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秘密の檻、沈黙の対価
馬車の車輪が、凍てついた石畳を叩く規則正しい音だけが、深夜の王都に響いていた。
車窓から流れる景色は、華やかな中央通りを抜け、次第に街灯の乏しい、重苦しい空気が漂う貴族街の裏路地へと入り込んでいく。
私、フローディア・ヴァルトは、暗い車内で一人、膝の上に置いた手を強く握りしめていた。
王宮の夜会でアルベルト様が私に向けた、あの燃えるような嫌悪の瞳が脳裏に焼き付いて離れない。彼が腕に抱いていたカテリーナ・メイア男爵令嬢。彼女の、勝ち誇ったような、けれどどこか冷徹な計算の透けて見える瞳。
「フローディア様、こちらへ」
馬車が止まったのは、ノイシュタット公爵邸の裏門だった。正門から堂々と入る権利は、もう私にはないのだと突きつけられた心地がした。
執事長に導かれ、向かった先は応接室ではなく、地下へと続く隠し階段の先にある「書斎」だった。そこには、アルベルト様の父であり、この国の闇を統べる王弟、ノイシュタット公爵が座っていた。
「……婚約解消は、成されたようだな。フローディア」
公爵の声には、息子のような感情的な響きは一切なかった。まるで、故障した道具の報告を受けるかのような、淡々とした響き。
「はい。アルベルト様はカテリーナ様を『真実の愛』だと宣言されました。私は……その役割を終えました」
「そうか。お前には五歳の時から、この家の『影』となるべく、あらゆる教育を施してきた。王室の暗部、隣国との密約、そして我が家が葬ってきた者たちの名簿……。お前の頭の中には、この国を三度は転覆させられるだけの火種が詰まっている」
公爵は立ち上がり、私の目の前に立った。その影が、私を完全に飲み込む。
「アルベルトは、カテリーナが帝国の間諜であることに気づいていない。奴は純粋すぎる。ゆえに、光の中にいられるのだ。だが……お前は違う。お前は、我らの世界の汚れをすべて知りすぎた」
「……」
「お前を放逐すれば、その知識は他国にとっての至宝となる。ヴァルト侯爵家も、お前の身柄を公爵家に差し出すことで、自らの潔白を証明した。つまり――お前に帰る場所はない」
喉の奥が熱くなった。実家であるヴァルト侯爵家。彼らは、私という娘を、公爵家への忠誠の証として「献上」したのだ。私がどれほど家族を思い、泥を被り続けてきたとしても、彼らにとって私は、家を繁栄させるための駒に過ぎなかった。
「アルベルト様を……お守りください。カテリーナ様は、近いうちに彼を毒殺するか、あるいは弱みを握って傀儡にするつもりです。私が残した資料に、彼女の通信経路をまとめてあります」
私の言葉に、公爵は薄く笑った。
「用済みの女が、まだ男を案じているのか。滑稽だな。お前の献身は、誰にも知られることはない。アルベルトは、お前を『カテリーナを虐げ、権力にしがみついた醜悪な女』として記憶し続けるだろう」
それが、私が受けるべき報酬。
愛した人のために手を汚し、その愛した人に憎まれながら、暗闇に消えていく。
「フローディア。お前に残された道は二つ。この場で自ら命を絶ち、秘密を墓場まで持っていくか。あるいは、北の『監獄塔』へ入り、生涯、光を見ることなく沈黙を貫くか」
公爵の手には、小さな小瓶が握られていた。即死性の毒。かつて、私が誰かを始末するために学んだ、見慣れた毒だ。
私は、その小瓶を見つめた。
今ここで死んでしまえば、この胸を切り刻む痛みからも解放されるだろうか。アルベルト様が他の女性を抱く姿を想像して、夜も眠れぬほどの絶望から、救われるのだろうか。
けれど、私の指先は、毒の瓶ではなく、北への幽閉を拒まなかった。
「……生きて、見届けたいのです」
「何をだ?」
「アルベルト様が……彼が選んだ『真実の愛』が、どのような結末を彼にもたらすのかを。私が守りたかった、あの光が、いつまで輝き続けるのかを」
それは、執着だったかもしれない。あるいは、私を捨てた彼への、ささやかな呪いだったのかもしれない。
「いいだろう。お前のその『切ない執念』、どこまで続くか試させてもらおう。連れて行け」
公爵の合図とともに、部屋に入ってきた私兵たちが私の腕を掴んだ。
引き立てられるように部屋を出る際、私は壁に飾られた公爵家の紋章を見つめた。そこには、盾を支える獅子の姿がある。
私はその盾の影で、ずっと彼を守っていたかった。
ただ隣で、彼が見る景色を、私も見たかった。
――さようなら、アルベルト様。私の愛した人。
心の中で告げた別れは、冷たい地下廊下の壁に跳ね返り、私だけを打ち据える。
翌朝、王都の新聞には「不貞を働いたヴァルト侯爵令嬢、罪を悔いて北の修道院へ」という偽りの記事が躍ることだろう。
私が彼のために流した血も、涙も、すべては歴史の闇へと葬られる。
それが、秘密を知りすぎた婚約者の、抗えぬ運命。
馬車は再び走り出す。今度の行き先は、二度と戻ることのできない、氷に閉ざされた北の果て。
私は華やかな王宮から、音の無い監獄へと、その舞台を移していった。
___________
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車窓から流れる景色は、華やかな中央通りを抜け、次第に街灯の乏しい、重苦しい空気が漂う貴族街の裏路地へと入り込んでいく。
私、フローディア・ヴァルトは、暗い車内で一人、膝の上に置いた手を強く握りしめていた。
王宮の夜会でアルベルト様が私に向けた、あの燃えるような嫌悪の瞳が脳裏に焼き付いて離れない。彼が腕に抱いていたカテリーナ・メイア男爵令嬢。彼女の、勝ち誇ったような、けれどどこか冷徹な計算の透けて見える瞳。
「フローディア様、こちらへ」
馬車が止まったのは、ノイシュタット公爵邸の裏門だった。正門から堂々と入る権利は、もう私にはないのだと突きつけられた心地がした。
執事長に導かれ、向かった先は応接室ではなく、地下へと続く隠し階段の先にある「書斎」だった。そこには、アルベルト様の父であり、この国の闇を統べる王弟、ノイシュタット公爵が座っていた。
「……婚約解消は、成されたようだな。フローディア」
公爵の声には、息子のような感情的な響きは一切なかった。まるで、故障した道具の報告を受けるかのような、淡々とした響き。
「はい。アルベルト様はカテリーナ様を『真実の愛』だと宣言されました。私は……その役割を終えました」
「そうか。お前には五歳の時から、この家の『影』となるべく、あらゆる教育を施してきた。王室の暗部、隣国との密約、そして我が家が葬ってきた者たちの名簿……。お前の頭の中には、この国を三度は転覆させられるだけの火種が詰まっている」
公爵は立ち上がり、私の目の前に立った。その影が、私を完全に飲み込む。
「アルベルトは、カテリーナが帝国の間諜であることに気づいていない。奴は純粋すぎる。ゆえに、光の中にいられるのだ。だが……お前は違う。お前は、我らの世界の汚れをすべて知りすぎた」
「……」
「お前を放逐すれば、その知識は他国にとっての至宝となる。ヴァルト侯爵家も、お前の身柄を公爵家に差し出すことで、自らの潔白を証明した。つまり――お前に帰る場所はない」
喉の奥が熱くなった。実家であるヴァルト侯爵家。彼らは、私という娘を、公爵家への忠誠の証として「献上」したのだ。私がどれほど家族を思い、泥を被り続けてきたとしても、彼らにとって私は、家を繁栄させるための駒に過ぎなかった。
「アルベルト様を……お守りください。カテリーナ様は、近いうちに彼を毒殺するか、あるいは弱みを握って傀儡にするつもりです。私が残した資料に、彼女の通信経路をまとめてあります」
私の言葉に、公爵は薄く笑った。
「用済みの女が、まだ男を案じているのか。滑稽だな。お前の献身は、誰にも知られることはない。アルベルトは、お前を『カテリーナを虐げ、権力にしがみついた醜悪な女』として記憶し続けるだろう」
それが、私が受けるべき報酬。
愛した人のために手を汚し、その愛した人に憎まれながら、暗闇に消えていく。
「フローディア。お前に残された道は二つ。この場で自ら命を絶ち、秘密を墓場まで持っていくか。あるいは、北の『監獄塔』へ入り、生涯、光を見ることなく沈黙を貫くか」
公爵の手には、小さな小瓶が握られていた。即死性の毒。かつて、私が誰かを始末するために学んだ、見慣れた毒だ。
私は、その小瓶を見つめた。
今ここで死んでしまえば、この胸を切り刻む痛みからも解放されるだろうか。アルベルト様が他の女性を抱く姿を想像して、夜も眠れぬほどの絶望から、救われるのだろうか。
けれど、私の指先は、毒の瓶ではなく、北への幽閉を拒まなかった。
「……生きて、見届けたいのです」
「何をだ?」
「アルベルト様が……彼が選んだ『真実の愛』が、どのような結末を彼にもたらすのかを。私が守りたかった、あの光が、いつまで輝き続けるのかを」
それは、執着だったかもしれない。あるいは、私を捨てた彼への、ささやかな呪いだったのかもしれない。
「いいだろう。お前のその『切ない執念』、どこまで続くか試させてもらおう。連れて行け」
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引き立てられるように部屋を出る際、私は壁に飾られた公爵家の紋章を見つめた。そこには、盾を支える獅子の姿がある。
私はその盾の影で、ずっと彼を守っていたかった。
ただ隣で、彼が見る景色を、私も見たかった。
――さようなら、アルベルト様。私の愛した人。
心の中で告げた別れは、冷たい地下廊下の壁に跳ね返り、私だけを打ち据える。
翌朝、王都の新聞には「不貞を働いたヴァルト侯爵令嬢、罪を悔いて北の修道院へ」という偽りの記事が躍ることだろう。
私が彼のために流した血も、涙も、すべては歴史の闇へと葬られる。
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