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妻としての差配
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ベルネール伯爵邸の使用人の朝は早い。それでも使用人たちの表情は明るく、働きにも活気がある。
「ロクサーヌ様、おはようございます!」
「今日もよろしくお願いします、若奥様」
声をかけるだけで、少し照れながらも、使用人の誰もが嬉しそうに目を輝かせる。
給金は上がり、適材適所で自分に合った仕事を任されるようになった。休日も増え、体も心も少しずつ余裕ができる。
ロクサーヌは微笑みを浮かべながら、彼らの働きぶりを軽くチェックする。
「ありがとう。今日も無理せずお願いね」
たった一言で、使用人たちは張り切る。十八歳の若奥様――まだ少女の面影を残す彼女だが、その気遣いと才覚は、邸内で確実に信頼を築いていた。
――そんな“自分たちの大事な若奥様”の前に、突然、邸内の空気をざわつかせる人物が現れた。
誰もが息を飲む。小さな邸内に、緊張と不安が同時に流れる。
(――この人が……あの方の敵……!)
「アルベール様の子の母として、アデル・ラングレー男爵令嬢を出産までの四ヶ月、邸内でお世話します」
家令の声が館内に響くと、使用人たちは一斉にざわついた。
「えっ……!」
「どうしてですか……?」
「あの令嬢を……母として扱う……だと……?」
その時、ロクサーヌが静かに現れた。
使用人たちの前に立つと、自然に視線が集まる。
「みんな、落ち着いて聞いてね」
使用人たちは息を飲む。
「「「 ロクサーヌ様っ…… 」」」
彼女は少し肩の力を抜き、優しい口調で説明した。
「アデル様は、未婚で旦那様のお子を身ごもってるの。だから出産まで安心して暮らしてもらう必要があるのよ。みんなには、アデル様の立場を尊重してほしいの」
その声は優しげだが、誰も逆らえない雰囲気があった。
「でも……どうしても納得できないんですけど……」
「ええ、気持ちは分かるけれど、これはベルネール伯爵夫人としてお願いするわ」
その優しい口調の奥に、揺るぎない決定力と才覚が見え隠れする。十八歳の少女とは思えぬ冷静さに、使用人たちは自然と頭を下げた。
ベルネール邸の広間に、アデル・ラングレーが座っている。
妊娠六ヶ月の彼女は、黒く豊かな巻き毛と茶色の目を揺らし、子の父であるアルベール伯爵子息を見上げる。
だが、アルベールの声は氷のように冷たかった。
「――既婚者だと偽るなんて、信じられない。……それに、まんまと騙された自分が許せないよ。クソっ」
低く吐き捨てるように言葉を落とす。
握りしめた拳がわずかに震え、眉間に深い皺が刻まれる。怒りはアデルに向けられているようでいて、実際は自分自身に向けたものだった。灰青の瞳の奥には、憂いと自己嫌悪が混ざり合い、暗い影が差している。
その姿は、軽薄な浮気者の仮面の下に隠れていた“本当のアルベール”を、ほんの一瞬だけ覗かせた。
沈黙が落ちた。アルベールの怒声が消えた空気に、ロクサーヌの冷ややかな声が滑り込む。
「あなたはアデル嬢と関係を持ったのでしょう?」
言葉は優しくも鋭く、空気を切り裂くようだ。
「それなら、この子ができた責任は取るべきですわ」
ロクサーヌの声は、静かで凛としていた。怒りも涙もなく、ただ“貴族の夫人”としての冷たい理性だけがそこにあった。
アデルは息を詰め、アルベールに視線を向ける。
「ええ、この子はアルベール様の子です!……ずっとお慕いしておりましたの」
震える声が部屋に響いた。妊娠のせいか、胸の奥から込み上げる愛情を隠せない。既婚者のふりは悪手だったが、半年ほど前の夜会で、ひと時の“大人の関係”を持ったのは事実だ。
アルベールは苦しげに眉を寄せた。
「……あの夜会の“夫人”が、まさか未婚だったなんてな」
その灰青の瞳には怒りと自己嫌悪が入り混じっていた。
「俺は既婚者だと信じていた。まんまと騙されたんだ」
アデルの頬がかすかに震える。
「騙したつもりなんて……ただ、あの時は……姉の代わりで……!」
「...... もうよろしいでしょう?」
ロクサーヌの声がその場を凍らせた。
「罪の有無はともかく、あなたの子が宿っているのなら、責任はあなたが取るべきことですわ、旦那様」
その“旦那様”という響きに、アルベールの胸が強く痛んだ。
「――旦那様は、本当にお優しいのですね」
微笑みながら、彼女は言葉を選ぶように続けた。
「これまでにも、いろいろな“ご婦人”方にお心を配られて。……きっと、将来は子沢山になられることでしょう」
その声音はやわらかい。だが、柔らかいほどに皮肉は鋭く、部屋の空気を凍らせる。
アルベールは顔をしかめた。何か言い返そうとして――結局、何も言えなかった。ロクサーヌの笑みは、静かに、完璧に整っていた。彼女の言葉が、音もなく胸に突き刺さる。
その姿は、柔らかい光をまとった女神のよう。あの完璧な笑みのまま、彼女は立ち去った
紅茶の香りが残る部屋で、アルベールは何も言えずにその背を見送った。静かな足音が遠ざかる。
「……本気で、そんなことを言ってるのか」
低く呟いた声は、誰にも届かない。
彼女の瞳に、自分の姿はもう映っていないのだろう。あの崇高な美しい少女――どんなに多くの女を見てきても、ロクサーヌほど気高く、心惹かれる人はいなかった。
「どうして……俺は、結婚した後も.... あんな馬鹿なことを」
吐き捨てるように言葉を漏らし、アルベールは拳を握りしめる。
憂いを帯びたその瞳には、もう軽薄な色気などひとかけらもなかった。ただ、取り返しのつかない現実の前で、苦く沈黙する男の影があった。
ロクサーヌは静かに目を閉じ、心の中で計算する――この屋敷を整え、出産の環境を完璧にする。
金髪に灰青色の瞳の子が生まれれば、間違いなくアルベールの子。その証が目の前に現れるとき、アルベールがどんな顔をするか……楽しみでもあり、不安でもある。
________________________
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「ロクサーヌ様、おはようございます!」
「今日もよろしくお願いします、若奥様」
声をかけるだけで、少し照れながらも、使用人の誰もが嬉しそうに目を輝かせる。
給金は上がり、適材適所で自分に合った仕事を任されるようになった。休日も増え、体も心も少しずつ余裕ができる。
ロクサーヌは微笑みを浮かべながら、彼らの働きぶりを軽くチェックする。
「ありがとう。今日も無理せずお願いね」
たった一言で、使用人たちは張り切る。十八歳の若奥様――まだ少女の面影を残す彼女だが、その気遣いと才覚は、邸内で確実に信頼を築いていた。
――そんな“自分たちの大事な若奥様”の前に、突然、邸内の空気をざわつかせる人物が現れた。
誰もが息を飲む。小さな邸内に、緊張と不安が同時に流れる。
(――この人が……あの方の敵……!)
「アルベール様の子の母として、アデル・ラングレー男爵令嬢を出産までの四ヶ月、邸内でお世話します」
家令の声が館内に響くと、使用人たちは一斉にざわついた。
「えっ……!」
「どうしてですか……?」
「あの令嬢を……母として扱う……だと……?」
その時、ロクサーヌが静かに現れた。
使用人たちの前に立つと、自然に視線が集まる。
「みんな、落ち着いて聞いてね」
使用人たちは息を飲む。
「「「 ロクサーヌ様っ…… 」」」
彼女は少し肩の力を抜き、優しい口調で説明した。
「アデル様は、未婚で旦那様のお子を身ごもってるの。だから出産まで安心して暮らしてもらう必要があるのよ。みんなには、アデル様の立場を尊重してほしいの」
その声は優しげだが、誰も逆らえない雰囲気があった。
「でも……どうしても納得できないんですけど……」
「ええ、気持ちは分かるけれど、これはベルネール伯爵夫人としてお願いするわ」
その優しい口調の奥に、揺るぎない決定力と才覚が見え隠れする。十八歳の少女とは思えぬ冷静さに、使用人たちは自然と頭を下げた。
ベルネール邸の広間に、アデル・ラングレーが座っている。
妊娠六ヶ月の彼女は、黒く豊かな巻き毛と茶色の目を揺らし、子の父であるアルベール伯爵子息を見上げる。
だが、アルベールの声は氷のように冷たかった。
「――既婚者だと偽るなんて、信じられない。……それに、まんまと騙された自分が許せないよ。クソっ」
低く吐き捨てるように言葉を落とす。
握りしめた拳がわずかに震え、眉間に深い皺が刻まれる。怒りはアデルに向けられているようでいて、実際は自分自身に向けたものだった。灰青の瞳の奥には、憂いと自己嫌悪が混ざり合い、暗い影が差している。
その姿は、軽薄な浮気者の仮面の下に隠れていた“本当のアルベール”を、ほんの一瞬だけ覗かせた。
沈黙が落ちた。アルベールの怒声が消えた空気に、ロクサーヌの冷ややかな声が滑り込む。
「あなたはアデル嬢と関係を持ったのでしょう?」
言葉は優しくも鋭く、空気を切り裂くようだ。
「それなら、この子ができた責任は取るべきですわ」
ロクサーヌの声は、静かで凛としていた。怒りも涙もなく、ただ“貴族の夫人”としての冷たい理性だけがそこにあった。
アデルは息を詰め、アルベールに視線を向ける。
「ええ、この子はアルベール様の子です!……ずっとお慕いしておりましたの」
震える声が部屋に響いた。妊娠のせいか、胸の奥から込み上げる愛情を隠せない。既婚者のふりは悪手だったが、半年ほど前の夜会で、ひと時の“大人の関係”を持ったのは事実だ。
アルベールは苦しげに眉を寄せた。
「……あの夜会の“夫人”が、まさか未婚だったなんてな」
その灰青の瞳には怒りと自己嫌悪が入り混じっていた。
「俺は既婚者だと信じていた。まんまと騙されたんだ」
アデルの頬がかすかに震える。
「騙したつもりなんて……ただ、あの時は……姉の代わりで……!」
「...... もうよろしいでしょう?」
ロクサーヌの声がその場を凍らせた。
「罪の有無はともかく、あなたの子が宿っているのなら、責任はあなたが取るべきことですわ、旦那様」
その“旦那様”という響きに、アルベールの胸が強く痛んだ。
「――旦那様は、本当にお優しいのですね」
微笑みながら、彼女は言葉を選ぶように続けた。
「これまでにも、いろいろな“ご婦人”方にお心を配られて。……きっと、将来は子沢山になられることでしょう」
その声音はやわらかい。だが、柔らかいほどに皮肉は鋭く、部屋の空気を凍らせる。
アルベールは顔をしかめた。何か言い返そうとして――結局、何も言えなかった。ロクサーヌの笑みは、静かに、完璧に整っていた。彼女の言葉が、音もなく胸に突き刺さる。
その姿は、柔らかい光をまとった女神のよう。あの完璧な笑みのまま、彼女は立ち去った
紅茶の香りが残る部屋で、アルベールは何も言えずにその背を見送った。静かな足音が遠ざかる。
「……本気で、そんなことを言ってるのか」
低く呟いた声は、誰にも届かない。
彼女の瞳に、自分の姿はもう映っていないのだろう。あの崇高な美しい少女――どんなに多くの女を見てきても、ロクサーヌほど気高く、心惹かれる人はいなかった。
「どうして……俺は、結婚した後も.... あんな馬鹿なことを」
吐き捨てるように言葉を漏らし、アルベールは拳を握りしめる。
憂いを帯びたその瞳には、もう軽薄な色気などひとかけらもなかった。ただ、取り返しのつかない現実の前で、苦く沈黙する男の影があった。
ロクサーヌは静かに目を閉じ、心の中で計算する――この屋敷を整え、出産の環境を完璧にする。
金髪に灰青色の瞳の子が生まれれば、間違いなくアルベールの子。その証が目の前に現れるとき、アルベールがどんな顔をするか……楽しみでもあり、不安でもある。
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毒によって記憶を失った令嬢が使用人や両親、婚約者や兄を無自覚のうちにタラシ込むお話です。
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