「君は特別だ」は嘘の告白でした〜二十歳のバレンタインに離縁します〜

恋せよ恋

文字の大きさ
11 / 20
「君は特別だ」は嘘の告白でした〜二十歳のバレンタインに離縁します〜

もぬけの殻の寝室

しおりを挟む
 二月十四日の朝。アルベルト・ローゼイは、窓から差し込む冬の淡い光に目を覚ました。

 昨夜は久しぶりにエレナとゆっくり食事を楽しみ、彼女の淹れた香りの良いハーブティーを飲んで、泥のように深く眠った。

「……エレナ?」
 寝返りを打ち、隣に手を伸ばす。しかし、そこにあるはずの温もりはなく、糊の効いたシーツの冷たさだけが指先に触れた。
 いつものことだ、とアルベルトは小さく欠伸をした。彼女は完璧な侯爵夫人だ。夫が目覚める前に起き出し、家政の差配を始めているのだろう。

 だが、何かがおかしかった。
 いつもなら枕元に用意されている着替えがない。部屋を漂っているはずの、彼女が好む石鹸の清潔な香りもしない。

 アルベルトは上体を起こし、寝室を見渡した。
 そして、その目に飛び込んできたのは、重厚なマホガニーの小机の上に置かれた、一通の手紙と一つの「指輪」だった。

「……なんだ? これは……」
 嫌な予感が背筋を走る。

 裸足のまま床に降り、机に歩み寄る。そこには、侯爵家の家紋が刻まれたあのサファイアの結婚指輪が、無機質な輝きを放って転がっていた。

 その隣にある書類の表題を見た瞬間、アルベルトの心臓が凍りついた。
『離縁状』
 そこにはエレナの署名と、ヴィリアーズ伯爵家からの受諾印が、完璧な形式で押されていた。

 アルベルトは震える手で、添えられた手紙を広げた。

『アルベルト様。

本日をもちまして、私は貴方の妻としての務めをすべて終えさせていただきます。
学園の一年の冬、貴方が賭けで私を選んだあの日から、今日まで。
長きにわたる「お遊戯」に付き合わせてしまい、申し訳ございませんでした。
貴方が自由を愛するように、私も自由を選びます。
二度と、私を探さないでください。

エレナ』

「はっ?!……嘘、だろう?」
 アルベルトは手紙を握りつぶした。

 …… 賭け? なぜ彼女がを知っている?
 自由? 彼女は僕に惚れ抜いて、この家を誇りに思っていたはずではないか。

「エレナ! エレナはどこだ!」
 狂ったように叫びながら、彼は部屋を飛び出した。

 廊下を走る彼を、使用人たちは冷ややかな、あるいは同情的な目で見送る。誰も彼を止めようとはしなかった。

 彼はそのまま母、カトリーヌの私室へなだれ込んだ。
「母上! エレナが……エレナがいません! 離縁状なんて悪い冗談まで残して……!」

 カトリーヌは優雅に朝の紅茶を楽しんでいた。彼女は動じることなく、息子を氷のような目で見つめた。
「冗談? あんなに真面目な子が、人生をかけた冗談を言うと思うの?」

「な、何を……」
「彼女はもういないわ。あなたが彼女の心を殺し、踏みにじり続けた結果よ、アルベルト。彼女は昨夜、私にすべての引き継ぎを終えて、静かに出て行ったわ」

「そんなはずはない! 彼女は僕を愛していた! 昨日だって、あんなに優しく……」
「それは彼女の『慈悲』よ。今日まで完璧な妻でいてくれたのは、彼女のプライド。……アルベルト、あなたは失ったのよ。この世で唯一、あなたを無条件で素晴らしい女性をね」

 アルベルトは膝から崩れ落ちた。部屋を見渡せば、彼女が毎日手入れをしていた花瓶の花が、今日に限って一輪も生けられていないことに気づく。
 彼女がいなくなっただけで、この巨大な屋敷が、まるで血の通わない墓場のように冷たく感じられた。

 さらに、追い打ちをかけるように執事が現れた。
「アルベルト様、お耳に入れたいことが。本日から予定されていた領地との折衝、および第一騎士団への物資調達の書類ですが……すべてエレナ様が独自の暗号で管理されており、我々では内容の確認が不可能でございます」

「……なんだと?」
「エレナ様がいらっしゃらない今、侯爵家の機能は、今日この瞬間をもって停止いたしました」
 アルベルトは絶句した。

 愛だけでなく、彼は自分の人生の「基盤」そのものを、彼女に預けきっていたのだ。
 自分の傲慢さが、どれほど取り返しのつかない事態を招いたか。

 窓の外では、彼女が出て行った後に降った雪が、すべての足跡を消し去っていた。

「エレナ……エレナ……っ!」
 
 二十歳のバレンタイン。かつて彼が「勝利」を確信したその日は、彼自身の傲慢によってすべてを失う、終わりの始まりとなった。
______________

エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇‍♀️
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

始まりはよくある婚約破棄のように

喜楽直人
恋愛
「ミリア・ファネス公爵令嬢! 婚約者として10年も長きに渡り傍にいたが、もう我慢ならない! 父上に何度も相談した。母上からも考え直せと言われた。しかし、僕はもう決めたんだ。ミリア、キミとの婚約は今日で終わりだ!」 学園の卒業パーティで、第二王子がその婚約者の名前を呼んで叫び、周囲は固唾を呑んでその成り行きを見守った。 ポンコツ王子から一方的な溺愛を受ける真面目令嬢が涙目になりながらも立ち向い、けれども少しずつ絆されていくお話。 第一章「婚約者編」 第二章「お見合い編(過去)」 第三章「結婚編」 第四章「出産・育児編」 第五章「ミリアの知らないオレファンの過去編」連載開始

初夜をすっぽかされた令嬢は夫を死亡扱いする

さんけい
恋愛
クズ夫の非常識を帳簿で粛々と清算!真実の愛?笑わせるわね! 全14話。予約投稿済みです。

[完結]「私が婚約者だったはずなのに」愛する人が別の人と婚約するとしたら〜恋する二人を切り裂く政略結婚の行方は〜

h.h
恋愛
王子グレンの婚約者候補であったはずのルーラ。互いに想いあう二人だったが、政略結婚によりグレンは隣国の王女と結婚することになる。そしてルーラもまた別の人と婚約することに……。「将来僕のお嫁さんになって」そんな約束を記憶の奥にしまいこんで、二人は国のために自らの心を犠牲にしようとしていた。ある日、隣国の王女に関する重大な秘密を知ってしまったルーラは、一人真実を解明するために動き出す。「国のためと言いながら、本当はグレン様を取られたくなだけなのかもしれないの」「国のためと言いながら、彼女を俺のものにしたくて抗っているみたいだ」 二人は再び手を取り合うことができるのか……。 全23話で完結(すでに完結済みで投稿しています)

お飾り王妃の愛と献身

石河 翠
恋愛
エスターは、お飾りの王妃だ。初夜どころか結婚式もない、王国存続の生贄のような結婚は、父親である宰相によって調えられた。国王は身分の低い平民に溺れ、公務を放棄している。 けれどエスターは白い結婚を隠しもせずに、王の代わりに執務を続けている。彼女にとって大切なものは国であり、夫の愛情など必要としていなかったのだ。 ところがある日、暗愚だが無害だった国王の独断により、隣国への侵攻が始まる。それをきっかけに国内では革命が起き……。 国のために恋を捨て、人生を捧げてきたヒロインと、王妃を密かに愛し、彼女を手に入れるために国を変えることを決意した一途なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は他サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:24963620)をお借りしております。

最愛の婚約者に婚約破棄されたある侯爵令嬢はその想いを大切にするために自主的に修道院へ入ります。

ひよこ麺
恋愛
ある国で、あるひとりの侯爵令嬢ヨハンナが婚約破棄された。 ヨハンナは他の誰よりも婚約者のパーシヴァルを愛していた。だから彼女はその想いを抱えたまま修道院へ入ってしまうが、元婚約者を誑かした女は悲惨な末路を辿り、元婚約者も…… ※この作品には残酷な表現とホラーっぽい遠回しなヤンデレが多分に含まれます。苦手な方はご注意ください。 また、一応転生者も出ます。

義兄のために私ができること

しゃーりん
恋愛
姉が亡くなった。出産時の失血が原因だった。 しかも、子供は義兄の子ではないと罪の告白をして。 入り婿である義兄はどこまで知っている? 姉の子を跡継ぎにすべきか、自分が跡継ぎになるべきか、義兄を解放すべきか。 伯爵家のために、義兄のために最善の道を考え悩む令嬢のお話です。

「憎悪しか抱けない『お下がり令嬢』は、侍女の真似事でもやっていろ」と私を嫌う夫に言われましたので、素直に従った結果……

ぽんた
恋愛
「おれがおまえの姉ディアーヌといい仲だということは知っているよな?ディアーヌの離縁の決着がついた。だからやっと、彼女を妻に迎えられる。というわけで、おまえはもう用済みだ。そうだな。どうせだから、異母弟のところに行くといい。もともと、あいつはディアーヌと結婚するはずだったんだ。妹のおまえでもかまわないだろう」 この日、リン・オリヴィエは夫であるバロワン王国の第一王子マリユス・ノディエに告げられた。 選択肢のないリンは、「ひきこもり王子」と名高いクロード・ノディエのいる辺境の地へ向かう。 そこで彼女が会ったのは、噂の「ひきこもり王子」とはまったく違う気性が荒く傲慢な将軍だった。 クロードは、幼少の頃から自分や弟を守る為に「ひきこもり王子」を演じていたのである。その彼は、以前リンの姉ディアーヌに手痛い目にあったことがあった。その為、人間不信、とくに女性を敵視している。彼は、ディアーヌの妹であるリンを憎み、侍女扱いする。 しかし、あることがきっかけで二人の距離が急激に狭まる。が、それも束の間、王都が隣国のスパイの工作により、壊滅状態になっているいう報が入る。しかも、そのスパイの正体は、リンの知る人だった。 ※全三十九話。ハッピーエンドっぽく完結します。ゆるゆる設定です。ご容赦ください。

王妃さまは断罪劇に異議を唱える

土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。 そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。 彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。 王族の結婚とは。 王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。 王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。 ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。

処理中です...