氷の令嬢は愛を請わない - 捨て子の『義妹』に愛も家族も奪われたマリーローズの逆襲

恋せよ恋

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父と兄の贖罪、そして残された希望

 王国、最北の地に位置する「嘆きの監獄」。かつて栄華を極めたハンプトン侯爵家の主、ダニエルと嫡男フレデリックは、窓さえない冷え切った地下独房に収容されていた。

 外務大臣として、あるいはその嫡男として、王国の中心にいた日々はもはや遠い前世の記憶のようであった。

「……また、返ってきたのか」

 フレデリックは、看守から手渡された一通の封書を震える手で受け取った。

 それは彼が帝国へ向けて書き綴った、マリーローズへの謝罪と許しを乞う手紙だった。だが、封蝋は解かれることなく、「宛先不明」のスタンプが無情にも押されている。

 宛先不明――帝国特別顧問として、そして大公妃として絶大な権力を持つ彼女の元に、罪人の手紙が届くはずがない。彼女が拒絶しているのではない、彼女の世界から彼らの存在そのものがされたのだ。

「フレデリック……。マリーは、まだ返事をくれないのか」

 隣の独房から、掠れた声が響く。かつての威厳を失い、白髪の増えた父ダニエルだった。

「父上……。これで五十通目です。一度でいい、一度でいいから、彼女の紫の瞳をもう一度見たい。今なら、あの瞳に宿っていた寂しさを、正しく理解できる自信があるのに……」

 フレデリックは冷たい石壁に額を押し当てた。

 マリーローズが夜な夜な、兄である自分のために用意してくれた外交資料。彼女が風邪を引いた時、無理をして筆を走らせていたあの日。フレデリックはそれを当然の奉仕だと思い込み、労いの言葉一つかけなかった。それどころか、自分を頼ってくるジュリエットを「可愛げがある」と称え、妹の努力を冷酷な傲慢さだと断じた。

「我々は、愚かだった。マリーという至宝を、ただの道具としてしか見ていなかった。あの子の美しさを、強さを、誇りに思っていたはずなのに……どうしてエリザベスの狂気に同調してしまったのか……」

 ダニエルが嗚咽を漏らす。

 母エリザベスは自害し、ジュリエットは自爆という悲惨な末路を辿った。残されたのは、かつて彼女を蔑ろにした男たちの、出口のない後悔だけだった。

「マリー……。マリーローズ……。すまなかった……。本当に、すまなかった……」

 二人の懺悔は、湿った地下牢の壁に吸い込まれて消える。

 彼らに与えられた刑罰は、死刑ではない。マリーローズが「生かして見届けさせる」ことを望んだ通り、彼女が築き上げる新世界の栄光を、泥の中から永遠に眺め続けるという、生き地獄だった。

 一方、帝国のマリーローズは、春を告げる花々が咲き誇る大公邸の庭園で、意外な人物を迎えていた。

「……お久しぶりです、マリーローズ様」

 そこに立っていたのは、かつてマリーローズが淡い想いを寄せ、そして裏切られたはずの騎士、レオナードだった。

 彼は王国の騎士団を辞し、今は一人の旅の剣士として各地を放浪していた。王国が崩壊し、ハンプトン家が没落する中で、彼は自らの弱さを恥じ、マリーローズに会うために帝国へやってきたのだ。

「レオナード様。……いいえ、今はもう、ただのレオナード殿とお呼びすべきかしら」

 マリーローズは、優雅に紅茶を飲みながら、静かに彼を見つめた。

 かつての初恋の相手。ジュリエットの嘘に騙され、自分に背を向けた男。
 だが、今のマリーローズの心に、動揺は微塵もなかった。

「……マリーローズ様。貴方に、謝りたかった。あの時、貴方の言葉を信じず、ジュリエット嬢の涙に惑わされた私を。……貴方を信じられなかったことを、ずっと後悔しておりました」

 レオナードは剣を置き、その場に跪いた。

「もし許されるなら、今の貴方を影から守る剣になりたい。貴方の幸せを、この目で見守らせてほしい」

 その言葉は、かつてのマリーローズなら泣いて喜んだかもしれない。だが、今の彼女は、ふっと穏やかに、そして慈悲深く微笑んだ。

「レオナード殿。……あなたは、あの日、幼い私を信じなかったのではないわ。信じる気がなかったのです。それが、あの時のあなたの真実です」

 レオナードの顔が、絶望に染まる。

「今の私には、守ってくださる夫がいます。愛してくださる国民がいます。そして、自分で自分を守るための、十分な知恵と力があります。……ですから、あなたの剣は必要ありませんわ」

「マリーローズ……」

「ただ、あなたがこうして謝罪に訪れたこと、その勇気だけは認めましょう。……レオナード殿。あなたは私ではなく、あなたの未来のために生きなさい。それが、私を傷つけた過去への、唯一の贖罪ですわ」

 マリーローズは立ち上がり、背を向けた。未練も、憎しみもない。ただ、通り過ぎた季節の風を懐かしむような、爽やかな拒絶。

「リュシアン様。お待たせいたしましたわ」

 庭園の入り口に姿を見せたリュシアンの元へ、マリーローズは軽やかな足取りで駆け寄る。

 リュシアンは彼女を優しく抱き寄せ、レオナードを一瞥した。そこには、敗北者への蔑みさえなく、ただ自分の宝物を確認する王者の余裕があった。

 レオナードは、二人の背中を見送りながら、深く、深く頭を下げた。
 
 過去の亡霊たちは、次々と消えていく。

 マリーローズの周囲には今、真実の愛と信頼だけが満ちていた。彼女の紫の瞳に映るのは、もはや悲劇の記憶ではなく、明日へと続く輝かしい希望の光。銀氷の令嬢は、今、人生で最も眩い春の中にいた。
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