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「君は特別だ」は嘘の告白でした〜二十歳のバレンタインに離縁します〜
半年目の絶望
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夫が遠征に出てから一ヶ月。エレナは毎日、主寝室の窓から騎士団の帰還を待っていた。
アルベルトがいない間も、彼女は休むことなく侯爵夫人の執務を代行し、使用人たちへの差配を完璧にこなした。義母からは「もう私がいなくても大丈夫ね」と太鼓判を押されるほど、エレナは侯爵家の「次期侯爵夫人」として成長していた。
ようやく帰還の報が届いた日。エレナは心躍らせて夫を出迎えた。
鎧を脱ぎ、久しぶりに我が家の風呂に浸かったアルベルトは、相変わらず優しくエレナを抱き寄せた。
「ただいま、エレナ。君の淹れた茶が恋しかったよ」
その笑顔、その声。エレナは、自分の居場所はここにあるのだと再確認し、幸福に浸っていた。
……翌日、彼が置いていった遠征用の私物鞄を整理するまでは。
「……? これは……」
鞄の底から、見慣れない小箱が転げ落ちた。
開けてみると、そこには高価なエメラルドの耳飾りが収められていた。エレナが好むサファイアではない。それに、添えられた小さなメッセージカードには、アルベルトの流麗な筆跡でこう記されていた。
『昨夜の情熱的な夜のお礼に。君の瞳によく似合う。来月、またあの宿で会おう』
エレナの指先が、氷のように冷たくなった。
昨夜……。昨夜、彼は自分を抱き、「君が一番だ」と囁いたはずだ。
だが、その筆跡は間違いなく夫のもので、日付は遠征期間中の、彼が「激戦の最中だ」と手紙に書いていた夜のものだった。
(……ああ。…… また、なのですか?)
一度溢れ出した疑念は、止まることを知らなかった。
エレナは震える手で、彼の他の私物を調べた。すると、次から次へと証拠が出てくる。
派遣先の街の高級宿の領収書、誰かの髪の毛、そして女性の香りが染み付いた替えのシャツ。
彼は、何も変わっていなかったのだ。
学園時代、あんなに泣いて「遊びはやめてほしい」と乞い、彼も「わかった」と約束した。
結婚式の神聖な誓いも、初夜の甘い言葉も、彼にとってはただの「その場を凌ぐための演出」に過ぎなかったのだ。
エレナは床に膝をつき、ただ虚空を見つめていた。怒りよりも先に、深い、深い徒労感が彼女を呑み込んだ。
( 私は、この半年間、何を信じてきたのかしら…… )
彼を信じて、侯爵家のために身を粉にして働き、彼が外で汚してきた名誉を必死に磨き直してきた。
けれど、彼はその裏で、エレナの努力を嘲笑うかのように、別の女の瞳の色に合わせて宝石を選んでいたのだ。
その時、寝室の扉が開いた。
「エレナ、昼食の準備は――」
入ってきたアルベルトは、床に散らばった証拠と、床に膝をつく妻を見て、一瞬だけ目を見開いた。
だが、彼は慌てなかった。
むしろ、困った子供を見るような、どこか呆れたような顔で溜息をついた。
「……見つかってしまったか。エレナ、それは違うんだ。ただの、行きずりの遊びだよ。男には、戦いの後にそういう発散が必要な時もある。君を愛していることに変わりはないんだから、そう目くじらを立てないでくれ」
その言葉を聞いた瞬間、エレナの中で「何か」が死んだ。
パチン、と、張り詰めていた糸が切れる音が聞こえた気がした。
「……発散、ですか」
「そうだよ。君は真面目すぎて、少し堅苦しいところがあるだろう? 僕は君を尊重しているし、侯爵夫人の座を脅かすつもりなんて毛頭ない。だから、これはこれとして、穏便に済ませてくれないか」
アルベルトは歩み寄り、エレナの肩に手を置こうとした。
エレナはその手を、これまでにない冷たさで払いのけた。
「触らないでください!」
「エレナ?」
「……よく、わかりましたわ、アルベルト様。貴方という方が、どういう人間か。ようやく、心底理解いたしました」
エレナの瞳から、光が消えていた。
いつもならここで涙を流し、「どうして」と問い詰めていただろう。だが、今の彼女は、恐ろしいほどに静かだった。
「なんだい、その目は。……まあいい、少し頭を冷やしなさい。僕は午後から騎士団へ行く」
アルベルトは、いつものように彼女が折れるだろうと思い込み、足早に部屋を出て行った。
一人残された部屋で、エレナは床に落ちたエメラルドの入った小箱を見つめた。
半年間の幸せは、すべて偽物だったのだ。
けれど、この絶望が、彼女に「強さ」を与えた。
(ああ、この人は、死ぬまで変わらないのだわ。……ならば、私が変わらなくては)
エレナはゆっくりと立ち上がり、机に向かった。
泣くのはもう、終わりだ。これからは、彼を愛するためではなく、彼を捨てるために。
「二年。……あと二年の我慢ですわ」
彼女が目標に定めたのは、二十歳のバレンタインデー。かつて告白を受け、かつて婚約を申し込まれた、忌々しいあの日。そこを、すべての終わりの日にすると決めた。
エレナ・ローゼイは、この日、夫を心から見限った。
愛が消えた後の心には、氷のような冷徹な決意だけが、静かに、けれど強く宿っていた。
______________
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アルベルトがいない間も、彼女は休むことなく侯爵夫人の執務を代行し、使用人たちへの差配を完璧にこなした。義母からは「もう私がいなくても大丈夫ね」と太鼓判を押されるほど、エレナは侯爵家の「次期侯爵夫人」として成長していた。
ようやく帰還の報が届いた日。エレナは心躍らせて夫を出迎えた。
鎧を脱ぎ、久しぶりに我が家の風呂に浸かったアルベルトは、相変わらず優しくエレナを抱き寄せた。
「ただいま、エレナ。君の淹れた茶が恋しかったよ」
その笑顔、その声。エレナは、自分の居場所はここにあるのだと再確認し、幸福に浸っていた。
……翌日、彼が置いていった遠征用の私物鞄を整理するまでは。
「……? これは……」
鞄の底から、見慣れない小箱が転げ落ちた。
開けてみると、そこには高価なエメラルドの耳飾りが収められていた。エレナが好むサファイアではない。それに、添えられた小さなメッセージカードには、アルベルトの流麗な筆跡でこう記されていた。
『昨夜の情熱的な夜のお礼に。君の瞳によく似合う。来月、またあの宿で会おう』
エレナの指先が、氷のように冷たくなった。
昨夜……。昨夜、彼は自分を抱き、「君が一番だ」と囁いたはずだ。
だが、その筆跡は間違いなく夫のもので、日付は遠征期間中の、彼が「激戦の最中だ」と手紙に書いていた夜のものだった。
(……ああ。…… また、なのですか?)
一度溢れ出した疑念は、止まることを知らなかった。
エレナは震える手で、彼の他の私物を調べた。すると、次から次へと証拠が出てくる。
派遣先の街の高級宿の領収書、誰かの髪の毛、そして女性の香りが染み付いた替えのシャツ。
彼は、何も変わっていなかったのだ。
学園時代、あんなに泣いて「遊びはやめてほしい」と乞い、彼も「わかった」と約束した。
結婚式の神聖な誓いも、初夜の甘い言葉も、彼にとってはただの「その場を凌ぐための演出」に過ぎなかったのだ。
エレナは床に膝をつき、ただ虚空を見つめていた。怒りよりも先に、深い、深い徒労感が彼女を呑み込んだ。
( 私は、この半年間、何を信じてきたのかしら…… )
彼を信じて、侯爵家のために身を粉にして働き、彼が外で汚してきた名誉を必死に磨き直してきた。
けれど、彼はその裏で、エレナの努力を嘲笑うかのように、別の女の瞳の色に合わせて宝石を選んでいたのだ。
その時、寝室の扉が開いた。
「エレナ、昼食の準備は――」
入ってきたアルベルトは、床に散らばった証拠と、床に膝をつく妻を見て、一瞬だけ目を見開いた。
だが、彼は慌てなかった。
むしろ、困った子供を見るような、どこか呆れたような顔で溜息をついた。
「……見つかってしまったか。エレナ、それは違うんだ。ただの、行きずりの遊びだよ。男には、戦いの後にそういう発散が必要な時もある。君を愛していることに変わりはないんだから、そう目くじらを立てないでくれ」
その言葉を聞いた瞬間、エレナの中で「何か」が死んだ。
パチン、と、張り詰めていた糸が切れる音が聞こえた気がした。
「……発散、ですか」
「そうだよ。君は真面目すぎて、少し堅苦しいところがあるだろう? 僕は君を尊重しているし、侯爵夫人の座を脅かすつもりなんて毛頭ない。だから、これはこれとして、穏便に済ませてくれないか」
アルベルトは歩み寄り、エレナの肩に手を置こうとした。
エレナはその手を、これまでにない冷たさで払いのけた。
「触らないでください!」
「エレナ?」
「……よく、わかりましたわ、アルベルト様。貴方という方が、どういう人間か。ようやく、心底理解いたしました」
エレナの瞳から、光が消えていた。
いつもならここで涙を流し、「どうして」と問い詰めていただろう。だが、今の彼女は、恐ろしいほどに静かだった。
「なんだい、その目は。……まあいい、少し頭を冷やしなさい。僕は午後から騎士団へ行く」
アルベルトは、いつものように彼女が折れるだろうと思い込み、足早に部屋を出て行った。
一人残された部屋で、エレナは床に落ちたエメラルドの入った小箱を見つめた。
半年間の幸せは、すべて偽物だったのだ。
けれど、この絶望が、彼女に「強さ」を与えた。
(ああ、この人は、死ぬまで変わらないのだわ。……ならば、私が変わらなくては)
エレナはゆっくりと立ち上がり、机に向かった。
泣くのはもう、終わりだ。これからは、彼を愛するためではなく、彼を捨てるために。
「二年。……あと二年の我慢ですわ」
彼女が目標に定めたのは、二十歳のバレンタインデー。かつて告白を受け、かつて婚約を申し込まれた、忌々しいあの日。そこを、すべての終わりの日にすると決めた。
エレナ・ローゼイは、この日、夫を心から見限った。
愛が消えた後の心には、氷のような冷徹な決意だけが、静かに、けれど強く宿っていた。
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