3 / 3
身に覚えのない温もり
しおりを挟む
目覚めてから二日目の朝。
エリザベスは、侍女たちの過剰なほどの献身に戸惑いながら、鏡の前に座っていた。
「エリザベス様、今日は先日お気に入りだった、こちらの若草色のドレスになさいますか?」
「……お気に入り?」
「ええ。フレデリック様が、エリザベス様の瞳の色によく映えると仰って、贈ってくださったものですわ」
侍女のアンナが、以前の事務的な態度とは打って変わって、親愛の情を込めた笑顔で答える。
鏡に映る自分を見る。銀髪は美しく整えられ、青い瞳にはかつての絶望感は薄い。だが、エリザベス自身には、このドレスを選んだ記憶も、フレデリックとそんな睦まじい会話をした覚えもなかった。
(知らない……。私のクローゼットに、こんなに明るい色の服なんてなかったはずなのに)
一年前までの彼女なら、シュネーベルクの格式に相応しい、重厚で暗い色のドレスしか許されなかった。だが、クローゼットを開ければ、そこには春の陽だまりのような色とりどりの衣装が並んでいる。
身支度を終え、食堂へ向かう足取りは重い。
かつては処刑場へ向かうような気持ちだったが、今はそれとは別の、正体の知れない恐怖が胸を締め付けていた。
「おはよう、エリザベス! 気分はどうだい?」
食堂に入るなり、兄のルーカスが席を立って迎えに来た。
以前の彼なら、妹が部屋に入ってきても視線すら上げなかった。それがいまや、自ら椅子を引き、エスコートまでしてくれる。
「……おはようございます、お兄様。その……あまりにお気遣いいただくと、落ち着きませんわ」
「何を言っているんだ。昨日の今日だ、お前を労わるのは当然だろう。……ああ、そうだ。お前が欲しがっていた、隣国の新作の菓子も取り寄せておいたからな」
父ダニエルも、母マグノリアも、微笑みながらその光景を眺めている。
食卓には、かつての静寂はない。家族が今日の予定を語り合い、エリザベスの体調を気遣う言葉が飛び交う。
だが、エリザベスが口を開くたびに、食卓には微かな「違和感」が漂った。
「感謝いたしますわ、お父様。素晴らしいお心遣いに、心より御礼申し上げます」
完璧な淑女の礼。淀みのない、けれどどこか距離のある言葉。
その瞬間、父と母が、一瞬だけ困惑したように顔を見合わせたのを、エリザベスは見逃さなかった。
彼らが期待しているのは、こんな堅苦しい挨拶ではないのだ。もっと親しげに笑い、幼子のように甘える「あの一年間のエリザベス」なのだ。
(私は、私でしかないのに。……ここにいるのは、偽物だと思われているのかしら)
食後、エリザベスは逃げるように自室へ戻った。
何かがおかしい。周囲が変わったのではない。自分が――正確には「自分の体を使っていた存在」が、この家を完全に作り変えてしまったのだ。
彼女は部屋の中を調べ始めた。一年の間に増えた、見覚えのない品々。
そして、机の奥の隠し引き出しから、一冊のノートを見つけた。それは、エリザベスがかつて使っていた日記帳だった。
震える指でページを捲る。半分までは、自分の筆跡だった。義務教育の記録や、家族への諦めが綴られた、暗く冷たい文章。
だが、一年前の日付を境に、筆跡が劇的に変わっていた。丸みを帯びた、楽しげな文字。
『五月二日。今日から、私が「エリザベス」をプロデュースすることに決めた。まずはあのお堅いお父様を攻略。おねだり作戦、大成功!』
『五月五日。ルーカスお兄様って、実はすごくチョロい。お菓子ひとつでこんなに優しくなるなんて。この家、改造のしがいがあるわね』
『五月十日。フレデリック様とデート。彼は最初、氷みたいに冷たかったけど、ちょっと弱みを見せたらイチコロだった。恋する男って可愛い!』
エリザベスは、その場に崩れ落ちた。日記には、彼女が決してできなかったことが、軽やかな言葉で綴られていた。
家族の心を開き、冷徹な婚約者を情熱的な恋人に変え、周囲のすべてを「幸福」という色に塗り替えた、見知らぬ誰かの功績。
「……プロデュース……? 攻略……?」
聞き覚えのない言葉が並ぶ。
日記の最後、昨日付のページには、走り書きでこう記されていた。
『もうすぐ本物が戻ってくる。少しやりすぎちゃったかな? でも、エリザベス。今の貴方なら、きっと誰からも愛されるはず。この「幸せ」を壊さないように、頑張ってね!』
エリザベスの瞳から、一筋の涙が零れた。
それは感謝ではない。あまりにも残酷な、呪いの言葉に聞こえた。
彼女は、この一年間努力していない。
彼女は、家族と向き合っていない。
彼女は、フレデリックと愛を語り合っていない。
すべては「誰か」が用意した、中身のない飾り物だ。
それなのに、周囲は自分にその「完璧なヒロイン」であり続けることを求めている。
「……無理よ。私には。あんな風に笑えない……」
コンコン、とドアが叩かれた。
「エリザベス、僕だ。フレデリックだ。……入ってもいいかい?」
日記を慌てて隠す。
扉の向こうにいるのは、あの日記で「イチコロ」と書かれていた、愛に溺れた婚約者。本当の自分を見せれば、彼は失望するだろうか。それとも、軽蔑されるだろうか。
エリザベスは、震える手で鏡に映る「氷の仮面」をなぞった。幸せなのに、死にたくなるほど苦しい。
「一年後の目覚め」は、彼女にとって新たな、そして最も過酷な試練の始まりだった。
__________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
エリザベスは、侍女たちの過剰なほどの献身に戸惑いながら、鏡の前に座っていた。
「エリザベス様、今日は先日お気に入りだった、こちらの若草色のドレスになさいますか?」
「……お気に入り?」
「ええ。フレデリック様が、エリザベス様の瞳の色によく映えると仰って、贈ってくださったものですわ」
侍女のアンナが、以前の事務的な態度とは打って変わって、親愛の情を込めた笑顔で答える。
鏡に映る自分を見る。銀髪は美しく整えられ、青い瞳にはかつての絶望感は薄い。だが、エリザベス自身には、このドレスを選んだ記憶も、フレデリックとそんな睦まじい会話をした覚えもなかった。
(知らない……。私のクローゼットに、こんなに明るい色の服なんてなかったはずなのに)
一年前までの彼女なら、シュネーベルクの格式に相応しい、重厚で暗い色のドレスしか許されなかった。だが、クローゼットを開ければ、そこには春の陽だまりのような色とりどりの衣装が並んでいる。
身支度を終え、食堂へ向かう足取りは重い。
かつては処刑場へ向かうような気持ちだったが、今はそれとは別の、正体の知れない恐怖が胸を締め付けていた。
「おはよう、エリザベス! 気分はどうだい?」
食堂に入るなり、兄のルーカスが席を立って迎えに来た。
以前の彼なら、妹が部屋に入ってきても視線すら上げなかった。それがいまや、自ら椅子を引き、エスコートまでしてくれる。
「……おはようございます、お兄様。その……あまりにお気遣いいただくと、落ち着きませんわ」
「何を言っているんだ。昨日の今日だ、お前を労わるのは当然だろう。……ああ、そうだ。お前が欲しがっていた、隣国の新作の菓子も取り寄せておいたからな」
父ダニエルも、母マグノリアも、微笑みながらその光景を眺めている。
食卓には、かつての静寂はない。家族が今日の予定を語り合い、エリザベスの体調を気遣う言葉が飛び交う。
だが、エリザベスが口を開くたびに、食卓には微かな「違和感」が漂った。
「感謝いたしますわ、お父様。素晴らしいお心遣いに、心より御礼申し上げます」
完璧な淑女の礼。淀みのない、けれどどこか距離のある言葉。
その瞬間、父と母が、一瞬だけ困惑したように顔を見合わせたのを、エリザベスは見逃さなかった。
彼らが期待しているのは、こんな堅苦しい挨拶ではないのだ。もっと親しげに笑い、幼子のように甘える「あの一年間のエリザベス」なのだ。
(私は、私でしかないのに。……ここにいるのは、偽物だと思われているのかしら)
食後、エリザベスは逃げるように自室へ戻った。
何かがおかしい。周囲が変わったのではない。自分が――正確には「自分の体を使っていた存在」が、この家を完全に作り変えてしまったのだ。
彼女は部屋の中を調べ始めた。一年の間に増えた、見覚えのない品々。
そして、机の奥の隠し引き出しから、一冊のノートを見つけた。それは、エリザベスがかつて使っていた日記帳だった。
震える指でページを捲る。半分までは、自分の筆跡だった。義務教育の記録や、家族への諦めが綴られた、暗く冷たい文章。
だが、一年前の日付を境に、筆跡が劇的に変わっていた。丸みを帯びた、楽しげな文字。
『五月二日。今日から、私が「エリザベス」をプロデュースすることに決めた。まずはあのお堅いお父様を攻略。おねだり作戦、大成功!』
『五月五日。ルーカスお兄様って、実はすごくチョロい。お菓子ひとつでこんなに優しくなるなんて。この家、改造のしがいがあるわね』
『五月十日。フレデリック様とデート。彼は最初、氷みたいに冷たかったけど、ちょっと弱みを見せたらイチコロだった。恋する男って可愛い!』
エリザベスは、その場に崩れ落ちた。日記には、彼女が決してできなかったことが、軽やかな言葉で綴られていた。
家族の心を開き、冷徹な婚約者を情熱的な恋人に変え、周囲のすべてを「幸福」という色に塗り替えた、見知らぬ誰かの功績。
「……プロデュース……? 攻略……?」
聞き覚えのない言葉が並ぶ。
日記の最後、昨日付のページには、走り書きでこう記されていた。
『もうすぐ本物が戻ってくる。少しやりすぎちゃったかな? でも、エリザベス。今の貴方なら、きっと誰からも愛されるはず。この「幸せ」を壊さないように、頑張ってね!』
エリザベスの瞳から、一筋の涙が零れた。
それは感謝ではない。あまりにも残酷な、呪いの言葉に聞こえた。
彼女は、この一年間努力していない。
彼女は、家族と向き合っていない。
彼女は、フレデリックと愛を語り合っていない。
すべては「誰か」が用意した、中身のない飾り物だ。
それなのに、周囲は自分にその「完璧なヒロイン」であり続けることを求めている。
「……無理よ。私には。あんな風に笑えない……」
コンコン、とドアが叩かれた。
「エリザベス、僕だ。フレデリックだ。……入ってもいいかい?」
日記を慌てて隠す。
扉の向こうにいるのは、あの日記で「イチコロ」と書かれていた、愛に溺れた婚約者。本当の自分を見せれば、彼は失望するだろうか。それとも、軽蔑されるだろうか。
エリザベスは、震える手で鏡に映る「氷の仮面」をなぞった。幸せなのに、死にたくなるほど苦しい。
「一年後の目覚め」は、彼女にとって新たな、そして最も過酷な試練の始まりだった。
__________
エール📣いいね❤️お気に入り⭐️応援よろしくお願いします🙇♀️
84
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)
蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。
聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。
愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。
いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。
ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。
それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。
心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。
捨てたのはあなたです。今さら取り戻せません
めめめ
恋愛
婚約破棄?構いませんわ。
ですが国家の崩壊までは責任を負いかねます。
王立舞踏会で公開断罪された公爵令嬢セラフィーナ。
しかし王国を支えていたのは、実は彼女だった。
国庫凍結、交易停止、外交破綻——。
無能な王子が後悔する頃、彼女は隣国皇帝に迎えられる。
これは、断罪から始まる逆転溺愛劇。
愛するあなたの幸せを
あんど もあ
ファンタジー
男爵令嬢と恋に落ちたギルバート王子に、婚約者のアレクサンドラは言う。
「私はギルバート様を愛しておりますの。なので、ギルバート様がお幸せなら私も幸せですわ」
君のためだと言われても、少しも嬉しくありません
みみぢあん
恋愛
子爵家令嬢マリオンの婚約者アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は…… 暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓
愚か者の話をしよう
鈴宮(すずみや)
恋愛
シェイマスは、婚約者であるエーファを心から愛している。けれど、控えめな性格のエーファは、聖女ミランダがシェイマスにちょっかいを掛けても、穏やかに微笑むばかり。
そんな彼女の反応に物足りなさを感じつつも、シェイマスはエーファとの幸せな未来を夢見ていた。
けれどある日、シェイマスは父親である国王から「エーファとの婚約は破棄する」と告げられて――――?
【完結】離婚しましょうね。だって貴方は貴族ですから
すだもみぢ
恋愛
伯爵のトーマスは「貴族なのだから」が口癖の夫。
伯爵家に嫁いできた、子爵家の娘のローデリアは結婚してから彼から貴族の心得なるものをみっちりと教わった。
「貴族の妻として夫を支えて、家のために働きなさい」
「貴族の妻として慎みある行動をとりなさい」
しかし俺は男だから何をしても許されると、彼自身は趣味に明け暮れ、いつしか滅多に帰ってこなくなる。
微笑んで、全てを受け入れて従ってきたローデリア。
ある日帰ってきた夫に、貞淑な妻はいつもの笑顔で切りだした。
「貴族ですから離婚しましょう。貴族ですから受け入れますよね?」
彼の望み通りに動いているはずの妻の無意識で無邪気な逆襲が始まる。
※意図的なスカッはありません。あくまでも本人は無意識でやってます。
それでも好きだった。
下菊みこと
恋愛
諦めたはずなのに、少し情が残ってたお話。
主人公は婚約者と上手くいっていない。いつも彼の幼馴染が邪魔をしてくる。主人公は、婚約解消を決意する。しかしその後元婚約者となった彼から手紙が来て、さらにメイドから彼のその後を聞いてしまった。その時に感じた思いとは。
小説家になろう様でも投稿しています。
【短編】花婿殿に姻族でサプライズしようと隠れていたら「愛することはない」って聞いたんだが。可愛い妹はあげません!
月野槐樹
ファンタジー
妹の結婚式前にサプライズをしようと姻族みんなで隠れていたら、
花婿殿が、「君を愛することはない!」と宣言してしまった。
姻族全員大騒ぎとなった
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる