2 / 22
置き去りの花嫁
会場内は騒然となった。
マクシミリアン国王陛下とエリザベート王妃殿下が、青ざめた顔で駆け寄る。アレクシア王女は、駆けつけた侍女たちの腕の中で、必死に空気を求めながらも、その視線はただ一点――エリック様だけを求めて彷徨っていた。
「エリックがいなければ、あの子は……! エリック、早くこちらへ!」
王妃殿下の悲痛な叫びが響く。
エリック様は、私の方を一瞬だけ振り返った。その瞳には、焦燥と、言いようのない葛藤が混ざり合っているように見えた。けれど、彼は何も言わなかった。
「エリック」
重々しい声で彼を呼び止めたのは、王太子アルバート殿下だった。エリック様の親友であり、この結婚を王命として下した張本人。彼は苦渋に満ちた表情で、短く告げた。
「……行ってやってくれ。あの子を落ち着かせられるのは、君だけだ」
それは、実質的な命令だった。
婿養子として我が家、フォックス侯爵家に入り、今日から共に歩むはずだった夫。その彼が、婚礼の最中に新婦を置いて他の女性の元へ行く。それがどれほど新婦の面目を潰し、辱める行為か、この場にいる全員が理解していた。
私の父、リチャードが抗議の声を上げようと一歩踏み出したのが見えた。けれど、私は無意識に父の袖を引いて止めていた。
「エリック様……」
私の呼びかけに、彼は足を止めた。
わずかに震える私の手を見て、彼は何かを言いかけ、そして――唇を噛み締めて背を向けた。
「済まない、ジュリエット」
それだけを残して、彼は王女の元へと駆け寄った。
苦しむ王女を抱き上げ、耳元で優しく囁きかけるエリック様。その献身的な姿は、誰の目にも「真実の愛」を体現している騎士そのものに見えただろう。
私の視界が、じわりと滲む。
エメラルドの瞳から涙がこぼれ落ちる前に、私は深く深く、俯いた。
祝宴は中止となった。
重苦しい沈黙の中、エリック様の両親であるメンデス侯爵夫妻が、私の元へ歩み寄ってきた。フレデリック侯爵は苦虫を噛み潰したような顔で、キャトリーヌ侯爵夫人はハンカチを握りしめて震えている。
「ジュリエット、本当に、本当になんと詫びればいいか……」
フレデリック侯爵が、衆人環視の中で深々と頭を下げた。名門侯爵家の当主が、息子の伴侶となった令嬢にこれほどまで頭を下げるのは異例のことだ。
「あの子も、王命という鎖に縛られて……。あの方の振る舞いは、あまりに度が過ぎるわ。エリックを私物化し、新郎新婦の大切な日を壊すなんて、許されることではないわ」
侯爵夫人の声には、王家への畏怖よりも、息子と私を不憫に思う母としての怒りが勝っていた。メンデス侯爵家の人々もまた、身勝手な王女の振る舞いに、長く心を痛めてきたのだ。
「いいのです。お顔を上げてください、お義父様、お義母様。エリック様は……騎士としての務めを果たされただけですから」
私は精一杯の力を振り絞って、微笑みを作った。
金髪を整え直し、背筋を伸ばす。フォックス侯爵家の嫡子として、惨めな姿だけは見せてはならない。その微笑みが、かえって義両親の胸を締め付けたことに私は気づかなかった。
結局、私は一人でフォックス侯爵家の馬車に乗ることになった。
到着したのは、我が家の敷地内に新しく設えられた別邸だ。婿養子として迎えるエリック様と私のために、父が用意してくれた愛の巣。
玄関先では、父リチャードと母メリンダが、言葉を選びかねた様子で私を待っていた。
「ジュリエット……一人で帰らせて、済まなかったね」
「いいのよ、お父様。ここは私の家ですもの。少し疲れたから、先に休ませていただきますね」
美しく設えられた広い寝室。二人で過ごすはずだった、初めての夜。
一人では広すぎるベッドに腰を下ろし、窓の外に見える王宮の灯りを見つめる。
あそこには、今も王女の手を握り、懸命に励ましている夫がいるのだ。
(ああ、やっぱり……)
胸の奥で、何かが静かに音を立てて崩れた。
最初からわかっていたことだ。この結婚に、愛なんて一滴も含まれていない。
けれど、ほんの少しだけ。
生徒会室で目が合ったあの時、彼が見せてくれたあの微かな微笑みは、私だけのものだと思いたかった。
「……馬鹿ね、私」
豪華なウェディングドレスの裾を握りしめ、私は暗い部屋の中で、誰にも届かない独り言をこぼした。
フォックス侯爵邸の、冷たく静かな夜は始まったばかりだった。
__________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
マクシミリアン国王陛下とエリザベート王妃殿下が、青ざめた顔で駆け寄る。アレクシア王女は、駆けつけた侍女たちの腕の中で、必死に空気を求めながらも、その視線はただ一点――エリック様だけを求めて彷徨っていた。
「エリックがいなければ、あの子は……! エリック、早くこちらへ!」
王妃殿下の悲痛な叫びが響く。
エリック様は、私の方を一瞬だけ振り返った。その瞳には、焦燥と、言いようのない葛藤が混ざり合っているように見えた。けれど、彼は何も言わなかった。
「エリック」
重々しい声で彼を呼び止めたのは、王太子アルバート殿下だった。エリック様の親友であり、この結婚を王命として下した張本人。彼は苦渋に満ちた表情で、短く告げた。
「……行ってやってくれ。あの子を落ち着かせられるのは、君だけだ」
それは、実質的な命令だった。
婿養子として我が家、フォックス侯爵家に入り、今日から共に歩むはずだった夫。その彼が、婚礼の最中に新婦を置いて他の女性の元へ行く。それがどれほど新婦の面目を潰し、辱める行為か、この場にいる全員が理解していた。
私の父、リチャードが抗議の声を上げようと一歩踏み出したのが見えた。けれど、私は無意識に父の袖を引いて止めていた。
「エリック様……」
私の呼びかけに、彼は足を止めた。
わずかに震える私の手を見て、彼は何かを言いかけ、そして――唇を噛み締めて背を向けた。
「済まない、ジュリエット」
それだけを残して、彼は王女の元へと駆け寄った。
苦しむ王女を抱き上げ、耳元で優しく囁きかけるエリック様。その献身的な姿は、誰の目にも「真実の愛」を体現している騎士そのものに見えただろう。
私の視界が、じわりと滲む。
エメラルドの瞳から涙がこぼれ落ちる前に、私は深く深く、俯いた。
祝宴は中止となった。
重苦しい沈黙の中、エリック様の両親であるメンデス侯爵夫妻が、私の元へ歩み寄ってきた。フレデリック侯爵は苦虫を噛み潰したような顔で、キャトリーヌ侯爵夫人はハンカチを握りしめて震えている。
「ジュリエット、本当に、本当になんと詫びればいいか……」
フレデリック侯爵が、衆人環視の中で深々と頭を下げた。名門侯爵家の当主が、息子の伴侶となった令嬢にこれほどまで頭を下げるのは異例のことだ。
「あの子も、王命という鎖に縛られて……。あの方の振る舞いは、あまりに度が過ぎるわ。エリックを私物化し、新郎新婦の大切な日を壊すなんて、許されることではないわ」
侯爵夫人の声には、王家への畏怖よりも、息子と私を不憫に思う母としての怒りが勝っていた。メンデス侯爵家の人々もまた、身勝手な王女の振る舞いに、長く心を痛めてきたのだ。
「いいのです。お顔を上げてください、お義父様、お義母様。エリック様は……騎士としての務めを果たされただけですから」
私は精一杯の力を振り絞って、微笑みを作った。
金髪を整え直し、背筋を伸ばす。フォックス侯爵家の嫡子として、惨めな姿だけは見せてはならない。その微笑みが、かえって義両親の胸を締め付けたことに私は気づかなかった。
結局、私は一人でフォックス侯爵家の馬車に乗ることになった。
到着したのは、我が家の敷地内に新しく設えられた別邸だ。婿養子として迎えるエリック様と私のために、父が用意してくれた愛の巣。
玄関先では、父リチャードと母メリンダが、言葉を選びかねた様子で私を待っていた。
「ジュリエット……一人で帰らせて、済まなかったね」
「いいのよ、お父様。ここは私の家ですもの。少し疲れたから、先に休ませていただきますね」
美しく設えられた広い寝室。二人で過ごすはずだった、初めての夜。
一人では広すぎるベッドに腰を下ろし、窓の外に見える王宮の灯りを見つめる。
あそこには、今も王女の手を握り、懸命に励ましている夫がいるのだ。
(ああ、やっぱり……)
胸の奥で、何かが静かに音を立てて崩れた。
最初からわかっていたことだ。この結婚に、愛なんて一滴も含まれていない。
けれど、ほんの少しだけ。
生徒会室で目が合ったあの時、彼が見せてくれたあの微かな微笑みは、私だけのものだと思いたかった。
「……馬鹿ね、私」
豪華なウェディングドレスの裾を握りしめ、私は暗い部屋の中で、誰にも届かない独り言をこぼした。
フォックス侯爵邸の、冷たく静かな夜は始まったばかりだった。
__________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】冤罪で殺された王太子の婚約者は100年後に生まれ変わりました。今世では愛し愛される相手を見つけたいと思っています。
金峯蓮華
恋愛
どうやら私は階段から突き落とされ落下する間に前世の記憶を思い出していたらしい。
前世は冤罪を着せられて殺害されたのだった。それにしても酷い。その後あの国はどうなったのだろう?
私の願い通り滅びたのだろうか?
前世で冤罪を着せられ殺害された王太子の婚約者だった令嬢が生まれ変わった今世で愛し愛される相手とめぐりあい幸せになるお話。
緩い世界観の緩いお話しです。
ご都合主義です。
*タイトル変更しました。すみません。
『「ママは我慢してればいいんでしょ?」と娘に言われた日、私は妻をやめた』~我慢をやめた母と、崩れていく家族、そして再生~
まさき
恋愛
私はずっと「いい妻」でいようとしてきた。
夫に逆らわず、空気を読み、波風を立てないように生きる。
それが、この家を守る唯一の方法だと思っていた。
娘にも、そうであってほしかった。
けれど──
その願いは、静かに歪んでいく。
夫の言葉をなぞるように、娘は私を軽んじるようになった。
そしてある日、夕食の後片付けをしていた私に、娘は言った。
「ママはさ、我慢してればいいんでしょ?」
その一言で、何かが壊れた。
我慢することが、母である証だと思っていた。
だがそれは、私自身をすり減らすだけの“呪い”だった。
──もう、我慢するのはやめる。
妻であることをやめ、母として生き直すために。
私は、自分の人生を取り戻す決意をした。
その選択は、家族を大きく揺るがしていく。
崩れていく夫婦関係。
離れていく娘の心。
そして、待ち受ける“ざまぁ”の行方。
それでも私は問い続ける。
母とは何か。
家族とは何か。
そして──私は、どう生きるべきなのか。
婚約者は妹のような幼馴染みを何より大切にしているので、お飾り妻予定な令嬢は幸せになることを諦めた……はずでした。
待鳥園子
恋愛
伯爵令嬢アイリーンの婚約者であるセシルの隣には『妹のような幼馴染み』愛らしい容姿のデイジーが居て、身分差で結婚出来ない二人が結ばれるためのお飾り妻にされてしまうことが耐えられなかった。
そして、二人がふざけて婚姻届を書いている光景を見て、アイリーンは自分の我慢が限界に達そうとしているのを感じていた……のだけど!?
覚悟は良いですか、お父様? ―虐げられた娘はお家乗っ取りを企んだ婿の父とその愛人の娘である異母妹をまとめて追い出す―
Erin
恋愛
【完結済・全3話】伯爵令嬢のカメリアは母が死んだ直後に、父が屋敷に連れ込んだ愛人とその子に虐げられていた。その挙句、カメリアが十六歳の成人後に継ぐ予定の伯爵家から追い出し、伯爵家の血を一滴も引かない異母妹に継がせると言い出す。後を継がないカメリアには嗜虐趣味のある男に嫁がられることになった。絶対に父たちの言いなりになりたくないカメリアは家を出て復讐することにした。7/6に最終話投稿予定。
〈完結〉八年間、音沙汰のなかった貴方はどちら様ですか?
詩海猫(9/10受賞作発売中!)
恋愛
私の家は子爵家だった。
高位貴族ではなかったけれど、ちゃんと裕福な貴族としての暮らしは約束されていた。
泣き虫だった私に「リーアを守りたいんだ」と婚約してくれた侯爵家の彼は、私に黙って戦争に言ってしまい、いなくなった。
私も泣き虫の子爵令嬢をやめた。
八年後帰国した彼は、もういない私を探してるらしい。
*文字数的に「短編か?」という量になりましたが10万文字以下なので短編です。この後各自のアフターストーリーとか書けたら書きます。そしたら10万文字超えちゃうかもしれないけど短編です。こんなにかかると思わず、「転生王子〜」が大幅に滞ってしまいましたが、次はあちらに集中予定(あくまで予定)です、あちらもよろしくお願いします*
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
「言ってくれれば手伝ったのに」過労で倒れた私に微笑む無神経な夫。~親友を優先させ続けた夫の末路~
水上
恋愛
夫の持病を和らげるため、徹夜で煮詰めた特製コーディアル。
彼はそれを数秒で飲み干し、私の血を吐くような努力を「ただの甘い水だね。もっとパッと作れないの?」と笑った。
彼の健康も商会の名声も、私が裏で支えているとも知らずに。
ある日、過労で倒れた私は、「言ってくれれば手伝ったのに」と無神経な夫に微笑まれた時、心の中で決意した。
地下室にあるコーディアルの瓶は残り15本。
これがすべて空になるまでに彼が変わらなければ、離縁状を叩きつけよう。
私を失い、体調も商会も崩壊して這いつくばる夫をよそに、私は真の評価を得て自分の人生を歩み始める。
これは、透明な存在として扱われ続けた私が、失望のカウントダウンを進めて自立するまでの、そして、すべてを失った夫が惨めに後悔するまでの物語。