【完結】身売り覚悟の子爵令嬢、一夜限りの誘惑のつもりが遊び人の侯爵令息に執着されています!

恋せよ恋

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想定外の「お預け」

  月明かりが照らす庭園の片隅。
 「遊んで捨ててほしい」という、淑女としてはあるまじき――しかし、パトリシアにとってはこれ以上なく真剣な懇願に対し、社交界一の遊び人、ギルバートは、困ったような、それでいて愉快なものを見つけたような複雑な笑みを浮かべていた。

「場所を変えようか」

 その言葉通り、パトリシアは彼に促されるまま、夜会会場の裏手に待機していた馬車へと押し込まれた。
 行き先も告げられず、揺られること数十分。到着したのは、王都の喧騒から少し離れた場所にある、こじんまりとした、しかし手入れの行き届いたハワード家の別邸だった。

(……ついに。ついに、その時が来るのね!ああ、神様、ありがとうございます!)



  別邸の豪奢な寝室に案内されたパトリシアは、心臓が口から飛び出しそうなほど緊張していた。
 部屋には甘い花の香りが漂い、大きな天蓋付きのベッドが鎮座している。ギルバートは上着を脱いで椅子に掛けると、白いシャツの袖を無造作にまくりながら、ソファの端で石像のように固まっているパトリシアへと歩み寄ってきた。

 左目の下の泣きぼくろが、室内灯の柔らかな光の下でより一層、扇情的に輝く。

「……さて。そんなに遠くにいられては、君に触れることができないだろう?」

 ギルバートが大きな手を差し伸べる。パトリシアは、まるで吸い寄せられるようにその手を取った。彼の掌は驚くほど熱く、指先に触れただけで全身に電流が走ったような衝撃を受ける。
 彼はそのままパトリシアの手を引き、部屋の主役である広大なベッドへと誘った。一歩、また一歩。ふかふかの絨毯を踏みしめる。

 ベッドサイドに辿り着くと、ギルバートは先にその縁へと腰掛け、パトリシアを見上げるようにして彼女を自分の正面に立たせた。
 座っているはずの彼と、立っている自分の視線の高さがほとんど変わらない。それほど、彼との距離は近くなっていた。

「さあ、覚悟はいいかな? 後になってから『責任を取って』と泣きつかれるのは、一番興ざめなんだ……」

 ギルバートの低い声が、パトリシアの鼓膜を甘く震わせる。
 この後の展開は、もちろん分かっている。『ご夫人向けの恋愛小説』で、学んできた! 淑女らしく恥じらい、彼に身を委ねるのが正解なのだろう。
 しかし、緊張と焦りが限界を突破し、脳内の「潔さスイッチ」が振り切れてしまったパトリシアの行動は、彼の予想を遥か斜め上へと飛び越えた。

「はいっ! いつでもどうぞ、よろしくお願いしますッ!」

 パトリシアは、まるで戦場へ赴く兵士のような叫び声を上げると、バネ仕掛けの人形のように勢いよく身体を後ろへ倒した。

 ボフッ! という派手な音を立てて、高級な羽毛の海に沈み込む。
 パトリシアは、見事なまでにベッドの真ん中で「大の字」になって、天井を睨みつけた。

「さあ、ギルバート様! どこからでも捌いてください! 私はもう、まな板の上の鯉です!」

「…………」

 パトリシアのあまりにも潔すぎる、そして色気も情緒もゼロの「攻撃スタイル」に、顎を持ち上げようと手を伸ばしかけていたギルバートの動きが、ピタリと止まった。

 その姿には、エロスも情熱も欠片もない。あるのは「一世一代の商談を成立させようとする新人商人」のような、妙な爽やかさと必死さだけだった。

 ギルバートは、天井を見上げて深い溜息をついた。
 これまで数多の女性を、指先一つ、言葉一つで翻弄してきた彼だったが、ここまで「雰囲気」が通用しない相手は初めてだった。

「……あー、ダメだ。なんか、そう言われると、全然その気にならないんだけどなぁ」

「ええっ!? な、なぜですか! 私の何が足りないんでしょうか。もっと、こう、服を脱いだりした方がいいですか!?」

 慌ててドレスの紐に手をかけようとするパトリシアの手を、ギルバートは素早く制した。

「やめてくれ。……君、本当はどういう事情があるの? ただの『思い出作り』にしては、悲壮感が漂いすぎている」

 ギルバートの鋭い指摘に、パトリシアは言葉を詰まらせた。
 彼の前では虚勢を張っていたが、ふとした瞬間に、実家の小麦畑や、泣き崩れていた母の姿が脳裏をよぎる。
 パトリシアは俯き、ポツリポツリと、実家の窮状とバルカスから提示された残酷な二択について話し始めた。

「……どうせ、豚のような好色爺に売られるか、娼館へ行かされる運命なんです。だったら、最後に一度だけ、自分の意志で……好きな人に、自分を捧げたかったんです」

 話し終えると、部屋には静寂が訪れた。
 パトリシアは「同情なんてされたくない」と唇を噛んでいたが、返ってきたのは予想外の言葉だった。

「なるほどね。……君を抱くのは簡単だけど、そんな理由で抱いたら、僕のプライドに障る」

「プライド……ですか?」

「僕はね、女の子には心底楽しんでほしいんだ。人生の絶望を紛らわせるための道具にされるのは、僕の『遊び人』としての美学に反するよ」
 ギルバートは立ち上がり、脱ぎ捨てていた上着をパトリシアの肩に掛けた。

「そんな訳で、今日のところはお預けだ。……その代わり、君は一旦、僕が『預かる』ことにする」

「預かる……? どういうことですか?」

「そのままの意味だよ。ローレンス子爵家の借金問題も含めて、僕が少し時間を稼いであげる。その間、君は僕の『お気に入り』という名目で、この別邸に住んでもらう」

「えええっ!? そんな、悪いですよ! 私、お返しできるものなんて何も……」

「お返しなら、いつか君が『借金のため』じゃなく、心から僕に抱かれたいと思った時に、たっぷりともらうからいいよ」

 ギルバートは意地悪く微笑み、彼女の鼻先を軽く突いた。
 
 面白い女だ、と彼は思った。
 自分を安売りしているようでいて、その根底には家族への深い愛と、驚くほどの潔さがある。
 ただ遊んで捨てるには、少しばかり惜しい。
 
「……ま、せいぜい僕を楽しませてよ、パトリシア」
___________

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