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不穏な再会
植物園での初デートから数週間。
学園内での私たちの関係は、周知の事実となっていた。朝の登校から放課後の図書室まで、ユリウスは影のように私の傍に寄り添い、過保護なほどに私を慈しんでくれた。
父の不実を目撃して凍りついた私の心も、彼の献身的な熱に当てられ、少しずつ日常を取り戻しつつあった。
「キャシー、ここのテラス席にしよう。今日は風が気持ちいい」
学園に併設されたサロン「リリウム」。高い天井と開放的なテラスが自慢のこのカフェは、午後のひとときを楽しむ生徒たちで賑わっていた。
ユリウスが手際よく席を確保し、私のお気に入りのハーブティーを運んでくる。
「……ねえ、ユリウス。そんなに甲斐甲斐しくお世話されなくても、私は大丈夫よ」
「いいんだ。俺がやりたいだけだから。君が美味しそうに飲んでいるのを見るのが、今の俺の一番の楽しみなんだよ」
ユリウスは照れくさそうに笑いながら、私の向かい側に腰を下ろした。
その屈託のない笑顔を見ていると、胸の奥が温かくなる。お兄様とバネッサ様のように、私たちも積み重ねていける。そう確信しかけていた、その時だった。
「あら。……そこにいるのは、ユリウスじゃない?」
背後から響いたのは、鈴の音を転がしたような、艶やかな女の声だった。
その瞬間、目の前のユリウスの表情が、まるで見えない氷を押し当てられたかのように凍りついた。
振り返ると、そこには一人の上級生が立っていた。
燃えるような赤い髪を緩く巻いた三年生の男爵令嬢、タチアナ。その美しさと奔放な噂は、下級生の私の耳にも届くほど有名だった。
「ごきげんよう、タチアナ様」
私が礼儀として立ち上がり、会釈をする。けれど、タチアナ様の視線は私を素通りし、微動だにしないユリウスへと注がれていた。
「ユリウス、久しぶりね。……あら、そんなに怖い顔をしなくてもいいじゃない。私、貴方に何か悪いことしたかしら?」
タチアナ様はくすくすと喉を鳴らして笑い、あからさまな親愛を込めてユリウスの肩に手を置こうとした。
ユリウスは弾かれたようにその手を払い、椅子を引いて立ち上がった。
「……タチアナ男爵令嬢。今は、彼女と茶を飲んでいるところです。失礼ですが、席を外していただけませんか」
その声は冷淡だった。けれど、私は気づいてしまった。
ユリウスの指先が、微かに震えていることに。
そして、彼が一度もタチアナ様の瞳を見ようとせず、必死に視線を逸らしていることに。
長年、幼馴染として彼を見てきた私にはわかる。今のユリウスは、怒っているのではない。
――ひどく、怯えているのだ。
「あら、冷たいのね。あんなに仲良くしていたのに」
タチアナ様は、ようやく私の方へ視線を向けた。その瞳に宿る、値踏みするような、そして同情するような色が、私の肌を粟立たせる。
「貴女が、噂の『運命の幼馴染』さん? 想像していたよりも、ずっと可憐で可愛らしいお嬢さんだわ」
「……お褒めに預かり、光栄ですわ」
私は努めて冷静に返したが、胸のざわつきは止まらなかった。
「仲良くしていた」?
ユリウスは、『ずっと、君、一筋だった」と言った。私が信じられない間も、ずっと私だけを見てきたと。
それなのに、なぜ彼はこんなにも狼狽しているのか。なぜ、この美しい上級生は、彼を「知っている」ような口振りをするのか。
「ユリウス、貴方って本当に一途なのね。……でも、根を詰めすぎると疲れちゃうわよ? 時には『息抜き』も必要だって、貴方自身が一番よく知っているはずなのに」
「黙れ! ……タチアナ、いい加減にしろ!」
ユリウスが声を荒らげた。カフェ中の視線が集まる。
タチアナ様は面白そうに眉を上げ、肩をすくめてみせた。
「あら、怖い。……ごめんなさいね、邪魔をして。お友達が待っているから、私は行くわ。ユリウス、また今度、ゆっくりお話ししましょうね? 『あの時』みたいに」
彼女は去り際に、私の耳元を通り過ぎる瞬間、誰にも聞こえないような低い声で囁いた。
「……気をつけてね、お嬢ちゃん。男の『ずっと好きだった』ほど、都合の良い嘘はないんだから」
彼女の香水の、噎せ返るような百合の香りが鼻を突く。
タチアナ様が去った後、テラスには重苦しい沈黙が降りた。
「……キャシー、すまない。不快な思いをさせた」
ユリウスが再び席に着いたが、運ばれてきたハーブティーはもうすっかり冷めていた。
彼は努めて平静を装い、別の話題を振ろうとしている。けれど、その瞳は泳ぎ、額には薄っすらと汗が浮いている。
(……何か、ある)
父が愛人の家へ向かう時。
母に嘘をついて夜会を抜け出す時。
父も、今のユリウスと同じような、不自然なほど優しい、そして怯えた目をしていた。
信じたい。信じなきゃいけない。
お兄様たちのように、私たちも大丈夫だと言い聞かせたばかりじゃない。
けれど、私の胸の中に芽生えた小さな不信の種は、タチアナ様が残した毒を含んだ言葉を吸い上げ、急速に根を広げ始めていた。
_________
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学園内での私たちの関係は、周知の事実となっていた。朝の登校から放課後の図書室まで、ユリウスは影のように私の傍に寄り添い、過保護なほどに私を慈しんでくれた。
父の不実を目撃して凍りついた私の心も、彼の献身的な熱に当てられ、少しずつ日常を取り戻しつつあった。
「キャシー、ここのテラス席にしよう。今日は風が気持ちいい」
学園に併設されたサロン「リリウム」。高い天井と開放的なテラスが自慢のこのカフェは、午後のひとときを楽しむ生徒たちで賑わっていた。
ユリウスが手際よく席を確保し、私のお気に入りのハーブティーを運んでくる。
「……ねえ、ユリウス。そんなに甲斐甲斐しくお世話されなくても、私は大丈夫よ」
「いいんだ。俺がやりたいだけだから。君が美味しそうに飲んでいるのを見るのが、今の俺の一番の楽しみなんだよ」
ユリウスは照れくさそうに笑いながら、私の向かい側に腰を下ろした。
その屈託のない笑顔を見ていると、胸の奥が温かくなる。お兄様とバネッサ様のように、私たちも積み重ねていける。そう確信しかけていた、その時だった。
「あら。……そこにいるのは、ユリウスじゃない?」
背後から響いたのは、鈴の音を転がしたような、艶やかな女の声だった。
その瞬間、目の前のユリウスの表情が、まるで見えない氷を押し当てられたかのように凍りついた。
振り返ると、そこには一人の上級生が立っていた。
燃えるような赤い髪を緩く巻いた三年生の男爵令嬢、タチアナ。その美しさと奔放な噂は、下級生の私の耳にも届くほど有名だった。
「ごきげんよう、タチアナ様」
私が礼儀として立ち上がり、会釈をする。けれど、タチアナ様の視線は私を素通りし、微動だにしないユリウスへと注がれていた。
「ユリウス、久しぶりね。……あら、そんなに怖い顔をしなくてもいいじゃない。私、貴方に何か悪いことしたかしら?」
タチアナ様はくすくすと喉を鳴らして笑い、あからさまな親愛を込めてユリウスの肩に手を置こうとした。
ユリウスは弾かれたようにその手を払い、椅子を引いて立ち上がった。
「……タチアナ男爵令嬢。今は、彼女と茶を飲んでいるところです。失礼ですが、席を外していただけませんか」
その声は冷淡だった。けれど、私は気づいてしまった。
ユリウスの指先が、微かに震えていることに。
そして、彼が一度もタチアナ様の瞳を見ようとせず、必死に視線を逸らしていることに。
長年、幼馴染として彼を見てきた私にはわかる。今のユリウスは、怒っているのではない。
――ひどく、怯えているのだ。
「あら、冷たいのね。あんなに仲良くしていたのに」
タチアナ様は、ようやく私の方へ視線を向けた。その瞳に宿る、値踏みするような、そして同情するような色が、私の肌を粟立たせる。
「貴女が、噂の『運命の幼馴染』さん? 想像していたよりも、ずっと可憐で可愛らしいお嬢さんだわ」
「……お褒めに預かり、光栄ですわ」
私は努めて冷静に返したが、胸のざわつきは止まらなかった。
「仲良くしていた」?
ユリウスは、『ずっと、君、一筋だった」と言った。私が信じられない間も、ずっと私だけを見てきたと。
それなのに、なぜ彼はこんなにも狼狽しているのか。なぜ、この美しい上級生は、彼を「知っている」ような口振りをするのか。
「ユリウス、貴方って本当に一途なのね。……でも、根を詰めすぎると疲れちゃうわよ? 時には『息抜き』も必要だって、貴方自身が一番よく知っているはずなのに」
「黙れ! ……タチアナ、いい加減にしろ!」
ユリウスが声を荒らげた。カフェ中の視線が集まる。
タチアナ様は面白そうに眉を上げ、肩をすくめてみせた。
「あら、怖い。……ごめんなさいね、邪魔をして。お友達が待っているから、私は行くわ。ユリウス、また今度、ゆっくりお話ししましょうね? 『あの時』みたいに」
彼女は去り際に、私の耳元を通り過ぎる瞬間、誰にも聞こえないような低い声で囁いた。
「……気をつけてね、お嬢ちゃん。男の『ずっと好きだった』ほど、都合の良い嘘はないんだから」
彼女の香水の、噎せ返るような百合の香りが鼻を突く。
タチアナ様が去った後、テラスには重苦しい沈黙が降りた。
「……キャシー、すまない。不快な思いをさせた」
ユリウスが再び席に着いたが、運ばれてきたハーブティーはもうすっかり冷めていた。
彼は努めて平静を装い、別の話題を振ろうとしている。けれど、その瞳は泳ぎ、額には薄っすらと汗が浮いている。
(……何か、ある)
父が愛人の家へ向かう時。
母に嘘をついて夜会を抜け出す時。
父も、今のユリウスと同じような、不自然なほど優しい、そして怯えた目をしていた。
信じたい。信じなきゃいけない。
お兄様たちのように、私たちも大丈夫だと言い聞かせたばかりじゃない。
けれど、私の胸の中に芽生えた小さな不信の種は、タチアナ様が残した毒を含んだ言葉を吸い上げ、急速に根を広げ始めていた。
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