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覚めた瞳の令嬢
眩いばかりのシャンデリアの光が、大広間の大理石に反射して、まるですべてが宝石でできているかのような錯覚を抱かせる。
オーケストラが奏でる軽やかなワルツに合わせ、色とりどりのドレスが花びらのように舞う。ここは王都でも指折りの夜会。誰もが幸福を絵に描いたような顔で笑い、語らっている。
「見て、ゴードン男爵夫妻よ。相変わらずお熱いわね」
「本当。学園時代からの恋愛結婚だなんて、まるで物語のよう」
周囲の貴婦人たちのささやき声に、私――キャサリン・ゴードンは、扇の陰でそっと冷めた吐息をついた。
視線の先では、父ジョージが母マーサの腰を優しく抱き、慈しむような眼差しを向けている。母もまた、頬を微かに染めて幸せそうに微笑み返していた。
(……ああ、吐き気がする)
誰もが羨む「理想の夫婦」。けれど、私は知っている。
父のあの優しい瞳が、一年前には別の女性――下町の愛人の家に向けられていたことを。
母のあの幸せそうな微笑みが、寝室では枕を濡らす絶望の仮面でしかないことを。
「キャサリン、顔色が悪いわよ。疲れたのかしら?」
母がふとこちらを振り返り、優しく声をかけてくる。その瞳の奥には、無理に塗り固めた虚勢が透けて見えた。
愛し合って結婚しても、男は裏切り、女は耐える。それがこの世界の「愛」の正体なのだ。
「いいえ、お母様。少し、風に当たりたいだけですわ」
私は作り笑いを浮かべてその場を離れた。
バルコニーへ続く廊下を歩いていると、柱の陰から心ない噂話が聞こえてくる。
「ねえ、聞いた? ゴードン男爵、今度は市井の若い娘を囲っているらしいわよ」
「あら、またなの? あの奥様も可哀想に。あんなに尽くしていらっしゃるのにね。ふふふ」
足が止まる。心臓が冷たい棘で刺されたように痛む。
父は、母を愛していないわけではない。それが一番質が悪いのだ。愛していると言いながら、他の誰かを囲う。そんな不潔な感情を、どうして「愛」と呼べるだろう。
一生、誰のことも信じたくない。誰の隣にも立ちたくない。
そう強く唇を噛み締めたとき――。
「……また、そんな怖い顔をしてる。キャシー」
聞き慣れた、少し低い声が降ってきた。
振り返ると、そこにはロックラン子爵家の嫡男、ユリウスが立っていた。
幼い頃からずっと隣にいた彼だけは、この澱んだ空気の中で唯一、吸い込んでも苦しくない、清涼な風のような存在だった。
「ユリウス……」
思わず、張り詰めていた肩の力が少しだけ抜ける。
彼は私より一つ年上で、今年で十七歳。学園では騎士科に籍を置いているだけあって、背も高く、洋服の上からでも鍛えられた体躯がわかる。
けれど、その整った顔立ちに浮かぶのは、いつも私を気遣うような、ひどく優しい眼差しだった。
「少し、疲れただけよ」
私は扇を閉じ、無理に笑みを作った。
嘘だということは、彼にはお見通しだろう。私たちは、お互いの隠し事を見抜けるほど、長い時間を共有してきたのだから。
「……向こうのバルコニーに行こう。ここは少し、人が多すぎる」
ユリウスは短く言うと、私の背中を優しく促すように手を添えた。
彼の大きな掌の温もりが、ドレス越しに伝わってくる。その温かさに、私の胸の奥に澱んでいた冷たいものが、ほんの少しだけ溶け出すような気がした。
大広間から離れた、人影のまばらなバルコニー。
夜風が心地よく、火照った頬を撫でていく。遠くに見える王都の街明かりが、まるで地上の星のように瞬いていた。
「……父上のことか?」
ユリウスが静かに問いかけた。
私は黙って、夜空を見上げた。月は満ち、冷ややかな光を地上に注いでいる。
「……皆、お父様とお母様を『理想の夫婦』だって噂しているわ。恋愛結婚で、幸せだって」
私は自虐的な笑みを浮かべ、手すりを強く握りしめた。
「でも、本当は違う。お父様は、お母様を愛していると言いながら、他の女性のもとへ通っている。お母様は、それを知りながら、夜会では幸せそうに笑っているの。……ねえ、ユリウス。これが『愛』だと言うなら、私はそんなもの、一生要らない」
私の声は、夜風に混じって微かに震えていた。
誰にも言えなかった、胸の奥底にある呪い。それを口にできるのは、ユリウスだけだった。
ユリウスは黙って、私の言葉を受け止めていた。
彼は上着を脱ぐと、そっと私の肩にかけた。彼の匂いと、体温が私を包み込む。
「……キャシー。俺は、君の両親のことはわからない」
ユリウスは真摯な瞳で、私を見つめた。
「でも、俺は……君が傷つくのは見たくない。君が笑っている顔が好きだ。……だから、君が信じられるものだけを、信じればいい。俺は、ずっと君の味方だ」
「……ありがとう、ユリウス」
私は彼の上着の裾を強く握り、俯いた。
彼の言葉は、嘘偽りのない、真っ直ぐなものだと知っている。彼だけは、私を裏切らない。彼だけは、私を傷つけない。
その確信が、私の心を微かに動かした。
(……もし、ユリウスなら。彼なら、お父様とは違うのかもしれない)
そんな、叶うはずのない淡い希望が、胸の奥で音を立てて芽吹こうとしていた。
__________
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オーケストラが奏でる軽やかなワルツに合わせ、色とりどりのドレスが花びらのように舞う。ここは王都でも指折りの夜会。誰もが幸福を絵に描いたような顔で笑い、語らっている。
「見て、ゴードン男爵夫妻よ。相変わらずお熱いわね」
「本当。学園時代からの恋愛結婚だなんて、まるで物語のよう」
周囲の貴婦人たちのささやき声に、私――キャサリン・ゴードンは、扇の陰でそっと冷めた吐息をついた。
視線の先では、父ジョージが母マーサの腰を優しく抱き、慈しむような眼差しを向けている。母もまた、頬を微かに染めて幸せそうに微笑み返していた。
(……ああ、吐き気がする)
誰もが羨む「理想の夫婦」。けれど、私は知っている。
父のあの優しい瞳が、一年前には別の女性――下町の愛人の家に向けられていたことを。
母のあの幸せそうな微笑みが、寝室では枕を濡らす絶望の仮面でしかないことを。
「キャサリン、顔色が悪いわよ。疲れたのかしら?」
母がふとこちらを振り返り、優しく声をかけてくる。その瞳の奥には、無理に塗り固めた虚勢が透けて見えた。
愛し合って結婚しても、男は裏切り、女は耐える。それがこの世界の「愛」の正体なのだ。
「いいえ、お母様。少し、風に当たりたいだけですわ」
私は作り笑いを浮かべてその場を離れた。
バルコニーへ続く廊下を歩いていると、柱の陰から心ない噂話が聞こえてくる。
「ねえ、聞いた? ゴードン男爵、今度は市井の若い娘を囲っているらしいわよ」
「あら、またなの? あの奥様も可哀想に。あんなに尽くしていらっしゃるのにね。ふふふ」
足が止まる。心臓が冷たい棘で刺されたように痛む。
父は、母を愛していないわけではない。それが一番質が悪いのだ。愛していると言いながら、他の誰かを囲う。そんな不潔な感情を、どうして「愛」と呼べるだろう。
一生、誰のことも信じたくない。誰の隣にも立ちたくない。
そう強く唇を噛み締めたとき――。
「……また、そんな怖い顔をしてる。キャシー」
聞き慣れた、少し低い声が降ってきた。
振り返ると、そこにはロックラン子爵家の嫡男、ユリウスが立っていた。
幼い頃からずっと隣にいた彼だけは、この澱んだ空気の中で唯一、吸い込んでも苦しくない、清涼な風のような存在だった。
「ユリウス……」
思わず、張り詰めていた肩の力が少しだけ抜ける。
彼は私より一つ年上で、今年で十七歳。学園では騎士科に籍を置いているだけあって、背も高く、洋服の上からでも鍛えられた体躯がわかる。
けれど、その整った顔立ちに浮かぶのは、いつも私を気遣うような、ひどく優しい眼差しだった。
「少し、疲れただけよ」
私は扇を閉じ、無理に笑みを作った。
嘘だということは、彼にはお見通しだろう。私たちは、お互いの隠し事を見抜けるほど、長い時間を共有してきたのだから。
「……向こうのバルコニーに行こう。ここは少し、人が多すぎる」
ユリウスは短く言うと、私の背中を優しく促すように手を添えた。
彼の大きな掌の温もりが、ドレス越しに伝わってくる。その温かさに、私の胸の奥に澱んでいた冷たいものが、ほんの少しだけ溶け出すような気がした。
大広間から離れた、人影のまばらなバルコニー。
夜風が心地よく、火照った頬を撫でていく。遠くに見える王都の街明かりが、まるで地上の星のように瞬いていた。
「……父上のことか?」
ユリウスが静かに問いかけた。
私は黙って、夜空を見上げた。月は満ち、冷ややかな光を地上に注いでいる。
「……皆、お父様とお母様を『理想の夫婦』だって噂しているわ。恋愛結婚で、幸せだって」
私は自虐的な笑みを浮かべ、手すりを強く握りしめた。
「でも、本当は違う。お父様は、お母様を愛していると言いながら、他の女性のもとへ通っている。お母様は、それを知りながら、夜会では幸せそうに笑っているの。……ねえ、ユリウス。これが『愛』だと言うなら、私はそんなもの、一生要らない」
私の声は、夜風に混じって微かに震えていた。
誰にも言えなかった、胸の奥底にある呪い。それを口にできるのは、ユリウスだけだった。
ユリウスは黙って、私の言葉を受け止めていた。
彼は上着を脱ぐと、そっと私の肩にかけた。彼の匂いと、体温が私を包み込む。
「……キャシー。俺は、君の両親のことはわからない」
ユリウスは真摯な瞳で、私を見つめた。
「でも、俺は……君が傷つくのは見たくない。君が笑っている顔が好きだ。……だから、君が信じられるものだけを、信じればいい。俺は、ずっと君の味方だ」
「……ありがとう、ユリウス」
私は彼の上着の裾を強く握り、俯いた。
彼の言葉は、嘘偽りのない、真っ直ぐなものだと知っている。彼だけは、私を裏切らない。彼だけは、私を傷つけない。
その確信が、私の心を微かに動かした。
(……もし、ユリウスなら。彼なら、お父様とは違うのかもしれない)
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