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届かない声、破り捨てられた過去
学園の生活が三年目に差し掛かり、季節は秋の気配を帯びていた。
図書室の窓から見える木々は鮮やかに色づき、学生たちは冬の試験や卒業後の進路、あるいは控えた舞踏会の話題で持ちきりだった。
私、メリッサ・ドリオンにとって、そのどれもがどこか遠い世界の出来事のように感じられた。今の私にあるのは、自分自身で勝ち取った特待生の地位と、放課後にフレデリック様と交わす実りある議論の時間、そして、自立した生活を支えるための膨大な実務だけだ。
そんなある日の午後、寮の私のポストに一通の手紙が届けられた。
差出人の紋章を見た瞬間、指先に不快な冷たさが走る。ドリオン伯爵家からの公式な書状。
家を出て以来、「戻れ」という短い催促は何度かあったが、これほど厚みのある手紙は初めてだった。
私は図書室の隅の席で、溜息とともに封を切った。
『愛しき娘、メリッサへ。
学園での生活も、もう長いものになったな。お前が飛び級でSクラスに進み、優秀な成績を収めていることは聞き及んでいる。流石は我が家の誇りだ』
書き出しの一文からして、虫酸が走った。
家を出る私を「わがまま」だと罵り、最低限の送金すら渋った父が、今さらどの面を下げて「誇り」などと呼ぶのか。私は乾いた感情で、さらに読み進めた。
『さて、本題だが、実家の状況が思わしくない。
フローディアが後継者としての務めに励んではいるが、彼女は元々病弱で繊細な身だ。最近では過労からか、また頭痛を訴える日が多くなっている。領地の運営、特に来期の税収計算や周辺諸侯との調整が滞っており、このままではドリオン家の名に傷がつく事態になりかねない。
シモン君も、フローディアの体調を案じるあまり、自分の領地との調整にまで手が回らず、心身ともに疲弊しているようだ。彼は常々、「メリッサがいれば、フローディアも僕も、これほど苦しむことはなかったのに」と、お前の不在を嘆いている』
読み進めるうちに、私は怒りを通り越して、純粋な驚愕を覚えた。
厚顔無恥にも程がある。あれほど「お前は強いから一人でも大丈夫だ」と言って私を追い出し、私の努力の結晶である地位も婚約者も奪っておきながら、自分たちが無能ゆえに窮地に陥ると、まるで私が「義務を放棄して逃げ出した加害者」であるかのような物言い。
さらに手紙は続いた。
『幸い、お前はもう十五歳だ。学園での学びも、実務家としてのお前にはもう十分だろう。
直ちに学園を退学し、家に戻りなさい。お前の部屋はそのままにしてある。フローディアを支え、実務を分担すれば、お前もまたドリオン家の一員として平穏な暮らしを送れるはずだ。シモン君も「メリッサが戻るなら、以前のように三人で仲良く、家族として支え合おう」と歩み寄ってくれている。
これは父としての命令であり、一族の危機を救うための要請だ。賢明な返事を待っている』
私は静かに手紙を置いた。
図書室の窓から差し込む夕陽が、便箋の白い紙を赤く染めている。
「……三人で、仲良く?」
その言葉が、耳元で滑稽な喜劇の台詞のように響いた。
かつての私なら、この手紙を読んで「私が必要とされている」と勘違いしたかもしれない。泣きながら家に戻り、姉とシモン様の幸せのために、再び自分の人生を差し出したかもしれない。
けれど、今の私は知っている。
彼らが求めているのは「娘」でも「妹」でも「元婚約者」でもない。何の不平も言わず、ただ精巧に、無償で働き続ける「都合の良い機械」だ。
「失礼、メリッサ。そんなに怖い顔をして、何を読んでいるんだい?」
不意に、聞き慣れた涼やかな声がした。
フレデリック様だ。彼は私の前に座ると、机の上の手紙に視線を落とした。
「……実家からの、お誘いですわ。家が大変だから、学園を辞めて戻ってきて奴隷になれ、という内容の」
「相変わらず、独創的な家族だね」
フレデリック様は、手紙の内容を察したのか、呆れたように肩をすくめた。
「どうするんだい? 返事を書くのかい?」
「いいえ。そんな時間は一秒もありませんわ」
私は手紙を二つに折り、迷うことなくその場で細かく引き裂いた。
ドリオン伯爵家の紋章が、無惨に千切れて机の上に散らばる。
「私は今、フレデリック様と進めている『ルナリアと我が国の国境貿易特区』の草案作りで忙しいのです。他人の無能を埋めるために、私の貴重な才能を浪費するつもりはありません」
「ははは! 言うようになったね。その意気だよ、メリッサ。……君はもう、小さな鳥籠の中に収まるような人間じゃない」
フレデリック様は、散らばった紙屑を片付けるのを手伝いながら、真っ直ぐに私を見つめた。
「君を必要としているのは、あんな古い価値観に縛られた伯爵家じゃない。……僕だ。そして、君が作り出す新しい未来なんだよ」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
かつて私に「強いから大丈夫」と吐き捨てた人々とは違う。彼は、私の強さを認めた上で、「必要だ」と言ってくれる。
私は、千切れた手紙の残骸をゴミ箱へと捨てた。
返信などしない。無視こそが、今の私にできる最大の、そして最も残酷な復讐だ。
私がいないことで、ドリオン伯爵家がどれほど困窮しようと、知ったことではない。
シモン様が「疲弊」していようと、お姉様が「頭痛」を訴えていようと、それは自分たちの実力に見合わない地位を奪い取った代償に過ぎない。
私は新しい羽ペンを手に取り、フレデリック様と共に広げた真っ白な羊皮紙に、力強く文字を書き込んだ。
ここには、私の未来がある。
過去の亡霊に、私を引き止める鎖はもう残っていない。
「さあ、フレデリック様。議論の続きを始めましょう。特区の税率設定について、昨日思いついた新しい案があるのですわ」
「ああ、聞かせてくれ。君の魔法の数字を」
夕闇が迫る図書室。
破り捨てられた過去を置き去りにして、私たちはまだ見ぬ国のかたちについて、夜が更けるまで語り合い続けた。
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📢新連載🌹【裏切りの果てに目覚めた愛は、狂気だった~冷遇夫の溺愛が、私を壊し始める~】
図書室の窓から見える木々は鮮やかに色づき、学生たちは冬の試験や卒業後の進路、あるいは控えた舞踏会の話題で持ちきりだった。
私、メリッサ・ドリオンにとって、そのどれもがどこか遠い世界の出来事のように感じられた。今の私にあるのは、自分自身で勝ち取った特待生の地位と、放課後にフレデリック様と交わす実りある議論の時間、そして、自立した生活を支えるための膨大な実務だけだ。
そんなある日の午後、寮の私のポストに一通の手紙が届けられた。
差出人の紋章を見た瞬間、指先に不快な冷たさが走る。ドリオン伯爵家からの公式な書状。
家を出て以来、「戻れ」という短い催促は何度かあったが、これほど厚みのある手紙は初めてだった。
私は図書室の隅の席で、溜息とともに封を切った。
『愛しき娘、メリッサへ。
学園での生活も、もう長いものになったな。お前が飛び級でSクラスに進み、優秀な成績を収めていることは聞き及んでいる。流石は我が家の誇りだ』
書き出しの一文からして、虫酸が走った。
家を出る私を「わがまま」だと罵り、最低限の送金すら渋った父が、今さらどの面を下げて「誇り」などと呼ぶのか。私は乾いた感情で、さらに読み進めた。
『さて、本題だが、実家の状況が思わしくない。
フローディアが後継者としての務めに励んではいるが、彼女は元々病弱で繊細な身だ。最近では過労からか、また頭痛を訴える日が多くなっている。領地の運営、特に来期の税収計算や周辺諸侯との調整が滞っており、このままではドリオン家の名に傷がつく事態になりかねない。
シモン君も、フローディアの体調を案じるあまり、自分の領地との調整にまで手が回らず、心身ともに疲弊しているようだ。彼は常々、「メリッサがいれば、フローディアも僕も、これほど苦しむことはなかったのに」と、お前の不在を嘆いている』
読み進めるうちに、私は怒りを通り越して、純粋な驚愕を覚えた。
厚顔無恥にも程がある。あれほど「お前は強いから一人でも大丈夫だ」と言って私を追い出し、私の努力の結晶である地位も婚約者も奪っておきながら、自分たちが無能ゆえに窮地に陥ると、まるで私が「義務を放棄して逃げ出した加害者」であるかのような物言い。
さらに手紙は続いた。
『幸い、お前はもう十五歳だ。学園での学びも、実務家としてのお前にはもう十分だろう。
直ちに学園を退学し、家に戻りなさい。お前の部屋はそのままにしてある。フローディアを支え、実務を分担すれば、お前もまたドリオン家の一員として平穏な暮らしを送れるはずだ。シモン君も「メリッサが戻るなら、以前のように三人で仲良く、家族として支え合おう」と歩み寄ってくれている。
これは父としての命令であり、一族の危機を救うための要請だ。賢明な返事を待っている』
私は静かに手紙を置いた。
図書室の窓から差し込む夕陽が、便箋の白い紙を赤く染めている。
「……三人で、仲良く?」
その言葉が、耳元で滑稽な喜劇の台詞のように響いた。
かつての私なら、この手紙を読んで「私が必要とされている」と勘違いしたかもしれない。泣きながら家に戻り、姉とシモン様の幸せのために、再び自分の人生を差し出したかもしれない。
けれど、今の私は知っている。
彼らが求めているのは「娘」でも「妹」でも「元婚約者」でもない。何の不平も言わず、ただ精巧に、無償で働き続ける「都合の良い機械」だ。
「失礼、メリッサ。そんなに怖い顔をして、何を読んでいるんだい?」
不意に、聞き慣れた涼やかな声がした。
フレデリック様だ。彼は私の前に座ると、机の上の手紙に視線を落とした。
「……実家からの、お誘いですわ。家が大変だから、学園を辞めて戻ってきて奴隷になれ、という内容の」
「相変わらず、独創的な家族だね」
フレデリック様は、手紙の内容を察したのか、呆れたように肩をすくめた。
「どうするんだい? 返事を書くのかい?」
「いいえ。そんな時間は一秒もありませんわ」
私は手紙を二つに折り、迷うことなくその場で細かく引き裂いた。
ドリオン伯爵家の紋章が、無惨に千切れて机の上に散らばる。
「私は今、フレデリック様と進めている『ルナリアと我が国の国境貿易特区』の草案作りで忙しいのです。他人の無能を埋めるために、私の貴重な才能を浪費するつもりはありません」
「ははは! 言うようになったね。その意気だよ、メリッサ。……君はもう、小さな鳥籠の中に収まるような人間じゃない」
フレデリック様は、散らばった紙屑を片付けるのを手伝いながら、真っ直ぐに私を見つめた。
「君を必要としているのは、あんな古い価値観に縛られた伯爵家じゃない。……僕だ。そして、君が作り出す新しい未来なんだよ」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
かつて私に「強いから大丈夫」と吐き捨てた人々とは違う。彼は、私の強さを認めた上で、「必要だ」と言ってくれる。
私は、千切れた手紙の残骸をゴミ箱へと捨てた。
返信などしない。無視こそが、今の私にできる最大の、そして最も残酷な復讐だ。
私がいないことで、ドリオン伯爵家がどれほど困窮しようと、知ったことではない。
シモン様が「疲弊」していようと、お姉様が「頭痛」を訴えていようと、それは自分たちの実力に見合わない地位を奪い取った代償に過ぎない。
私は新しい羽ペンを手に取り、フレデリック様と共に広げた真っ白な羊皮紙に、力強く文字を書き込んだ。
ここには、私の未来がある。
過去の亡霊に、私を引き止める鎖はもう残っていない。
「さあ、フレデリック様。議論の続きを始めましょう。特区の税率設定について、昨日思いついた新しい案があるのですわ」
「ああ、聞かせてくれ。君の魔法の数字を」
夕闇が迫る図書室。
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