王太子が「恋がしたい」と言い出したので、公爵令嬢は捨て身の復讐を始めます──みなさままとめて地獄へどうぞ

恋せよ恋

文字の大きさ
48 / 81

触れてはいけない温もり

しおりを挟む
 王宮の静寂とは対照的に、学園では、変わらぬ日常が淡々と続いていた。

 三年生のシリル王太子は、相変わらず注目の中心にいた。生徒会、剣術、座学。どこにいても人が集まり、期待と敬意とが自然に彼を取り囲む。

 ただひとつだけ、以前と違うことがあった。

 ――コーデリア・グローリー公爵令嬢の存在だ。

 彼女は「側妃候補」として、特別扱いされることもなく、シリル王太子と共に生徒会役員として、学園生活を淡々と送っていた。姿勢は正しく、言葉は控えめ。誰かの陰口にも、露骨な同情にも、決して反応しない。

 その様子が、かえって目を引いた。

「コーデリア」

 ある日の放課後、生徒会室でひとり書架を整理していた彼女に、シリルは声をかけた。

「生徒会の書類の整理かい?」

「王妃教育の予習です。来月から、政治史の範囲が広がると伺いましたので」

 顔を上げたコーデリアは、穏やかに微笑む。その微笑みには、王宮で見せるような硬さがなかった。

「……無理はしなくていい」

 思わず、そんな言葉が口をついて出る。

 コーデリアは一瞬、きょとんとした表情を見せてから、ふっと笑った。

「シリル殿下は、お優しいのですね」

「優しい、というより……」

 言葉に詰まる。

 アナスタシアに向けていた感情は、初恋の延長と、尊敬と憧れ、そして対等であろうとする緊張だった。隣に立つには、自分も強くならねばならないと思わせる存在。

 だが、コーデリアは違う。彼女は、頼ってくれる。
 しかもそれは、計算ではなく、自然な仕草として。

「シリル殿下。こちらの条文、どう解釈なさいます?」

 差し出されたノートを覗き込む。指先が触れそうな距離に、シリルはわずかに息を止めた。

「……ここは、前提条件を限定して読むべきだと思う」

「やっぱり。シリル殿下に聞いてよかったです。私には、まだ、難解で。」

 その言葉が、胸の奥に静かに落ちる。

(必要とされている)

 その感覚は、甘く、危うかった。



 数日後。剣術訓練の帰り、転びかけたコーデリアを、シリルがとっさに支える場面があった。

「大丈夫か!?」

「……はい。でも、少し驚いてしまって」

 彼女は小さく笑い、すぐに頭を下げる。

「ありがとうございます。殿下がいらして、助かりました」

 その言葉を聞いた瞬間、シリルの中で、何かが決定的に傾いた。

 ――守ってあげたい。

 

 コーデリアと別れてからも、手のひらに、まだ彼女の体温が残っていた。

 転びかけた身体を支えただけだ。ほんの一瞬。剣を持つときよりも軽い力だったはずなのに、心臓の鼓動だけが、やけにうるさい。

(……驚いた顔をしていたな)

 コーデリアは、すぐに微笑んで、頭を下げた。礼儀として、完璧な角度。だが、その声は、かすかに揺れていた――そう、彼には聞こえた。

「ありがとうございます。殿下がいらして……助かりました」

 助かった。

 その言葉が、胸の奥に沈み込む。

(守れた)

 そう思った瞬間、これまで胸にあった違和感が、ひとつの形を取った。

 アナスタシアと向き合うとき、いつも感じていたもの。
 対等であろうとする緊張。見透かされる恐れ。
 守る側ではいられない関係。

 だが、コーデリアは違う。

 頼られている。
 必要とされている。
 少なくとも――そう見えた。

(彼女は……僕を見上げてくれる)

 それは、アナスタシアに抱いた「並び立ちたい」という感情とは、まったく異なるものだった。

 強さを求められない。
 判断を委ねられる。
 自分が前に立てばいい。

 コーデリアは、すでに一歩下がっていた。
 礼を終え、距離を取り、視線を伏せている。

 だが、彼の目には映らなかった。

(アナスタシアは強すぎるんだ)

 その考えが浮かんだ瞬間、自分がどれほど残酷な線引きをしたかにも、気づかない。

 強いから、大丈夫。
 理解してくれるから、説明しなくてもいい。
 黙っていても、耐えられるはずだ。

(でも……コーデリアは)

 彼女は、まだ若い。
 守るべき存在だ。
 支えが必要だ。

 そうやって、彼は“守る恋”を選んだつもりになった。

 その選択が、誰の選択権を奪っているのかも知らずに。

 遠くで、鐘の音が鳴った。
 学園の時刻を告げる音。
 始まりを告げる音。

 シリルは、無意識のうちに微笑んでいた。

(大丈夫だ。コーデリアは、側妃だ。交流に問題はない)

 ――それが、最後の勘違いだとも知らずに。

 気づけば、彼はコーデリアの隣にいる時間を、無意識に選ぶようになっていた。

 コーデリアもまた、変わっていく。

 以前のような張り詰めた沈黙は薄れ、シリルの前では、ほんの少しだけ感情を覗かせる。

「殿下は……お忙しいのに、どうして、わたしに構ってくださるのですか?」

 ある日、ぽつりと問われた。

 シリルは、迷いなく答えていた。

「放っておけないからだ」

 その瞬間、コーデリアの瞳が揺れた。

 喜びと、安堵と、そして――側妃という立場ゆえの悲しみ。

(この優しさは、私のものではない)

 そう分かっていながら、その温もりを拒めなかった。



 その頃、アナスタシアは、学園の報告書を淡々と読んでいた。

 三年生のシリルと、二年生のコーデリア。
 交流、増加。
 問題行動、なし。

 紙の上では、すべてが「健全」だった。

 アナスタシアは、微笑みながら書類を閉じる。

(……問題はない)

 それが、恋であろうと。
 慰めであろうと。
 逃避であろうと。

 すでに彼女は、「それを含めて」王家を縛っている。

 知らぬのは、シリルだけだった。

 自分がようやく手に入れたと思ったこの感情が――王家にとって、最後の引き金になることを。

 そして、コーデリアもまた、知っていた。
 この恋が、救いであると同時に、決して許されない“選択”であることを。

 それでも。

 彼女は、その一歩を、止めなかった――静かに、すべてが揃い始めていた。
______________

エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

砕けた愛

篠月珪霞
恋愛
新婚初夜に男に襲われた公爵令嬢エヴリーヌは、不義密通の罪を被せられた。反逆罪に問われた彼女の一族は処刑されるが、気付くと時間が巻き戻っていた。 あなたへの愛? そんなものとうに、砕け散ってしまいました。

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

王子様への置き手紙

あおた卵
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯

婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない

柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。 目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。 「あなたは、どなたですか?」 その一言に、彼の瞳は壊れた。 けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。 セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。 優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。 ――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。 一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。 記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。 これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。

妹と再婚約?殿下ありがとうございます!

八つ刻
恋愛
第一王子と侯爵令嬢は婚約を白紙撤回することにした。 第一王子が侯爵令嬢の妹と真実の愛を見つけてしまったからだ。 「彼女のことは私に任せろ」 殿下!言質は取りましたからね!妹を宜しくお願いします! 令嬢は妹を王子に丸投げし、自分は家族と平穏な幸せを手に入れる。

【完結】出来の悪い王太子殿下の婚約者ですって? 私達は承諾しておりません!

綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
恋愛
真実の愛は策略で生まれる ~王太子殿下の婚約者なんて絶対に嫌ですわ~  勉強は出来ず、実技も酷い。顔だけしか取り柄のない一番最初に生まれた王子というだけで、王太子の地位に就いた方。王国を支える3つの公爵家の令嬢達は、他国にも名の知れた淑女であり、王太子レオポルドの婚約者候補に名を連ねた。 「絶対にお断りだわ」 「全員一緒に断りましょうよ」  ちょうど流行している物語の主人公のように演出し、道化を演じて退場していただきましょう。王家も貴族のひとつ、慣習や礼儀作法は守っていただかないと困ります。公爵令嬢3人の策略が花開く!   ハッピーエンド確定、6話完結 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、ノベルアップ+ ※2022/05/25、小説家になろう 恋愛日間20位 ※2022/05/25、カクヨム 恋愛週間27位 ※2022/05/24、小説家になろう 恋愛日間19位 ※2022/05/24、カクヨム 恋愛週間29位 ※2022/05/23、小説家になろう 恋愛日間27位  ※2022/05/21、完結(全6話) ※2022/05/21、カクヨム 恋愛週間41位 ※2022/05/20、アルファポリス HOT21位 ※2022/05/19、エブリスタ 恋愛トレンド28位

私を追い出した後に後悔しても知りません

天宮有
恋愛
伯爵家の次女マイラは、結婚してすぐ夫ラドスに仕事を押しつけられてしまう。 ラドスは他国へ旅行に行って、その間マイラが働き成果を出していた。 1ヶ月後に戻ってきた夫は、マイラの姉ファゾラと結婚すると言い出す。 ラドスはファゾラと旅行するために、マイラを働かせていたようだ。 全て想定していたマイラは離婚を受け入れて、家族から勘当を言い渡されてしまう。 その後「妹より優秀」と話していたファゾラが、マイラより劣っていると判明する。 ラドスはマイラを連れ戻そうとするも、どこにいるのかわからなくなっていた。

王太子殿下との思い出は、泡雪のように消えていく

木風
恋愛
王太子殿下の生誕を祝う夜会。 侯爵令嬢にとって、それは一生に一度の夢。 震える手で差し出された御手を取り、ほんの数分だけ踊った奇跡。 二度目に誘われたとき、心は淡い期待に揺れる。 けれど、その瞳は一度も自分を映さなかった。 殿下の視線の先にいるのは誰よりも美しい、公爵令嬢。 「ご一緒いただき感謝します。この後も楽しんで」 優しくも残酷なその言葉に、胸の奥で夢が泡雪のように消えていくのを感じた。 ※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」「エブリスタ」にて同時掲載しております。 表紙イラストは、雪乃さんに描いていただきました。 ※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。 ©︎泡雪 / 木風 雪乃

処理中です...