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拗らせ令嬢の日常
「ウィステリア、貴方また縁談を断ったの?」
ジャッカス伯爵邸の陽だまりの落ちる茶の間で、幼馴染のマルグリットが呆れたように溜息をついた。
二十歳になったウィステリアは、刺繍の手を止めることなく「ええ」と短く答える。
「だってお相手は、子爵家の三男坊よ? 笑顔が爽やかすぎて、裏で何を考えているか分かったものじゃないわ。きっと、結婚した瞬間に愛人を作るタイプに違いないもの」
「……考えすぎよ。彼は誠実で有名なのに」
ウィステリアは鼻で笑った。
誠実? そんな言葉、この世で最も信用できない。
かつて、誰よりも誠実そうな顔をして「お嫁さんにおいで」と囁いた少年は、その裏で妖艶な美女の腰を抱いていたのだ。
五年前、アルバートとの口約束の婚約を解消して以来、ウィステリアの「男性鑑定眼」は異常なまでに歪んでしまっていた。
優しくされれば「下心がある」と疑い。
冷たくされれば「本性が出た」と蔑み。
情熱的に口説かれれば「他の女にも同じことを言っている」と耳を塞ぐ。
結果として、社交界での彼女の二つ名は『氷の拗らせ令嬢』。
せっかくの愛らしい茶色の瞳も、今では殿方たちを値踏みし、切り捨てるための鋭い武器と化していた。
「ウィズ、あまりそんな顔をするな。眉間に皺が寄るぞ」
そこへ、兄のリチャードが入ってきた。彼は妹の好物である焼き菓子を皿に置き、心配そうに頭を撫でる。
「お兄様……。私、行き遅れと言われても平気です。誰かに裏切られて泣くくらいなら、一生お兄様の側で独身を通しますわ」
「それは嬉しいが……。だが、父上も心配しているんだ。昨夜のノッテンダム公爵の件もある」
その名前が出た瞬間、ウィステリアの身体が強張った。
数日前の公爵邸での出来事。
借金を盾に取られ、突きつけられた再度の婚約。
あの冷酷な青い瞳と、耳元で囁かれた執着に満ちた声が、夜ごとに彼女の夢を侵食している。
「……あの方は、昔とは別人です。いえ、昔からあんなに恐ろしい人だったのを、私が見抜けなかっただけ」
「あいつの執念深さは異常だ。だがウィズ、今の伯爵家にはあいつに抗う力がない。……すまない、兄が無力なばかりに」
リチャードが悔しそうに顔を歪める。
ウィステリアは慌てて兄の手を握った。
「いいえ、お兄様は悪くありません! 悪いのは、あんな卑怯な手を使うアルバート様です。……でも、ただで頷くつもりはありませんわ」
ウィステリアの瞳に、負けん気の強い光が宿る。
彼女は「拗らせ」てはいるが、決して折れたわけではない。
( 私を裏切っておきながら、今さら『愛している』なんて。……笑わせないで。どうせ私は、あなたのコレクションの一つに過ぎないのでしょう?)
日常は、一見穏やかに過ぎていく。
庭園を散歩し、読書をし、兄と語らう。
けれど、街へ出れば公爵家の紋章が入った馬車が必ず視界に入り、夜会に出ればアルバートの差し向けた「監視役」のような視線を感じる。
ある日、ウィステリアの元に一束の大きな花束が届いた。
真っ赤な薔薇――花言葉は『あなたを愛しています』。
贈り主の名は書かれていなかったが、添えられたカードには、見覚えのある流麗な文字でたった一行、こう記されていた。『準備は整った。明日、迎えに行く』。
「……準備って、何の……っ」
その直後、執事が血相を変えて飛び込んできた。
「旦那様、大変です! 国王陛下より、ウィステリアお嬢様とノッテンダム公爵の婚約を『承認』するとの親書が届きました!」
「なんですって!?」
ジャッカス伯爵家の意思も、ウィステリアの返答も待たず、アルバートは王室の権威すら動かして外堀を完全に埋めてしまったのだ。
かつて、五歳のウィステリアが夢見た「お嫁さん」への道。
それは、お伽話のような甘い物語ではなく、逃げ場のない檻の中へと続く、強制連行の道へと塗り替えられていた。
「優しい嘘」を卒業したアルバートが選んだのは、剥き出しの「暴力的な独占欲」。
拗らせ令嬢・ウィステリアの平穏な日常は、この日、完全に終わりを告げた。
_________
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ジャッカス伯爵邸の陽だまりの落ちる茶の間で、幼馴染のマルグリットが呆れたように溜息をついた。
二十歳になったウィステリアは、刺繍の手を止めることなく「ええ」と短く答える。
「だってお相手は、子爵家の三男坊よ? 笑顔が爽やかすぎて、裏で何を考えているか分かったものじゃないわ。きっと、結婚した瞬間に愛人を作るタイプに違いないもの」
「……考えすぎよ。彼は誠実で有名なのに」
ウィステリアは鼻で笑った。
誠実? そんな言葉、この世で最も信用できない。
かつて、誰よりも誠実そうな顔をして「お嫁さんにおいで」と囁いた少年は、その裏で妖艶な美女の腰を抱いていたのだ。
五年前、アルバートとの口約束の婚約を解消して以来、ウィステリアの「男性鑑定眼」は異常なまでに歪んでしまっていた。
優しくされれば「下心がある」と疑い。
冷たくされれば「本性が出た」と蔑み。
情熱的に口説かれれば「他の女にも同じことを言っている」と耳を塞ぐ。
結果として、社交界での彼女の二つ名は『氷の拗らせ令嬢』。
せっかくの愛らしい茶色の瞳も、今では殿方たちを値踏みし、切り捨てるための鋭い武器と化していた。
「ウィズ、あまりそんな顔をするな。眉間に皺が寄るぞ」
そこへ、兄のリチャードが入ってきた。彼は妹の好物である焼き菓子を皿に置き、心配そうに頭を撫でる。
「お兄様……。私、行き遅れと言われても平気です。誰かに裏切られて泣くくらいなら、一生お兄様の側で独身を通しますわ」
「それは嬉しいが……。だが、父上も心配しているんだ。昨夜のノッテンダム公爵の件もある」
その名前が出た瞬間、ウィステリアの身体が強張った。
数日前の公爵邸での出来事。
借金を盾に取られ、突きつけられた再度の婚約。
あの冷酷な青い瞳と、耳元で囁かれた執着に満ちた声が、夜ごとに彼女の夢を侵食している。
「……あの方は、昔とは別人です。いえ、昔からあんなに恐ろしい人だったのを、私が見抜けなかっただけ」
「あいつの執念深さは異常だ。だがウィズ、今の伯爵家にはあいつに抗う力がない。……すまない、兄が無力なばかりに」
リチャードが悔しそうに顔を歪める。
ウィステリアは慌てて兄の手を握った。
「いいえ、お兄様は悪くありません! 悪いのは、あんな卑怯な手を使うアルバート様です。……でも、ただで頷くつもりはありませんわ」
ウィステリアの瞳に、負けん気の強い光が宿る。
彼女は「拗らせ」てはいるが、決して折れたわけではない。
( 私を裏切っておきながら、今さら『愛している』なんて。……笑わせないで。どうせ私は、あなたのコレクションの一つに過ぎないのでしょう?)
日常は、一見穏やかに過ぎていく。
庭園を散歩し、読書をし、兄と語らう。
けれど、街へ出れば公爵家の紋章が入った馬車が必ず視界に入り、夜会に出ればアルバートの差し向けた「監視役」のような視線を感じる。
ある日、ウィステリアの元に一束の大きな花束が届いた。
真っ赤な薔薇――花言葉は『あなたを愛しています』。
贈り主の名は書かれていなかったが、添えられたカードには、見覚えのある流麗な文字でたった一行、こう記されていた。『準備は整った。明日、迎えに行く』。
「……準備って、何の……っ」
その直後、執事が血相を変えて飛び込んできた。
「旦那様、大変です! 国王陛下より、ウィステリアお嬢様とノッテンダム公爵の婚約を『承認』するとの親書が届きました!」
「なんですって!?」
ジャッカス伯爵家の意思も、ウィステリアの返答も待たず、アルバートは王室の権威すら動かして外堀を完全に埋めてしまったのだ。
かつて、五歳のウィステリアが夢見た「お嫁さん」への道。
それは、お伽話のような甘い物語ではなく、逃げ場のない檻の中へと続く、強制連行の道へと塗り替えられていた。
「優しい嘘」を卒業したアルバートが選んだのは、剥き出しの「暴力的な独占欲」。
拗らせ令嬢・ウィステリアの平穏な日常は、この日、完全に終わりを告げた。
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