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わたし、公爵令嬢になります!
アルカディア商会の奥にある一室は、公爵邸の澱んだ空気とは対照的に、柔らかな午後の陽光とハーブティーの香りに満ちていた。しかし、そこで交わされる会話は、商会の命運をも左右しかねない緊迫したものだった。
「公爵家へなど、二度と向かう必要はないわ」
母ベアトリスが、毅然とした口調で断言した。かつての「公爵令嬢」としての威厳を漂わせながらも、その瞳には娘を案じる母の情愛が揺れている。
父エリックも、いつになく険しい表情で頷いた。
「デイジー、私も反対だ。学生時代、私が平民だというだけで受けた、あの屈辱的な視線、賎民意識の塊のような連中の非情さを、お前に味合わせたくない。貴族社会は、人を人と思わぬ魔窟だ」
前会頭である祖父母までもが、デイジーの手を握りしめ、「ここで暮らしなさい、お前は商会の宝なんだから」と引き留める。
しかし、デイジーはそっと眼鏡を外し、カツラを脱いだ。
零れ落ちたのは、太陽の光を凝縮したような目も眩む黄金の髪。そして、眼鏡の奥に隠されていたのは、すべてを見通すような理知的な青い瞳だった。
「……いいえ。わたし、公爵家へ行くわ」
その声は、十四歳の少女のものとは思えないほど深く、凛としていた。
「フランソワ伯父様は、最後まで領民と、この国の未来を案じておられました。あの腐りかけた公爵邸で、唯一、真の高貴さを保とうとした伯父様の遺志を、無能な親族たちの好き勝手にはさせません。……可愛がってもらった恩返しがしたいの」
デイジーは驚く両親を見つめ、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「心配しないで。お父さんとお母さんは、とっても仲が良いんですもの。わたしが向こうで暴れている間に、もう一人くらい赤ちゃんを授かるわ。そんな気がするのよ」
「なっ……デイジー!」
エリックとベアトリスが同時に顔を赤くし、顔を見合わせる。その様子を見て、祖父母が堪えきれずに吹き出した。
「はっはっは! こりゃ一本取られたな。……よし、デイジー。やってみなさい。だが、これだけは約束しておくれ。辛い時は必ず頼ること。助けを求めるのは、情けないことでも、みっともないことでもない。私たちは、お前が幸せでいることだけを願っているんだからね」
家族の温かな愛を背中に受け、デイジーは「黄金の令嬢」としての第一歩を踏み出した。
『流行病による急死』と発表されたフランソワとその妻エメリア。しかし、エメリアの実家であるゴードン侯爵家には、内々に「真実」が伝えられていた。
「……エメリアが、フランソワ殿を……?」
事の顛末を聞かされた侯爵夫妻は、愛娘の犯した罪の重さと、そこまで彼女を追い詰めた公爵邸の闇に絶望し、そのまま床に臥してしまった。代わって葬儀に出席することになったのは、現当主である兄、ジェームス侯爵だった。
ジェームスは、妹を狂わせた公爵夫妻への静かな怒りと、妹が奪ってしまった至宝・フランソワへの深い懺悔を胸に、葬列に加わった。
葬儀当日。
参列者たちは、二つの亡骸よりも、ある親子の姿に目を奪われることとなった。
注目の的は、十七年前に貴族籍を捨てた公爵令嬢ベアトリスと、その平民の夫。そしてその傍らに立つ、見慣れぬ美しい少女だった。
「……あの美姫は誰だ?」
「平民に嫁いだベアトリス様の娘だと? まさか、これほどの輝きを放つとは……」
カツラと眼鏡という「地味な殻」を脱ぎ捨てたデイジーの姿は、腐敗しきった貴族たちの目を焼くほどに鮮烈だった。
その裏で、デイジーはすでに「契約」を完了させていた。
後継者を失い、商会の財力に頼るしかなくなった公爵夫妻に対し、母ベアトリスが突きつけたのは、デイジーへの「邸内での発言権」と「重要事項の決定権」を譲渡させるという、事実上の統治権委譲の契約書だった。
渋るミカエル公爵に、ベアトリスは冷ややかに告げた。
「サインを。さもなくば、お兄様が最期まで守ろうとした領地の負債、アルカディア商会は一切肩代わりいたしませんわ」
震える手でサインする公爵を見届け、デイジー公爵令嬢が誕生した。
____________
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「公爵家へなど、二度と向かう必要はないわ」
母ベアトリスが、毅然とした口調で断言した。かつての「公爵令嬢」としての威厳を漂わせながらも、その瞳には娘を案じる母の情愛が揺れている。
父エリックも、いつになく険しい表情で頷いた。
「デイジー、私も反対だ。学生時代、私が平民だというだけで受けた、あの屈辱的な視線、賎民意識の塊のような連中の非情さを、お前に味合わせたくない。貴族社会は、人を人と思わぬ魔窟だ」
前会頭である祖父母までもが、デイジーの手を握りしめ、「ここで暮らしなさい、お前は商会の宝なんだから」と引き留める。
しかし、デイジーはそっと眼鏡を外し、カツラを脱いだ。
零れ落ちたのは、太陽の光を凝縮したような目も眩む黄金の髪。そして、眼鏡の奥に隠されていたのは、すべてを見通すような理知的な青い瞳だった。
「……いいえ。わたし、公爵家へ行くわ」
その声は、十四歳の少女のものとは思えないほど深く、凛としていた。
「フランソワ伯父様は、最後まで領民と、この国の未来を案じておられました。あの腐りかけた公爵邸で、唯一、真の高貴さを保とうとした伯父様の遺志を、無能な親族たちの好き勝手にはさせません。……可愛がってもらった恩返しがしたいの」
デイジーは驚く両親を見つめ、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「心配しないで。お父さんとお母さんは、とっても仲が良いんですもの。わたしが向こうで暴れている間に、もう一人くらい赤ちゃんを授かるわ。そんな気がするのよ」
「なっ……デイジー!」
エリックとベアトリスが同時に顔を赤くし、顔を見合わせる。その様子を見て、祖父母が堪えきれずに吹き出した。
「はっはっは! こりゃ一本取られたな。……よし、デイジー。やってみなさい。だが、これだけは約束しておくれ。辛い時は必ず頼ること。助けを求めるのは、情けないことでも、みっともないことでもない。私たちは、お前が幸せでいることだけを願っているんだからね」
家族の温かな愛を背中に受け、デイジーは「黄金の令嬢」としての第一歩を踏み出した。
『流行病による急死』と発表されたフランソワとその妻エメリア。しかし、エメリアの実家であるゴードン侯爵家には、内々に「真実」が伝えられていた。
「……エメリアが、フランソワ殿を……?」
事の顛末を聞かされた侯爵夫妻は、愛娘の犯した罪の重さと、そこまで彼女を追い詰めた公爵邸の闇に絶望し、そのまま床に臥してしまった。代わって葬儀に出席することになったのは、現当主である兄、ジェームス侯爵だった。
ジェームスは、妹を狂わせた公爵夫妻への静かな怒りと、妹が奪ってしまった至宝・フランソワへの深い懺悔を胸に、葬列に加わった。
葬儀当日。
参列者たちは、二つの亡骸よりも、ある親子の姿に目を奪われることとなった。
注目の的は、十七年前に貴族籍を捨てた公爵令嬢ベアトリスと、その平民の夫。そしてその傍らに立つ、見慣れぬ美しい少女だった。
「……あの美姫は誰だ?」
「平民に嫁いだベアトリス様の娘だと? まさか、これほどの輝きを放つとは……」
カツラと眼鏡という「地味な殻」を脱ぎ捨てたデイジーの姿は、腐敗しきった貴族たちの目を焼くほどに鮮烈だった。
その裏で、デイジーはすでに「契約」を完了させていた。
後継者を失い、商会の財力に頼るしかなくなった公爵夫妻に対し、母ベアトリスが突きつけたのは、デイジーへの「邸内での発言権」と「重要事項の決定権」を譲渡させるという、事実上の統治権委譲の契約書だった。
渋るミカエル公爵に、ベアトリスは冷ややかに告げた。
「サインを。さもなくば、お兄様が最期まで守ろうとした領地の負債、アルカディア商会は一切肩代わりいたしませんわ」
震える手でサインする公爵を見届け、デイジー公爵令嬢が誕生した。
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