政略結婚した浮気男が、今さら本気で愛を囁いてきます!

恋せよ恋

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15 エリザベート前伯爵夫人のその後

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 マルヴェール男爵家の屋敷に、姉エリザベートが帰ってきたのは突然のことだった。応接間の扉を開けた弟マルク・マルヴェール男爵は、思わず言葉を失った。
 豪奢なドレスを纏い、香水を振りまいていたあの姉が――今では色褪せた衣をまとい、髪は乱れ、唇はひび割れていたのだから。

「……エリザベート姉さん?」

「...... 久しぶりね。ベルネール伯爵家を追い出されたことは連絡したでしょう。迎えにきてくれると思っていたわ」
 エリザベートの笑おうとした唇が震えた。
 
 だが、マルクの声は冷たかった。
「迎え? なにを言ってるのさ。姉さんが伯爵家を追い出されたって聞いた時、男爵家は予定の支援金がなくなることで精一杯だったんだ。今さら戻る場所なんてないよ」

「そんな……! この家の贅沢は誰のおかげだと思ってるの!?」
 エリザベートは声を荒げた。

 だがマルクは、彼女の目をまっすぐ見つめ、静かに吐き捨てた。
「いい歳をしてみっともないぞ。娘のメラニーの婚約が決まりそうなんだ。“身持ちの悪い叔母”が屋敷にいるなんて、世間体が悪い」

「……そんな!ちょっとの間だけでもいいのよっ。わたしの居場所がどこにもないなんて……」

 マルクはため息をつき、「今晩だけ泊まっていい」とだけ告げて去った。

 エリザベートは薄暗い客間に取り残され、泣き崩れた。
 絹のシーツも、銀の食器も、すべては遠い昔。たった二週間ほど前のことなのに...... 。今や彼女の手は皺だらけで、宝石も指から消えていた。

 翌朝、荷物をまとめて出ていけと言われた。頼る人を求めて彷徨い、彼女が訪ねたのは、かつての友人――セシールの母であり、長年にわたり金を脅し取られてきた女だった。

「まあ、なんてお姿……。エリザベート、ずいぶん落ちぶれたのねえ」
 女は笑いながらも、哀れに思ったのか一つの話を持ちかけた。
「知り合いのハーメルン前男爵が、介護の手を探しているの。住み込みでどう?」

 誇り高い貴婦人だったはずのエリザベートは、その日、初めて“働く”という言葉を受け入れた。

 屋敷は古く、湿った匂いがした。手を拭く布も自分で洗わねばならず、夜は薪が尽きると凍えるほど寒かった。それでも、文句ひとつ言わずに働いた。自分がどれほど浅はかだったかを思い知っていたからだ。

 ――それでも、人生は穏やかに終わるはずだった。

 ある日、薬草を買いに出た先で、エリザベートは見てしまった。かつての愛人、二十年近くも肌を合わせてきた護衛の男。三十路半ばのその男は、肌艶も良く驚くほど若々しかった。隣には、美しい年増の女。二人は腕を組み、笑い合いながら歩いていた。

 頭の中が真っ白になった。気づけば、通りの端にあったつっぱり棒を握りしめ、その女めがけて振り下ろしていた。

「あなたなんかに……あなたなんかに、彼を渡さない!」

 乾いた音が響き、次の瞬間、頬に熱い衝撃が襲った。護衛の男の拳だった。殴られた拍子に体がよろけ、背中を石畳に打ちつけ――空が、ぐるりと反転する。

 視界が滲む。あの男の声が聞こえる。
「……なんで、こんなことを」。けれど、その声はもう遠かった。

(……愛して、ほしかっただけ……なのに)

 手を伸ばした先には、誰もいない。通りの人々のざわめきが、波のように遠ざかっていった。

 ――その夜、エリザベート・マルヴェールは息を引き取った。
 かつての美貌も、名声も、すべて風に散るように消え去った。護衛の男は鉱山送りとなり、事件は静かに幕を閉じた。

 だが、彼女の名は残った。ベルネール伯爵家の使用人たちは、この話を聞き、「真っ当に生きよう」と互いに誓い合ったという。

 ――そしてロクサーヌは、その報せを聞いた夜、窓の外の星を見上げ、静かに祈った。

「どうか次の生では、愛を間違えませんように」と。
 
 マルヴェール男爵家には弔慰金を送り、エリザベートの供養を怠ることなきよう命じた。
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