10 / 23
アルディオン家の言い分
王宮が「真実の愛」という名の甘い毒に酔いしれ、民衆が劇場の出し物に拍手を送る中、マグノリアは一人、冷たい雨の降る北西の街へと馬車を走らせていた。
目的地は、あの『シンデレラ』フィオナの生家、アルディオン子爵邸である。
煤けた石造りの館は、王太子が乱入したあの日から時が止まったかのように静まり返っていた。応接室に現れた義母セラフィーネと、その息子、フィオナの義兄にあたるルシアンは、マグノリアの突然の訪問にも一切の動揺を見せなかった。
「これは、カークランド公爵令嬢。次期王妃……いえ、今は『悲劇の婚約者殿』とお呼びすべきかしら」
セラフィーネが、皮肉とも取れない平坦な声で告げる。隣に座るルシアンもまた、感情の削げ落ちた薄い唇をわずかに動かして会釈した。
マグノリアは、用意された冷めた紅茶に目もくれず、単刀直入に問いを投げかけた。
「……伺いたいことがございます。なぜ、あの方を……フィオナ様を、あそこまで放置なされたのですか。王太子殿下の目には、彼女は筆舌に尽くしがたい『虐待の被害者』として映っていますわ」
その問いに、ルシアンが小首を傾げた。彼の瞳には、罪悪感も、焦りも、憎しみすらない。ただ、解けない数式を眺めるような困惑だけがあった。
「虐待、ですか。……妙な言葉をお使いになる。我々は、彼女に暴力を振るったことも、食事を抜いたことも、凍える部屋に閉じ込めたこともありませんよ。ただ、『与えなかった』。それだけのことです」
「与えなかった?」
「ええ。彼女は、自分から何かを欲しがることがない子でした」
セラフィーネが、ルシアンの言葉を引き継ぐように淡々と語り出す。
「あの子には、自分から学ぶという意思がないのです。かつて家庭教師をつけたこともありましたが、彼女はただ座っているだけで、与えた教育を血肉にしようとする努力を一切しなかった。……不気味なほどに空虚な子なのです。ですから、私はあの子を理解しようとする無駄な気持ちを捨てました。欲しがらない者に与えるのは、我が家の限られたリソースの浪費ですから」
マグノリアは、背筋に走る微かな戦慄を覚えた。
世間が想像するような「意地悪な継母」による苛めなど、そこには存在しなかった。そこにあったのは、徹底した「無関心」だ。
「婚約者も決めませんでしたわ」と、セラフィーネは続ける。
「なぜなら、あの子には他家の家政を預かれる能力も、社交界で我が家の利益になるコネクションを作る才も、微塵もなかったからです。よそ様に差し出せば、アルディオンの恥を晒すだけ。だから、死ぬまでこの館の隅で、身の丈に合った雑用をさせておくのが、彼女にとっても家にとっても最善だと判断したのです。……それが何か、法に触れることでも?」
「……彼女に、何の才もなく、コネもない。だから、家に利益を生まない者に投資をしないのは当然だ、と。そう仰るのですね、ルシアン様」
「当然でしょう? 利益を生まない事業を畳むのと同じです。我々は、愛という不確かなものを計算に入れないだけですよ、マグノリア様」
ルシアンの言葉は、氷のように透明で、そして鋭利だった。
マグノリアは、深く息を吐いた。目の前の二人は、悪人ではない。彼らはただ、極端なまでに現実的なだけだ。
対して、王太子アーノルドはどうだろうか。
彼は、フィオナの「空虚」を「慎ましさ」と読み替え、彼女の「無能」を「守るべき弱さ」と勘違いしている。実態のない「愛」という名の情動だけで、国家の秩序を破壊しようとしている。
(……どちらも、欠陥品ですわね)
マグノリアの中で、確信が雷鳴のように響いた。
アルディオン家のように、人の心を計算に入れない統治は、いつか必ず民の反逆を招く。そしてアーノルドのように、情動だけで法を捻じ曲げる統治は、一瞬で国家を破滅へ導く。
フィオナという少女は、鏡なのだ。見る者の心を映し出す、空っぽの器。
アルディオン家にとっては「無価値な存在」であり、アーノルドにとっては「救済欲を満たす聖女」に過ぎない。
「……よく分かりました。お時間を取らせて、申し訳ありませんでしたわ」
マグノリアが席を立つと、ルシアンが冷ややかな笑みを浮かべて問いかけた。
「マグノリア様。あなたは、どちら側ですか? 感情で動く王子か、利害で動く我々か」
マグノリアは、扉の前で足を止め、振り返らずに答えた。
「私は、どちらでもありませんわ。……私は、自分の守るべきもののために、最も『対価』の重い道を選ぶだけです」
館を出ると、雨はさらに激しさを増していた。
馬車に乗り込んだマグノリアは、膝の上に置いた手帳に、最後の一筆を加えた。
――アルディオン家の放置は、法的にはグレーだが、道義的には致命的。
――しかし、それを「虐待」と断定し、法の手続きを経ずに特権で救い出した王子の行為は、国家の司法制度そのものへの宣戦布告である。
(アーノルド殿下。あなたが救い出したのは、悲劇のヒロインなどではありません。……自分たちが作り上げた『完璧な法と秩序』という幻想を、内側から食い荒らすシロアリですわ)
マグノリアは、エメラルドの瞳を窓の外へ向けた。
もう、迷いはない。感情に狂う王子も、冷酷すぎる子爵家も、この国を導く資格はない。
彼女は、バッグの中からルミナリア王国の消印が押された極秘の返信を取り出した。そこには、一言。
『準備は整った。君を、我が国の“智恵”として迎えよう』
泥舟が沈みゆくのを眺める時間は、もう終わりだ。
マグノリアは、静かに、そして誰にも気づかれぬように、ロメリア王国の全ての「価値」を、その手に握りしめたまま、出口へと歩き始めた。
__________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
目的地は、あの『シンデレラ』フィオナの生家、アルディオン子爵邸である。
煤けた石造りの館は、王太子が乱入したあの日から時が止まったかのように静まり返っていた。応接室に現れた義母セラフィーネと、その息子、フィオナの義兄にあたるルシアンは、マグノリアの突然の訪問にも一切の動揺を見せなかった。
「これは、カークランド公爵令嬢。次期王妃……いえ、今は『悲劇の婚約者殿』とお呼びすべきかしら」
セラフィーネが、皮肉とも取れない平坦な声で告げる。隣に座るルシアンもまた、感情の削げ落ちた薄い唇をわずかに動かして会釈した。
マグノリアは、用意された冷めた紅茶に目もくれず、単刀直入に問いを投げかけた。
「……伺いたいことがございます。なぜ、あの方を……フィオナ様を、あそこまで放置なされたのですか。王太子殿下の目には、彼女は筆舌に尽くしがたい『虐待の被害者』として映っていますわ」
その問いに、ルシアンが小首を傾げた。彼の瞳には、罪悪感も、焦りも、憎しみすらない。ただ、解けない数式を眺めるような困惑だけがあった。
「虐待、ですか。……妙な言葉をお使いになる。我々は、彼女に暴力を振るったことも、食事を抜いたことも、凍える部屋に閉じ込めたこともありませんよ。ただ、『与えなかった』。それだけのことです」
「与えなかった?」
「ええ。彼女は、自分から何かを欲しがることがない子でした」
セラフィーネが、ルシアンの言葉を引き継ぐように淡々と語り出す。
「あの子には、自分から学ぶという意思がないのです。かつて家庭教師をつけたこともありましたが、彼女はただ座っているだけで、与えた教育を血肉にしようとする努力を一切しなかった。……不気味なほどに空虚な子なのです。ですから、私はあの子を理解しようとする無駄な気持ちを捨てました。欲しがらない者に与えるのは、我が家の限られたリソースの浪費ですから」
マグノリアは、背筋に走る微かな戦慄を覚えた。
世間が想像するような「意地悪な継母」による苛めなど、そこには存在しなかった。そこにあったのは、徹底した「無関心」だ。
「婚約者も決めませんでしたわ」と、セラフィーネは続ける。
「なぜなら、あの子には他家の家政を預かれる能力も、社交界で我が家の利益になるコネクションを作る才も、微塵もなかったからです。よそ様に差し出せば、アルディオンの恥を晒すだけ。だから、死ぬまでこの館の隅で、身の丈に合った雑用をさせておくのが、彼女にとっても家にとっても最善だと判断したのです。……それが何か、法に触れることでも?」
「……彼女に、何の才もなく、コネもない。だから、家に利益を生まない者に投資をしないのは当然だ、と。そう仰るのですね、ルシアン様」
「当然でしょう? 利益を生まない事業を畳むのと同じです。我々は、愛という不確かなものを計算に入れないだけですよ、マグノリア様」
ルシアンの言葉は、氷のように透明で、そして鋭利だった。
マグノリアは、深く息を吐いた。目の前の二人は、悪人ではない。彼らはただ、極端なまでに現実的なだけだ。
対して、王太子アーノルドはどうだろうか。
彼は、フィオナの「空虚」を「慎ましさ」と読み替え、彼女の「無能」を「守るべき弱さ」と勘違いしている。実態のない「愛」という名の情動だけで、国家の秩序を破壊しようとしている。
(……どちらも、欠陥品ですわね)
マグノリアの中で、確信が雷鳴のように響いた。
アルディオン家のように、人の心を計算に入れない統治は、いつか必ず民の反逆を招く。そしてアーノルドのように、情動だけで法を捻じ曲げる統治は、一瞬で国家を破滅へ導く。
フィオナという少女は、鏡なのだ。見る者の心を映し出す、空っぽの器。
アルディオン家にとっては「無価値な存在」であり、アーノルドにとっては「救済欲を満たす聖女」に過ぎない。
「……よく分かりました。お時間を取らせて、申し訳ありませんでしたわ」
マグノリアが席を立つと、ルシアンが冷ややかな笑みを浮かべて問いかけた。
「マグノリア様。あなたは、どちら側ですか? 感情で動く王子か、利害で動く我々か」
マグノリアは、扉の前で足を止め、振り返らずに答えた。
「私は、どちらでもありませんわ。……私は、自分の守るべきもののために、最も『対価』の重い道を選ぶだけです」
館を出ると、雨はさらに激しさを増していた。
馬車に乗り込んだマグノリアは、膝の上に置いた手帳に、最後の一筆を加えた。
――アルディオン家の放置は、法的にはグレーだが、道義的には致命的。
――しかし、それを「虐待」と断定し、法の手続きを経ずに特権で救い出した王子の行為は、国家の司法制度そのものへの宣戦布告である。
(アーノルド殿下。あなたが救い出したのは、悲劇のヒロインなどではありません。……自分たちが作り上げた『完璧な法と秩序』という幻想を、内側から食い荒らすシロアリですわ)
マグノリアは、エメラルドの瞳を窓の外へ向けた。
もう、迷いはない。感情に狂う王子も、冷酷すぎる子爵家も、この国を導く資格はない。
彼女は、バッグの中からルミナリア王国の消印が押された極秘の返信を取り出した。そこには、一言。
『準備は整った。君を、我が国の“智恵”として迎えよう』
泥舟が沈みゆくのを眺める時間は、もう終わりだ。
マグノリアは、静かに、そして誰にも気づかれぬように、ロメリア王国の全ての「価値」を、その手に握りしめたまま、出口へと歩き始めた。
__________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
あなたにおすすめの小説
ローザとフラン ~奪われた側と奪った側~
水無月あん
恋愛
私は伯爵家の娘ローザ。同じ年の侯爵家のダリル様と婚約している。が、ある日、私とはまるで性格が違う従姉妹のフランを預かることになった。距離が近づく二人に心が痛む……。
婚約者を奪われた側と奪った側の二人の少女のお話です。
5話で完結の短いお話です。
いつもながら、ゆるい設定のご都合主義です。
お暇な時にでも、お気軽に読んでいただければ幸いです。よろしくお願いします。
〖完結〗では、婚約解消いたしましょう。
藍川みいな
恋愛
三年婚約しているオリバー殿下は、最近別の女性とばかり一緒にいる。
学園で行われる年に一度のダンスパーティーにも、私ではなくセシリー様を誘っていた。まるで二人が婚約者同士のように思える。
そのダンスパーティーで、オリバー殿下は私を責め、婚約を考え直すと言い出した。
それなら、婚約を解消いたしましょう。
そしてすぐに、婚約者に立候補したいという人が現れて……!?
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話しです。
【完結】王子は聖女と結婚するらしい。私が聖女であることは一生知らないままで
雪野原よる
恋愛
「聖女と結婚するんだ」──私の婚約者だった王子は、そう言って私を追い払った。でも、その「聖女」、私のことなのだけど。
※王国は滅びます。
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫」と笑った夫。~王宮から私が去ったあと「愛していた」と泣きついても、もう手遅れです~
水上
恋愛
「君は完璧だから、放っておいても大丈夫だ」
夫である王太子はそう笑い、泣き真似が得意な見習い令嬢ばかりを優先した。
王太子妃セシリアは、怒り狂うこともなく、静かに心を閉ざす。
「左様でございますか」
彼女は夫への期待というノイズを遮断し、離縁の準備を始めた。
兄のお嫁さんに嫌がらせをされるので、全てを暴露しようと思います
きんもくせい
恋愛
リルベール侯爵家に嫁いできた子爵令嬢、ナタリーは、最初は純朴そうな少女だった。積極的に雑事をこなし、兄と仲睦まじく話す彼女は、徐々に家族に受け入れられ、気に入られていく。しかし、主人公のソフィアに対しては冷たく、嫌がらせばかりをしてくる。初めは些細なものだったが、それらのいじめは日々悪化していき、痺れを切らしたソフィアは、両家の食事会で……
王妃さまは断罪劇に異議を唱える
土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。
そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。
彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。
王族の結婚とは。
王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。
王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。
ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。
王太子妃候補を辞めたら、殿下は招待状ひとつ出せないようです
鈍色シロップ
恋愛
地味で可愛げがないから、婚約破棄?
「わかりましたわ、フレデリック殿下。では私は、王太子妃候補としての仕事からも手を引かせていただきます」
侯爵令嬢クラリエッタに切り捨てられたその日から、王宮は少しずつ狂い始める。
招待状は乱れ、席次は崩れ、茶会はぎこちなく綻んでいく。
――王太子は、まともな招待状ひとつ出せなかった。
彼女が担っていたのは、ただの補佐ではない。
王宮の社交と体面、そのものだったのだ。
そして、そんな彼女の価値を最初から見抜いていた第二王子ロレンツが、静かに手を差し伸べる。
婚約破棄された侯爵令嬢の、実務ざまぁと再評価の物語。
※複数のサイトに投稿しています。