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崩れ始めた生活
ジェシカという「家庭の礎」を自ら叩き壊した報いは、テリーの想像を遥かに超える速度で、その生活を侵食していった。
かつて、ジェシカがいた頃は、テリーが仕事から戻れば、家の中には常に清涼な空気が満ち、磨き上げられた床がランプの光を反射していた。だが今の自宅は、足の踏み場もないほどのゴミ屋敷と化している。
「ちょっとアンナさん! この洗濯物、いつまで放置しておくつもり!? 私の新しいドレスがシワだらけじゃない!」
「うるさいねぇ、ミレイヌ! 妊婦だからって踏んぞり返ってんじゃないよ。あんたの実家の商会がちっとも金を寄越さないから、こっちは食い繋ぐので精一杯なんだよ!」
義母アンナと、浮気相手から「居候」へと成り下がったミレイヌの罵声が絶えず響く。ジェシカがいた頃は、彼女の商会での稼ぎが生活を潤し、テリーの給料はまるごと娯楽に使えていた。しかし今は、家事能力皆無の女たちが、テリーの乏しい俸給を奪い合うように使い果たしていく。
何よりテリーを苛立たせたのは、ミレイヌの身勝手な振る舞いだった。
彼女は「次期副隊長候補である騎士の妻」という座に執着し、籍を入れる予定もないにもかかわらず、お腹の子供を盾に騎士団の詰め所にまで顔を出すようになったのだ。
「皆様、お疲れ様です。『テリーの妻』、ミレイヌですわ。……あら、そちらの騎士様。その傷、痛むのではなくて?」
膨らみ始めたお腹を隠しもせず、ミレイヌはテリーの同僚たち、それも若くて見目のいい騎士たち限定で、あからさまに色目を使い始めた。彼女にとって、日に日に薄汚れていくテリーはもはや「賞味期限切れ」になりつつあり、本能的に次の寄生先を探していたのだ。
当然、その不謹慎な振る舞いは騎士団内で格好の噂の種となった。
「おい、テリー。お前の『新しい奥さん』、随分と積極的じゃないか。さっきも新入りのエドワードを捕まえて、えらく熱心に話し込んでいたぞ」
「……不倫で前妻を追い出したと思ったら、今度はその相手に浮気されるのか? 傑作だな」
同僚たちからの冷ややかな嘲笑と憐れみの視線。テリーのプライドはズタズタに引き裂かれた。かつてのジェシカは、どれほど忙しくても決して出しゃばらず、それでいてテリーの体面を完璧に保つ「誇れる妻」だった。その価値に、泥沼に首まで浸かってからようやく気づくのだ。
帰宅するなり、テリーの怒号が爆発した。
「ミレイヌ! 何のつもりで詰め所に来た! 貴様のせいで、俺は団内で笑いものだ!」
「何よ! 私はただ、あなたの子供を抱えて心細いから行っただけじゃない! 大体、あなたの稼ぎが少なすぎるのがいけないのよ! ろくなデートもできないなんて、騎士の妻が聞いて呆れるわ!」
食器が割れる音と、女たちの泣き叫ぶ声。
かつての静謐で温かな「家」は、今や近所でも有名な「騒音と悪臭の館」へと成り下がっていた。
一方、テリーたちの知らないところで、人々の心には「消えたジェシカ」への追慕が広がっていた。
テリーの家の隣に住む老夫婦は、荒れ果てた庭を眺めて溜息をつく。
「……隣の奥さんは、あんなに綺麗に花を咲かせていたのにねぇ。今じゃ雑草だらけで、嫌な臭いまでしてくるよ」
「ああ。冬には必ず、手作りの温かな焼き菓子を届けてくれたものだが……。あの男も馬鹿だね。あんなにできた奥さん、一生かかっても二度と出会えるものじゃないよ」
その評価は、騎士団の末端にまで及んでいた。
受付の職員や、馬の世話をする厩番たちは、テリーが通り過ぎるたびに顔を顰めて囁き合う。
「最近のテリーさん、見てよあのみっともない格好。騎士服はヨレヨレ、首筋には垢が溜まってる。ジェシカさんがいた頃は、あんなに小綺麗にしていたのにね」
「本当だよ。ジェシカさんは、暑い日には冷たいお茶を、寒い日には温かいスープを、僕らみたいな下働きにも『いつもありがとうございます』って差し入れしてくれたんだ。あんなに情けの深い方は、王都中探したっていないよ」
「あんな浮気相手を連れ込んで、大切な宝物をドブに捨てたようなもんだ。ありゃ、もう時間の問題だね。騎士団を追い出されるのも、家が破綻するのも」
誰もがジェシカを惜しみ、テリーの転落を確信していた。
彼が自らの手で放り出したのは、ただの「地味な妻」ではない。彼の人生を支えていた、かけがえのない「幸運そのもの」だったのだ。
暗い居間で、冷え切ったスープを啜りながら、テリーはふと、ジェシカが微笑んでいた食卓を思い出す。
だが、その手元にあるのは、金に汚い母と妹、そして自分を裏切ろうとしている妊婦の罵声だけだった。
幸せだった。俺は、幸せだったんだ。
気づいた時にはもう、すべてが手遅れだった。
__________
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かつて、ジェシカがいた頃は、テリーが仕事から戻れば、家の中には常に清涼な空気が満ち、磨き上げられた床がランプの光を反射していた。だが今の自宅は、足の踏み場もないほどのゴミ屋敷と化している。
「ちょっとアンナさん! この洗濯物、いつまで放置しておくつもり!? 私の新しいドレスがシワだらけじゃない!」
「うるさいねぇ、ミレイヌ! 妊婦だからって踏んぞり返ってんじゃないよ。あんたの実家の商会がちっとも金を寄越さないから、こっちは食い繋ぐので精一杯なんだよ!」
義母アンナと、浮気相手から「居候」へと成り下がったミレイヌの罵声が絶えず響く。ジェシカがいた頃は、彼女の商会での稼ぎが生活を潤し、テリーの給料はまるごと娯楽に使えていた。しかし今は、家事能力皆無の女たちが、テリーの乏しい俸給を奪い合うように使い果たしていく。
何よりテリーを苛立たせたのは、ミレイヌの身勝手な振る舞いだった。
彼女は「次期副隊長候補である騎士の妻」という座に執着し、籍を入れる予定もないにもかかわらず、お腹の子供を盾に騎士団の詰め所にまで顔を出すようになったのだ。
「皆様、お疲れ様です。『テリーの妻』、ミレイヌですわ。……あら、そちらの騎士様。その傷、痛むのではなくて?」
膨らみ始めたお腹を隠しもせず、ミレイヌはテリーの同僚たち、それも若くて見目のいい騎士たち限定で、あからさまに色目を使い始めた。彼女にとって、日に日に薄汚れていくテリーはもはや「賞味期限切れ」になりつつあり、本能的に次の寄生先を探していたのだ。
当然、その不謹慎な振る舞いは騎士団内で格好の噂の種となった。
「おい、テリー。お前の『新しい奥さん』、随分と積極的じゃないか。さっきも新入りのエドワードを捕まえて、えらく熱心に話し込んでいたぞ」
「……不倫で前妻を追い出したと思ったら、今度はその相手に浮気されるのか? 傑作だな」
同僚たちからの冷ややかな嘲笑と憐れみの視線。テリーのプライドはズタズタに引き裂かれた。かつてのジェシカは、どれほど忙しくても決して出しゃばらず、それでいてテリーの体面を完璧に保つ「誇れる妻」だった。その価値に、泥沼に首まで浸かってからようやく気づくのだ。
帰宅するなり、テリーの怒号が爆発した。
「ミレイヌ! 何のつもりで詰め所に来た! 貴様のせいで、俺は団内で笑いものだ!」
「何よ! 私はただ、あなたの子供を抱えて心細いから行っただけじゃない! 大体、あなたの稼ぎが少なすぎるのがいけないのよ! ろくなデートもできないなんて、騎士の妻が聞いて呆れるわ!」
食器が割れる音と、女たちの泣き叫ぶ声。
かつての静謐で温かな「家」は、今や近所でも有名な「騒音と悪臭の館」へと成り下がっていた。
一方、テリーたちの知らないところで、人々の心には「消えたジェシカ」への追慕が広がっていた。
テリーの家の隣に住む老夫婦は、荒れ果てた庭を眺めて溜息をつく。
「……隣の奥さんは、あんなに綺麗に花を咲かせていたのにねぇ。今じゃ雑草だらけで、嫌な臭いまでしてくるよ」
「ああ。冬には必ず、手作りの温かな焼き菓子を届けてくれたものだが……。あの男も馬鹿だね。あんなにできた奥さん、一生かかっても二度と出会えるものじゃないよ」
その評価は、騎士団の末端にまで及んでいた。
受付の職員や、馬の世話をする厩番たちは、テリーが通り過ぎるたびに顔を顰めて囁き合う。
「最近のテリーさん、見てよあのみっともない格好。騎士服はヨレヨレ、首筋には垢が溜まってる。ジェシカさんがいた頃は、あんなに小綺麗にしていたのにね」
「本当だよ。ジェシカさんは、暑い日には冷たいお茶を、寒い日には温かいスープを、僕らみたいな下働きにも『いつもありがとうございます』って差し入れしてくれたんだ。あんなに情けの深い方は、王都中探したっていないよ」
「あんな浮気相手を連れ込んで、大切な宝物をドブに捨てたようなもんだ。ありゃ、もう時間の問題だね。騎士団を追い出されるのも、家が破綻するのも」
誰もがジェシカを惜しみ、テリーの転落を確信していた。
彼が自らの手で放り出したのは、ただの「地味な妻」ではない。彼の人生を支えていた、かけがえのない「幸運そのもの」だったのだ。
暗い居間で、冷え切ったスープを啜りながら、テリーはふと、ジェシカが微笑んでいた食卓を思い出す。
だが、その手元にあるのは、金に汚い母と妹、そして自分を裏切ろうとしている妊婦の罵声だけだった。
幸せだった。俺は、幸せだったんだ。
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