無自覚人たらしマシュマロ令嬢、王宮で崇拝される ――見た目はぽっちゃり、中身は只者じゃない !

恋せよ恋

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黒き霧と彩光の目

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 沈黙が落ちたその場で、ステファニーは小さく息を整え、顔を上げた。
 十二歳の少女らしい柔らかな微笑みを浮かべながら、その瞳の奥には、はっきりとした決意が宿っている。

「ニコラス。ひとつ、お願いがあるの」

 名を呼ばれ、ニコラスは背筋を正した。
「はい、ステファニー様」

「賢者アストラル様との面会を手配してほしいの。できるだけ、早くお願い」

 その言葉に、ニコラスがわずかに目を見開く。
 王宮随一の賢者――王妃でさえ、容易に面会することのできない存在だ。

「それから……宰相サミュエル様にも、正式にお取り次ぎをお願いするわ」

 理由は語らない。
 だが、その声に迷いはなかった。

「かしこまりました。すぐに手配いたします」

 ニコラスは短く応じ、すぐに動き出す。
 彼は“王妃の目”であると同時に、少女ステファニーに対して、守るべき対象以上の敬意を抱き始めていた。



 天宮の最上階。
 王宮の中でも限られた者しか足を踏み入れぬ、星と知恵の領域。

 重厚な扉が静かに閉じられると同時に、部屋の中央に据えられた古い天体観測儀の影が、わずかに揺れた。

「ほっほっほ……久しいのう、ステファニー嬢」

 影の向こうから姿を現したのは、雪のような白髭を蓄えた小柄な老人――賢者アストラルであった。

 厚いレンズの眼鏡越しに向けられたその視線は、再会の好奇ではなかった。
 すでに“知っている者”を迎える眼差しである。

 天宮の階段は、今回も容赦がなかった。

 ステファニーは最初の数段を、意地で自分の足で登っていた。

「だ、大丈夫ですわ……。今日は……自分で……」

 しかし、五段目を過ぎたあたりで、足取りが明らかに怪しくなる。
 呼吸は荒く、額にはすでに汗。

「お嬢様、ここまでで十分です」
 背後から、実に落ち着いた声がかかった。

「え、まだ……十段も……」
「序盤です」

 その直後。

「――失礼いたします」

 有無を言わさぬ手際で、ニコラスはステファニーをひょいと背負った。

「ちょっ……! ニコラス! まだ歩け――」
「息が『歩けていない』音をしています」

「うっ……」

 図星である。

 そのまま、ニコラスは慣れた足取りで階段を上り始めた。

「今回も、序盤からですね」
 横で並ぶエメリーが、どこか呆れたように、しかし優しく言う。

「今回は……がんばる予定でしたのに……」
「“予定”でしたね」

 ステファニーは、ニコラスの背中にしがみつきながら、小さくため息をついた。

「……次こそは……」

 なお、その“次”がいつ来るのかは、誰も聞かなかった。


「はぁ……はぁ……っ。つ、着きました……」
 ――天宮最上階。
 十二歳のぽっちゃり少女にとっては、もはや登山である。

「ご機嫌よぅ……アストラル……さ…ま…」

 ステファニーは肩で息をしながら、どうにかこうにか一礼した。
 上下する肩、真っ赤な頬、そして額から頬へと流れ落ちる玉のような汗。

 息も絶え絶えなステファニーを前にしても、アストラルは微動だにしない。
 白い髭を揺らしながら、楽しげに喉を鳴らした。

「今回は何段目じゃったかな?」

「五段目です」
 ニコラスが苦笑を浮かべて即答する。

「数えなくていいですわ!」
 ステファニーが思わず睨みつけるが、迫力は皆無である。

「アストラル様……もう少し……っ、通いやすい場所に……っ」
「ほう?」
「お住まいを……変えられませんか……っ!」

 言い切った瞬間、ぜえ、と大きく息を吐く。

 アストラルは満足そうに頷いた。

「ほっほっほ。よい運動じゃな」
「運動じゃありませんわ……登山です……!」

「ここは静かでの。星もよく見える」
「星より……椅子が欲しいです……」

「むりじゃな」
「ですよね……!」

 即答だった。

 ステファニーは、ハンカチで汗を拭きながら、恨めしそうに賢者を見上げる。

(この人……絶対、みんなが息切れするの、わかってて住んでる……!)

「星の巡りが、朝から騒がしくてのう。
 ――おまえさんが再び、この塔を訪れるだろうことは、なんとなく分かっておった」

 ステファニーは目を瞬かせる。
「……それは、予知、なのですか?」

「いいや」
 アストラルは首を横に振り、杖で床を軽く叩いた。

「星は未来を告げはせん。
 ただ、“動き出した歯車”を教えてくれるだけじゃ」

 その視線が、ステファニーの瞳をまっすぐに捉える。

「そして今、この国の歯車は、はっきりと音を立て始めておる。
 ……それを見てしまった者が、黙っておれぬ性分であることも、の」

 賢者はそう言って、どこか愉快そうに微笑んだ。

「息を整えなさい、ステファニー嬢。
 今日の話は、少々……重たい」

 まるで、彼女が“何を見てきたのか”を、すでに承知しているかのように。


 その瞬間――彼女の視界に、再び現れる。

 七色に揺らめく、透明で澄みきった光。
 人のオーラという言葉では到底足りない、《秩序そのもの》のような輝き。

(……やっぱり、とても綺麗)

 前回と同じ感想が胸をよぎるが、今回は口には出さない。
 その成長を見て、アストラルは愉快そうに喉を鳴らした。

「ほっほ。あの時より、目が澄んだな。
 ――“見えるもの”が増えたのじゃろう?」

 ステファニーは、わずかに表情を引き締めた。

「はい。だからこそ、今日はお尋ねしたいことがございます」

 アストラルは頷く。まるで、来るべき問いを待っていたかのように。

「《彩光の目》を持つ者は……人のオーラだけでなく、気配のような“黒い霧”を見ることがあるのでしょうか?」

 その問いに、賢者の笑みが、ほんの少しだけ消えた。

「……やはり、見てしまったか」

 アストラルは杖に手を置き、低く告げると、古い天体観測儀のそばに腰を下ろし、ゆっくりと語り始めた。

「さて……おまえさんが見たという《黒い霧》じゃが」

 その言葉に、ステファニーは背筋を正す。

「それは、人のオーラそのものではない。感情でも、病でも、罪でもない――“それらが腐った後に残る澱”じゃ」

 アストラルは杖の先で、空中に円を描く。

「本来、人の心や体から生まれる濁りは、時間とともに薄れ、消えていく。
 怒りも、悲しみも、欲も……すべては流れ去るものじゃ」

 だが、と一拍置いて続けた。
「それが、意図的に溜め込まれ、歪められ、注ぎ込まれた時――黒い霧となる」

 ステファニーは小さく息をのむ。
「……誰かが、作り出している……?」

「うむ。正確には、“利用しておる”」
 アストラルの目が細まる。

「人の弱さ、不安、劣等感、焦り……
 そうしたものに付け入り、増幅させ、他者へと流し込む。
 黒い霧とは、その痕跡じゃ」

 ステファニーの脳裏に、アルバート王子の姿が浮かぶ。
 胃のあたりに渦巻く、暗赤色の濁り。

「では……アルバート殿下の癇癪は……」

「当然の帰結じゃな」

 アストラルは、ため息をつく。

「もともと、あの王子は繊細じゃ。
 王太子としての重圧、比較される弟、期待と失望。
 そこへ、食の乱れと孤独が重なれば、心は脆くなる」

 そして、静かに断じた。

「そこに黒い霧を流し込めば――爆発せぬ方がおかしい」

 ステファニーの瞳が、きらりと紫を帯びる。
「……誰かが、殿下を“器”にしているのですね」

「聡いのう」
 アストラルは、苦笑交じりに頷いた。

「黒い霧は、直接人を操ることはできん。
 だが、“元からある歪み”を、何倍にも膨らませる」

「怒りは癇癪に、不安は疑心に、食への執着は過食となって現れる」

 ステファニーは、拳をきゅっと握りしめた。
「……それでは、悪を払うことはできるのでしょうか? 彩光の目をもつわたしに、浄化の力はあるのでしょうか?」

 アストラルはすぐには答えず、代わりに静かに、ステファニーの瞳をじっと見つめた。

 アストラルは、即答しなかった。
 代わりに、じっとステファニーの瞳を見つめる。

「払う、というより……ほどく、が正しい」

「おまえさんの力は、黒を消すものではない。――“結ばれてしまった因”を、正しく解くための目じゃ」

 そして、ゆっくりと告げた。

「じゃが――おまえさんの《彩光の目》は、原因と結果、その“結び目”を見ることができる」

 アストラルは、静かに微笑んだ。

「アルバート王子の癇癪は、始まりにすぎん。
 ……黒い霧を生み、流しておる者は、すでに王宮の内側におる」

 その言葉が、重く部屋に落ちる。

「そして、その黒を最初に見抜いたのが――他ならぬ、おまえさんじゃ」

 ステファニーは、深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。

(……やっぱり、逃げられないのね)

 だがその胸に、不思議と恐怖はなかった。

(なら、守るわ。マシュマロでも、できることはあるもの)

 十二歳の少女は、静かに覚悟を決めていた。
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