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クジ引きの先の真実
王宮の広大な庭園に、夜の帳が静かに降りていた。
今夜は、王太子アルバート殿下主催の春の晩餐会。私とウィリアム様が、正式に婚約者としてお披露目されてからちょうど一ヶ月が経とうとしていた。
会場の喧騒を離れ、私は一人、噴水のほとりに立っていた。
温室でのあの告白以来、ウィリアム様の言葉は私の心の中で何度も反芻されていた。「君がナターシャ・ローランドだから、今ここにいる」――その言葉を信じたい自分と、まだどこかで「私は景品に過ぎない」と囁く自分が、胸の中でせめぎ合っていた。
「……やはり、ここか」
聞き慣れた、けれど以前よりもずっと体温を感じさせる低い声。
振り返ると、月光を背負ってウィリアム様が歩み寄ってくるところだった。彼の纏う空気は、かつての「氷の貴公子」そのものだが、私を見つめる翡翠の瞳だけは、熱い情愛を隠そうともしていない。
「ウィリアム様。……殿下がお呼びではありませんでしたか?」
「殿下なら、今は新しいワインの銘柄にご執心だ。……ナターシャ、君に渡したいものがある」
彼は私の前に立つと、懐から小さく折り畳まれた、一枚の紙を取り出した。
それは、あの日、王太子のサロンで彼が引き当てたはずの、あの「くじ」だった。
「これは……」
「君を傷つけた、元凶だ。……これがある限り、君の心には影が差し続けるだろう」
ウィリアム様は、その紙を私の目の前でゆっくりと広げた。
そこには確かに、『ローランド伯爵家 ナターシャ』と、侍従の無機質な筆跡で記されている。
私は胸が締め付けられるような思いで、その忌まわしい名前を見つめた。
「ナターシャ。私は、この紙を破り捨てに来たわけではない」
彼はそう言うと、羽ペンの代わりに自らの指先で、その紙の余白に何かを書き加えた。
驚いて覗き込むと、そこには彼の端正な筆跡で、こう付け加えられていた。
『私、ウィリアム・ドリトンが、生涯をかけて愛することを誓う、唯一の女性』
「……っ」
「始まりが何であれ、私はこの紙を引き当てた幸運に、毎日感謝している。もし別の名前が書いてあったとしても、私はきっと、何らかの理由をつけて君の元へ辿り着いていただろう。……くじが私を君に導いたのではない。私が、君を求めていたんだ」
至近距離で、彼は私の手を取り、その甲に深く、誓いを立てるような口づけを落とした。
その唇の熱さが、私の頑なな心を最期のひとかけらまで溶かしていく。
――ああ、もう、演技だなんて疑えない。
これほどまでに不器用で、まっすぐな瞳で愛を乞う人を、どうして「冷徹」だなんて思えたのかしら。
「ウィリアム様……。私も、愚かでした。貴方の優しさを義務だと決めつけて、自分から幸せを遠ざけていたのは、私の方ですわ」
私は、溢れ出した涙を拭うこともせず、微笑んだ。
それは完璧な淑女の仮面ではなく、恋を知った一人の少女の、等身大の笑顔だった。
「私は……ハズレくじなんかじゃない。貴方に見つけていただいたことで、世界で一番の幸せ者になれました」
その言葉を聞いた瞬間、ウィリアム様の表情が劇的に崩れた。
安心したような、そして狂おしいほどの情熱を湛えた顔で、彼は私を強く、折れんばかりに抱き寄せた。
「……もう二度と、君を離さない。誰にも、殿下にさえも、君を譲るつもりはない」
耳元で囁かれる、独占欲に満ちた低い声。
かつては「所有物扱い」だと誤解したその重みが、今は愛おしくてたまらない。
私は彼の胸に顔を埋め、心地よいシダーウッドの香りに包まれながら、静かに目を閉じた。
遠くで、晩餐会の華やかな音楽が聞こえてくる。
けれど、今の私たちには、二人だけの静寂があれば十分だった。
始まりは、王太子の気まぐれな賭けだったかもしれない。
始まりは、不本意な罰ゲームだったのかもしれない。
けれど、その偶然の糸を、運命という名の強い絆に編み上げたのは、紛れもなく私たちの意志だった。
「ナターシャ、愛している。……義務ではなく、一人の男として」
「はい、ウィリアム様。私も、貴方を……心から、お慕いしております」
月光が照らす噴水の前で、二人の影が重なり、甘い口づけが交わされる。
「氷の貴公子」と「地味な伯爵令嬢」。
すれ違い続けた二人の物語は、今、最高に幸福な幕切れを迎え、そして新しい、終わりのない恋の物語へと続いていく。
――後日、王太子アルバートは、ウィリアムが大切に仕舞い込んでいる「クジ」の紙を見つけ、ニヤリと笑ってこう呟いたという。
「まったく、あの頑固者が。……あの日、侍従に命じて、箱の中の紙すべてに『ナターシャ』の名前を書かせた努力が報われて良かったな」
どれを引いても彼女に辿り着くように仕組んでいた、親友のあまりにも執拗で、一途な策略。
その真実をナターシャが知るのは、もう少し先、彼との間に子供が生まれる頃のこと。
けれど、その時の彼女なら、きっと笑って彼を許すに違いない。
だって、それほどまでに彼は、彼女を愛し続けているのだから。
ハッピーエンド
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今夜は、王太子アルバート殿下主催の春の晩餐会。私とウィリアム様が、正式に婚約者としてお披露目されてからちょうど一ヶ月が経とうとしていた。
会場の喧騒を離れ、私は一人、噴水のほとりに立っていた。
温室でのあの告白以来、ウィリアム様の言葉は私の心の中で何度も反芻されていた。「君がナターシャ・ローランドだから、今ここにいる」――その言葉を信じたい自分と、まだどこかで「私は景品に過ぎない」と囁く自分が、胸の中でせめぎ合っていた。
「……やはり、ここか」
聞き慣れた、けれど以前よりもずっと体温を感じさせる低い声。
振り返ると、月光を背負ってウィリアム様が歩み寄ってくるところだった。彼の纏う空気は、かつての「氷の貴公子」そのものだが、私を見つめる翡翠の瞳だけは、熱い情愛を隠そうともしていない。
「ウィリアム様。……殿下がお呼びではありませんでしたか?」
「殿下なら、今は新しいワインの銘柄にご執心だ。……ナターシャ、君に渡したいものがある」
彼は私の前に立つと、懐から小さく折り畳まれた、一枚の紙を取り出した。
それは、あの日、王太子のサロンで彼が引き当てたはずの、あの「くじ」だった。
「これは……」
「君を傷つけた、元凶だ。……これがある限り、君の心には影が差し続けるだろう」
ウィリアム様は、その紙を私の目の前でゆっくりと広げた。
そこには確かに、『ローランド伯爵家 ナターシャ』と、侍従の無機質な筆跡で記されている。
私は胸が締め付けられるような思いで、その忌まわしい名前を見つめた。
「ナターシャ。私は、この紙を破り捨てに来たわけではない」
彼はそう言うと、羽ペンの代わりに自らの指先で、その紙の余白に何かを書き加えた。
驚いて覗き込むと、そこには彼の端正な筆跡で、こう付け加えられていた。
『私、ウィリアム・ドリトンが、生涯をかけて愛することを誓う、唯一の女性』
「……っ」
「始まりが何であれ、私はこの紙を引き当てた幸運に、毎日感謝している。もし別の名前が書いてあったとしても、私はきっと、何らかの理由をつけて君の元へ辿り着いていただろう。……くじが私を君に導いたのではない。私が、君を求めていたんだ」
至近距離で、彼は私の手を取り、その甲に深く、誓いを立てるような口づけを落とした。
その唇の熱さが、私の頑なな心を最期のひとかけらまで溶かしていく。
――ああ、もう、演技だなんて疑えない。
これほどまでに不器用で、まっすぐな瞳で愛を乞う人を、どうして「冷徹」だなんて思えたのかしら。
「ウィリアム様……。私も、愚かでした。貴方の優しさを義務だと決めつけて、自分から幸せを遠ざけていたのは、私の方ですわ」
私は、溢れ出した涙を拭うこともせず、微笑んだ。
それは完璧な淑女の仮面ではなく、恋を知った一人の少女の、等身大の笑顔だった。
「私は……ハズレくじなんかじゃない。貴方に見つけていただいたことで、世界で一番の幸せ者になれました」
その言葉を聞いた瞬間、ウィリアム様の表情が劇的に崩れた。
安心したような、そして狂おしいほどの情熱を湛えた顔で、彼は私を強く、折れんばかりに抱き寄せた。
「……もう二度と、君を離さない。誰にも、殿下にさえも、君を譲るつもりはない」
耳元で囁かれる、独占欲に満ちた低い声。
かつては「所有物扱い」だと誤解したその重みが、今は愛おしくてたまらない。
私は彼の胸に顔を埋め、心地よいシダーウッドの香りに包まれながら、静かに目を閉じた。
遠くで、晩餐会の華やかな音楽が聞こえてくる。
けれど、今の私たちには、二人だけの静寂があれば十分だった。
始まりは、王太子の気まぐれな賭けだったかもしれない。
始まりは、不本意な罰ゲームだったのかもしれない。
けれど、その偶然の糸を、運命という名の強い絆に編み上げたのは、紛れもなく私たちの意志だった。
「ナターシャ、愛している。……義務ではなく、一人の男として」
「はい、ウィリアム様。私も、貴方を……心から、お慕いしております」
月光が照らす噴水の前で、二人の影が重なり、甘い口づけが交わされる。
「氷の貴公子」と「地味な伯爵令嬢」。
すれ違い続けた二人の物語は、今、最高に幸福な幕切れを迎え、そして新しい、終わりのない恋の物語へと続いていく。
――後日、王太子アルバートは、ウィリアムが大切に仕舞い込んでいる「クジ」の紙を見つけ、ニヤリと笑ってこう呟いたという。
「まったく、あの頑固者が。……あの日、侍従に命じて、箱の中の紙すべてに『ナターシャ』の名前を書かせた努力が報われて良かったな」
どれを引いても彼女に辿り着くように仕組んでいた、親友のあまりにも執拗で、一途な策略。
その真実をナターシャが知るのは、もう少し先、彼との間に子供が生まれる頃のこと。
けれど、その時の彼女なら、きっと笑って彼を許すに違いない。
だって、それほどまでに彼は、彼女を愛し続けているのだから。
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