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(四)人集め

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 満願寺から水戸城下に戻ってきた斯忠つなただは、朝日屋と号する商家の暖簾を、勝手知ったる顔つきでくぐった。

「すまねぇが、厄介になる。ほんの十日ほどのことだから、辛抱してくれや」
 斯忠が朝日屋の主人・八右衛門に頭を下げる。

「これが最後だと仰るから引き受けましたが、あまり騒ぎは起こさないで下さいませ」
 八右衛門は迷惑そうな表情を隠さず、口をとがらせる。

「つれねぇなあ。随分と儲けさせてやったつもりなんだがな」

「それは商売ですから、お取引もさせていただきました。それとこれとは別儀です」

 朝日屋は、水戸城下においても、大店と呼ぶほどではない中堅の商家である。商売の範囲は手広く、斯忠は戦さ支度に関しては、個人の武具を除いてはあらかたこの朝日屋の世話になっていた。

 御用商人と言えば聞こえはよいが、実際には朝日屋の取引先は斯忠に限らず、佐竹家中に広く用いられているため、特段の計らいをする必要はなかった。

 斯忠の強引さに閉口しながらも、なんだかんだと頼みを聞いている間柄だった。

「どうせなら会津に店を出す気はねぇか」

「ご冗談を。佐竹家御家中様との取引でじゅうぶんですよ」
 再び八右衛門は口を尖らせた。

 元々は多胡たこ八右衛門と名乗る武士である。かつて出雲国に勢力を誇っていた尼子氏に使え、智将として知られた多胡辰敬ときたかの遠縁にあたる。

 尼子家没落後、武士を捨てて行商人となって各地を放浪する苦労の末、今の店を構えるに至っている。

「無理ついでに、頼みがあるんだがな」
 図々しくも、斯忠は武具や兵糧、さらには軍資金の提供を求めた。

「流石にそこまではお受けいたしかねますぞ」
「そこをなんとか、多胡の大将」
 八右衛門のことを元武士と知っている斯忠は、下手に出る時は決まって、彼のことを大将と呼ぶのだ。

 無理強いされても多胡の大将と呼ばれるのは本人にとってもまんざらではないのか、大抵の場合は八右衛門が折れる形で話はまとまる。

 だが、今回ばかりは思惑が外れた。
「これから佐竹の御家中からも注文が増えることが予想されます。車様のみにただで渡したと知れれば、もう後は商売になりませぬな」

「それを言っちゃあ、おしめぇよ」
 斯忠は肩を落とした。もちろん、八右衛門だけを頼りにして事を進めていた訳ではないが、やはりあてにする部分は大きかった。

「……武具や兵糧をただで渡す訳には参りませぬが、車様ご出立の餞別を、いくらかお渡しさせていただきます。それでご勘弁くださりませ」
 ため息をこらえるような口ぶりで八右衛門が告げた。途端に消沈していた斯忠が、相好を崩す。

「さすがは多胡の大将だ」

***

「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ」
 斯忠の大音声に、何事かと道行く人々の耳目が集まる。

 斯忠は、頭に前立のない鉄錆地六十二間筋兜をかぶり、水色の弓懸に腹巻を着け、格子模様が入った山吹色の陣羽織といった出で立ちである。

 ここでいう腹巻とは、当世具足よりも古い時代に用いられた甲冑である。

 車家の陣代として戦線に立つようになった斯忠に、父・義秀が先祖伝来の鎧と称して下げ渡したものだ。
 古めかしい甲冑は嫌がらせかとも思われたが、斯忠のほうでも意地になって戦場に赴く際には必ず着用している。

 ただし腹巻以外の、脛と小手を守る小具足は当世風である。よく使いこまれており、特に筋金の入った左の手甲は刀傷を補修したと思しき傷が幾筋も入っている。

 また外からは見えないが、風天の像を刻んだ銅板を忍ばせたお守り袋を首から紐で下げ、胸元にたくしこんでいる。

 これが斯忠の、いつもの戦装束である。

 背丈よりやや長い手鑓の柄を右手にむんずと掴み、石突をその名の通り地面に突き立てている。

 腰には二尺八寸の長刀。かつて人取橋の戦いにおいて、伊達勢の本陣に三度に渡って突撃した時にも、斯忠は二尺八寸の長刀を振るっていた。

 もっとも、彼の腰に今ある長刀は、当時のものとは別物である。斯忠が戦場で激しく振るった刀は、合戦が終わる頃には羽こぼれが激しく、たいてい使い物にならなくなっている。

 五尺七寸、けして巨躯とは言い難い身体ながら、鎧兜を身に着けた厳めしい恰好の斯忠は、人目を惹かずにはおれない。
 その斯忠が、会津の上杉に加勢するため人数を募る口上を述べたてると、遠巻きに取り囲んだ人垣から言葉にならないどよめきが起きる。

「しかし、お武家さま。まさに征伐を受けようかという上杉に味方したのでは、命がいくつあっても足りぬのでは」
 おずおずと言った調子で、鳶職風の町人の一人が問う。

「馬鹿だねぇ。人間、死ぬときは道を歩いてても草むらから飛び出した蛇に噛まれても死ぬんだよ。それにな、上杉に加勢するってことは、まさに佐竹の御家を守ることにもつながるんだよ」
 斯忠は、「佐竹の御家」の一言に力を込めた際、まさしくここが、とばかりに石突で地面を小突いた。

「どういうことでございましょう」
 先ほどの町人が、要領を得ないといった声音でなおも問う。

「考えてもみやがれ。先だっては前田家の当主がおっかさんを人質に出して徳川に屈した。今度は上杉だ。上杉が泣きを入れるか滅ぶかすれば、次はどうなる。常陸侍従様が天下の六大将の一人だってことを忘れちゃならねぇ」

 天下の六大将の一人、常陸侍従とは他ならぬ佐竹義宣のことを指す。

「まさか」
「まさかもとさかもねえ。上杉が陥ちりゃ、常陸は会津と江戸で挟み撃ちだ。それに、常陸侍従様が石田治部少輔と御懇意だったってことは皆知ってるだろうが。徳川内府にとっちゃ、いつでもいくらでも因縁なんて付けられるぞ」

 昨年、つまり慶長四年閏三月に五大老の一人である前田利家が死去した。
 これにより、加藤清正や福島正則ら武断派と、石田三成を筆頭とする文治派の対立を調停出来る者がいなくなった。

 この機に武断派は三成の屋敷を襲撃する挙に出たが、その際、義宣が三成を一時的に匿って危難を逃れた経緯があったことは常陸国内でも広く知られていた。

 その後、家康の調停によって三成は失脚して居城の佐和山城に蟄居することとなり、今も雌伏の時を過ごしている。

「それは……」
 町人は返事に困って言葉を詰まらせる。それをみて、斯忠が畳みかける。

「そうなっちまってからじゃ遅いのは判るだろ。此度、常陸侍従様は態度を決めかねておられるが、上杉にはなんとしても勝ってもらわなくちゃ困るんだ。そのために、どうか力を貸してほしい」

 二人のやり取りを聞いていた群衆の間にざわめきが広がる。
 互いに顔を見合わせ、なにやら話している者も多い。

「士卒として命を張るのが嫌ってんなら、荷駄運びの人夫としてでも構わねぇ。なにしろ、いまや会津ではあちこちに城や砦を築き、道を広げて戦支度の真っ最中と言うじゃねえか。普請の仕事はいくらでもあるはずだ」
 ざわつく群衆を前にして、戦場で鍛えた斯忠の声は良く響いた。

「……よっしゃ、車様。それがしをお仲間にお加えくだされ」
 意を決したのか、さきほどあれこれ聞いていた鳶職風の町人とは別の、牢人者らしき男が人垣から前に進み出た。

「おう。よく決めてくれた。左源次、銭を渡してやってくんな。他にも我と思わん者があれば、今日から十日後に、車城の北西三里、満願寺の境内まで来られたし!」
 斯忠が破顔して、ここぞとばかりに張り上げる声に力を籠める。

 すると、それまで後ろに控えていた嶋左源次が牢人者の元に駆け寄って、「路銀に使うてくだされ」と、紙に包んだいくばくかの銭を握らせる。

 ただ渡すのではなく、牢人者から名と在所を聞き取って帳面に書きつける。
 牢人暮らしが長かった左源次は、このような武士らしからぬ雑事も嫌な顔せず要領よくこなしてくれる。

 銭をその場でもらう様子を見て欲が出たのか、その後も粗末な身なりをした二、三人の男が、話を聞きたいと前に出てきた。

「戦さ働きには自信がないもので、人足として雇うてもらえるのならありがたいのですが」
 などと左源次に申し出る様を見ながら、斯忠は満足げに頷いた。

***

 水戸城の城下町、その中心部から離れた場所に、一軒の小ぶりな茶屋があった。
 町の賑わいからは離れているため、客足はそこそこ。値段も味もそこそこ、従って評判もそこそこ、という具合の店である。

 看板には「とら」と屋号が墨書されている。

 若い頃に猪に襲われて片足を痛めたという老人が団子を作り、その娘が店を切り盛りしている。

 城下で一席ぶった斯忠の姿が、その茶屋にあった。この茶屋に斯忠が通い詰めていることは、周囲にもよく知られていた。看板の文字を書いたのも、他ならぬ斯忠である。

 もっとも、「車丹波守御用達の店」だからといって集客に繋がる筈もない。今も、珍しいことではないが、斯忠のほかに客はいない。

 あらためて説明するまでもなく、ここは善七郎率いる「風車」の隠し拠点の一つである。

 看板娘を演じているのはお香。善七郎の腹心であり、夫婦同然の間柄であることは既にふれた。
 店主の老人はその御付きである。忍びの技こそ身に着けているが、足を痛めているのは嘘ではないため、もっぱら裏方に回っている。

「辻立ちの首尾はどうでしたか」
 茶と団子を載せた皿を差し出しつつ、お香が訊ねる。

 目鼻立ちのはっきりとした美貌の持ち主である。四十がらみの善七郎と同年代の筈であるが、見た目は二十代半ばと言っても通用しそうなほど、若さを保っている。

 それが伊賀忍びが修得している変装の技の応用なのかどうか、さすがに斯忠も面と向かっては問い質せない。

「最初にしちゃ、まあまあじゃねえか。善七の相槌も、少々わざとらしいところはあったが、まず気づかれちゃいねえだろう」
 茶をすすりながら斯忠は応じる。

 斯忠が兵を募るにあたって、斯忠に話の接ぎ穂を与えるように話しかけていた鳶職風の男は、変装した善七郎だった。
 さらに、最初に手を挙げて路銀を受け取ったのも、牢人に扮した風車の一人だった。

 この後、噂が噂を呼んで斯忠が兵を募っていることが世間に知れ渡れば、呼びかけに本当に応じる者も出てくるだろう。
 しかし、勝手も判らぬ最初の一回目からそんなに都合よく飛びついてくれる筈がないと判断した斯忠が、あらかじめ準備させていたのだ。

 なお、この手の事前の仕込みを俗に「サクラ」と呼ぶが、当の斯忠はその表現だけは決して認めないだろう。

 それはともかくとして、斯忠はこの後も、水戸城下に限らず人が集まりそうな場所を巡って、同じように兵を募る辻立ちをするつもりだった。
 とはいえ、日数は限られており、常陸をくまなく巡る余裕はない。

 斯忠一人では到底、五百名もの人数を集めることはできない。
 風車の手の者を総動員して、どれだけ噂が噂を呼ぶ形を作れるかが成否の分かれ目となるだろう。

「わたし達も、会津に行くことになるのですね」
 善七郎様から話を聞いております、とお香が言った。

「すまねぇな」
「嫌ですね、そんな他人行儀な。車様とわたし達は一蓮托生の間柄じゃございませんか」
 お香の切れ長の眼に、どこか妖しい光が宿る。

 実際のところ、茶屋の売上だけではお香と老店主の二人が食べていく分には問題ないが、風車としての活動を支えるには到底足りない。不足分は当然のことながら斯忠が俸禄の中から工面している。

 今になって斯忠が金策に頭を悩ます羽目に陥っている大きな理由の一つが、実は「風車」を組織する為の費えが身の丈に合わぬ点にあるのだが、当人にはあまり自覚はない。

 金勘定にこだわらないのが、車斯忠という男である。

 ともあれ、風車の頭である善七郎が斯忠の元から離れるつもりは毛頭ない以上、風車が斯忠とともに会津入りするのは当然の話だった。

「簡単にはいかねえぞ」
 戦さが近いとも噂される地に、わざわざ他国者が店を開くとなれば、どうしても不自然さは否めない。

「理由を問われたら、贔屓の車様の後を追って、ということに致しますよ」

「ああ、そうしてくれ。とはいえ、どうしたって風車の全員は連れていけねえ。こっちにもなんらかの伝手は残したいのもあるが」
 斯忠は渋い顔で言葉を濁す。

 風車に所属するのは、敵城に忍び込んで情報を盗み取るような技を持つ者ばかりではない。

 表向きにはあくまでも市井の住人の体裁を保ちつつ、噂話を聞き集めるような役割を果たす者もいる。
 地元に根差しているからこそ役に立つような者は、無理に会津に転居させたところで、間者としての働きはほとんど期待できなくなる。

「いろいろ寂しくなりますねぇ。いつか、殿様の勘気が解ければ戻ってこられるものなのでしょうか」

「そいつばかりはなぁ」
 まだ上杉への仕官も叶うかどうかも判らない段階で、戻って来られるかどうかもない話なのだが、斯忠としても未練がないといえば嘘になる。

「まあ、そいつを考えるのは、戦さが終わってからだ。案外、会津の水が合うかも知れねえじゃねえか」
 本当に上杉征伐が実施されるのかも判らない段階では、先のことなど何一つ見通せない。
 あれこれ考えたところで仕方ない、そう割り切るしかなかった。
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