた。通りに並ぶ桜の枝に、紅い蕾が一つ二つ、開き始めていた。
海軍司令部。
船が準備できるまで、義孝達の勤務地である。
そのトップである軍司令部部長の補佐を行う役職に、義孝は就いていた。軍司令部の仕事は、海軍全体の作戦や指揮の統括である。
朝、義孝はスーツを着て、ソフト帽を被って家を出る。そして通称、『赤レンガ』と呼ばれる軍司令部のある庁舎に到着してから、海軍の制服に着替えていた。
というのも、海軍の制服は通勤には目立つからだ。士官ともなれば、市民に対し規範的な行動を求められるし、帰路でスパイなどに付け狙われる可能性もある。少々面倒ではあるが、後に大事になる危険性を回避する為にも、義孝は私服で通勤していた。
海軍には、制服が二種ある。
紺色の冬服『第一種軍装』と、白い夏服『第二種軍装』だ。
桜の開花を待つ現在、海軍の軍人達は紺色の軍装に身を包んでいた。
「時東大佐。婚約者どののお迎えは如何だったかな?」
開襟のスーツから詰襟の軍服に着替えた義孝に、そう声をかけてきたのは、この軍部のトップである軍司令部長であり、義孝に家を貸してくれている上官・中原玄逸中将だ。
丸刈り頭にされた髪と髭は真っ白だが、筋骨隆々とした肉体は依然として若い海兵達を圧倒し続けている。
海の上でもよく通る豪快な声は、建物の中ではなお響き渡るため軍司令部に出入りして日の浅い部外者は、大抵腰を抜かすと言われている。
声に振り返り、義孝は一礼した。
「はい、お陰様で無事に迎え入れることが出来ました」
「布団の具合はどうだ?二人で眠るにはちょうどいい大きさだったろう?」
「お言葉ですが、昨晩はその布団は婚約者が一人で使いました」
「はっはっは、貴様の事だから、そんなことだと思っていたとも!」
「そんなも、こんなも、まだ婚約の申請をしている段階です」
「四十路にもなって、何を真面目なことを言っておるか」
「真面目が取り柄ですから。朝から猥談を仕掛けてこないでいただけますか」
やれやれ、と義孝は内心で肩を竦めた。
「朝だからいいのだろう。気になって一日仕事が手につかなくては困るからな」
「・・・そんなに気にしなくても良い話題でしょうに」
「有能な部下の婚約だぞ。これが気にせず、何を気にしろというのか。一大事だろう」
「一大事なのは、私だけでよろしいかと。それにしても、中将は朝から元気ですな」
「何を言うか、儂は夜も元気だ」
「ご壮健で何よりですね」
「はぁ、儂に向かって、即座に切り替えせるのは、貴様くらいだな。まったく・・・まったく、名取大佐も貴様くらいに気骨があったらなあ」
中原中将はそう言って、ため息を吐いた。名取大佐は義孝が艦長として乗っていた戦艦の、現艦長だ。義孝が怪我で艦長を退いた時に、急遽艦長の後釜に就いたのだが、中将はそれが気に食わないようだ。
「肝心な時にはいつも、腹が痛いと。あれはとんだ腑抜けだぞ。先の大戦でも接敵の最中に、貨物室に逃げ込んでいたというではないか」
「噂に聞いてはいましたが」
「直接目にしたわけではないがな、何人もの部下が目撃したと口を揃えているからな」
「なるほど」
中原中将は肩を竦めた。
「貴様が抜けた穴に玉突きで入り込めただけのヤツに・・・アイツは艦長の器じゃない。それをどこぞの派閥の莫迦がねじ込みよって。儂は、あの艦が心配だ」
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