三年目の浮気 ~妊娠した私に、今さら愛を乞うても遅すぎますわ~

恋せよ恋

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雨の中の土下座

  山の天気は変わりやすい。夕闇が迫ると同時に、数日前と同じ、重く冷たい雨が降り始めた。
 キャサリンは小屋の庇の下に立ち、ぬかるんだ地面に膝を突いたままのリチャードを見下ろしていた。かつては王宮の舞踏会で、誰よりも優雅にステップを踏んでいたその足が、今は泥にまみれ、無様に震えている。

「帰ってくださいと申し上げましたわ。これ以上、見苦しい真似をなさらないで」

 キャサリンの声は、雨音に混じってもはっきりと聞こえるほど冷ややかだった。だが、リチャードは顔を上げようとしなかった。濡れた髪が額に張り付き、高価な上着は雨を吸って重く垂れ下がっている。

「……嫌だ。君が許してくれるまで、僕はここを動かない」

「リチャード様!」

「様なんて呼ばないでくれ! 僕は、君を裏切った最低の屑だ。……ああ、わかっている。エレナのことが嘘だったとわかっても、僕の罪が消えるわけじゃない。君が僕を蔑み、拒絶するのは当然だ」

 リチャードは、泥の中に両手をついた。それは、貴族としての矜持も、オギルビー侯爵家の嫡男としての誇りも、すべてをかなぐり捨てた「土下座」の姿だった。

「キャサリン……僕は、自分がどれほど傲慢だったか、ようやく理解したんだ。君の愛に甘え、君がそこにいることを当然だと思い、刺激という名の毒に手を出した。……君を失ったこの数日間、僕は地獄にいた。食事の味もしない、夜も眠れない。ただ、君のいない静寂が、僕の鼓動を止めてしまいそうで怖かったんだ!」

 リチャードは叫ぶように続けた。その声は雨に打たれ、掠れ、悲鳴に近かった。

「爵位も、名誉も、オギルビーの名さえもいらない! 父上に廃嫡されても構わない! 夫として扱わなくていい……ただの犬としてでもいいから、君のそばに置いてくれ。君の視界の隅に、僕を存在させてくれ……っ!」

 かつての伊達男が、一人の女性に縋り付き、無様に愛を乞うている。
 キャサリンはその姿を、感情の失せた瞳で見つめていた。三年前、彼が放った「石ころ」という言葉が脳裏をよぎる。今、泥の中に伏しているこの男こそが、彼女にとっては何の価値もない石ころのように見えていた。

 だが、お腹の奥で、小さな、確かな拍動を感じた。
 この男の血を引き、自分の体内で育っている命。

「……リチャード様」

 キャサリンは一歩、雨の中へと踏み出した。傘も差さず、泥に膝を突く男の前に立つ。

「貴方は、わたくしに『犬』のように飼えと仰いましたわね。……でも、残念ながら、わたくしには貴方を飼う余裕などございませんの」

 リチャードが、希望を求めて顔を上げた。その瞳には、雨水か涙か判別のつかない雫が溢れている。

「なぜだい……? 僕は、君のためなら何でもする。君の靴を磨き、君の歩く道を掃き……」

「これ以上、わたくしに負担をかけないで。……わたくしの体には今、守らなければならない『もう一つの命』があるのですから」

 リチャードの思考が、一瞬で凍りついた。

「……もう一つの……命……?」

 キャサリンは、濡れたドレスの上から、まだ平坦な腹部を両手で優しく抱え込んだ。

「妊娠三ヶ月です。貴方が、あの未亡人と過ちを犯した、まさにその時期に授かった子ですわ」

 リチャードの口が、戦慄に震えた。
 絶望の後の、あまりにも残酷な福音。

「……あ……ああ……」

「貴方は知らないまま、その罪を背負って死ねばよかったのに。……この子は、貴方の罪を、一生私に思い出させる証となるでしょう。……それでも貴方は、わたくしのそばにいたいと仰るのですか?」

 キャサリンの言葉は、愛の告白よりも深く、リチャードの魂を抉り取った。
 リチャードは声を上げることさえできず、ただ激しい雨の中で、己の犯した過ちの深さに、さらなる慟哭を繰り返すことしかできなかった。
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