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「君は特別だ」は嘘の告白でした〜二十歳のバレンタインに離縁します〜
もぬけの殻の寝室
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二月十四日の朝。アルベルト・ローゼイは、窓から差し込む冬の淡い光に目を覚ました。
昨夜は久しぶりにエレナとゆっくり食事を楽しみ、彼女の淹れた香りの良いハーブティーを飲んで、泥のように深く眠った。
「……エレナ?」
寝返りを打ち、隣に手を伸ばす。しかし、そこにあるはずの温もりはなく、糊の効いたシーツの冷たさだけが指先に触れた。
いつものことだ、とアルベルトは小さく欠伸をした。彼女は完璧な侯爵夫人だ。夫が目覚める前に起き出し、家政の差配を始めているのだろう。
だが、何かがおかしかった。
いつもなら枕元に用意されている着替えがない。部屋を漂っているはずの、彼女が好む石鹸の清潔な香りもしない。
アルベルトは上体を起こし、寝室を見渡した。
そして、その目に飛び込んできたのは、重厚なマホガニーの小机の上に置かれた、一通の手紙と一つの「指輪」だった。
「……なんだ? これは……」
嫌な予感が背筋を走る。
裸足のまま床に降り、机に歩み寄る。そこには、侯爵家の家紋が刻まれたあのサファイアの結婚指輪が、無機質な輝きを放って転がっていた。
その隣にある書類の表題を見た瞬間、アルベルトの心臓が凍りついた。
『離縁状』
そこにはエレナの署名と、ヴィリアーズ伯爵家からの受諾印が、完璧な形式で押されていた。
アルベルトは震える手で、添えられた手紙を広げた。
『アルベルト様。
本日をもちまして、私は貴方の妻としての務めをすべて終えさせていただきます。
学園の一年の冬、貴方が賭けで私を選んだあの日から、今日まで。
長きにわたる「お遊戯」に付き合わせてしまい、申し訳ございませんでした。
貴方が自由を愛するように、私も自由を選びます。
二度と、私を探さないでください。
エレナ』
「はっ?!……嘘、だろう?」
アルベルトは手紙を握りつぶした。
…… 賭け? なぜ彼女がそれを知っている?
自由? 彼女は僕に惚れ抜いて、この家を誇りに思っていたはずではないか。
「エレナ! エレナはどこだ!」
狂ったように叫びながら、彼は部屋を飛び出した。
廊下を走る彼を、使用人たちは冷ややかな、あるいは同情的な目で見送る。誰も彼を止めようとはしなかった。
彼はそのまま母、カトリーヌの私室へなだれ込んだ。
「母上! エレナが……エレナがいません! 離縁状なんて悪い冗談まで残して……!」
カトリーヌは優雅に朝の紅茶を楽しんでいた。彼女は動じることなく、息子を氷のような目で見つめた。
「冗談? あんなに真面目な子が、人生をかけた冗談を言うと思うの?」
「な、何を……」
「彼女はもういないわ。あなたが彼女の心を殺し、踏みにじり続けた結果よ、アルベルト。彼女は昨夜、私にすべての引き継ぎを終えて、静かに出て行ったわ」
「そんなはずはない! 彼女は僕を愛していた! 昨日だって、あんなに優しく……」
「それは彼女の『慈悲』よ。今日まで完璧な妻でいてくれたのは、彼女のプライド。……アルベルト、あなたは失ったのよ。この世で唯一、あなたを無条件で愛そうとした素晴らしい女性をね」
アルベルトは膝から崩れ落ちた。部屋を見渡せば、彼女が毎日手入れをしていた花瓶の花が、今日に限って一輪も生けられていないことに気づく。
彼女がいなくなっただけで、この巨大な屋敷が、まるで血の通わない墓場のように冷たく感じられた。
さらに、追い打ちをかけるように執事が現れた。
「アルベルト様、お耳に入れたいことが。本日から予定されていた領地との折衝、および第一騎士団への物資調達の書類ですが……すべてエレナ様が独自の暗号で管理されており、我々では内容の確認が不可能でございます」
「……なんだと?」
「エレナ様がいらっしゃらない今、侯爵家の機能は、今日この瞬間をもって停止いたしました」
アルベルトは絶句した。
愛だけでなく、彼は自分の人生の「基盤」そのものを、彼女に預けきっていたのだ。
自分の傲慢さが、どれほど取り返しのつかない事態を招いたか。
窓の外では、彼女が出て行った後に降った雪が、すべての足跡を消し去っていた。
「エレナ……エレナ……っ!」
二十歳のバレンタイン。かつて彼が「勝利」を確信したその日は、彼自身の傲慢によってすべてを失う、終わりの始まりとなった。
______________
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昨夜は久しぶりにエレナとゆっくり食事を楽しみ、彼女の淹れた香りの良いハーブティーを飲んで、泥のように深く眠った。
「……エレナ?」
寝返りを打ち、隣に手を伸ばす。しかし、そこにあるはずの温もりはなく、糊の効いたシーツの冷たさだけが指先に触れた。
いつものことだ、とアルベルトは小さく欠伸をした。彼女は完璧な侯爵夫人だ。夫が目覚める前に起き出し、家政の差配を始めているのだろう。
だが、何かがおかしかった。
いつもなら枕元に用意されている着替えがない。部屋を漂っているはずの、彼女が好む石鹸の清潔な香りもしない。
アルベルトは上体を起こし、寝室を見渡した。
そして、その目に飛び込んできたのは、重厚なマホガニーの小机の上に置かれた、一通の手紙と一つの「指輪」だった。
「……なんだ? これは……」
嫌な予感が背筋を走る。
裸足のまま床に降り、机に歩み寄る。そこには、侯爵家の家紋が刻まれたあのサファイアの結婚指輪が、無機質な輝きを放って転がっていた。
その隣にある書類の表題を見た瞬間、アルベルトの心臓が凍りついた。
『離縁状』
そこにはエレナの署名と、ヴィリアーズ伯爵家からの受諾印が、完璧な形式で押されていた。
アルベルトは震える手で、添えられた手紙を広げた。
『アルベルト様。
本日をもちまして、私は貴方の妻としての務めをすべて終えさせていただきます。
学園の一年の冬、貴方が賭けで私を選んだあの日から、今日まで。
長きにわたる「お遊戯」に付き合わせてしまい、申し訳ございませんでした。
貴方が自由を愛するように、私も自由を選びます。
二度と、私を探さないでください。
エレナ』
「はっ?!……嘘、だろう?」
アルベルトは手紙を握りつぶした。
…… 賭け? なぜ彼女がそれを知っている?
自由? 彼女は僕に惚れ抜いて、この家を誇りに思っていたはずではないか。
「エレナ! エレナはどこだ!」
狂ったように叫びながら、彼は部屋を飛び出した。
廊下を走る彼を、使用人たちは冷ややかな、あるいは同情的な目で見送る。誰も彼を止めようとはしなかった。
彼はそのまま母、カトリーヌの私室へなだれ込んだ。
「母上! エレナが……エレナがいません! 離縁状なんて悪い冗談まで残して……!」
カトリーヌは優雅に朝の紅茶を楽しんでいた。彼女は動じることなく、息子を氷のような目で見つめた。
「冗談? あんなに真面目な子が、人生をかけた冗談を言うと思うの?」
「な、何を……」
「彼女はもういないわ。あなたが彼女の心を殺し、踏みにじり続けた結果よ、アルベルト。彼女は昨夜、私にすべての引き継ぎを終えて、静かに出て行ったわ」
「そんなはずはない! 彼女は僕を愛していた! 昨日だって、あんなに優しく……」
「それは彼女の『慈悲』よ。今日まで完璧な妻でいてくれたのは、彼女のプライド。……アルベルト、あなたは失ったのよ。この世で唯一、あなたを無条件で愛そうとした素晴らしい女性をね」
アルベルトは膝から崩れ落ちた。部屋を見渡せば、彼女が毎日手入れをしていた花瓶の花が、今日に限って一輪も生けられていないことに気づく。
彼女がいなくなっただけで、この巨大な屋敷が、まるで血の通わない墓場のように冷たく感じられた。
さらに、追い打ちをかけるように執事が現れた。
「アルベルト様、お耳に入れたいことが。本日から予定されていた領地との折衝、および第一騎士団への物資調達の書類ですが……すべてエレナ様が独自の暗号で管理されており、我々では内容の確認が不可能でございます」
「……なんだと?」
「エレナ様がいらっしゃらない今、侯爵家の機能は、今日この瞬間をもって停止いたしました」
アルベルトは絶句した。
愛だけでなく、彼は自分の人生の「基盤」そのものを、彼女に預けきっていたのだ。
自分の傲慢さが、どれほど取り返しのつかない事態を招いたか。
窓の外では、彼女が出て行った後に降った雪が、すべての足跡を消し去っていた。
「エレナ……エレナ……っ!」
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