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妹の超えた一線
婚約者であるピエール様は、すでにこの屋敷の一員のように出入りしていた。
夜会の後、そのまま客室に滞在することも、ごく自然な流れになっている。
夜は、いつもより静かだった。
屋敷の廊下には人の気配がなく、灯りも最低限に落とされている。
その静けさの中で、足音だけがわずかに響く。
「……まだ起きていらしたのね」
声をかけたのは、マリーアンだった。
薄い夜着のまま、壁に寄りかかるように立っている。
その姿はどこか無防備で、けれど計算された距離にあるようにも見えた。
「眠れなくてね」
ピエールは軽く肩をすくめる。
いつもの調子だった。
軽くて、柔らかくて、隙のない声。
「少しだけ、お話してもいい?」
「もちろん」
迷いはなかった。
それはいつもの彼の反応。
拒絶しない。遮らない。受け入れる。
マリーアンは一歩近づく。
距離は、意図的に詰められていた。
「ねえ、ピエール様」
「なんだい?」
「フローディアお姉様のこと、本当に好きなの?」
一瞬だけ、空気が止まる。
問いは軽い。
けれど、その奥にある意味は軽くない。
「もちろんだよ」
ピエールは即答する。
「フローディアは特別だ」
その言葉に、マリーアンは小さく笑った。
「特別、ね」
その響きは、どこか試すようだった。
「じゃあ……」
彼女はさらに一歩、距離を詰める。
ほとんど触れ合うほどの近さ。
「私がこうしても、平気なの?」
そう言って、マリーアンは彼の胸元に手を置いた。
ゆっくりと、確かめるように。
ピエールの動きが、ほんのわずかに止まる。
拒めばいい。
距離を取ればいい。
それだけで、この状況は終わる。
けれど彼は、そうしなかった。
「マリーアン嬢」
名前を呼ぶ。その声には、わずかな迷いが混じっていた。
「だめ、ですか?」
見上げる視線。
無邪気で、柔らかくて、逃げ場を与えない。
沈黙が落ちる。
それは長くはなかった。ほんの数秒。
けれど、その数秒で十分だった。
ピエールは、彼女の手を取った。
止めるためではなく。
そのまま、自分の方へ引き寄せる。
「……君は危ないね」
小さく、笑う。
「そういう顔をするのは、反則だ」
その言葉は、拒絶ではなかった。
むしろ、受け入れの前触れだった。
マリーアンは何も言わない。
ただ、そのまま彼の腕の中に収まる。
距離は、完全に消えた。
倫理も、境界も、言葉にされることはない。
ただ静かに、越えられる。
それは激しいものではなかった。
むしろ、あまりにも自然で。まるで最初からそうなることが決まっていたかのように。
「……内緒よ?」
マリーアンが小さく囁く。
ピエールは答えない。
ただ、その言葉を否定もしなかった。
それで十分だった。
その夜。
屋敷の中で起きた出来事を、知る者はいない。
フローディアは、自室で静かに眠っている。
穏やかな呼吸。
何も知らないままの安らぎ。
そのすぐ近くで、何かが決定的に変わったことにも気づかずに。
翌朝、すべてはいつも通りに戻る。
食卓には同じ顔ぶれ。
同じ会話。
同じ笑顔。
違うのは、ただ一つ。
もう戻れない場所を、誰かが踏み越えたという事実だけだった。
そしてその事実は、音もなく積み重なっていく。
静かに。
確実に。
崩壊へ向かう形で。
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夜会の後、そのまま客室に滞在することも、ごく自然な流れになっている。
夜は、いつもより静かだった。
屋敷の廊下には人の気配がなく、灯りも最低限に落とされている。
その静けさの中で、足音だけがわずかに響く。
「……まだ起きていらしたのね」
声をかけたのは、マリーアンだった。
薄い夜着のまま、壁に寄りかかるように立っている。
その姿はどこか無防備で、けれど計算された距離にあるようにも見えた。
「眠れなくてね」
ピエールは軽く肩をすくめる。
いつもの調子だった。
軽くて、柔らかくて、隙のない声。
「少しだけ、お話してもいい?」
「もちろん」
迷いはなかった。
それはいつもの彼の反応。
拒絶しない。遮らない。受け入れる。
マリーアンは一歩近づく。
距離は、意図的に詰められていた。
「ねえ、ピエール様」
「なんだい?」
「フローディアお姉様のこと、本当に好きなの?」
一瞬だけ、空気が止まる。
問いは軽い。
けれど、その奥にある意味は軽くない。
「もちろんだよ」
ピエールは即答する。
「フローディアは特別だ」
その言葉に、マリーアンは小さく笑った。
「特別、ね」
その響きは、どこか試すようだった。
「じゃあ……」
彼女はさらに一歩、距離を詰める。
ほとんど触れ合うほどの近さ。
「私がこうしても、平気なの?」
そう言って、マリーアンは彼の胸元に手を置いた。
ゆっくりと、確かめるように。
ピエールの動きが、ほんのわずかに止まる。
拒めばいい。
距離を取ればいい。
それだけで、この状況は終わる。
けれど彼は、そうしなかった。
「マリーアン嬢」
名前を呼ぶ。その声には、わずかな迷いが混じっていた。
「だめ、ですか?」
見上げる視線。
無邪気で、柔らかくて、逃げ場を与えない。
沈黙が落ちる。
それは長くはなかった。ほんの数秒。
けれど、その数秒で十分だった。
ピエールは、彼女の手を取った。
止めるためではなく。
そのまま、自分の方へ引き寄せる。
「……君は危ないね」
小さく、笑う。
「そういう顔をするのは、反則だ」
その言葉は、拒絶ではなかった。
むしろ、受け入れの前触れだった。
マリーアンは何も言わない。
ただ、そのまま彼の腕の中に収まる。
距離は、完全に消えた。
倫理も、境界も、言葉にされることはない。
ただ静かに、越えられる。
それは激しいものではなかった。
むしろ、あまりにも自然で。まるで最初からそうなることが決まっていたかのように。
「……内緒よ?」
マリーアンが小さく囁く。
ピエールは答えない。
ただ、その言葉を否定もしなかった。
それで十分だった。
その夜。
屋敷の中で起きた出来事を、知る者はいない。
フローディアは、自室で静かに眠っている。
穏やかな呼吸。
何も知らないままの安らぎ。
そのすぐ近くで、何かが決定的に変わったことにも気づかずに。
翌朝、すべてはいつも通りに戻る。
食卓には同じ顔ぶれ。
同じ会話。
同じ笑顔。
違うのは、ただ一つ。
もう戻れない場所を、誰かが踏み越えたという事実だけだった。
そしてその事実は、音もなく積み重なっていく。
静かに。
確実に。
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