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歪んだ美談
真実とは、往々にして研磨された宝石のようなものではない。それはむしろ、都合の良い光だけを反射するように削り出された、歪んだ硝子細工に似ている。
建国記念夜会から数日。ロメリア王国の首都は、ある「お伽話」の再来に熱狂していた。
王太子アーノルドが、古びた子爵邸の裏庭で掃除に明け暮れていた一人の薄幸な少女を見つけ出し、白馬に乗せて王宮へと連れ帰った。その手には、彼女が夜会で落とした一足のガラスの靴が握られていたという。
「聞いたか? まるで吟遊詩人が歌う『シンデレラの御伽噺』そのものじゃないか!」
「アーノルド殿下はなんて情熱的なんだ。身分や家境を超えて、真実の愛を貫こうとなさるなんて!」
街角の酒場では男たちが拳を叩き、井戸端では女たちがうっとりと溜息をつく。新聞各紙はこぞって「現代のシンデレラ」と銘打った記事を書き立て、街の吟遊詩人たちは、アーノルドがいかに騎士道精神に溢れ、フィオナがいかに清らかで虐げられていたかを、涙を誘う節回しで歌い上げた。
大衆にとって、それは退屈な日常を彩る最高の娯楽だった。
汗水垂らして働く自分たちと同じように、泥にまみれていた少女が、王子の接吻一つで薔薇色の人生を手に入れた。その夢のような逆転劇に、人々は自らの希望を投影し、熱狂の渦を広げていった。
――だが、その熱狂の影で、国家の屋台骨が音を立てて軋んでいることに気づく者は、まだ誰もいなかった。
「……なんて、なんて美しいお話なの。まるでお伽話の頁が、現実にめくられたかのようですわ」
王宮の奥深く、豪奢なバラの刺繍が施された寝椅子に身を預け、王妃エスメラルダは、うっとりと頬を染めていた。
彼女の目の前には、慣れない高級な茶菓子を前に、置物のように固まっているフィオナがいる。
王妃エスメラルダ。彼女もまた、かつては隣国の王女として、政略の波に揉まれながらこの国へ嫁いできた身だ。若き日の彼女は、義務と責任に縛られた王宮生活に、密かな憧憬――白馬の騎士が自分を連れ去ってくれるという幻想――を抱き続けていた。
「フィオナさん、と言ったかしら。あなたのその、何も知らない小鳥のような瞳……。ああ、分かりますわ。冷たい公爵家の娘に睨まれて、さぞかし心細い思いをしてきたのでしょうね」
「あ……はい。……ありがとうございます、王妃様」
フィオナは、力なく頭を垂れた。
彼女は、自分がなぜここにいるのか、これからどうなるのかさえ、本当は理解していなかった。ただ、目の前の美しい女性が自分を憐れみ、肯定してくれるのなら、それに従うのが最も痛みを伴わない道だと、これまでの過酷な生活で学んでいた。
実際には、王妃エスメラルダがかつて耐え忍んだ「政務という名の義務」と、フィオナが受けていた「放置という名の虐待」は、全く性質の異なるものだ。だが、浪漫主義に傾倒する王妃にとって、そんな事実は些末なことだった。
「よろしいわ。アーノルド。私がこの娘の後ろ盾になりましょう。マグノリアが何か文句を言っても、私が許しませんわ。真実の愛こそが、この国を真に輝かせるのですから」
「母上……! ありがとうございます。ご理解いただけると信じておりました」
アーノルドは、王妃の手に熱烈な接吻を落とした。
王宮の最高権力者の一人である王妃が、公式にフィオナの滞在を認め、あまつさえ「真実の愛」という言葉で祝福を与えた。それは、マグノリアという「正当な婚約者」を、王宮の秩序から公然と排除することを意味していた。
その頃、マグノリアは、王宮の喧騒から離れた北の離宮、自身の執務室にいた。少し開けた窓からは、広場で熱狂する群衆の声が微かに届く。
机の上には、最新の世論調査と、王宮内の予算執行状況の報告書が置かれていた。
「……王妃様まで、夢の国の住人になられたのね」
マグノリアは、冷めた紅茶を一口飲んだ。
王妃エスメラルダの「慈愛」は、あまりに高くつく。
フィオナを保護し、教育し、ふさわしい身分を与えるための莫大な予算。近衛騎士を捜索や警備に私物化するための人件費。そして何より、カークランド公爵家という最大の支援者を敵に回したことによる、政治的な空白。
「殿下、あなたはご存じないでしょうね。あなたが今、フィオナ様に買い与えているその絹のドレス一着分で、北の国境を守る兵士たちの冬服がどれだけ賄えたかを」
マグノリアの独白に、背後の影から一人の男が声をかけた。兄のオリビエ・カークランド次期公爵だ。彼は、冷徹な目を書類に向けている。
「マグノリア、準備は整った。王妃が動いたことで、父上も完全に腹を括られたよ。……『真実の愛』とやらを謳歌する代償として、彼らには相応のツケを支払ってもらおう」
「……ええ。お兄様。民衆も、今は彼らを英雄のように崇めていますが、明日のパンが食卓から消えた時、その熱狂がどこへ向かうか、見ものですわね」
マグノリアは、ペンを手に取り、最後の手紙を書き終えた。
それは、ルミナリア王国の王太子への親書。
かつて、学園時代に「もしこの国が、法よりも情動を優先するようになったら」と冗談めかして交わした、亡命の約束。
「愛がすべてを解決すると信じるのなら、どうぞ、最後までその愛を盾になさいませ」
マグノリアは、窓の外を舞う桜の花びらを一瞥した。
春の嵐が吹けば、あのような脆弱な花弁は一瞬で吹き飛ぶ。
彼女が守り続けてきた木蓮の枝は、もうこの国の地には根を張っていない。
美談が国を埋め尽くし、人々が夢心地で踊っている間に。
ロメリア王国の国庫は、マグノリアの手によって、静かに、そして確実に「ゼロ」へと近づいていた。
__________
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建国記念夜会から数日。ロメリア王国の首都は、ある「お伽話」の再来に熱狂していた。
王太子アーノルドが、古びた子爵邸の裏庭で掃除に明け暮れていた一人の薄幸な少女を見つけ出し、白馬に乗せて王宮へと連れ帰った。その手には、彼女が夜会で落とした一足のガラスの靴が握られていたという。
「聞いたか? まるで吟遊詩人が歌う『シンデレラの御伽噺』そのものじゃないか!」
「アーノルド殿下はなんて情熱的なんだ。身分や家境を超えて、真実の愛を貫こうとなさるなんて!」
街角の酒場では男たちが拳を叩き、井戸端では女たちがうっとりと溜息をつく。新聞各紙はこぞって「現代のシンデレラ」と銘打った記事を書き立て、街の吟遊詩人たちは、アーノルドがいかに騎士道精神に溢れ、フィオナがいかに清らかで虐げられていたかを、涙を誘う節回しで歌い上げた。
大衆にとって、それは退屈な日常を彩る最高の娯楽だった。
汗水垂らして働く自分たちと同じように、泥にまみれていた少女が、王子の接吻一つで薔薇色の人生を手に入れた。その夢のような逆転劇に、人々は自らの希望を投影し、熱狂の渦を広げていった。
――だが、その熱狂の影で、国家の屋台骨が音を立てて軋んでいることに気づく者は、まだ誰もいなかった。
「……なんて、なんて美しいお話なの。まるでお伽話の頁が、現実にめくられたかのようですわ」
王宮の奥深く、豪奢なバラの刺繍が施された寝椅子に身を預け、王妃エスメラルダは、うっとりと頬を染めていた。
彼女の目の前には、慣れない高級な茶菓子を前に、置物のように固まっているフィオナがいる。
王妃エスメラルダ。彼女もまた、かつては隣国の王女として、政略の波に揉まれながらこの国へ嫁いできた身だ。若き日の彼女は、義務と責任に縛られた王宮生活に、密かな憧憬――白馬の騎士が自分を連れ去ってくれるという幻想――を抱き続けていた。
「フィオナさん、と言ったかしら。あなたのその、何も知らない小鳥のような瞳……。ああ、分かりますわ。冷たい公爵家の娘に睨まれて、さぞかし心細い思いをしてきたのでしょうね」
「あ……はい。……ありがとうございます、王妃様」
フィオナは、力なく頭を垂れた。
彼女は、自分がなぜここにいるのか、これからどうなるのかさえ、本当は理解していなかった。ただ、目の前の美しい女性が自分を憐れみ、肯定してくれるのなら、それに従うのが最も痛みを伴わない道だと、これまでの過酷な生活で学んでいた。
実際には、王妃エスメラルダがかつて耐え忍んだ「政務という名の義務」と、フィオナが受けていた「放置という名の虐待」は、全く性質の異なるものだ。だが、浪漫主義に傾倒する王妃にとって、そんな事実は些末なことだった。
「よろしいわ。アーノルド。私がこの娘の後ろ盾になりましょう。マグノリアが何か文句を言っても、私が許しませんわ。真実の愛こそが、この国を真に輝かせるのですから」
「母上……! ありがとうございます。ご理解いただけると信じておりました」
アーノルドは、王妃の手に熱烈な接吻を落とした。
王宮の最高権力者の一人である王妃が、公式にフィオナの滞在を認め、あまつさえ「真実の愛」という言葉で祝福を与えた。それは、マグノリアという「正当な婚約者」を、王宮の秩序から公然と排除することを意味していた。
その頃、マグノリアは、王宮の喧騒から離れた北の離宮、自身の執務室にいた。少し開けた窓からは、広場で熱狂する群衆の声が微かに届く。
机の上には、最新の世論調査と、王宮内の予算執行状況の報告書が置かれていた。
「……王妃様まで、夢の国の住人になられたのね」
マグノリアは、冷めた紅茶を一口飲んだ。
王妃エスメラルダの「慈愛」は、あまりに高くつく。
フィオナを保護し、教育し、ふさわしい身分を与えるための莫大な予算。近衛騎士を捜索や警備に私物化するための人件費。そして何より、カークランド公爵家という最大の支援者を敵に回したことによる、政治的な空白。
「殿下、あなたはご存じないでしょうね。あなたが今、フィオナ様に買い与えているその絹のドレス一着分で、北の国境を守る兵士たちの冬服がどれだけ賄えたかを」
マグノリアの独白に、背後の影から一人の男が声をかけた。兄のオリビエ・カークランド次期公爵だ。彼は、冷徹な目を書類に向けている。
「マグノリア、準備は整った。王妃が動いたことで、父上も完全に腹を括られたよ。……『真実の愛』とやらを謳歌する代償として、彼らには相応のツケを支払ってもらおう」
「……ええ。お兄様。民衆も、今は彼らを英雄のように崇めていますが、明日のパンが食卓から消えた時、その熱狂がどこへ向かうか、見ものですわね」
マグノリアは、ペンを手に取り、最後の手紙を書き終えた。
それは、ルミナリア王国の王太子への親書。
かつて、学園時代に「もしこの国が、法よりも情動を優先するようになったら」と冗談めかして交わした、亡命の約束。
「愛がすべてを解決すると信じるのなら、どうぞ、最後までその愛を盾になさいませ」
マグノリアは、窓の外を舞う桜の花びらを一瞥した。
春の嵐が吹けば、あのような脆弱な花弁は一瞬で吹き飛ぶ。
彼女が守り続けてきた木蓮の枝は、もうこの国の地には根を張っていない。
美談が国を埋め尽くし、人々が夢心地で踊っている間に。
ロメリア王国の国庫は、マグノリアの手によって、静かに、そして確実に「ゼロ」へと近づいていた。
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