エリザベス公爵令嬢は微笑む――背中が血で濡れても、助けは来ないから

恋せよ恋

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シモンの告白と揺れる心

  夜会での失態から数日。学園の空気は、エリザベスにとってさらに刺々しいものへと変貌していた。
 かつて「淑女の鏡」と称えられた彼女への賞賛は、エドワードの冷淡な態度と、彼女自身の「失態」という名の綻びをきっかけに、容赦のない好奇の目へと取って代わられていた。

 その隙間に滑り込んできたのは、カトリーヌの娘、ジュリエット・シシリーだった。

「あら、エリザベス様。今日も少しお顔色が悪いようですわね? やはり、エドワード様にあれほど冷たくあしらわれては、お心も休まりませんわよね」

 学園の中庭、大勢の生徒が見守る噴水の側で、ジュリエットは勝ち誇ったような笑みを浮かべてエリザベスを呼び止めた。
 本来、子爵令嬢が公爵令嬢に対して取るべき態度ではない。しかし、ジュリエットの隣には、不機嫌そうに腕を組むエドワードが立っていた。

「……ジュリエット様。わたくしの体調を案じてくださり、痛み入りますわ」

 エリザベスは機械的に、完璧な角度で頭を下げた。だが、その動作だけで背中の傷が悲鳴を上げる。昨夜、夜会の罰としてカトリーヌに打たれた痕は、まだ熱を帯びたまま新しい血を滲ませているのだ。

「そんな硬いご挨拶は結構ですわ。わたくし、お母様からエリザベス様の『ご指導』の内容をすべて伺っておりますもの。……ねえ、エドワード様? エリザベス様は、あまりに不器用でいらっしゃるから、お母様も手を焼いているそうですの」

 ジュリエットは、エドワードの腕にしなだれかかるようにして甘い声を出す。エドワードはそれを振り払うこともせず、鼻で笑った。

「そうだろうな。あんな鉄の仮面を被って、中身は空っぽなんだろう。……ジュリエット、君のように素直で温かい女性こそが、男を癒やすというものだ」

 エドワードの言葉は、エリザベスの胸を鋭く抉った。
 エドワードが今、当てつけのようにジュリエットを連れ歩いているのは知っていた。だが、カトリーヌの娘に自分の「恥」を共有されているという事実は、彼女の自尊心を粉々に打ち砕く。

「……左様でございますか。それでは、わたくしは講義がございますので、失礼いたします」

 エリザベスは崩れそうな心を必死に支え、背を向けた。
 背後でジュリエットの「公爵夫人になる器も、もうボロボロですわね」という嘲笑が聞こえたが、振り返る力は残っていなかった。

 学園の喧騒を離れ、校舎の裏手にある静かな木陰に辿り着いた時、エリザベスの足はついに限界を迎えた。
 膝から崩れ落ちそうになったその瞬間、力強い腕が彼女の肩を支えた。

「……エリザベス!」

 聞き慣れた、深く穏やかな声。顔を上げると、そこには痛ましいほどに悲しげな瞳をしたシモンが立っていた。

「シモン……様……」

「無茶だ。君の顔は、もう真っ白だ。……ここで休んで。誰にも邪魔はさせない」

 シモンは彼女をベンチへ座らせると、自らの上着を脱いで彼女の肩にかけた。上着から伝わる彼の体温が、凍りついたエリザベスの心に染み込んでいく。

「……見苦しいところを、お見せしましたわ」

「見苦しいものか。君はいつだって、世界で一番誇り高い。……だが、もう限界だろう? エドワードのことも、あの母子のことも。……そして、その背中の傷も」

 エリザベスの肩が、びくりと跳ねた。
 彼女は幽霊でも見たかのような怯えた目で、シモンを見上げた。

「……何を、おっしゃって……わたくしに、傷など……」

「隠さなくていい。ハリエットから聞いた。そして僕も、君の歩き方を見て確信した。……エリザベス、なぜ耐えるんだ? 公爵閣下に、兄上に言えばいい。あんな女、すぐに追い出せるはずだ」

「言えるはずが、ありませんわ! ……わたくしが、わたくしが未熟だから……ハワードの名に相応しくない『失敗作』だから、あのような教育が必要なのですわ。……もし真実を話せば、わたくしは、公爵家から……」

 エリザベスの瞳から、ついに大粒の涙が溢れ出した。
 カトリーヌによって長年刷り込まれてきた「呪い」が、彼女の口を封じていた。自分を責め、痛みに耐えることだけが、家族から捨てられないための唯一の道だと信じ込まされていたのだ。

 シモンは、堪らなくなって彼女の両手を包み込んだ。

「違う、エリザベス! 君は失敗作なんかじゃない。君は、誰よりも優しく、誰よりも強い。僕が、君を救う。あんな家も、無責任な婚約者も捨てて、僕のところへ来てほしい」

 エリザベスは息を呑んだ。

「……シモン様、それは……」

「告白だ。幼い頃から、君が向日葵のように笑っていたあの日から、僕の心は君だけのものだった。……君が婚約した時、僕は死ぬほど後悔した。だから、もう二度と君を離したくない。……エリザベス、君を連れ去りたい。君を傷つけるすべてのものから、僕が守る」

 シモンの言葉は、熱を帯びてエリザベスの心を揺さぶった。
 あんなに孤独だった暗闇に、眩いほどの光が差し込む。自分を「無価値な人形」ではなく、「一人の少女」として必要としてくれる人がいる。

「……わたくし、のような、傷だらけの女を……?」

「その傷も含めて、君のすべてを愛している。君の背中の傷を癒やすのは、僕の役目だ」

 シモンは、彼女の指先にそっと唇を寄せた。
 エリザベスの凍っていた心が、音を立てて溶け始める。だが、それと同時に、長年染み付いた「義務感」という名の鎖が、彼女の足を繋ぎ止める。

「……嬉しい、ですわ。シモン様。……でも、わたくしには、ハワードの責任が……」

「責任のために死ぬことはない。一度だけでいい。君自身の幸せを、僕に預けてくれないか?」

 シモンの切実な瞳に見つめられ、エリザベスの心は激しく揺れ動く。
 初めて感じた、守られることの安らぎ。

 しかし、その背後には依然として、カトリーヌの冷酷な笑い声と、ハワード公爵家という巨大な壁が立ちはだかっていた。

 エリザベスの頬を伝う涙を、シモンは指で優しく拭った。
 この瞬間、二人の運命は大きく動き出そうとしていた。エリザベスの仮面が、今、本当の意味で剥がれ落ちようとしていた。
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