この肌に傷をつけた罪、許しません 〜見捨てられた公爵令嬢は、美貌という最強の武器で愛と地位を取り戻す〜

恋せよ恋

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意識の混濁と悪役令嬢の覚醒

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 暗闇の中で、私の意識は浮上と沈降を繰り返していた。

 最後に覚えていたのは、待ちに待ったドームライブの熱気。開演直後の高揚感。そして、逃げ場のない人混みが雪崩のように崩れ落ちてきた、あの嫌な感覚と重圧感。

「えっ!?なに? 夢?」

 意識がはっきりしてくると、視界の先に地面に伏して泣いている『ドレス姿のお姫様』がいた。
 金色の髪が床に広がり、震える肩からは絶望が滲み出ている。

「あー、これは夢だわ。最近、仕事の休憩中にラノベばっかり読んでるからなあ」

 私は、通常運転でドライアイの目元を揉みながら、天を仰いだ。二十九歳、アラサーおひとり様、バリキャリの理系独身女。化粧品メーカーの研究室勤務。新商品の美容液の成分配合に悩みすぎて、脳が現実逃避を求めているのかもしれない。

 しかし、どれだけ目を擦っても夢は覚めない。私はおずおずと「泣き声をあげるお姫様」に向かい歩き出し、声をかけた。

「えっと……どうされました? 大丈夫ですか?」

 私の声に驚いたのか、お姫様が顔をあげた。

 心臓が跳ねた。サラサラの金髪に、キラッキラの緑の目。そして何より、真珠のようにつるっとした白磁の肌には、シミも、シワも見当たらない。

 二十代後半、日々毛穴と乾燥に抗っている私からすれば、それは暴力的なまでの美しさだった。十代後半だろうか……。おそらく素顔だが、職業柄『基礎化粧品とヘアケア製品は何をお使いですか?』と成分分析表を要求したくなるレベルの自然な美しさだ。

 見惚れていると、不意に空間が歪んだ。

 神々しい女性がまばゆい光と共に浮かび上がって現れたのだ。

「迷える魂よ。我は、女神エリシエラ。迷える心が我を呼んだ。そなたの苦しみを解き放ってやろう」

「えっ! 『お姫様』の次は『女神様』? 嘘でしょ……。これじゃ、もう、本当にラノベの異世界転生じゃない!? どういうことよ!」

「そこで騒ぐ魂よ。その方の逞しくも強い意志で、そこの悩める乙女を救ってやってくれぬか」

 女神と名乗る超常存在は、神々しくも美しい声で私に告げた。

 私がライブ会場の事故で命を落としたこと。
 目の前のお姫様――公爵令嬢 ルクレツィア・エルヴァインが、あまりの人生の苦しさに「終わり」を願ったこと。

 そして、私の魂を彼女の器に移し、入れ替わる形で転生させたいということを。

「ちょっと待ってください! 17歳の公爵令嬢に転生って……そんな、いきなり……」

「ただで、とは言わん。その方の今ある知識――『美』を司る技術と記憶はそのまま残す。ルクレツィアとしての記憶も引き継がせよう。この若さと、美貌じゃ、悪い話ではあるまい?」

「……なんか、それって、遠回しに私の元の容姿と年齢をディスってませんか?」

「……人とは、むずかしいのお」
 女神がボソッと呟いた。シュールすぎる。

 しかし、当のルクレツィアは、全てを諦めたような儚げな笑みを浮かべていた。

「ねえ、お姫様は、本当に良いんですか? ご家族や、お友達は……」

「わたくしには、気にかけてくれる家族も友人もおりません。……もう、解放されたいのです」

 その痛々しい言葉が、私の「研究職としての根性」に火をつけた。
 これほどの美素材を持ちながら、絶望して死を願うなんて。――よし、わかった。あんたの未練も絶望も、私が全部まとめて、現代日本の知恵とコスメの力で叩き直してやるわ。

「さあ、では決まりで良いな。迷える魂よ、導かれる先へと向かいなさい!」

 女神の声に導かれ、私の視界は眩しい光の渦に吸い込まれていった。



――ガシャンッ!

 視界が眩しい光の渦に吸い込まれた直後、激しい衝撃が私を襲った。

「っ……!」

 体が宙を浮き、冷たい石床へと叩きつけられる。足首に走る鋭い激痛。どうやら、勢いよく突き飛ばされた拍子に捻ってしまったらしい。

 さらに、右の頬に熱い感覚が走る。

 私を突き飛ばした男の、手入れの行き届いていない鋭い爪が、私の頬を深く掠めていた。

「自業自得だ。アリスに詰め寄るなど、騎士道精神に反する卑劣な行為だぞ!」

 怒鳴り声を上げたのは、騎士団長の息子であるカイル・ベルナール伯爵令息だった。鍛え上げられた体躯を誇示するように私の前に立ち、その目は心酔する男爵令嬢アリスを守る騎士の気取りで満ちている。

( 女神エリシエラ! もう少し転生場面にも配慮できたでしょうよ! 展開が急すぎでしょ!)

――どこかで、神々しいささやきが聞こえた気がした。『ごめんなさい!』と。

( まあ、傷ついた本物のルクレツィアじゃなくて、良かったのかしらね……可哀想だもの )

「……あ、足が……」

 痛みに顔を顰めると、指先に赤い液体がついた。血だ。

 ルクレツィアの、あの白磁のように完璧だった肌に、消えないかもしれない傷がついた。

「見苦しいよ、ルクレツィア。これ以上、僕を失望させないでくれ」

 頭上から降ってきたのは、冷氷のような声。

 顔を上げると、そこには第一王子、エドワード・ヴィンセントが立っていた。

 彼は根っからの悪人ではない。ただ、あまりに純粋で、そして今、目の前で「可哀想な被害者」を演じている男爵令嬢アリスの涙に、完全に毒されているだけだった。

 彼の周りには、カイル以外にも三人の男たちが侍っている。

「姉上、あまりに無様ですよ。エルヴァイン公爵家の名を汚すのはやめていただきたい」

 冷たく吐き捨てたのは、私の義理の弟であるユーリ・エルヴァイン。公爵家の嫡男でありながら、姉である私よりも、可憐で守りがいのあるアリスを「淑女の鏡」と公言している愚弟だ。

「証拠は揃っています。貴女がアリス嬢の教科書を破り、毒を盛ろうとした罪……言い逃れはできませんよ」

 眼鏡の奥の目を光らせ、冷徹に告げるのは宰相子息、ギルバート・ヘイゼル侯爵令息。その明晰な頭脳は今、アリスというフィルターを通して歪んだ真実に支配されている。

「商会のネットワークを舐めないでくれ。君の嫌がらせのせいで、彼女がどれほど怯えていたか。もう君に売るドレスなんて、この国には一着も残さないよ」

 嘲笑いながら腕を組んでいるのは、国内最大の商会を牛耳る平民出身の富豪、オーウェン・リード。

 王子、騎士、弟、知略家、大富豪。

 かつてはルクレツィアを支えるはずだった四人の側近と婚約者は、今や一人の男爵令嬢にゾッコンとなり、揃って私を見下している。

「……っ」

 脳内に、ルクレツィアとしての記憶が濁流のように流れ込んでくる。

 冤罪。裏切り。孤立無援。

 絶望に呑まれそうになる心――けれど、それ以上に「中田ひより」としての常識と分別が、私の理性を急速に冷やしていく。

(……待て。今、この男たちは何をした?)

 ルクレツィアの足首を捻らせ、あまつさえ、この至宝のような「素肌」に傷をつけた。
 化粧品研究室の人間にとって、肌を傷つける行為は、神聖な聖域を荒らされるに等しい大罪だ。

 私はゆっくりと、震える手で床を押し、立ち上がった。

 ドレスは乱れ、足首はズキズキと脈打っている。けれど、私の目は、先ほどまで絶望に暮れていたルクレツィアのそれではない。

「……失望、ですか」

 ルクレツィアの鈴の鳴るような美声が、静まり返ったホールに響く。

「エドワード殿下。そして皆様。……今の私の『状態』を、よくご覧になって」

 私は、カイルに傷つけられ血が滴る頬を、隠すことなく晒した。
 
「殿下は誤解なさっているようですが、私は一点の曇りもなく無実です。けれど、今の言葉で確信しましたわ。……貴方様には、真実を見抜く『鑑定眼』も、宝石を守る『資格』もございません」

「何だと……?」

「ユーリ、貴方もよ。……姉の肌に傷がつくのを黙って見ていた貴方が、次に守るべき公爵家の領民の顔を、どうやって直視するおつもりかしら?」

 弟の顔が、怒りと戸惑いで引き攣る。

「カイル様。貴方の爪は凶器ですわ。騎士ならば、戦う相手以外を傷つけぬよう、末端のケアまで行き届かせるのが常識ではなくて? 貴方のその手は、守るべき女性を傷つけるためのものなのですか?」

「き、貴様っ……!」

 カイルが詰め寄ろうとするが、私は一歩も引かなかった。

 私は、二十八歳の社会人だ。色ボケした十代の子供たちに怯える道理はない。

「オーウェンさん、ドレスなら結構ですわ。私にふさわしい装いは、自分で作れます。ギルバート様も、その歪んだ証拠書類を抱いて、せいぜい偽りの正義に酔い痴れていればよろしいわ」

 私は、口元に溜まった血を指先で拭い、それを王子たちの足元へ払った。

「婚約破棄、謹んでお受けいたします。……その代わり、後で泣きついてきても、私の『特別』は一滴も分けて差し上げませんから。――皆様、ご機嫌よう」

 私は、足の痛みを気力で抑え、背筋を伸ばして歩き出した。

 背後でアリスが「エドワード様ぁ……」と甘えた声を出すのが聞こえるが、もうどうでもいい。

(まずは、止血。それから、この傷跡を残さないための高濃度セラミドとビタミンCの確保……! この世界の薬草と私の知識があれば、自作できるはず)

 研究者としての魂が、怒りとともに燃え上がる。
 
 私を「醜い」と罵ったあの子たちに、いつか教えてあげましょう。

 本当の「美しさ」とは、単なる顔立ちではなく、その肌の一層一層にまで宿る執念なのだということを。

 ――こうして、元・研究職による、異世界「美容」革命の幕が上がった。
______________
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