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前編

りんのアイデア

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「俺が合図をしたタイミングで、霊壁を広げるぞ」

『わかった』

 俺は集中する。腹の下に「気」を集め、霊壁を広げるイメージをする。そして……

「今だっ!」

 りんは男の子がいる2階に向けてスーッと移動していくが……霊壁にぶち当たって、転げ落ちてきた。男の子は泣き叫び、火の手がすぐ後ろまで迫っていた。

「やっぱり……霊壁が届かない」

『もう一回やってみて!』

 俺はもう1回トライするが、結果は同じだ。どうやら俺の霊能力じゃあ、これが限界らしい。あと4-5m足りない。

『なんとかならないの?』

「すまん。これが限界だ」

『霊壁全体を大きくしなくてもいいから、一部分だけ広げることってできないの?』

「一部分……だけ?」

『そう。なんて言うかさ……風船を横から押しつぶして、上方向にグニャっと広げるみたいな?』

「風船を……押しつぶす?」

 均等な円形じゃなくって……「楕円形だえんけい」に広げるってことか?

「できるかどうかわからんけど、やってみる!」

『うん!』

 俺は霊壁を楕円形に広げるイメージを頭に浮かべる。そして……家の2階方向へ向けて、内側から霊壁を手で押して楕円形にするようなイメージで……

「今だっ!」

 りんはもう一度スーッと2階に向かって移動していくが……あと少しのところで霊壁にぶつかってしまった。

『惜しい! あと50センチ!』

「よし、もう1回!」

 俺はさらに強く気を込めた。内側から押す……内側から押す……

「いけっーー!」

 俺は霊壁を2階方向へ手で押し出すイメージで、今度は両手を2階方向へ突き出した。すると……霊壁の中のりんはいなくなっていた。

「いったのか?」

 俺は2階の男の子に目をやる。すると……あんなに泣き叫んでいた男の子が、ピタッと泣き止んでいる。そして次の瞬間、目の前の窓につかまって登り始めた。

「おおっ、飛び降りそうだぞ!」

「マットだ! マットをしっかり抑えろ!」

 下にいる消防隊員の動きが慌ただしくなる。男の子は窓枠に足をかけて立ち上がると、躊躇することなく前にジャンプした。

 ボンッという乾いた音と共に、男の子はマットの上に背中から着地。俺はすかさずもう一度霊壁を広げる。今度は距離が少しだけ短くなったので、なんとか一発で霊壁が届いた。それと同時に、りんは男の子の体から離脱する。

『うわぁー……もうマジで熱かったよ! あの男の子、あんなに熱いところでよく頑張っていたわね。髪の毛とか焦げてたと思うよ』

 俺の方へスーッと戻ってきたりんは、驚いた様子だった。

「りんも無事でよかったよ」

『うん、なんとかね。ナオが霊壁を頑張って広げてくれたおかげだよ』

「ああ。でもあんな風に霊壁を楕円形に広げるなんて発想は、俺にはなかったわ」

『そう? とりあえず結果オーライということだね……でもあの男の子、大丈夫かな?』

 男の子は消防隊員に抱えられて、お母さんと一緒に救急車で搬送されていった。

「べそをかいてたぐらいで、意識もちゃんとあった。大丈夫だろ?」

『そっかぁ。よかったー』

 りんは心から安堵した表情でふぅっと一つ深呼吸した。

「まあお疲れさん。でもあんまり無理すんじゃないぞ」

『まあね。でもこんなことめったにないでしょ?』

 りんは悪びれる様子もなく、ヘラヘラと笑っている。まったく……こっちは生きた心地がしなかったぞ。

「じゃあアイスでも買いに行くか?」

『うん! マンゴーシャーベット3個ね』

「多すぎるだろ? どんだけ好きなんだよ」

『じゃあ2個でいいや。1個は明日の分!』

 俺たちは再びコンビニに向かって歩き出した。そして……俺は歩きながら、りんがあの時言っていた言葉を思い出していた。

『アタシはもう死んでるの! でもあの子は生きてる! これから楽しいことだって、いっぱいあるんだよ! どんな手を使ってでも助けないとダメなの!』

 りんは絶対にあの男の子を助けたかった。それは……りんがもっと生きていたかったという気持ちの代弁だったんだろう。

 りんはたった16歳で、突然の交通事故で命を奪われた。これからやりたいことだって沢山あったはずだし、楽しいことだっていっぱいあったはずだ。俺は改めて、りんの無念さに気がついた思いだった。

「りん。マンゴーシャーベットは3個買って、冷凍庫に入れておこう」

『ホントに? やったね! 一緒に食べさせてね』

「仕方ねーな」

 りんは一向に成仏する気配を見せないが……もう少しこの世で楽しい思い出を作ったって、バチは当たらないよな。りんにはそれぐらいの権利があってもいいような気がする。まあ霊に権利というものがあるかどうかはわからんけど……。

 俺はそんなことを考えながら、りんと二人でコンビニへ歩いて行く。蒸し暑い夜が、まだまだ続きそうだった。

◆◆◆

「城之内君、夏休みは実家に帰っちゃうんだよね?」

 夏休み目前のある日、花宮は俺に訊いてきた。

 学校はもう夏休み前のだるいモードに移行していて、俺たち生徒の方もやる気が出ない。そのまま大量の宿題とともに、夏休みに突入の態勢だ。

「ああ。俺は夏休みはほとんど実家で過ごす予定なんだ。去年もそうだったしな」

「そうなんだね。ちょっとは一緒に遊びに行けるかと思ったのにな……」

 少しうなだれてシュンとした表情を見せる花宮は、控えめに言って天使だった。

「でもね、お父さんと話してるんだけど……夏休み中に一度水巌寺に遊びに行ってもいい?」

「えっ? そりゃあもちろんいいけど」

「ほら、水巌寺に行って実際にいろいろと見てみたいって、お父さんが言ってるのね。だから私も一緒に行きたいなって思って」

「ああ、そういうことか。それなら大歓迎だ。俺に連絡をくれたら、兄貴との予定を調整するよ」

「本当? 嬉しいなー。私も水巌寺に行くの楽しみ!」

 花宮の笑顔が弾けた。俺はその笑顔を見ているだけで、幸せな気分になる。

 俺は1年生の時もそうだったが、夏休みの大半は実家で過ごす。本当はこちらに残って夏休みを謳歌したい。今年は花宮と仲良くなれたので、なおさらだ。

 ただ俺には実家に帰らないといけない理由がある。それはオヤジから霊能者としての修行を受けないといけないからだ。

 俺は将来、オヤジに代わって一人前の霊能者にならないといけない。一応その覚悟は持っている。ただオヤジのレベルの霊能者になるためには、途方もない修行が必要なのだ。

 霊壁や式神の扱い方だって、もっと高度なことができないといけない。この間の火事の件だって、俺の能力が高ければもっと短時間であの男の子を助けることができたはずだ。

 去年の夏休みは、オヤジと一緒に夜通し山を歩いたりした。そして山に出没する種々雑多な霊体に対して、適切に対処できるようオヤジに指導してもらう。実際悪霊化した獣の霊が出現したのだが、最終手段でオヤジが強制成仏させた。そういった事を俺は将来的に受け継がないといけない。

 そんな苦行の中、花宮が水巌寺に来てくれるかもしれない。俺は夏休み中は花宮に会えないかもと思っていたので、それは朗報だった。

 花宮と連絡先を交換した後、俺は花宮と頻繁に連絡を取るようになった。といっても花宮が作った「手作りオヤツ」の写真を送ってきたり、俺の作った下手な夕食の写真を送ったりとか、あるいは「宿題やった?」とか……他愛も無いことばかりだ。

 そんなメッセージのやり取りをしている時、たまにりんが覗き込んでこようとする。

『かーっ、もう青春してんね! ちょっとさ、エッチな画像送ってって言ったら送ってくれるかもよ?』

「そんなことするわけねーだろ」

 りんにはよく冷やかされるが、俺はそんな毎日が楽しかった。

 そんな感じで俺たちの高2の夏休みはスタートしたのだが……そのスタート初日に意外な人物からメッセージが届いた。

 環奈先生:今年はいつ帰省するの? 私はあさってから2泊の予定で水巌寺に滞在予定です。車で行くので、よかったら一緒にどう? りんちゃんも連れて行くんだよね?

 環奈先生からの連絡だった。俺は高校入学の時から環奈先生と連絡先の交換はしていて、たまにメッセージのやり取りをしていた。

 環奈先生は1年に2-3回、主に夏休みと冬休みの時期に俺の実家の寺に滞在する。俺のオヤジからの「修行」を受けるためだ。修行と言ってもそんなに厳しいものではなく、今ある霊能力の維持・ブラッシュアップをするためのものだ。

 これを怠ると、また見えてはいけない霊体なんかも見えるようになってくるらしい。霊能者にとっては必要な訓練なのだ。それに環奈先生にとっては、俺の兄貴に会えるという重要なイベントでもあるようだ。

 俺の実家は隣県のへんぴなところにあり、電車を乗り継ぐと3時間以上かかってしまう。電車の本数が少ないので、乗り換えに時間がかかるのだ。車であれば高速を使って2時間弱。環奈先生が車に乗せてくれるのであれば、こんなにありがたいことはない。俺は一緒に帰省させてもらうことにした。
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