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王太子からの提案
しおりを挟む――「アナスタシア、僕たちは婚約者同士だ。」
その言葉は、唐突だった。
王城の豪奢なサロンに射し込む午後の陽光さえ、冷たく感じる。
「いずれ、僕はこのローザリア王国の王となり、君は王妃だ。」
そう言われても、アナスタシアの胸は湧き立たなかった。エドワード王太子殿下が未来を語る声音は、どこか遠く響いていたから。
「そこでだ、僕たちには自由な時間は学院に通う今しかないんだよ。」
自由? その響きに、私は少しだけ息を止めた。
「僕は、恋がしてみたい。この身を焦がすような、熱く燃えるような恋をね。」
……恋。エドワードの目に宿るのは、未来の王たる治世者の理ではなく、ただ「恋物語」を語る少年の光だった。
私は、何も言えなかった。
言えば壊れてしまいそうだったから。
何が、とは言えないけれど。
そして、その一ヶ月後。
“二人だけ”の定例のお茶会には、エドワード殿下の最愛が同席していた。
「アナスタシア。紹介しよう、彼女はシャルロット・フレイ男爵令嬢だ。」
わたしの世界から色が抜け落ちる音が、確かにした。銀器の光も、絨毯の紅も、すべてが灰色へと沈んだ。
殿下の隣に座る少女。
淡い金髪。薄い青の瞳。
まるで守られるために生まれてきたような儚い雰囲気の可愛らしい十七歳の少女。
「シャルロット、彼女はアナスタシア・ヴェルデン公爵令嬢で、僕の婚約者だよ。僕たちは同じ十七歳で、学院の二年生だ。
アナスタシアは、とても優秀で優しいから、困ったことがあったら、なんでも相談するといい」
……どうして、その頭を撫でる手が、私に向けられたことは一度もないのだろう。
胸が、ひどく、苦しくて、喉の奥が、ひどく、いたい。
「僕は出会ってしまったんだよ。この身を焦がす恋の相手にね。」
恋? 殿下の目に映るのは私ではなく、シャルロット嬢。
その光景は、胸の奥に静かに凍りを作った。
「だから、学院に在籍するあと一年だけ、シャルロットとの恋を許しておくれ。」
言葉では許可を求めながら、その目はもう私を見ていなかった。
「……はい。承りました。」
口が勝手に動く。貞淑で、従順たる未来の王太子妃の仮面が、ひとりでに微笑む。
“素晴らしい婚約者”。
そう呼ばれる私は、きっとこう答えるべきなのだろう。
今の私は、誰よりも見事に、望まれた役を演じていた。
エドワード殿下とシャルロット嬢の笑い声が響く。目の前で交わされる柔らかな視線は、私とは無関係な世界。
――私は、なぜここにいるのだろう。
問いだけが、頭の中で何度も巡る。
席を辞すると告げたとき、
殿下が「ああ、またね」と軽く返した笑顔が、最後まで胸に刺さって瞳が潤む。
――私は静かにサロンを後にした。
つづく
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