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アルディオン家のシンデレラ
王都の北西、かつては栄華を誇ったが今は没落の影が差すアルディオン子爵邸。その古びた門を、王家の紋章を戴く騎馬隊が強引に押し開いた。
先頭に立つのは、銀髪を乱し、血走った瞳をした王太子アーノルドである。その手には、絹の布に包まれた「あの靴」が握りしめられていた。
「開けろ! 王太子アーノルドである! この館に、昨夜の夜会に紛れ込んだ娘がいるはずだ!」
静寂を守っていた館に、暴風のような怒声が響き渡る。
応対に出た執事や使用人たちが、王太子の異様な剣幕に腰を抜かしてへたり込む中、館の奥から一人の女性が、音もなく姿を現した。
アルディオン子爵夫人、セラフィーネ。
彼女は、突然の王太子の来訪にも眉一つ動かさず、完璧な、けれど血の通わない事務的なカーテシーを捧げた。
「王国の太陽アーノルド殿下にアルディオン子爵家がセラフィーネ・アルディオンがご挨拶申し上げます。……斯様なむさくるしい場所に、一体何のご用向きでしょうか? あいにく、当主は領地へ赴いておりまして、妻であります私が代理で承りますが」
その声は、春の陽光さえも凍らせるような、無機質な響きを湛えていた。
アーノルドは、セラフィーネの前にその証拠の『靴』を突き出した。
「この靴だ! これに見覚えがあるはずだ。この館に、これに合う足を持つ娘がいるだろう! 名を何という!」
セラフィーネは、突き出された靴を一瞥した。その瞳には、驚きも、焦りも、後ろめたさもない。ただ、道端に落ちている石ころでも眺めるような、徹底した「無関心」があった。
「……ああ。その意匠、我が家に伝わる古い刺繍ですわね。フィオナ、のことでしょうか」
「フィオナ……! そうか、彼女の名はフィオナというのか!」
アーノルドが歓喜に震える声を上げる。だが、セラフィーネの次の一言が、彼の熱狂を冷たい氷水のように打ち消した。
「ええ。あの子なら今、裏庭の隅で落ち葉の掃除をしておりますわ。……それが何か? 殿下がわざわざ騎士団を率いてまで、あのような娘に何のご用があるというのですか」
「……なんだと? 『落ち葉の掃除』……だと?」
アーノルドの顔が、怒りで赤黒く染まっていく。
セラフィーネは、淡々と、まるで明日の天気でも語るような調子で続けた。
「フィオナは、亡き先妻が残した、扱いに困る者に過ぎません。知性は乏しく、社交界の作法も、淑女としての価値も持ち合わせていない。ですから、屋敷の美観を損ねぬよう、最低限の食事と寝床を与え、相応の雑用をさせているのですわ。……まさか、あれが何か粗相を? でしたら、今すぐここで処罰いたしますが」
「貴様……! よくも、よくもそんな惨いことが言えるな!」
アーノルドの胸の中で、怒りと正義感が爆発した。
彼にとって、目の前のセラフィーネは、愛を知らぬ非道な「悪」そのものに見えた。そして、その影で虐げられているというフィオナは、これ以上ないほど美しく、悲劇的な「ヒロイン」として彼の脳内で完成されていく。
「彼女は……フィオナは、あんなに清らかな光を宿していた! 階段で転びそうになり しゃがみ込んでしまった彼女を僕が抱き起こした時、彼女は怯えていた……。それは、貴様のような冷酷な女に、日常的に心を殺されていたからだったのか!」
「殿下、恐れながら、それは少々、感傷が過ぎるのではないでしょうか?」
セラフィーネは、小首を傾げて薄く笑った。その笑みには、アーノルドの激情を嘲笑うような余裕すらあった。
「怯えていた? ……それは単に、身の程を知らぬ者が、不当な手段で夜会に忍び込んだことが露呈するのを恐れただけでは? 私は彼女に教育を施さなかったわけではありません。ただ、いくら教えても覚えが悪く、時間を割く価値がないと判断したまでのこと。合理的な判断ですわ」
「黙れ! 合理的だと? 人の心を無視するなど、ただの暴力だ!」
アーノルドはセラフィーネを突き飛ばさんばかりの勢いで、裏庭へと駆け出した。近衛騎士たちが、主の後を追って雪崩れ込む。
裏庭の隅、湿った土と腐った落ち葉が堆積する一画に、彼女はいた。
昨夜の清廉なドレスとは似ても似つかない、灰色の薄汚れた服を纏い、竹箒を握ったまま、震えている少女。
「フィオナ……!」
アーノルドが叫び、彼女の元へ膝をつく。
フィオナは、大きな茶色の瞳を涙で潤ませ、信じられないものを見るようにアーノルドを見つめた。
「あ……あなたは、昨夜の……」
「迎えに来たよ、フィオナ。もう大丈夫だ。こんな冷たい家に、君を繋ぎ止めさせはしない。僕が……この僕が、君を救い出してみせる!」
アーノルドは、泥に汚れたフィオナの細い手を、宝物のように包み込んだ。
彼にとって、この瞬間こそが、長年の義務と退屈な政務から解き放たれる「真実の愛」の始まりだった。
その背後で、セラフィーネは冷ややかな緑色の瞳を細め、独り言ちた。
「……お似合いですわね。中身のない夢を見る王子様と、空っぽな人形。どうぞ、その『真実』と心中なさってくださいまし」
アーノルドは、震えるフィオナを軽々と抱き上げ、館を後にした。
彼の頭にはもう、王宮に残してきた婚約者・マグノリアのことなど、微塵もなかった。
――マグノリアなら、この惨状を見ても『家庭内の不和は法律で解決すべきです』などと冷たい言葉を吐くだけだろう。
――あんな女とは違う。この子は、僕が守らなければ壊れてしまう。
――ああ、これこそが僕が求めていた『使命』なんだ!
アーノルドの背中を見送りながら、アルディオン子爵邸には、不気味なほどの静寂が戻ってきた。
だが、この一件は、すぐに王都中に知れ渡ることになる。
「虐げられた可憐な乙女を、王子が自ら救い出した」という、あまりにドラマチックな美談として。
そしてその影で、マグノリアは、執務机の上に置かれた「アルディオン家の負債調査報告書」に、静かに目を通していた。
マグノリアは、ペンを置き、冷えた紅茶に口をつけた。
窓の外、季節外れの木蓮が、一際白く、死装束のような輝きを放っていた。
__________
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先頭に立つのは、銀髪を乱し、血走った瞳をした王太子アーノルドである。その手には、絹の布に包まれた「あの靴」が握りしめられていた。
「開けろ! 王太子アーノルドである! この館に、昨夜の夜会に紛れ込んだ娘がいるはずだ!」
静寂を守っていた館に、暴風のような怒声が響き渡る。
応対に出た執事や使用人たちが、王太子の異様な剣幕に腰を抜かしてへたり込む中、館の奥から一人の女性が、音もなく姿を現した。
アルディオン子爵夫人、セラフィーネ。
彼女は、突然の王太子の来訪にも眉一つ動かさず、完璧な、けれど血の通わない事務的なカーテシーを捧げた。
「王国の太陽アーノルド殿下にアルディオン子爵家がセラフィーネ・アルディオンがご挨拶申し上げます。……斯様なむさくるしい場所に、一体何のご用向きでしょうか? あいにく、当主は領地へ赴いておりまして、妻であります私が代理で承りますが」
その声は、春の陽光さえも凍らせるような、無機質な響きを湛えていた。
アーノルドは、セラフィーネの前にその証拠の『靴』を突き出した。
「この靴だ! これに見覚えがあるはずだ。この館に、これに合う足を持つ娘がいるだろう! 名を何という!」
セラフィーネは、突き出された靴を一瞥した。その瞳には、驚きも、焦りも、後ろめたさもない。ただ、道端に落ちている石ころでも眺めるような、徹底した「無関心」があった。
「……ああ。その意匠、我が家に伝わる古い刺繍ですわね。フィオナ、のことでしょうか」
「フィオナ……! そうか、彼女の名はフィオナというのか!」
アーノルドが歓喜に震える声を上げる。だが、セラフィーネの次の一言が、彼の熱狂を冷たい氷水のように打ち消した。
「ええ。あの子なら今、裏庭の隅で落ち葉の掃除をしておりますわ。……それが何か? 殿下がわざわざ騎士団を率いてまで、あのような娘に何のご用があるというのですか」
「……なんだと? 『落ち葉の掃除』……だと?」
アーノルドの顔が、怒りで赤黒く染まっていく。
セラフィーネは、淡々と、まるで明日の天気でも語るような調子で続けた。
「フィオナは、亡き先妻が残した、扱いに困る者に過ぎません。知性は乏しく、社交界の作法も、淑女としての価値も持ち合わせていない。ですから、屋敷の美観を損ねぬよう、最低限の食事と寝床を与え、相応の雑用をさせているのですわ。……まさか、あれが何か粗相を? でしたら、今すぐここで処罰いたしますが」
「貴様……! よくも、よくもそんな惨いことが言えるな!」
アーノルドの胸の中で、怒りと正義感が爆発した。
彼にとって、目の前のセラフィーネは、愛を知らぬ非道な「悪」そのものに見えた。そして、その影で虐げられているというフィオナは、これ以上ないほど美しく、悲劇的な「ヒロイン」として彼の脳内で完成されていく。
「彼女は……フィオナは、あんなに清らかな光を宿していた! 階段で転びそうになり しゃがみ込んでしまった彼女を僕が抱き起こした時、彼女は怯えていた……。それは、貴様のような冷酷な女に、日常的に心を殺されていたからだったのか!」
「殿下、恐れながら、それは少々、感傷が過ぎるのではないでしょうか?」
セラフィーネは、小首を傾げて薄く笑った。その笑みには、アーノルドの激情を嘲笑うような余裕すらあった。
「怯えていた? ……それは単に、身の程を知らぬ者が、不当な手段で夜会に忍び込んだことが露呈するのを恐れただけでは? 私は彼女に教育を施さなかったわけではありません。ただ、いくら教えても覚えが悪く、時間を割く価値がないと判断したまでのこと。合理的な判断ですわ」
「黙れ! 合理的だと? 人の心を無視するなど、ただの暴力だ!」
アーノルドはセラフィーネを突き飛ばさんばかりの勢いで、裏庭へと駆け出した。近衛騎士たちが、主の後を追って雪崩れ込む。
裏庭の隅、湿った土と腐った落ち葉が堆積する一画に、彼女はいた。
昨夜の清廉なドレスとは似ても似つかない、灰色の薄汚れた服を纏い、竹箒を握ったまま、震えている少女。
「フィオナ……!」
アーノルドが叫び、彼女の元へ膝をつく。
フィオナは、大きな茶色の瞳を涙で潤ませ、信じられないものを見るようにアーノルドを見つめた。
「あ……あなたは、昨夜の……」
「迎えに来たよ、フィオナ。もう大丈夫だ。こんな冷たい家に、君を繋ぎ止めさせはしない。僕が……この僕が、君を救い出してみせる!」
アーノルドは、泥に汚れたフィオナの細い手を、宝物のように包み込んだ。
彼にとって、この瞬間こそが、長年の義務と退屈な政務から解き放たれる「真実の愛」の始まりだった。
その背後で、セラフィーネは冷ややかな緑色の瞳を細め、独り言ちた。
「……お似合いですわね。中身のない夢を見る王子様と、空っぽな人形。どうぞ、その『真実』と心中なさってくださいまし」
アーノルドは、震えるフィオナを軽々と抱き上げ、館を後にした。
彼の頭にはもう、王宮に残してきた婚約者・マグノリアのことなど、微塵もなかった。
――マグノリアなら、この惨状を見ても『家庭内の不和は法律で解決すべきです』などと冷たい言葉を吐くだけだろう。
――あんな女とは違う。この子は、僕が守らなければ壊れてしまう。
――ああ、これこそが僕が求めていた『使命』なんだ!
アーノルドの背中を見送りながら、アルディオン子爵邸には、不気味なほどの静寂が戻ってきた。
だが、この一件は、すぐに王都中に知れ渡ることになる。
「虐げられた可憐な乙女を、王子が自ら救い出した」という、あまりにドラマチックな美談として。
そしてその影で、マグノリアは、執務机の上に置かれた「アルディオン家の負債調査報告書」に、静かに目を通していた。
マグノリアは、ペンを置き、冷えた紅茶に口をつけた。
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