【完結】『ずっと好きだった』なんて、もう信じない ~一途な幼馴染に寄り道された男爵令嬢は、二度目の恋から逃げ出したい~

恋せよ恋

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拒絶の雨

  西校舎の裏庭から逃げ出した私の耳の奥で、メーガン様の言葉が火印のように焼き付いて離れない。

『貴女の正義感は、ユリウス先輩を殺しています』
『あの方を解放して、私に譲ってください』

 図書室に戻り、震える手で鞄を掴む。窓の外を見れば、いつの間にか空は鉛色に染まり、音もなく雨が降り始めていた。春の雨にしては冷たく、肌を刺すような湿り気が校舎を包み込んでいる。

「キャシー! 探したよ、急に居なくなるから……」

 廊下の向こうから、肩を上下させながらユリウスが走ってきた。
 教師との用事を終え、私を迎えに来てくれたのだ。その手には、私を濡らさないための大きな傘が握られている。

「……ユリウス」

「顔色が悪い。メーガン嬢と何かあったのか? あいつ、君を呼び出したって聞いて……」

 ユリウスが心配そうに手を伸ばしてくる。その掌が私の頬に触れようとした瞬間、私は弾かれたように後退りした。

「触らないで!」

「……っ」

 ユリウスの手が空中で凍りつく。彼の瞳に宿る、深い、深い傷ついた色。それを見ることが、今の私には耐え難い拷問だった。

 メーガン様の言う通りだ。私は彼を許さないことで、彼をこの絶望の淵に繋ぎ止め、じわじわといたぶっている。お父様と同じだと蔑みながら、お母様が二十年かけて自分を殺したように、私もまた、彼を、そして自分自身を殺している。

「……もう、終わりにしましょう、ユリウス」

「何を……何を言ってるんだ? 私たちは幼馴染として、うまくやっていこうって……」

「うまくいってなんていないわ! 貴方は私の顔色を窺って、私は貴方の過ちを数えて……。こんなの、ただの共依存よ。メーガン様の方が、ずっと貴方を幸せにできる。彼女なら、貴方の過去ごと愛してくれるって言っていたわ」

 私は、自分でも驚くほど冷酷な声で言い放った。
 ユリウスの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。

「彼女が何を言ったかなんて関係ない! 俺が隣にいたいのは君だ、キャシー!」

「私は、貴方が隣にいるのが苦しいのよ!」

 叫び声が、無人の廊下に響き渡った。
 ユリウスが、石像のように固まる。

「貴方の顔を見るたびに、あの日のことを思い出す。貴方の優しさに触れるたびに、それが『罪滅ぼし』なんじゃないかって疑ってしまう。……そんな風に貴方を疑い続ける自分が、私は死ぬほど嫌いなの。貴方が傍にいる限り、私は一生、自分を許せない!」

 私はユリウスを突き飛ばすようにして、雨の降る中庭へと飛び出した。
 冷たい雨が、一瞬で制服を濡らし、髪を頬に張り付かせる。

「キャシー! 待て、濡れる!」

 ユリウスが傘も差さずに追いかけてくる。彼は雨の中で私の腕を掴み、必死に引き止めた。

「離して! もう、私に構わないで! 貴方のせいで私の時計は止まったままなの! 貴方がいなくなれば、私はようやく、お母様とは違う人生を歩めるかもしれないのに!」

「……俺がいなければ、君は救われるのか?」

 ユリウスの声が、雨音にかき消されそうなほど小さく、掠れていた。
 掴まれていた腕の力が、ふっと弱まる。

「そうよ。貴方がいない世界で、私は一人で立ち上がりたい。……お願い、ユリウス。もう二度と、私の前に現れないで。馬車の迎えも、幼馴染としての付き合いも、全部おしまい。……貴方を、解放してあげるから」

 それは、究極の拒絶だった。
 「幼馴染」という最後の逃げ道さえも、私は自ら断ち切ったのだ。

 ユリウスは雨に打たれながら、ただ呆然と私を見つめていた。
 彼の金茶色の髪が水を含んで重く垂れ下がり、瞳からは、雨なのか涙なのか判別のつかない雫が絶え間なくこぼれ落ちている。

「……わかった」

 長い沈黙の後、彼は一言だけ、そう絞り出した。

「君がそう望むなら……俺は、消えるよ。君を苦しめるのが俺だと言うなら、俺にはもう、君の傍にいる資格なんてない」

 ユリウスは力なく手を離すと、一歩、また一歩と雨の中へ後退していった。
 その背中は、かつて見たどの景色よりも孤独で、そして打ちひしがれていた。

 私は、逃げるようにその場を離れた。
 雨に濡れた身体が、芯から冷えていく。
 
 これでいい。これで、ようやく私は自由になれる。
 ユリウスを許さない自分に、決着をつけたのだから。
 
 けれど、走り続ける私の胸の中には、自由などという爽快感は微塵もなかった。
 ただ、心臓のあった場所がぽっかりと空洞になり、そこを冷たい雨水がひたひたと満たしていくような、死よりも深い静寂が広がっていた。
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