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12、相異
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水族館を出て、今度は山の方に向かう。
その途中、山の中腹で灯り始めた夜景を二人で眺めている。
この山はケーブルカーがあって、山麓駅とこの中腹に位置する駅と山頂駅の3駅がある。
夜景が綺麗だと有名なスポットで、周りにはカップルらしき人影がぽつりぽつりとあった。
「今度クリスマスで行くロッジの山はあの辺かな?」
壱弥が夜景の街を挟んだ向こう側にある山を指差して言った。
「そうなんだ。こっちとは逆から夜景を見る事になるんだね」
「そうそう。また違った景色で面白いよ」
「この山はたまに家族で来たの。でも夜景を見るのは初めてだな」
ここもケーブルカーがあるので、神崎家にとっては定番のスポットだった。
母親の作ったお弁当を持って、お花見やピクニックによくやって来た。
ケーブルカーの営業時間は17時なのでこの時間には来た事がない美優は知っているのに知らない場所の様な不思議な感覚に陥った。
そろそろ辺りは本格的に闇に染まる。
夜景の上で三日月が雲の薄絹を纏い、のんびりと浮かんでいる。
「うん、SNSで言ってたね。ここもよく来たって」
「さすがに私が大きくなってからはピクニックは来なくなったけどね。でも、また来たいなって思ってたの」
「また一緒に来ようね。今度は昼間電車がいいかな?」
「ここの頂上の桜が綺麗なんだよ。ここは秋もいいけど春が一番私は好きだな」
「そっか、じゃあ次は春に来よう」
どんどん約束が増えていくけれど、この約束を自分は果たせるのだろうか?
出来れば約束は破りたくない。破りたくないので約束を安易にするのはどうだろうかと思うと少し引けてしまう。
壱弥はそんな風に引けている美優を察してか、美優の手を握る。
「美優ちゃん。俺さ、断られても絶対に美優ちゃんの事諦めないよ?」
「……どうして?」
「だって、美優ちゃんは特別なんだってば」
夜景に目をやっていた壱弥が美優の方をゆっくりと振り返る。
「いつまでだって待つから。美優ちゃんの気持ちが俺に向くまで」
「……私……、壱弥君の気持ちに応えられる自信がないの……。壱弥君はたくさんのものを持ってるでしょ? でも私は普通だから……」
「美優ちゃんは普通なんかじゃないよ? 特別だって言ったでしょ?」
「そんな……私、何も特別な所なんて……」
「美優ちゃんの気遣い上手な所なんかは、凄く特別だと思うけど」
「人に気を遣うのなんて普通の事でしょ?」
「そう? 美優ちゃんにとっては普通に出来る事でも出来ない人にとっては凄く特別に映る事だと思うけど」
「……そうなのかな?」
「うん。そうだよ」
「俺の環境と美優ちゃんの環境は違うかもしれないけど、一緒にいたいって思う事ってそういうのを少しずつ帳尻合わせて行く覚悟が出来るかどうかなんじゃないのかな?」
「……」
「だから、俺、美優ちゃんに一緒にいたいって思ってもらえるまで諦めない」
いつもの優しい笑顔で、でも明確に強い意志を宿した瞳で壱弥は美優を見つめた。
美優にも壱弥の言う事はわかった。
結局、自分が怯えているのは、壱弥の言う覚悟が出来るか否かで、壱弥の環境を受け入れられる自分であるかどうか、という自信の無さだ。
壱弥はとても魅力的な男性で、そんな壱弥に溺れてしまうかもしれない自分が怖い、というのもあるのだろう。
美優は壱弥の視線から逃げる様に俯く。
そしてぽつりと呟くように言った。
「……ごめんなさい。もう少しだけ、待ってね?」
「うん。俺に決めてくれるまで、いつまでだって待つよ」
美優は夜景に俯いていた頭を上げて、夜景に目をやる。
キラキラと冬の外気に晒されて、一つ一つの灯がまるで何かを主張する様に煌めいている。
ぼんやりとその主張を眺めていると、自分の心の揺らめきと似てるなと思う。
様々な想いが様々に主張してくる。
壱弥もそんな美優の手を握って、夜景に目をやった。
しばらく夜景を眺めていた壱弥は美優を振り返って言った。
「……そろそろ行こっか?」
「うん」
「山頂にあるホテルの割烹に行こうと思うんだ」
「うん」
「ご飯の後、ホテルの竹林庭園見に行こう? なんか椿が綺麗に咲いてるんだって」
「うん、見てみたい」
手を繋いで車まで向かう。
壱弥は美優の手をきゅっと握る。
それはまるで美優への想いの強さを示している様で、美優は何か気恥ずかしくなった。
車に乗り込んで、山頂へと向かう。
山頂には絶景の山水を誇る規模の大きなリゾートホテルがある。
そのホテルの一角にある割烹に二人で入った。
「今日予約した鈴志野です」
着物を着た年嵩の仲居が恭しく頭を下げた。
「鈴志野様、お待ちしておりました」
この割烹は一元でも入れる気軽なお店として、有名料亭が分店として開店させた。
こういった割烹の割にはリーズナブルで高級感も味わえる人気店だ。
奥の個室に通されて、靴を脱いで掘りごたつになった座敷の座布団に座る。
窓からはライトアップされた竹林庭園の椿が咲き誇っているのが見渡せる。
「壱弥君? 今日って予約してたの?」
案内の女性が下がったタイミングで壱弥に訊ねた。
「うん、美優ちゃんの家の前で電話してみたら、ちょうどキャンセルが出たって。ラッキーだったね」
「そっか。あの時わざわざ電話しておいてくれたんだね。ありがとう」
「俺が美優ちゃんと来たかったからね。寧ろ付き合ってくれてありがとう」
「……私、壱弥君に誘ってもらえたら嬉しいよ?」
少し照れながら伏目がちに言う美優。
「そう? じゃあ、遠慮なく声かけるね。出来る限り美優ちゃんと一緒にいたいし」
「なんだか最近壱弥君とばかり出かけてるかも。友達も受験とかで忙しいから」
「美優ちゃんは内定決まってるから、時間結構とれるんだね」
「うん、冬休みもたくさんバイト入れてるの」
「お正月、一緒に過ごしたいな。バイト?」
「ううん、お店自体が三が日お休みだからバイト入れられなかったの」
「予定がないなら一緒にいよう?」
「……うん、いいよ」
「ホント? 俺の家に来てもいいけどどうだろう?」
「……いいの?」
「うん、大丈夫だよ。あ、絶対変な事しないから安心してね」
「……そういう心配はしてないよ? でもお邪魔じゃないかなって」
「邪魔な訳ないよ。美優ちゃんと3日も一緒に過ごせるなんて幸せが過ぎる」
「壱弥君はホントに大げさだなぁ」
「いや、本気だし」
「失礼致します」
声がかかり、入り口の木枠の引き戸が開けられて先程の仲居が入ってくる。
「鈴志野様、いつも御贔屓にして頂きありがとうございます」
仲居さんは三つ指をついて頭を下げた。
「いえいえ。こちらこそお世話になってます」
「本日はどちらのコースで?」
「お任せします」
「畏まりました」
お茶とおしぼりを壱弥と美優それぞれの前に置くと、仲居は静やかな所作で出て行く。
「……壱弥君、このお店よく来るの?」
壱弥は少し困った様な表情で笑う。
「う~ん……、そうだね、実家に勘当される前は、ここじゃなくて、この割烹の元の料亭の方にたまに行ってたんだ。あ、俺一人じゃなくて、父親と一緒だよ?」
「そうだったの……」
「今は料亭なんか行く用事無いし行かないけどね」
この割烹の元になった料亭は一食5万円からの超高級料亭だと言われている。料金はそれだけではない。そこに芸者さんを招いたり、様々な料金が別途かかる。
壱弥の家族はそういった所に出入りする様な人達なのだと、美優は確信をした。
「もう本当に何の関係もないから、気にしないでね?」
壱弥は美優に念を押す様に言った。
「うん」
そうは答えたものの、やはり美優の中では少し何かわだかまりが残る。
とてもじゃないが自分は一生の内で一度だってそんな料亭に行く事はないだろう。
自分の両親もきっとそうだったに違いない。
そんな育ちの人と自分が本当に釣り合うのか、やはりそこに引っかかってしまう。
そう考えていたのが顔に出ていたようで、壱弥が美優にもう一度念を押す。
「美優ちゃん? 余計な事考えてる顔だよ?」
「……そんな事ないよ?」
美優は無理やり笑って見せたけれど、壱弥はそんな美優の心情をしっかりと理解していた。
壱弥は少し溜息を吐く。
「本当にもう勘当されて一切の関わりは切られたから、関係ないんだ」
「……どうして、勘当されちゃったの?」
壱弥はいつもとは少し違う不敵な笑みを浮かべて言った。
「俺が無能だからだよ。無能は要らないんだってさ」
美優は壱弥のその科白に思わず反射的に反論した。
「壱弥君は無能なんかじゃないよ? そんなのおかしいよ」
「さあ、どうなんだろうね。俺はどっちでもいいんだけどね」
「……壱弥君は勘当されて悲しくなかったの?」
「特には。ほら、前に言ったでしょ? 俺はあんまり人に興味が無いんだよね」
「……でも、家族でしょ?」
「そうだな~……、美優ちゃんの家の様な家族ではないよね、やっぱり」
壱弥は少し考える様に答える。
そして美優をじっと見つめて次の句を継いだ。
「……だからさ、俺は美優ちゃんに教えてもらいたいんだ」
「何を?」
「家族ってどんな風に一緒にいるものなのか」
「…………」
美優はその壱弥の言葉をどう受け止めていいのか、どう答えていいのかわからなくて、困ってしまう。
「こないだの俺の誕生日、俺、本当に嬉しかったんだよね。あんな風に祝ってもらったの初めてだったから」
壱弥は両手の指を組んでテーブルに肘をついて、顎を乗せて美優を見つめた。
「これから先も、あんな風に色々俺に教えて欲しいんだ。普通に一緒にいる事を。それを教わるのは美優ちゃんじゃなきゃ嫌なんだ」
美優はその壱弥の心情を思うと何か物悲しい気持ちになった。
自分が当たり前の様に享受していた両親からの愛情が壱弥にとっては遠いモノだった事も、壱弥がその事に全く何も感じていなさそうな事も、美優にとっては何か少しだけ悲しい事の様に思えた。
壱弥をじっと見つめてしまう。
「……どうして、私じゃなきゃ嫌なの?」
「美優ちゃんは特別だから」
「……何が特別なの? 私、ホントに平凡なただの女子高生だよ?」
壱弥はにっこりと笑う。
「それは、内緒」
「どうして内緒なの?」
「だって、恥ずかしいから」
そう壱弥が言った直後、また引き戸の向こうから声がかかり、静かに引き戸が開かれて仲居が部屋に入ってくる。
折敷と箸を壱弥と美優、それぞれの前に置き、更にその折敷の上に本日のお品書きが置かれる。
「本日のお品書きでございます」
そう言うと部屋から出て、すぐに椀を二つ盆に乗せて戻りそれぞれの前に置いた。
「ふっこあら汁でございます」
料理のあらましを簡単に説明されて、椀の蓋を開ける。
汁の熱気がもわりと上がって、蒸気を少しだけ顔に感じる。
仲居が出て行くと、壱弥は美優に椀を薦める。
「さ、食べよ?」
壱弥のその笑顔はいつも通りの彼独特の優し気な雰囲気に合った、優しい笑顔だった。
その途中、山の中腹で灯り始めた夜景を二人で眺めている。
この山はケーブルカーがあって、山麓駅とこの中腹に位置する駅と山頂駅の3駅がある。
夜景が綺麗だと有名なスポットで、周りにはカップルらしき人影がぽつりぽつりとあった。
「今度クリスマスで行くロッジの山はあの辺かな?」
壱弥が夜景の街を挟んだ向こう側にある山を指差して言った。
「そうなんだ。こっちとは逆から夜景を見る事になるんだね」
「そうそう。また違った景色で面白いよ」
「この山はたまに家族で来たの。でも夜景を見るのは初めてだな」
ここもケーブルカーがあるので、神崎家にとっては定番のスポットだった。
母親の作ったお弁当を持って、お花見やピクニックによくやって来た。
ケーブルカーの営業時間は17時なのでこの時間には来た事がない美優は知っているのに知らない場所の様な不思議な感覚に陥った。
そろそろ辺りは本格的に闇に染まる。
夜景の上で三日月が雲の薄絹を纏い、のんびりと浮かんでいる。
「うん、SNSで言ってたね。ここもよく来たって」
「さすがに私が大きくなってからはピクニックは来なくなったけどね。でも、また来たいなって思ってたの」
「また一緒に来ようね。今度は昼間電車がいいかな?」
「ここの頂上の桜が綺麗なんだよ。ここは秋もいいけど春が一番私は好きだな」
「そっか、じゃあ次は春に来よう」
どんどん約束が増えていくけれど、この約束を自分は果たせるのだろうか?
出来れば約束は破りたくない。破りたくないので約束を安易にするのはどうだろうかと思うと少し引けてしまう。
壱弥はそんな風に引けている美優を察してか、美優の手を握る。
「美優ちゃん。俺さ、断られても絶対に美優ちゃんの事諦めないよ?」
「……どうして?」
「だって、美優ちゃんは特別なんだってば」
夜景に目をやっていた壱弥が美優の方をゆっくりと振り返る。
「いつまでだって待つから。美優ちゃんの気持ちが俺に向くまで」
「……私……、壱弥君の気持ちに応えられる自信がないの……。壱弥君はたくさんのものを持ってるでしょ? でも私は普通だから……」
「美優ちゃんは普通なんかじゃないよ? 特別だって言ったでしょ?」
「そんな……私、何も特別な所なんて……」
「美優ちゃんの気遣い上手な所なんかは、凄く特別だと思うけど」
「人に気を遣うのなんて普通の事でしょ?」
「そう? 美優ちゃんにとっては普通に出来る事でも出来ない人にとっては凄く特別に映る事だと思うけど」
「……そうなのかな?」
「うん。そうだよ」
「俺の環境と美優ちゃんの環境は違うかもしれないけど、一緒にいたいって思う事ってそういうのを少しずつ帳尻合わせて行く覚悟が出来るかどうかなんじゃないのかな?」
「……」
「だから、俺、美優ちゃんに一緒にいたいって思ってもらえるまで諦めない」
いつもの優しい笑顔で、でも明確に強い意志を宿した瞳で壱弥は美優を見つめた。
美優にも壱弥の言う事はわかった。
結局、自分が怯えているのは、壱弥の言う覚悟が出来るか否かで、壱弥の環境を受け入れられる自分であるかどうか、という自信の無さだ。
壱弥はとても魅力的な男性で、そんな壱弥に溺れてしまうかもしれない自分が怖い、というのもあるのだろう。
美優は壱弥の視線から逃げる様に俯く。
そしてぽつりと呟くように言った。
「……ごめんなさい。もう少しだけ、待ってね?」
「うん。俺に決めてくれるまで、いつまでだって待つよ」
美優は夜景に俯いていた頭を上げて、夜景に目をやる。
キラキラと冬の外気に晒されて、一つ一つの灯がまるで何かを主張する様に煌めいている。
ぼんやりとその主張を眺めていると、自分の心の揺らめきと似てるなと思う。
様々な想いが様々に主張してくる。
壱弥もそんな美優の手を握って、夜景に目をやった。
しばらく夜景を眺めていた壱弥は美優を振り返って言った。
「……そろそろ行こっか?」
「うん」
「山頂にあるホテルの割烹に行こうと思うんだ」
「うん」
「ご飯の後、ホテルの竹林庭園見に行こう? なんか椿が綺麗に咲いてるんだって」
「うん、見てみたい」
手を繋いで車まで向かう。
壱弥は美優の手をきゅっと握る。
それはまるで美優への想いの強さを示している様で、美優は何か気恥ずかしくなった。
車に乗り込んで、山頂へと向かう。
山頂には絶景の山水を誇る規模の大きなリゾートホテルがある。
そのホテルの一角にある割烹に二人で入った。
「今日予約した鈴志野です」
着物を着た年嵩の仲居が恭しく頭を下げた。
「鈴志野様、お待ちしておりました」
この割烹は一元でも入れる気軽なお店として、有名料亭が分店として開店させた。
こういった割烹の割にはリーズナブルで高級感も味わえる人気店だ。
奥の個室に通されて、靴を脱いで掘りごたつになった座敷の座布団に座る。
窓からはライトアップされた竹林庭園の椿が咲き誇っているのが見渡せる。
「壱弥君? 今日って予約してたの?」
案内の女性が下がったタイミングで壱弥に訊ねた。
「うん、美優ちゃんの家の前で電話してみたら、ちょうどキャンセルが出たって。ラッキーだったね」
「そっか。あの時わざわざ電話しておいてくれたんだね。ありがとう」
「俺が美優ちゃんと来たかったからね。寧ろ付き合ってくれてありがとう」
「……私、壱弥君に誘ってもらえたら嬉しいよ?」
少し照れながら伏目がちに言う美優。
「そう? じゃあ、遠慮なく声かけるね。出来る限り美優ちゃんと一緒にいたいし」
「なんだか最近壱弥君とばかり出かけてるかも。友達も受験とかで忙しいから」
「美優ちゃんは内定決まってるから、時間結構とれるんだね」
「うん、冬休みもたくさんバイト入れてるの」
「お正月、一緒に過ごしたいな。バイト?」
「ううん、お店自体が三が日お休みだからバイト入れられなかったの」
「予定がないなら一緒にいよう?」
「……うん、いいよ」
「ホント? 俺の家に来てもいいけどどうだろう?」
「……いいの?」
「うん、大丈夫だよ。あ、絶対変な事しないから安心してね」
「……そういう心配はしてないよ? でもお邪魔じゃないかなって」
「邪魔な訳ないよ。美優ちゃんと3日も一緒に過ごせるなんて幸せが過ぎる」
「壱弥君はホントに大げさだなぁ」
「いや、本気だし」
「失礼致します」
声がかかり、入り口の木枠の引き戸が開けられて先程の仲居が入ってくる。
「鈴志野様、いつも御贔屓にして頂きありがとうございます」
仲居さんは三つ指をついて頭を下げた。
「いえいえ。こちらこそお世話になってます」
「本日はどちらのコースで?」
「お任せします」
「畏まりました」
お茶とおしぼりを壱弥と美優それぞれの前に置くと、仲居は静やかな所作で出て行く。
「……壱弥君、このお店よく来るの?」
壱弥は少し困った様な表情で笑う。
「う~ん……、そうだね、実家に勘当される前は、ここじゃなくて、この割烹の元の料亭の方にたまに行ってたんだ。あ、俺一人じゃなくて、父親と一緒だよ?」
「そうだったの……」
「今は料亭なんか行く用事無いし行かないけどね」
この割烹の元になった料亭は一食5万円からの超高級料亭だと言われている。料金はそれだけではない。そこに芸者さんを招いたり、様々な料金が別途かかる。
壱弥の家族はそういった所に出入りする様な人達なのだと、美優は確信をした。
「もう本当に何の関係もないから、気にしないでね?」
壱弥は美優に念を押す様に言った。
「うん」
そうは答えたものの、やはり美優の中では少し何かわだかまりが残る。
とてもじゃないが自分は一生の内で一度だってそんな料亭に行く事はないだろう。
自分の両親もきっとそうだったに違いない。
そんな育ちの人と自分が本当に釣り合うのか、やはりそこに引っかかってしまう。
そう考えていたのが顔に出ていたようで、壱弥が美優にもう一度念を押す。
「美優ちゃん? 余計な事考えてる顔だよ?」
「……そんな事ないよ?」
美優は無理やり笑って見せたけれど、壱弥はそんな美優の心情をしっかりと理解していた。
壱弥は少し溜息を吐く。
「本当にもう勘当されて一切の関わりは切られたから、関係ないんだ」
「……どうして、勘当されちゃったの?」
壱弥はいつもとは少し違う不敵な笑みを浮かべて言った。
「俺が無能だからだよ。無能は要らないんだってさ」
美優は壱弥のその科白に思わず反射的に反論した。
「壱弥君は無能なんかじゃないよ? そんなのおかしいよ」
「さあ、どうなんだろうね。俺はどっちでもいいんだけどね」
「……壱弥君は勘当されて悲しくなかったの?」
「特には。ほら、前に言ったでしょ? 俺はあんまり人に興味が無いんだよね」
「……でも、家族でしょ?」
「そうだな~……、美優ちゃんの家の様な家族ではないよね、やっぱり」
壱弥は少し考える様に答える。
そして美優をじっと見つめて次の句を継いだ。
「……だからさ、俺は美優ちゃんに教えてもらいたいんだ」
「何を?」
「家族ってどんな風に一緒にいるものなのか」
「…………」
美優はその壱弥の言葉をどう受け止めていいのか、どう答えていいのかわからなくて、困ってしまう。
「こないだの俺の誕生日、俺、本当に嬉しかったんだよね。あんな風に祝ってもらったの初めてだったから」
壱弥は両手の指を組んでテーブルに肘をついて、顎を乗せて美優を見つめた。
「これから先も、あんな風に色々俺に教えて欲しいんだ。普通に一緒にいる事を。それを教わるのは美優ちゃんじゃなきゃ嫌なんだ」
美優はその壱弥の心情を思うと何か物悲しい気持ちになった。
自分が当たり前の様に享受していた両親からの愛情が壱弥にとっては遠いモノだった事も、壱弥がその事に全く何も感じていなさそうな事も、美優にとっては何か少しだけ悲しい事の様に思えた。
壱弥をじっと見つめてしまう。
「……どうして、私じゃなきゃ嫌なの?」
「美優ちゃんは特別だから」
「……何が特別なの? 私、ホントに平凡なただの女子高生だよ?」
壱弥はにっこりと笑う。
「それは、内緒」
「どうして内緒なの?」
「だって、恥ずかしいから」
そう壱弥が言った直後、また引き戸の向こうから声がかかり、静かに引き戸が開かれて仲居が部屋に入ってくる。
折敷と箸を壱弥と美優、それぞれの前に置き、更にその折敷の上に本日のお品書きが置かれる。
「本日のお品書きでございます」
そう言うと部屋から出て、すぐに椀を二つ盆に乗せて戻りそれぞれの前に置いた。
「ふっこあら汁でございます」
料理のあらましを簡単に説明されて、椀の蓋を開ける。
汁の熱気がもわりと上がって、蒸気を少しだけ顔に感じる。
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