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薔薇色の光、灰色の影
奇跡、という言葉以外に表現のしようがなかった。
特効薬が投与され始めてから一ヶ月。姉・フローディアの回復ぶりは、まさに目を見張るものだった。
白く透けていた肌は、健康的な輝きを取り戻した。
食事も十分に摂れるようになり、侍女に支えられずともベッドから起き上がり、ついには中庭を軽やかに歩けるまでになったのだ。
「見て、メリッサ! 私、自分の足で歩いているわ。風がこんなに心地よいなんて、忘れていたわ」
中庭の薔薇に囲まれ、笑い声を上げる姉。
その姿は、病に伏せっていた頃の悲劇的な美しさとはまた違う、眩いばかりの光を放っていた。
私は、テラスからその光景を眺め、純粋に安堵していた。
(お姉様が元気になった。もう、死の影に怯えなくていいのね……)
五年間の緊張が、ふっと解けるような気がした。
これでいい。お姉様が元気になったのなら、私はこれから、少しずつ自分の時間を取り戻せるはず。そう信じていた。
けれど、私の淡い期待は、隣に立つ婚約者の横顔を見た瞬間に凍りついた。
「……美しい。本当に、夢のようだ」
シモン様が、絞り出すような声で呟いた。
彼の瞳は、私など最初から存在しないかのように、中庭の姉だけを追いかけている。
かつての「同情」や「慈悲」の眼差しではない。それは、一人の女性を心から渇望する、熱い恋情の瞳だった。
「シモン様……?」
不安に駆られて声をかける。シモン様は一瞬だけ、邪魔をされたと言わんばかりの冷ややかな視線を私に向け、すぐに、その表情をかき消した。
「ああ、ごめん。メリッサ。フローディアがこれほど早く回復するとは思わなかったから、感極まってしまって。……君も、嬉しいだろう?」
言葉は優しい。けれど、その響きは空虚だった。
その日から、シモン様の行動は露骨になった。
本来、私の婚約者として、彼は私と領地運営の打ち合わせをしたり、学園へ通う準備について話し合ったりするべきだった。
しかし、シモン様が私の執務室を訪れることはなくなった。
彼が常にいる場所は、姉の部屋か、姉のいるサロン。
「メリッサ、シモン様はお姉様の『リハビリ』を助けてくださっているのよ。あなたも、そんなに根を詰めて仕事ばかりしていないで、たまには一緒にどう?」
母様までが、当然のようにそう言う。
一緒に?
仲睦まじく歩く二人の後ろを、侍女のように付いて歩けというのだろうか。
ある日、私は意を決してシモン様を呼び止めた。
「シモン様、来月からの学園の入学手続きですが、提出書類にあなたのサインが必要です。お時間をいただけませんか?」
「……それなら、そこに置いておいてくれ。後で見ておく。それよりメリッサ、フローディアが新しい刺繍の図案を欲しがっていたんだ。君の部屋にある古い図鑑、彼女に貸してあげてくれないか?」
私の問いかけには生返事で、姉の望みには即座に反応する。
私の存在は、今や「姉の要望を叶えるための道具」へと成り下がっていた。
一番苦しかったのは、姉の無邪気な残酷さだった。
姉は、私がシモン様と婚約していることを知っているはずなのに、彼の腕に当たり前のように触れ、甘えるような仕草を見せる。
「シモン様、少し疲れちゃったわ。支えてくださる?」
「ああ、もちろんだ。無理をしてはいけないよ、フローディア」
二人の間に流れる空気は、義姉と妹の婚約者のそれではない。
周囲の侍女たちも、最近ではひそひそと囁き合っている。
『本当は、フローディア様とシモン様こそがお似合いよね』
『メリッサ様は有能すぎて、可愛げがないもの』
胸の奥で、じりじりと焼けるような痛みが広がる。
喜びたかった。姉の完治を、家族の再生を、心から。けれど、光が強くなればなるほど、私の足元の影は濃く、暗くなっていく。
執務室に戻った私は、一人でペンを握りしめた。
お姉様が健康になったのなら、もう「身代わり」は必要ないはずだ。それなのに、お父様もお母様も、相変わらず私に領地の仕事を押し付け、お姉様とシモン様の『幸せな時間』を邪魔させまいとしている。
(私は、一体何のために頑張ってきたの……?)
インクの瓶に映る自分の顔は、相変わらず無機質な事務官のようだった。
お姉様の十五歳の誕生日まで、あとわずか。
本来なら、姉の完治を祝う最高の誕生日になるはずだった。
けれどその裏で、私からすべてを奪い去るための舞台装置が、着々と整えられていることに、私はまだ気づいていなかった。
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特効薬が投与され始めてから一ヶ月。姉・フローディアの回復ぶりは、まさに目を見張るものだった。
白く透けていた肌は、健康的な輝きを取り戻した。
食事も十分に摂れるようになり、侍女に支えられずともベッドから起き上がり、ついには中庭を軽やかに歩けるまでになったのだ。
「見て、メリッサ! 私、自分の足で歩いているわ。風がこんなに心地よいなんて、忘れていたわ」
中庭の薔薇に囲まれ、笑い声を上げる姉。
その姿は、病に伏せっていた頃の悲劇的な美しさとはまた違う、眩いばかりの光を放っていた。
私は、テラスからその光景を眺め、純粋に安堵していた。
(お姉様が元気になった。もう、死の影に怯えなくていいのね……)
五年間の緊張が、ふっと解けるような気がした。
これでいい。お姉様が元気になったのなら、私はこれから、少しずつ自分の時間を取り戻せるはず。そう信じていた。
けれど、私の淡い期待は、隣に立つ婚約者の横顔を見た瞬間に凍りついた。
「……美しい。本当に、夢のようだ」
シモン様が、絞り出すような声で呟いた。
彼の瞳は、私など最初から存在しないかのように、中庭の姉だけを追いかけている。
かつての「同情」や「慈悲」の眼差しではない。それは、一人の女性を心から渇望する、熱い恋情の瞳だった。
「シモン様……?」
不安に駆られて声をかける。シモン様は一瞬だけ、邪魔をされたと言わんばかりの冷ややかな視線を私に向け、すぐに、その表情をかき消した。
「ああ、ごめん。メリッサ。フローディアがこれほど早く回復するとは思わなかったから、感極まってしまって。……君も、嬉しいだろう?」
言葉は優しい。けれど、その響きは空虚だった。
その日から、シモン様の行動は露骨になった。
本来、私の婚約者として、彼は私と領地運営の打ち合わせをしたり、学園へ通う準備について話し合ったりするべきだった。
しかし、シモン様が私の執務室を訪れることはなくなった。
彼が常にいる場所は、姉の部屋か、姉のいるサロン。
「メリッサ、シモン様はお姉様の『リハビリ』を助けてくださっているのよ。あなたも、そんなに根を詰めて仕事ばかりしていないで、たまには一緒にどう?」
母様までが、当然のようにそう言う。
一緒に?
仲睦まじく歩く二人の後ろを、侍女のように付いて歩けというのだろうか。
ある日、私は意を決してシモン様を呼び止めた。
「シモン様、来月からの学園の入学手続きですが、提出書類にあなたのサインが必要です。お時間をいただけませんか?」
「……それなら、そこに置いておいてくれ。後で見ておく。それよりメリッサ、フローディアが新しい刺繍の図案を欲しがっていたんだ。君の部屋にある古い図鑑、彼女に貸してあげてくれないか?」
私の問いかけには生返事で、姉の望みには即座に反応する。
私の存在は、今や「姉の要望を叶えるための道具」へと成り下がっていた。
一番苦しかったのは、姉の無邪気な残酷さだった。
姉は、私がシモン様と婚約していることを知っているはずなのに、彼の腕に当たり前のように触れ、甘えるような仕草を見せる。
「シモン様、少し疲れちゃったわ。支えてくださる?」
「ああ、もちろんだ。無理をしてはいけないよ、フローディア」
二人の間に流れる空気は、義姉と妹の婚約者のそれではない。
周囲の侍女たちも、最近ではひそひそと囁き合っている。
『本当は、フローディア様とシモン様こそがお似合いよね』
『メリッサ様は有能すぎて、可愛げがないもの』
胸の奥で、じりじりと焼けるような痛みが広がる。
喜びたかった。姉の完治を、家族の再生を、心から。けれど、光が強くなればなるほど、私の足元の影は濃く、暗くなっていく。
執務室に戻った私は、一人でペンを握りしめた。
お姉様が健康になったのなら、もう「身代わり」は必要ないはずだ。それなのに、お父様もお母様も、相変わらず私に領地の仕事を押し付け、お姉様とシモン様の『幸せな時間』を邪魔させまいとしている。
(私は、一体何のために頑張ってきたの……?)
インクの瓶に映る自分の顔は、相変わらず無機質な事務官のようだった。
お姉様の十五歳の誕生日まで、あとわずか。
本来なら、姉の完治を祝う最高の誕生日になるはずだった。
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