隠し通せると思ったのですか?〜嫁いだ姉の赤子の髪と瞳は、隠しようもなく貴方の色でした〜

恋せよ恋

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気まずい朝のティータイム

 昨夜の光景が、網膜に焼き付いて離れない。
 
 月光の下で重なり合っていた、お姉様とフィリップ。二人の密やかな吐息と、裏切りの温度。一睡もできないまま迎えた朝は、皮肉なほどに晴れ渡っていた。

 レンデン侯爵家の朝食会は、いつも通り優雅に始まる。窓から差し込む柔らかな光が、銀食器を眩しく照らしていた。

「あら、マーガレット。顔色が悪いわよ? 昨夜はあまり眠れなかったのかしら」

 母タチアナが心配そうに私を覗き込む。母は典型的な貴族の令嬢として育ち、家格と平穏を愛する人だ。

 その隣では、厳格だが家族思いの父パトリスが、新聞から目を上げた。

「フィリップ君が来ていたから、話し込みすぎたかな。若いうちは良いが、あまり夜更かしは感心せんな」

 父の言葉に、私はティーカップを持つ指先を震わせた。

 そう。昨夜、彼はとしてこの屋敷を訪れていた。……そして、私の部屋ではなく、お姉様の部屋へと向かったのだ。

「ふふ、ごめんなさいお父様。私のせいかもしれないわ」

 鈴を転がすような、可愛らしい声。
 扉から現れたのは、淡いピンクのドレスに身を包んだ姉、ローザリアだった。

 金髪に緑の瞳。シシリー侯爵家に嫁いで一年。ますます磨きがかかったその美しさは、朝の光の中でも瑞々しく輝いている。

「ローザリア。無理をして起きてこなくても良かったのだぞ」
 父の顔が、愛娘の登場で一気に綻ぶ。

 姉は、夫であるリチャード様との生活に疲れたと言って、三日前からこの実家に里帰りしていた。

「たまにはいいでしょう? マーガレットやノーマン、お父様とお母様にも会いたかったんですもの。……ねえ、フィリップもそう思うでしょう?」

 姉の視線の先――いつの間にか食堂に入ってきていたフィリップに、私は息を呑んだ。

 フィリップ・トルドー伯爵令息。二十歳。落ち着いた茶色の髪に、穏やかな茶色の瞳。

 八歳からの幼馴染で、私の「たった一人の」婚約者。彼は私と目が合うと、一瞬だけ視線を泳がせ、すぐにいつもの柔らかな微笑みを浮かべた。

「おはよう、マーガレット。……ローザリアの言う通りだ。久しぶりにこうしてみんなで囲む食卓は、懐かしくて落ち着くね」

 彼は、何事もなかったかのように私の隣に座る。昨夜、姉を抱きしめていたあの腕が、私の椅子の背に触れた。
 
 吐き気がするほどの嫌悪感を、私は必死に飲み込む。

「……ええ、そうですね、フィリップ様」

 私の返答は、自分でも驚くほど冷えていた。けれど、思い出話に花を咲かせる両親と二人は、それに気づかない。

「覚えているかしら? 十歳の頃、お庭の大きな樫の木にフィリップが登って降りられなくなったこと」

 姉が楽しそうに笑う。

「ああ、あったね。ローザリアが泣き出すから、僕も焦ってしまって」

「そうよ、あの時、私があまりに泣くから、フィリップが真っ赤な顔をして『僕がから泣かないで』って……ふふ、可愛かったわ」

 楽しげな会話が、私の耳を素通りしていく。

 『一生、守る』。
 その言葉、私との婚約が決まった夜にも言わなかったかしら……。

 あの時、私の手を取って誓ってくれたその言葉さえ、姉様を投影していただけだったの?

 フィリップは私の婚約者だ。でも、彼は知っている。

 姉の夫であるリチャード様には、学生時代から続く男爵令嬢の恋人がいることを。お姉様がそのことで孤独を感じていることを。

 そして彼は、その「同情」を言い訳にして、踏み込んではいけないを越えたのだ。私という婚約者がいながら。

「マーガレット、どうしたの? 一口も進んでいないじゃない」

 お姉様が、不思議そうに首を傾げる。その瞳は、どこまでも無邪気で、残酷だった。

「……少し、食欲がないだけです。お姉様とフィリップ様が、あまりに仲睦まじくお話しされているので。つい、眺め入ってしまいましたわ」
 精一杯の皮肉を、微笑みの裏に隠して告げる。

 フィリップの眉が、わずかに跳ねた。

「私たちは、ずっと育ってきたからね。マーガレット、君も……僕たちの大事な妹なんだから。ね?」

 『妹』。フィリップはそう言って、私の頭を撫でようとした。

 その手を、体が反射的に避けてしまう。

 宙を舞った彼の手が、気まずそうに下ろされた。

「あらあら、マーガレットったら。お嫁に行くのが寂しくなってしまったのかしら」
 母の呑気な笑い声が食堂に響く。

 誰も知らない。この和やかな食卓の下で、何が壊れてしまったのかを。

 お姉様が「里帰りの理由」として口にした言葉――家族に会いたかった。

 それが、フィリップとの密会を隠すための隠れ蓑に過ぎないことを。

 私は、黙って冷めた紅茶を口に含んだ。舌に残るのは、苦味だけだった。

 昨夜、ジェラール様が貸してくれた上着の、あの清冽な香りを思い出す。
 今の私を支えているのは、婚約者の体温ではなく、名前も呼べない彼が残した、わずかな冷たさだけだった。
__________

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