『真実の愛』という名の不貞〜シンデレラに恋をした王子様。では、王子の婚約者は?〜

恋せよ恋

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アルディオン家の言い分

  王宮が「真実の愛」という名の甘い毒に酔いしれ、民衆が劇場の出し物に拍手を送る中、マグノリアは一人、冷たい雨の降る北西の街へと馬車を走らせていた。
 目的地は、あの『シンデレラ』フィオナの生家、アルディオン子爵邸である。

 煤けた石造りの館は、王太子が乱入したあの日から時が止まったかのように静まり返っていた。応接室に現れた義母セラフィーネと、その息子、フィオナの義兄にあたるルシアンは、マグノリアの突然の訪問にも一切の動揺を見せなかった。

「これは、カークランド公爵令嬢。次期王妃……いえ、今は『悲劇の婚約者殿』とお呼びすべきかしら」

 セラフィーネが、皮肉とも取れない平坦な声で告げる。隣に座るルシアンもまた、感情の削げ落ちた薄い唇をわずかに動かして会釈した。

 マグノリアは、用意された冷めた紅茶に目もくれず、単刀直入に問いを投げかけた。

「……伺いたいことがございます。なぜ、あの方を……フィオナ様を、あそこまで放置なされたのですか。王太子殿下の目には、彼女は筆舌に尽くしがたい『虐待の被害者』として映っていますわ」

 その問いに、ルシアンが小首を傾げた。彼の瞳には、罪悪感も、焦りも、憎しみすらない。ただ、解けない数式を眺めるような困惑だけがあった。

「虐待、ですか。……妙な言葉をお使いになる。我々は、彼女に暴力を振るったことも、食事を抜いたことも、凍える部屋に閉じ込めたこともありませんよ。ただ、『与えなかった』。それだけのことです」

「与えなかった?」

「ええ。彼女は、自分から何かを欲しがることがない子でした」

 セラフィーネが、ルシアンの言葉を引き継ぐように淡々と語り出す。

「あの子には、自分から学ぶという意思がないのです。かつて家庭教師をつけたこともありましたが、彼女はただ座っているだけで、与えた教育を血肉にしようとする努力を一切しなかった。……不気味なほどに空虚な子なのです。ですから、私はあの子を理解しようとする無駄な気持ちを捨てました。欲しがらない者に与えるのは、我が家の限られたリソースの浪費ですから」

 マグノリアは、背筋に走る微かな戦慄を覚えた。

 世間が想像するような「意地悪な継母」による苛めなど、そこには存在しなかった。そこにあったのは、徹底した「無関心」だ。

「婚約者も決めませんでしたわ」と、セラフィーネは続ける。

「なぜなら、あの子には他家の家政を預かれる能力も、社交界で我が家の利益になるコネクションを作る才も、微塵もなかったからです。よそ様に差し出せば、アルディオンの恥を晒すだけ。だから、死ぬまでこの館の隅で、身の丈に合った雑用をさせておくのが、彼女にとっても家にとっても最善だと判断したのです。……それが何か、法に触れることでも?」

「……彼女に、何の才もなく、コネもない。だから、家に利益を生まない者に投資をしないのは当然だ、と。そう仰るのですね、ルシアン様」

「当然でしょう? 利益を生まない事業を畳むのと同じです。我々は、愛という不確かなものを計算に入れないだけですよ、マグノリア様」

 ルシアンの言葉は、氷のように透明で、そして鋭利だった。
 
 マグノリアは、深く息を吐いた。目の前の二人は、悪人ではない。彼らはただ、極端なまでに現実的なだけだ。

 対して、王太子アーノルドはどうだろうか。
 彼は、フィオナの「空虚」を「慎ましさ」と読み替え、彼女の「無能」を「守るべき弱さ」と勘違いしている。実態のない「愛」という名の情動だけで、国家の秩序を破壊しようとしている。

(……どちらも、欠陥品ですわね)

 マグノリアの中で、確信が雷鳴のように響いた。

 アルディオン家のように、人の心を計算に入れない統治は、いつか必ず民の反逆を招く。そしてアーノルドのように、情動だけで法を捻じ曲げる統治は、一瞬で国家を破滅へ導く。

 フィオナという少女は、鏡なのだ。見る者の心を映し出す、空っぽの器。
 アルディオン家にとっては「無価値な存在」であり、アーノルドにとっては「救済欲を満たす聖女」に過ぎない。

「……よく分かりました。お時間を取らせて、申し訳ありませんでしたわ」

 マグノリアが席を立つと、ルシアンが冷ややかな笑みを浮かべて問いかけた。

「マグノリア様。あなたは、どちら側ですか? 感情で動く王子か、利害で動く我々か」

 マグノリアは、扉の前で足を止め、振り返らずに答えた。

「私は、どちらでもありませんわ。……私は、自分の守るべきもののために、最も『対価』の重い道を選ぶだけです」

 館を出ると、雨はさらに激しさを増していた。

 馬車に乗り込んだマグノリアは、膝の上に置いた手帳に、最後の一筆を加えた。
 ――アルディオン家の放置は、法的にはグレーだが、道義的には致命的。
 ――しかし、それを「虐待」と断定し、法の手続きを経ずに特権で救い出した王子の行為は、国家の司法制度そのものへの宣戦布告である。

(アーノルド殿下。あなたが救い出したのは、悲劇のヒロインなどではありません。……自分たちが作り上げた『完璧な法と秩序』という幻想を、内側から食い荒らすシロアリですわ)

 マグノリアは、エメラルドの瞳を窓の外へ向けた。
 もう、迷いはない。感情に狂う王子も、冷酷すぎる子爵家も、この国を導く資格はない。
 
 彼女は、バッグの中からルミナリア王国の消印が押された極秘の返信を取り出した。そこには、一言。
 『準備は整った。君を、我が国の“智恵”として迎えよう』

 泥舟が沈みゆくのを眺める時間は、もう終わりだ。

 マグノリアは、静かに、そして誰にも気づかれぬように、ロメリア王国の全ての「価値」を、その手に握りしめたまま、出口へと歩き始めた。
__________

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