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未亡人カサンドラの失墜
呪いが解かれたその瞬間、王都の片隅にある伯爵家別邸では、凄まじい絶叫が響き渡っていた。
カサンドラ・ロイドは、姿見の前で崩れ落ちていた。
「あああああッ! 私の、私の顔が!!」
ベルナルドを苦しめていた黒い鱗が、今度は彼女の白い肌を侵食していた。禁忌の呪術は、解かれた瞬間に術者へとその報いが回る。いわゆる「呪い返し」だ。
鏡の中に映るのは、かつて彼女が「一生愛でればいい」と嘲笑った、あの醜悪な怪物の姿。それも、ベルナルドの時とは比較にならないほどの速度で、彼女の美貌を泥のように溶かし、異形へと変えていく。
その三日後。
エメラルダは、教会の地下にある特設の牢獄にいた。呪い返しによってもはや人間としての形を保てなくなったカサンドラが、公序良俗を乱す「魔物」として捕らえられたのだ。
鉄格子の向こう側で、ボロ布を纏った怪物が喘いでいる。
かつての毒婦の面影はどこにもない。ただ、激痛と絶望に悶え、恨みがましい声を漏らすだけの肉塊。
「……あ、エメ……ルダ……殺して……わたし……を、殺し、て……!」
カサンドラが、鱗に覆われた腕を必死に伸ばす。
同行していた家令や聖騎士たちは、そのおぞましい光景に顔を背け、中には吐き気を催す者もいた。誰もが、カサンドラのあまりに無惨な末路に、恐怖とわずかな同情を禁じ得なかった。
しかし、エメラルダだけは違った。
彼女は、汚物を見るような目さえ向けなかった。
ただ、事務的な確認作業を行う役人のように、冷徹なまでに静かな瞳で怪物を見下ろしている。
「カサンドラ様。自業自得とはいえ、随分とお苦しそうですわね」
その声には、復讐を果たした愉悦も、かつて夫を奪われかけた女としての怒りも、微塵も含まれていなかった。ただの「事実」を述べているだけ。それが逆に、周囲に異様な恐怖を抱かせた。
「……ぎ、……憎いでしょう……? 私が……あんたの夫を……!」
「いいえ。憎いなどという高尚な感情は、今の私にはありません。あなたはただ、我が家の資産である旦那様の健康を損ね、家名に泥を塗った。その損害に対する、正当な報いを受けているだけですわ」
エメラルダは平然と言い放ち、扇で口元を隠すこともなく続けた。
「死なせてほしい、とおっしゃいましたか? 残念ながら、教会の法では魔女の処遇が決まるまで、勝手に死ぬことは許されません。……どうぞ、存分にそのお姿で、ご自分の犯した罪を数えてお過ごしなさい」
「ひっ……!」
カサンドラの喉から、ひきつけのような音が漏れた。
エメラルダの瞳には、かつての激情がない。その「無」の冷たさが、地獄の業火よりも深く、カサンドラの心を打ち砕いた。
牢獄を後にするエメラルダの背中を見て、家令は密かに震えた。
以前の奥様なら、涙を流して憤るか、あるいは情けをかけて目を背けたはずだ。今の奥様は、まるで感情という歯車を抜き取られた、完璧な処刑人のように見える。
「奥様……よろしかったのですか。あのように突き放して」
馬車の中で家令が恐る恐る尋ねると、エメラルダは窓の外の景色を見つめたまま、穏やかに微笑んだ。
「ええ。時間の無駄ですもの。それより、今日の晩餐は何かしら? ベルナルド様が元の姿に戻られたお祝いに、少し華やかな献立にしましょう。主人が喜ぶ姿は、使用人たちの士気にも関わりますから」
その微笑みは、聖母のように慈愛に満ちていた。けれど、その愛はどこにも届いていない。
ベルナルドへの愛ゆえに傷ついていたエメラルダは、もうどこにもいなかった。
王都へ戻る道すがら、彼女は膝の上に置いた自分の手を眺めた。
指先一つ震えていない。カサンドラの破滅を見ても、心臓の鼓動は一回も速くならなかった。
(ああ、魔女との取引は、本当に成功したのね)
彼女は満足げに目を閉じ、静かな眠りについた。
それは、地獄を潜り抜けた者だけが手にする、あまりにも空虚な「平穏」だった。
____________
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カサンドラ・ロイドは、姿見の前で崩れ落ちていた。
「あああああッ! 私の、私の顔が!!」
ベルナルドを苦しめていた黒い鱗が、今度は彼女の白い肌を侵食していた。禁忌の呪術は、解かれた瞬間に術者へとその報いが回る。いわゆる「呪い返し」だ。
鏡の中に映るのは、かつて彼女が「一生愛でればいい」と嘲笑った、あの醜悪な怪物の姿。それも、ベルナルドの時とは比較にならないほどの速度で、彼女の美貌を泥のように溶かし、異形へと変えていく。
その三日後。
エメラルダは、教会の地下にある特設の牢獄にいた。呪い返しによってもはや人間としての形を保てなくなったカサンドラが、公序良俗を乱す「魔物」として捕らえられたのだ。
鉄格子の向こう側で、ボロ布を纏った怪物が喘いでいる。
かつての毒婦の面影はどこにもない。ただ、激痛と絶望に悶え、恨みがましい声を漏らすだけの肉塊。
「……あ、エメ……ルダ……殺して……わたし……を、殺し、て……!」
カサンドラが、鱗に覆われた腕を必死に伸ばす。
同行していた家令や聖騎士たちは、そのおぞましい光景に顔を背け、中には吐き気を催す者もいた。誰もが、カサンドラのあまりに無惨な末路に、恐怖とわずかな同情を禁じ得なかった。
しかし、エメラルダだけは違った。
彼女は、汚物を見るような目さえ向けなかった。
ただ、事務的な確認作業を行う役人のように、冷徹なまでに静かな瞳で怪物を見下ろしている。
「カサンドラ様。自業自得とはいえ、随分とお苦しそうですわね」
その声には、復讐を果たした愉悦も、かつて夫を奪われかけた女としての怒りも、微塵も含まれていなかった。ただの「事実」を述べているだけ。それが逆に、周囲に異様な恐怖を抱かせた。
「……ぎ、……憎いでしょう……? 私が……あんたの夫を……!」
「いいえ。憎いなどという高尚な感情は、今の私にはありません。あなたはただ、我が家の資産である旦那様の健康を損ね、家名に泥を塗った。その損害に対する、正当な報いを受けているだけですわ」
エメラルダは平然と言い放ち、扇で口元を隠すこともなく続けた。
「死なせてほしい、とおっしゃいましたか? 残念ながら、教会の法では魔女の処遇が決まるまで、勝手に死ぬことは許されません。……どうぞ、存分にそのお姿で、ご自分の犯した罪を数えてお過ごしなさい」
「ひっ……!」
カサンドラの喉から、ひきつけのような音が漏れた。
エメラルダの瞳には、かつての激情がない。その「無」の冷たさが、地獄の業火よりも深く、カサンドラの心を打ち砕いた。
牢獄を後にするエメラルダの背中を見て、家令は密かに震えた。
以前の奥様なら、涙を流して憤るか、あるいは情けをかけて目を背けたはずだ。今の奥様は、まるで感情という歯車を抜き取られた、完璧な処刑人のように見える。
「奥様……よろしかったのですか。あのように突き放して」
馬車の中で家令が恐る恐る尋ねると、エメラルダは窓の外の景色を見つめたまま、穏やかに微笑んだ。
「ええ。時間の無駄ですもの。それより、今日の晩餐は何かしら? ベルナルド様が元の姿に戻られたお祝いに、少し華やかな献立にしましょう。主人が喜ぶ姿は、使用人たちの士気にも関わりますから」
その微笑みは、聖母のように慈愛に満ちていた。けれど、その愛はどこにも届いていない。
ベルナルドへの愛ゆえに傷ついていたエメラルダは、もうどこにもいなかった。
王都へ戻る道すがら、彼女は膝の上に置いた自分の手を眺めた。
指先一つ震えていない。カサンドラの破滅を見ても、心臓の鼓動は一回も速くならなかった。
(ああ、魔女との取引は、本当に成功したのね)
彼女は満足げに目を閉じ、静かな眠りについた。
それは、地獄を潜り抜けた者だけが手にする、あまりにも空虚な「平穏」だった。
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