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「君は特別だ」は嘘の告白でした〜二十歳のバレンタインに離縁します〜
氷のバレンタイン
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二月十四日。街中が浮き足立つバレンタインデーの朝、侯爵家の寝室は、しんとした静寂に包まれていた。
窓の外では、夜明け前の淡い青色をした雪がしんしんと降り積もっている。
エレナ・ヴィリアーズは、身を切るような寒さの中、鏡の前で、過去に別れを告げるように身なりを整えた。地味だが質の良い旅装に身を包み、その指からは、結婚以来一度も外したことのなかった侯爵家の紋章入りの指輪を外した。
カチリ、と小さな音がして、指輪が冷たい机の上に置かれる。その隣には、あらかじめ用意しておいた書類――「離縁状」を添えて。
「……これで、ようやく終わるのね」
エレナの唇から漏れた溜息は、白く濁ってすぐに消えた。
彼女の視線の先、豪華な天蓋付きのベッドでは、夫であるアルベルトが安らかな寝息を立てている。昨日、遠征から帰宅したばかりの彼は酒の匂いを漂わせ、ひどく疲れていたのだろう。エレナが隣を抜け出したことにも、まるで気づいていない。
昨夜、彼はエレナを抱き寄せ、「ただいま、エレナ。やはり家は落ち着くよ」と、甘い声で囁いた。その首筋に、見知らぬ女の香水の残り香を漂わせながら。
アルベルト・ローゼイ侯爵嫡男。
次期騎士団長と目される英雄で、学園時代からその容姿と家柄で、常に注目の的だった男。
そして――エレナを「嘘」で手に入れ、結婚後もなお、遊びの恋を止めなかった男。
エレナはそっと、寝台に近づき、夫の寝顔を見つめた。
金色の髪が枕に散り、彫刻のように整った顔立ちが、無防備な表情を見せている。
初めて出会ったのは、学園の入学式だった。
そして一年の冬、冬休みを前にしたある日、彼から「好きだ、付き合ってほしい」と告げられたとき――地味で目立たない自分を選んでくれたという奇跡に、エレナの胸がどれほど高鳴ったことだろう。
『君は特別なんだ。自由なのは今だけだよ。安心して』
そう言われて、彼が他の女と歩いているのを見ても、自分を納得させてきた。
婚約指輪を贈られたバレンタインの日。彼は「たまたまだよ」と笑ったけれど、エレナは運命を感じて涙を流した。
けれど、すべては彼女の独りよがりな幻想だったのだ。
結婚して半年で、彼が遠征先でも変わらず女遊びをしていることを知った。さらに、エレナが唯一「親友」だと思っていた伯爵令嬢とも関係を持っていたことを。
その時、エレナの中で何かが音を立てて崩れ落ちた。親友から嘲笑混じりに聞かされた真実。
最初の告白は、悪友たちとの「賭け」だったこと。
「名前も知らない地味な女を、どこまで本気にさせられるか」という、最低な遊戯だったこと。
それからの二年間、エレナは自分に死を宣告するように、淡々と「完璧な妻」を演じ続けてきた。
侯爵夫人としての公務を完璧にこなし、領地経営の帳簿を整理し、義母からも信頼を勝ち得た。すべては、この日、彼に何の未練もなく、何の落ち度もなく、この家を去るためだけに。
「二十歳になりました。約束通り、自由を差し上げますわ、アルベルト様」
エレナは夫に最後の一瞥をくれると、音を立てずに部屋を出た。
廊下では、すでに事情を察している侯爵夫人が待っていた。夫人は悲しげに、しかし力強くエレナの手を握った。
「準備はできているわ。あの子には、たっぷりとお灸をすえてやりましょう。……ごめんなさいね、エレナ。あなたの優しさに甘えすぎた私たちが悪いのよ」
「いいえ、お義母様。守ってくださって、ありがとうございます」
エレナは深々と頭を下げ、侯爵家が用意した目立たない馬車に乗り込んだ。
御者が鞭を打つ。車輪が雪を噛む音が響く。
二年前、彼への愛に絶望したあの日、エレナは誓ったのだ。自分の価値を認めない場所に、一生を捧げるつもりはない、と。
馬車が門をくぐる直前、エレナは一度だけ振り返った。高くそびえる侯爵邸の、主寝室の窓が見える。
あそこで眠る男は、数時間後に目覚め、机の上の紙切れを見るだろう。その時、彼はどんな顔をするのだろうか。
怒るだろうか。それとも、ようやく「うるさい重荷」が消えたと、清々するのだろうか。
どちらでもいい、とエレナは目を閉じた。
( さようなら、私の初恋。……あなたの世界から、私は消えます )
二十歳のバレンタイン。それはエレナにとって、長い悪夢から覚め、本当の自分を取り戻すための、冷たくも晴れやかな門出の日だった。
______________
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窓の外では、夜明け前の淡い青色をした雪がしんしんと降り積もっている。
エレナ・ヴィリアーズは、身を切るような寒さの中、鏡の前で、過去に別れを告げるように身なりを整えた。地味だが質の良い旅装に身を包み、その指からは、結婚以来一度も外したことのなかった侯爵家の紋章入りの指輪を外した。
カチリ、と小さな音がして、指輪が冷たい机の上に置かれる。その隣には、あらかじめ用意しておいた書類――「離縁状」を添えて。
「……これで、ようやく終わるのね」
エレナの唇から漏れた溜息は、白く濁ってすぐに消えた。
彼女の視線の先、豪華な天蓋付きのベッドでは、夫であるアルベルトが安らかな寝息を立てている。昨日、遠征から帰宅したばかりの彼は酒の匂いを漂わせ、ひどく疲れていたのだろう。エレナが隣を抜け出したことにも、まるで気づいていない。
昨夜、彼はエレナを抱き寄せ、「ただいま、エレナ。やはり家は落ち着くよ」と、甘い声で囁いた。その首筋に、見知らぬ女の香水の残り香を漂わせながら。
アルベルト・ローゼイ侯爵嫡男。
次期騎士団長と目される英雄で、学園時代からその容姿と家柄で、常に注目の的だった男。
そして――エレナを「嘘」で手に入れ、結婚後もなお、遊びの恋を止めなかった男。
エレナはそっと、寝台に近づき、夫の寝顔を見つめた。
金色の髪が枕に散り、彫刻のように整った顔立ちが、無防備な表情を見せている。
初めて出会ったのは、学園の入学式だった。
そして一年の冬、冬休みを前にしたある日、彼から「好きだ、付き合ってほしい」と告げられたとき――地味で目立たない自分を選んでくれたという奇跡に、エレナの胸がどれほど高鳴ったことだろう。
『君は特別なんだ。自由なのは今だけだよ。安心して』
そう言われて、彼が他の女と歩いているのを見ても、自分を納得させてきた。
婚約指輪を贈られたバレンタインの日。彼は「たまたまだよ」と笑ったけれど、エレナは運命を感じて涙を流した。
けれど、すべては彼女の独りよがりな幻想だったのだ。
結婚して半年で、彼が遠征先でも変わらず女遊びをしていることを知った。さらに、エレナが唯一「親友」だと思っていた伯爵令嬢とも関係を持っていたことを。
その時、エレナの中で何かが音を立てて崩れ落ちた。親友から嘲笑混じりに聞かされた真実。
最初の告白は、悪友たちとの「賭け」だったこと。
「名前も知らない地味な女を、どこまで本気にさせられるか」という、最低な遊戯だったこと。
それからの二年間、エレナは自分に死を宣告するように、淡々と「完璧な妻」を演じ続けてきた。
侯爵夫人としての公務を完璧にこなし、領地経営の帳簿を整理し、義母からも信頼を勝ち得た。すべては、この日、彼に何の未練もなく、何の落ち度もなく、この家を去るためだけに。
「二十歳になりました。約束通り、自由を差し上げますわ、アルベルト様」
エレナは夫に最後の一瞥をくれると、音を立てずに部屋を出た。
廊下では、すでに事情を察している侯爵夫人が待っていた。夫人は悲しげに、しかし力強くエレナの手を握った。
「準備はできているわ。あの子には、たっぷりとお灸をすえてやりましょう。……ごめんなさいね、エレナ。あなたの優しさに甘えすぎた私たちが悪いのよ」
「いいえ、お義母様。守ってくださって、ありがとうございます」
エレナは深々と頭を下げ、侯爵家が用意した目立たない馬車に乗り込んだ。
御者が鞭を打つ。車輪が雪を噛む音が響く。
二年前、彼への愛に絶望したあの日、エレナは誓ったのだ。自分の価値を認めない場所に、一生を捧げるつもりはない、と。
馬車が門をくぐる直前、エレナは一度だけ振り返った。高くそびえる侯爵邸の、主寝室の窓が見える。
あそこで眠る男は、数時間後に目覚め、机の上の紙切れを見るだろう。その時、彼はどんな顔をするのだろうか。
怒るだろうか。それとも、ようやく「うるさい重荷」が消えたと、清々するのだろうか。
どちらでもいい、とエレナは目を閉じた。
( さようなら、私の初恋。……あなたの世界から、私は消えます )
二十歳のバレンタイン。それはエレナにとって、長い悪夢から覚め、本当の自分を取り戻すための、冷たくも晴れやかな門出の日だった。
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