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本物の露呈と、魂の引力
バルマン公爵家の別邸にて催された午後の茶会。それは、バーナードが己の内に膨れ上がる「違和感」を打ち消すために設けた、最後の検証の場だった。
庭園には、一年前と同じように薔薇が咲き誇り、最高の茶葉が用意されている。しかし、そこに座る女性が発した第一声は、彼の淡い期待を無惨に打ち砕いた。
「ねえ、バーナード様。お茶なんてどうでもいいから、早く先週お願いしたダイヤモンドのネックレスの話をしてよ。パパが、公爵家ならそれくらい安いものだって言ってたわ」
スザンヌは、運ばれてきたばかりのスコーンを素手で掴み、口に放り込んだ。
バーナードは絶句した。かつての「彼女」は、スコーンの割り方一つ、クロテッドクリームの塗り方一つにさえ、物語を感じさせるような優雅な所作を纏わせていた。
「……スザンヌ。マナーが乱れている。それに、今はネックレスの話ではなく、君と進めていた領地の再開発計画について話したいんだ」
「はあ? またその難しい話? 私、もうあの『勉強ごっこ』には飽きちゃったのよ。大体、あんなの私がやる必要ないじゃない。事務員を雇えば済む話でしょ」
バーナードは、震える手で一束の書類を机に置いた。それは一ヶ月前、スザンヌが独自の視点で書き加えた、灌漑施設の修正案だ。
「これを見てくれ。君が書いたものだ。この高度な計算と、下層領民を思いやる鋭い考察……。これこそが、私が愛した君の知性だ。もう一度、これについて君の意見を聞かせてほしい」
スザンヌは書類をひったくるように手に取ると、一瞥して鼻で笑った。
「何これ。数字ばっかりで頭が痛くなるわ。私、こんなの書いた覚えないし、そもそも字が似てるだけで別人が書いたんじゃないの? ……ああもう、退屈! バーナード様、もっと私を喜ばせてよ!」
彼女はバーナードの腕に絡みつこうとしたが、バーナードは反射的にその手を振り払ってしまった。
「……触らないでくれ」
「何よ! 私を愛してるって言ったじゃない!」
スザンヌの叫びが庭園に響く。
この一年、彼女の隣にいるだけで、自分の魂が磨かれるような高揚感があった。目の前の女は、確かに同じ顔をし、同じ声をしている。しかし、その中身は空虚で、浅ましく、耐え難いほど無知だった。
「……君は、……誰だ?」
バーナードの掠れた声は、風に消えた。
彼が捧げた一年間の溺愛は、一体誰に向けられたものだったのか。
正体不明の喪失感が、彼の心を急速に侵食していった。
王宮の回廊。
不祥事の調査のために登城していたバーナードは、向こう側から歩いてくるフローディアと正面から対峙した。
彼女の背後には、以前のような冷遇されている様子はない。数人の文官たちを引き連れ、凛とした態度で歩く姿は、まさにレイトマン侯爵家の正当な主のようだった。
「……フローディア嬢」
バーナードが呼び止めると、彼女は足を止め、氷のような瞳で彼を射抜いた。
「公務の邪魔ですわ、バーナード様。あ、失礼。今は『元婚約者』とお呼びすべきかしら?」
その突き放すような物言いに、バーナードの胸が締め付けられる。
「……謝りたかった。君が目覚めてから、一度もまともに話せていなかったから」
「謝罪? 婚約を破棄し、病床の私を放置して他人の女と睦み合ったことへの謝罪ですか? 無意味ですわ。時間は戻りませんもの」
彼女は背を向けようとした。その瞬間、バーナードは思わず彼女の手首を掴んだ。
「待ってくれ! 君に聞きたいことがあるんだ。今のスザンヌは、以前の彼女とは別人なんだ。一年前、私と共に過ごした『彼女』は……一体どこへ行った!?」
フローディアはゆっくりと振り返った。彼女は掴まれた手を見下ろし、小さく溜息を吐いた。そして、バーナードの耳元に顔を寄せ、密やかに囁いた。
「『愛の証明に、言葉はいらないでしょう。ただ、左側の角砂糖を二つ、冷めた紅茶に溶かして。それが私の安らぎだから』……そうでしょう?」
バーナードは雷に打たれたように硬直した。
それは、一年前の「スザンヌ」が、疲れ果てた深夜に二人きりの執務室で彼にだけ漏らした、極めて個人的な癖と合言葉だった。
「な……なぜ、君がそれを……」
「さあ? 夢の中で、誰かから聞いたのかもしれませんわね」
フローディアは優雅に手を解き、不敵な笑みを浮かべた。
その微笑みの形、首を傾げる角度、そして自分を翻弄するような理知的な光。それらすべてが、彼が狂おしいほど愛した「あの女」の断片だった。
「フローディア……まさか、君が……」
「バーナード様、一つ忠告を差し上げますわ。貴方が今、隣に置いている『本物のスザンヌ』こそが、貴方がかつて私を捨ててまで守りたかった、美しき正義の対象。……どうぞ、一年間の責任を全うして、一生彼女を愛して差し上げなさいな」
彼女の瞳には、かつて彼を愛していた頃の情熱は一滴も残っていない。
あるのは、自分を殺そうとした者たちへの、完遂された復讐の冷たさだけだ。
バーナードは、その場に崩れ落ちそうになるのを必死に堪えた。
自分が最も愛した魂が、自分が最も無惨に捨てた女の中にあった。
その事実に気づいた瞬間、バーナード・バルマンの人生は、色彩を失った永遠の牢獄へと変わり果てた。
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庭園には、一年前と同じように薔薇が咲き誇り、最高の茶葉が用意されている。しかし、そこに座る女性が発した第一声は、彼の淡い期待を無惨に打ち砕いた。
「ねえ、バーナード様。お茶なんてどうでもいいから、早く先週お願いしたダイヤモンドのネックレスの話をしてよ。パパが、公爵家ならそれくらい安いものだって言ってたわ」
スザンヌは、運ばれてきたばかりのスコーンを素手で掴み、口に放り込んだ。
バーナードは絶句した。かつての「彼女」は、スコーンの割り方一つ、クロテッドクリームの塗り方一つにさえ、物語を感じさせるような優雅な所作を纏わせていた。
「……スザンヌ。マナーが乱れている。それに、今はネックレスの話ではなく、君と進めていた領地の再開発計画について話したいんだ」
「はあ? またその難しい話? 私、もうあの『勉強ごっこ』には飽きちゃったのよ。大体、あんなの私がやる必要ないじゃない。事務員を雇えば済む話でしょ」
バーナードは、震える手で一束の書類を机に置いた。それは一ヶ月前、スザンヌが独自の視点で書き加えた、灌漑施設の修正案だ。
「これを見てくれ。君が書いたものだ。この高度な計算と、下層領民を思いやる鋭い考察……。これこそが、私が愛した君の知性だ。もう一度、これについて君の意見を聞かせてほしい」
スザンヌは書類をひったくるように手に取ると、一瞥して鼻で笑った。
「何これ。数字ばっかりで頭が痛くなるわ。私、こんなの書いた覚えないし、そもそも字が似てるだけで別人が書いたんじゃないの? ……ああもう、退屈! バーナード様、もっと私を喜ばせてよ!」
彼女はバーナードの腕に絡みつこうとしたが、バーナードは反射的にその手を振り払ってしまった。
「……触らないでくれ」
「何よ! 私を愛してるって言ったじゃない!」
スザンヌの叫びが庭園に響く。
この一年、彼女の隣にいるだけで、自分の魂が磨かれるような高揚感があった。目の前の女は、確かに同じ顔をし、同じ声をしている。しかし、その中身は空虚で、浅ましく、耐え難いほど無知だった。
「……君は、……誰だ?」
バーナードの掠れた声は、風に消えた。
彼が捧げた一年間の溺愛は、一体誰に向けられたものだったのか。
正体不明の喪失感が、彼の心を急速に侵食していった。
王宮の回廊。
不祥事の調査のために登城していたバーナードは、向こう側から歩いてくるフローディアと正面から対峙した。
彼女の背後には、以前のような冷遇されている様子はない。数人の文官たちを引き連れ、凛とした態度で歩く姿は、まさにレイトマン侯爵家の正当な主のようだった。
「……フローディア嬢」
バーナードが呼び止めると、彼女は足を止め、氷のような瞳で彼を射抜いた。
「公務の邪魔ですわ、バーナード様。あ、失礼。今は『元婚約者』とお呼びすべきかしら?」
その突き放すような物言いに、バーナードの胸が締め付けられる。
「……謝りたかった。君が目覚めてから、一度もまともに話せていなかったから」
「謝罪? 婚約を破棄し、病床の私を放置して他人の女と睦み合ったことへの謝罪ですか? 無意味ですわ。時間は戻りませんもの」
彼女は背を向けようとした。その瞬間、バーナードは思わず彼女の手首を掴んだ。
「待ってくれ! 君に聞きたいことがあるんだ。今のスザンヌは、以前の彼女とは別人なんだ。一年前、私と共に過ごした『彼女』は……一体どこへ行った!?」
フローディアはゆっくりと振り返った。彼女は掴まれた手を見下ろし、小さく溜息を吐いた。そして、バーナードの耳元に顔を寄せ、密やかに囁いた。
「『愛の証明に、言葉はいらないでしょう。ただ、左側の角砂糖を二つ、冷めた紅茶に溶かして。それが私の安らぎだから』……そうでしょう?」
バーナードは雷に打たれたように硬直した。
それは、一年前の「スザンヌ」が、疲れ果てた深夜に二人きりの執務室で彼にだけ漏らした、極めて個人的な癖と合言葉だった。
「な……なぜ、君がそれを……」
「さあ? 夢の中で、誰かから聞いたのかもしれませんわね」
フローディアは優雅に手を解き、不敵な笑みを浮かべた。
その微笑みの形、首を傾げる角度、そして自分を翻弄するような理知的な光。それらすべてが、彼が狂おしいほど愛した「あの女」の断片だった。
「フローディア……まさか、君が……」
「バーナード様、一つ忠告を差し上げますわ。貴方が今、隣に置いている『本物のスザンヌ』こそが、貴方がかつて私を捨ててまで守りたかった、美しき正義の対象。……どうぞ、一年間の責任を全うして、一生彼女を愛して差し上げなさいな」
彼女の瞳には、かつて彼を愛していた頃の情熱は一滴も残っていない。
あるのは、自分を殺そうとした者たちへの、完遂された復讐の冷たさだけだ。
バーナードは、その場に崩れ落ちそうになるのを必死に堪えた。
自分が最も愛した魂が、自分が最も無惨に捨てた女の中にあった。
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